佐倉のレッスン1
週が明けて月曜日、佐倉はユニフォームを着てグラウンドに現れた。
アップを終えた選手たちを集めて、ついに指導を始めた。
「監督、このチームの課題はなんだ」
栞に話を振った。
「えっと、山積みだと思うんですけど」
選手たちにはかわいそうだがいいところを探すほうが難しいと思った。
「ぱっと思いつくものでいい」
「じゃあ、ヒサシ君のコントロールでしょうか」
ヒサシの顔色を見ながら言った。本人はぽりぽりと頭を掻いている。
「じゃあ、そこから始めよう。ヒサシに限らず、スローイングがなってないんだ。だからエラーも増える」
佐倉はボールを手に取った。
「みんなには今日からカーブを練習してもらう」
「え?」
驚いたのは栞だけでなく、子供たちも同様でお互いに顔を見合わせている。
「でも、変化球はルール違反ですよ」
学童野球ではストレート以外投げられないことになっている。
「お堅いね監督は」
佐倉がからかったように言う。
「肩やひじに悪いって言われたよ」
ヒサシも言う。
「いや、むしろ今のほうが野球ひじにつながるんだ。じゃあ、実際にやってみるか」
佐倉はヒサシにボールを持たせて身振りを交えてカーブの投げ方を教えた。
「手首を裏返すように、ひねらないで」
それが終わるとグローブを持って10メートルほど離れた。そのグローブだが、よく使いこまれているのが栞にも分かった。
「じゃあ、まずストレート」
言われたとおりにヒサシは佐倉めがけてストレートを放った。
「次、カーブ」
投げ返しながら言った。ヒサシはカーブのような山なりのボールを投げた。
「次、ストレート。次はカーブ」
交互に二球ずつ投げると、佐倉が戻ってきた。
「さあ、わかったかな。それじゃ始めて」
「わかりませんよ。ちゃんと説明してください」
今のデモンストレーションを見ただけでは、カーブを練習したから何なのか栞には理解しかねた。
「ねえ、みんな」
子供たちの顔を見た。
「誰か分かった人」
佐倉が手を挙げてたずねた。
カズオが手を挙げた。
「はい、カズオ君」
「カーブの時はアームスローじゃなくなっている」
栞には聞きなれない単語だった。選手たちは納得いったようで「あ、そっか」という声が聞こえた。
「さすがカズオ、ご名答」
というのも、カズオはチームで一番のセンスの持ち主である。栞は就任一週間にしてそのことを理解していた。6年生でショートの彼は先の試合でもエラーは無く、ヒットこそ出なかったものの四球を二つ稼いで、盗塁も成功させていた。
「それじゃ始めよう」
佐倉の一声で選手たちは散っていった。早速山なりのボールを投げ始める。
栞の頭には疑問符が浮かんだままである。
「佐倉さん、わたしにも分かるように教えていただけますか」
なんだか何もわからないのが申し訳なくなっておずおずと聞いてみたが、気にしたふうでもなく佐倉は教えてくれた。
「野球をやっていると投げ方に変な癖がつくんだ。
キャッチボールで暴投して申し訳なさそうにしているのを見ただろ。
あれを避けるために小手先でコントロールするようになってフォームが崩れていってアームスローっていうバッティングセンターのマシンみたいなぎこちない投げ方になるんだ。
で、カーブを投げるにはアームスローじゃ無理なように出来てる。
カーブを投げることで自然にフォームが矯正できるんだ。これはプロの野手も練習に取り入れてるんだよ」
面倒くさそうに喋る佐倉らしからぬ早口だった。栞は思わず笑っていた。
「な、なんだ」
「いえ、佐倉さんもやっぱり野球が好きなんですね」
「やめろ、好きでやってるんじゃない」
「うそ」
佐倉はぷいっと離れていった。
さて、あっという間に平日が過ぎて土曜日。練習試合が組まれている。
今回は相手グラウンドに乗り込んでのビジターゲームだ。
もしかしてと思って佐倉に車は持っているかたずねたところ。持っていないと答えた。この田舎では自家用車は生活必需品である
「在宅ワーカーだし、最近はアマゾンや楽天もあるからね」
今まではどうしていたのかと聞くと「チャリだけど」と事も無げに言った。
栞たちが住んでいる市は平成に行われた大合併もあって広大だ。奥田地域から市の中心部を挟んで反対側に行こうとすると道のり20キロメートルでは済まないこともある。
当然そちら側のチームとの練習試合も予定されている。
栞は佐倉に自分の車に乗るよう言った。
「いやー、助かりますわ」
佐倉は殊勝にも助手席で縮こまっている。
「去年なんか山奥で自転車がパンクして死を覚悟したからな」
などとこれまでの武勇伝を聞いているうちに相手グラウンドに着いた。
子供たちが先についていて、栞と佐倉が同じ車から出てくるのを見ると「ドライブデートだ」と言ってはやし立てる。
念入りに否定して、アップを始めさせた。例の山なりのキャッチボールももちろん行う。
それを見て相手の選手たちが何やらひそひそ言っているのが見えた。
「お前らはビシッと投げるんだぞ」
相手の監督が自チームの子供たちに呼びかけるのが聞こえた。
栞はムカッと来たが「落ち着け」と佐倉になだめられた。
今日も栞は選手たちを激励する。
「さあ『好球必打』で頑張りましょう」
さて試合が始まりマウンドに登ったヒサシだが、先週とは見違えるようにコントロールが良くなっている。
四球をほとんど出さずに済んだ。
さらにはフォームが治ったことによって球威も増していた。もともと速球を誇っていた彼は目立って打ち込まれることもなく被安打に関しては5に抑えた。
守備のほうもスローイングが良くなっただけでかなり安定するようになった。
しかしそれでも打球を捕る点でエラーが出て、ヒットと相まって失点は避けられなかった。
打撃も抑え込まれ、セイヤが放ったシングルと、カズオが打ったランニングホームランの二安打に終わった。
学童野球ではさく越えのホームランはほとんど無い。そもそもスタンドのあるグラウンドがない。すると外野を抜けたボールはどこまでも転がっていき、ランニングホームランになる。
最終的なスコアは1-3。
負けはしたが、大幅に進歩した試合だった。
栞は子供たちの成長の速さと、佐倉の魔法のようなコーチングの手腕に驚かされた。
「来週から次のステップかな」
帰りの車で佐倉が呟いた。
「楽しみにしてます」
栞が言うと「俺もだ」と答えた。
栞は佐倉のやる気が感じられて嬉しかった。