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好球必打

 主審が高らかに試合開始を宣言した。


 ヒサシの投じた第一球は景気のいい音を立ててアツヤのミットに飛び込んだ。審判がストライクをコールする。「ナイスボール」とバックから声が飛んだ。


 続く第二球、打者が思いっきって振った。打球は真後ろに飛んだ。


 第三球、打者の内角を突いて空振りさせた。三球三振、最高の立ち上がりだ。野手陣も盛り上がる。


 後続の二番三番も凡退させ、上々の立ち上がりを見せた。


 ベンチに帰ってきて打席に向かおうとするヒデノリと、ネクストバッターズサークルに向かうカズオを捕まえて、選手全員に忘れていた好球必打という言葉を授けた。


 しかし相手ピッチャーも中学生並みの体格をしており、唸る剛速球にこちらの打者もアジャストできず、三者凡退に終わった。


 その後両者譲らず6回まで0体0のまま試合が進んだ。押しているのはラディッシュだ二回以降毎回ランナーを出している。相手投手も踏ん張りあと一本が出ていない。残塁は8に上った。

 あと一歩で攻略できる。そう思っていた。


 7回表、ノーアウト走者なしの場面、アクシデントがラディッシュを襲った。

 打者の打ち返した打球がピッチャーの右手側横を抜けようとした。


 ヒサシは無理に右手を出してしまった。

 はじいたボールをカズオが上手く処理してアウトにしたが、ヒサシはあまりの痛みにうずくまった。

 慌ててマウンドに駆け寄った。


 ヒサシの指は紫色に変色し、ひどくはれていた。


 佐倉と目が合った。彼は首を横に振った。もう投げられない。


「ぜんぜんへーき、投げれる投げれる」


 それでも投げようとするヒサシをなだめる。


「ありがとう。もう十分だよ。後は皆に任せて。すぐに病院に行きなさい」


 ヒサシは涙を流しながら佐倉に付き添われてグラウンドを出ていった。


 リリーフのマサノリはまだベンチにいる。栞はマサノリのもとまで歩いて行った。

 彼は青い顔をして大量の汗を流している。

 下級生の彼にのしかかったプレッシャーを想像すると同情を禁じ得ない。


「マサノリ君出番よ」

 

 マサノリはこくこくと頷いた。きょろきょろと視線が動いて落ち着きがない。

 栞は彼の肩に手を置いた。


「大丈夫、みんなを信頼して。ただキャッチャーのミットめがけて投げればいいの。打たれたっていいんだから。先輩たちが絶対逆転してくれる」

「わ、わかりました」


 マサノリはマウンドに向かった。


 落ち着かない雰囲気の中で試合が再開された。

 シャークスの攻撃は容赦がなかった。

 マサノリはコントロールこそ安定していたものの打ち込まれ、アウトを二つ取るまでの間に2点を失った。


 ベンチに帰ってきた彼は泣きそうな顔をしていた。


「ナイスナイス、上出来だよ。いきなり登板したんだもんな」

 カズオがマサノリの肩をたたいた。


 7回裏の攻撃、ここで最低2点取らないと敗北だ。


「最低でも2点、慌てずに返していこう」

 栞は声をかけた。おう、と選手たちの返事が響いた。まだ諦めていない。


 先頭の9番ハルカ、相手ピッチャーはまだスタミナを残しており、勢いの変わらない速球に差し込まれ、ファーストフライに倒れた。


 1番ヒデノリ、初球のストライクを見送った。

 2球目、彼はセーフティバントを敢行した。

 見事に勢いを殺された打球はサード前に点々と転がり、俊足のヒデノリは悠々と一塁を駆け抜けた。


 ラディッシュベンチは大いに沸いた。


「バントなんて教えてないのにな」

 佐倉が苦笑した。それでも嬉しそうだ。

 彼の手を離れたところでも選手たちは成長しているのだ。


 2番のカズオ、積極的に打ちに行くが捉えられず、追い込まれた。その後一球ファールで粘り、二球粘り、ついには11球を投げさせ四球をもぎとった。

 彼はこれまでの人生で一番力強いガッツポーズを作った。


 ベンチの盛り上がりは最高潮だ。


 3番はヒサシに代わって入ったマサノリ。彼にとっては初顔合わせのピッチャーだ。果敢に打ちに行ったが三振に倒れた。


 ツーアウトながら4番のセイヤにまわってきた。本来なら最も期待できるバッターだが、彼は準決勝から当たっていなかった。

 気の小さいところが災いして、プレッシャーに負けて自分のバッティングができないでいる。


 打席に向かうセイヤの足取りはおぼつかない、ベンチからでも足が震えているのが分かった。


 栞はつい佐倉のほうを見た。この正念場で、佐倉ならばセイヤに魔法のような言葉をかけて立ち直らせるのではないか。

 そんな期待があった。


 栞と目が合った佐倉はタイムを要求した。

 ベンチ前にセイヤを呼び寄せる。


 セイヤの耳元に口を寄せて何事かささやいた。ごく短い言葉に見えた。セイヤは一つうなずいて打席に戻った。


 審判がプレイを再開させる。


 初級外角に外れたボールを見送った。


 二球目をセイヤは振りぬいた。快音が響き、打球がショートの頭を越えた、と思った。

 栞は両手でガッツポーズをした。


「走れー!」

 叫んでいた。ヒデノリの脚ならば生還できる。


 打球は存外に伸びた。弾丸ライナーが空気を切り裂いて飛んでいき、そのまま左中間の外野のネットの向こうに飛び込んだ。


 何が起こったのかわからず、一瞬球場が静まり返った。


 塁審が人差し指を立てた手を頭の上で旋回させた。


「ホームランだ―っ!」


 ベンチから応援席から歓声が沸き上がった。お祭り騒ぎだ。子どもたちがベンチを飛び出していった。


 栞は興奮しながら佐倉に尋ねた。


「いったいどういう言葉をかけたんですか?」

「ん? いやなに、ホームランを打ったらクールにダイヤモンドを一周して帰ってくるのがかっこいいんだぞって」


 打った本人は大喜びでベースを回っている。


「嘘つかないでください。ホントはなんて言ったんですか?」

「ひみつ」


「もうっ」

 栞はそれ以上訊かなかった。


 ヒデノリがホームインし、続いてカズオ、そしてセイヤが帰ってきた。

 仲間たちの手荒い祝福を受ける。

 本塁付近はめちゃくちゃな大騒ぎだ。


 スコアボードに3と✕が表示された。

 学童甲子園は劇的な結末でラディッシュが優勝を決めた。


 

 試合後栞はセイヤに尋ねた。

「あの時佐倉さんはなんて言ったの?」

「好球必打だって」


 胸を打たれた思いがした。それは栞がずっと言い続けてきた言葉だ。


「打てたのは監督のおかげだよ」


 監督、とそう言った。ずっと栞ちゃんと呼ばれてきた。やっと監督と認められた気がした。

 こらえきれずに涙を流した。


「あ、監督が泣いてる」

 別の子が言った。

「またコーチが何かやったのか」

 そう、半分は佐倉のせいだ。

「濡れ衣です」

 佐倉は否認した。


 知らせを受けたヒサシが戻ってきた。指に包帯を巻いている。


 全員が揃ったので記念写真を撮影した。閉会式で授与された優勝旗と盾と賞状も一緒だ。

 ストロボの光が眩しかった。

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