がんばれラディッシュ
水曜日、栞は佐倉のアパートから自転車を回収するついでに、寝ていた佐倉をグラウンドに連れ出した。
練習を通して佐倉はつまらなそうに眺めるだけでコーチらしいことは何もしなかった。
子供たちが全員ユニフォームを着ていたので栞は一応満足した。
金曜日、佐倉は遅れながらもグラウンドに現れた。態度については一昨日と同様だった。
その両日とも佐倉はユニフォームを着て来なかった。
栞は繰り返しユニフォームを着用するよう言ったが。聞き入れられなかった。
なお、佐倉の職業がフリーの動画編集者だということを聞き出した。
そして土曜日、初の練習試合の日である。会場は奥田小グラウンド。栞風に言うとホームゲームである。相手は隣の新田小バグズ。
この日佐倉は初めてユニフォームを着て来た。
さすがに酒は飲んでいないようで、月水金に見たときよりもいくらか顔色がましだった。
試合を組むときに電話口で話した相手監督コーチは栞が本当に監督だったとわかって目を丸くした。
試合前、栞は気合を入れて選手たちを激励した。自分の最も好きな言葉を添えて。
「みんな、『好球必打』で頑張りましょう」
さて試合結果だが、惨敗だった。
エースのヒサシはコントロールが定まらず大炎上。たまらずリリーフに送ったマサノリも打ち込まれた。
守るほうも散々で栞はエラーの数を途中で数えるのをやめた。スコアをつけている佐倉だけが把握している。
打つほうは四番のセイヤの一安打のみに終わった。
最終的なスコアは0-26。
バグズの面々が去って行ってもラディッシュの選手たちはベンチから立ち上がれなかった。それほど実力のあるチームではないことは誰もが自覚していた。
だがこれほどまでに痛めつけられるとも思っていなかった。
「もう帰って良い? じゃあ、お先に。お疲れ」
佐倉が帰ろうとした。
栞は佐倉の前に立ちはだかった。
「佐倉さん、来週から子供たちにちゃんと野球を教えてください」
佐倉はへらへらと笑った。
「そういうのは中学にあがってからでいいだろ。野球は楽しくないとな」
「こんなの楽しくない!」
栞は叫んでいた。佐倉が真顔に戻る。
佐倉の胸倉にしがみついた。
「勝てなくちゃ楽しくないですよ。自分も選手だった佐倉さんなら分かるんじゃないですか? 今じゃないとだめなんです。中学にあがってから、って今子供の心が野球から離れたらどうするんです」
実際一番バッターでセンターを守る俊足のヒデノリは中学にあがったら陸上部に入るなどと周りに宣言している。
「お願いします。佐倉さんだけが頼りなんです」
栞の目から涙がこぼれた。
「あ、泣かせた」
選手の一人が言った。
「コーチが若い女を泣かせたぞ」
「おいっ、泣かせたのはどちらかというとお前らのほうだろ」
佐倉は気まずそうにしながらも否定する。
「コーチ、野球教えてくれよ」
「おれ上手くなりたいよ」
「勝ちたい!」
口々に選手たちが佐倉に教えを乞う。
「佐倉さん」
栞が呼びかける。
佐倉は目を泳がせながら考えた。その間栞と選手10人の視線にさらされる。
やがて「わ、わかったよ」と言った。
「ずるいぞ。女に泣かれると男は弱いんだ」
佐倉は悔しがりながら抗議した。
栞は取り乱してしまった恥ずかしさではにかむしかできなかった。
「じゃあ、月曜日からな」
佐倉はそう言ってグラウンドを去っていった。
「みんな、頑張ろう」
栞は選手たちに呼びかけた。
「栞ちゃんもな」
「監督が一番最初に泣くかよ」
「ノックぐらいは打ってもらえないとね」
選手たちに指摘されて赤くなった。
「は、はい。頑張ります」
選手たちは元気を取り戻してグラウンド整備を始めた。
解散後、栞はスポーツ用品店にグローブとバットを買いに行った。