その9
夜空を見上げれば、この世界でも此方側同様、目に入るのは『月』。
気が付けば何時の間にか姿を変える存在。
この世界でも嘗ては、月は暦の基準。
この世界の住人達は、見上げる月が、おおよそ二十九日の周期で満ち欠けを繰り返すことを、かなり古くから気付いていた。
そして、月の満ち欠けが、月を覆う影の仕業であり、その影が自分たちが住まう地に依るものであることにも早くから気付いていた。
それは兎も角、
この世界でも、月の満ち欠けと巡る季節が何やら関係あると気付き、やがて『暦』を発明。
『種を蒔く月』、『大嵐が来る月』『実りの月』、『収穫の月』、『雪に備える月』、季節の満月に名を付け、今から、後どれくらいで季節が替わるか予測出来るようになった。
人の営み、特に食糧生産に於いて暦は重要。
それまで、なんとはなしに感覚的に行っていた狩猟や採取にしても、牧畜だろうと農耕だって、暦を使い計画的に行うことで、そこそこ安定的に収穫出来ることを憶え、餓死する危険性を低くすることが出来るようになった。
しかし、困ったことがひとつ。
一世代を過ぎない内に、季節の巡行と暦の日付が噛み合わ無くなる。
月の満ち欠けに合わせて行動することを憶えてしまったことで、食糧生産を始め、人の営みに重大な障害が発生してしまう。
大問題であった。
しかも、その都度、何度作り直しても暫くすると噛み合わ無くなる。
何が原因なのか。
当時の連中は答を出せず、頭を悩ませた。
それでも、
こう何度も暦を修正するようになると、原因はよく解らないが、その経験値の積み重ねから、季節と暦の日付の乖離に規則性が視えて来る。
完全な解決にはならないが、この規則性を容れ、暦を常に修正することで対処する他は無かった。
その一方で。
古代期後期、第二新王国時代の歴代の王が最期の安息の地として築いた陵墓群、『王家の谷』と呼ばれる地が在る。
その地に至る道は切り立つ崖に挟まれ、途中を塞ぐ形で、王家を守護する女神を祀る神殿は築かれた。
この神殿の最高責任者、神殿管長は代々、王族女性が務めるのが慣わしであった。
伝承が語る処に拠れば、
ある時、新たな神殿管長が、歴代の管長が書き残した業務日報を読み返す中、ある記述に目を留めた。
二階窓から差し込む陽光が、神殿最奥に祀られている女神像の額飾り部に当たり、輝く。
と云う。
それも、暖かくなる頃と涼しくなる頃の二回。
何時しか、神殿では、その現象を目安に、『王家の谷』に眠る歴代の王を慰めると伴に、暖かくなる頃を豊穣を祈願する祭事、涼しくなる頃を収穫を感謝する祭事を執り行うことにしていた。
新管長は興味を持つ。
その光景をこの眼で確かめたいと願い、その日を心待ちにする。
積み上げられた業務日報を遡って調べれば、現象は何時もほぼ同じ時期に起こり、詳しく調べれば、二つの現象はほぼ百八十三日、誤差二日 、を挟んで起きていることが判った。
更に、其々について限って云えば三百六十五日、誤差二日、で起きていることも判った。
此方側で云う、春分と秋分、
この世界の、
春節(春分)と秋節(秋分)の発見である。
また、この新神殿管長は観察力に優れていた様で、暦法に重要な数々の発見をしたと言われている。
女神像の額飾りが輝く······いつの時点のどちらの日だったかは判らない·····のを待ちわびる中、
神殿前の参道を挟む切立った両崖の間を横切る太陽の高さが、季節と伴に変化することに気付く、
極天日と下限日の発見。
······此方側で云う夏至(極天日)と冬至(下限日)である。
と、されている。
あくまで伝承。
ただ、今や遺跡となっている神殿の学術調査などからも、第二新王国が春節と秋節を知っていたことが確認されている。
この事実から、
太陽の運行を基とする暦法は、かなり早い段階で、考えられていた。
と推測されている。
誰が名付けたかは判別されていないが
······名付けた候補者は幾人か挙げられている。
この世界の、太陽の運行を基にした暦法は、伝承にも記された新神殿管長の名前から、
「ハニヤヒイシカ暦」、
········後の再解読により『ハニヤヒイシカ』は人名ではなく、「直系女性王族」を意味する言葉と判明。
彼女の真の名は『ア=マティ=ラスゥス 』、 「天に愛された娘」の意。
と呼ばれる。
ハニヤヒイシカ暦は、
一年を八の季期、
前・後暖期、前・後暑期、前・後涼期、前・後寒期。各季期は各四十五日、
に分ける。
これに、
季期に含めない独立した五季日、
春節(春分)、極天日(夏至)、秋節(秋分)、下限日(冬至)と迎年日(年末)、
を加え、三百六十五日となる。
各季日は各前季期と後季期に挟まれる独立した日として設けられ、
春節を年の初日、三百六十五日目を迎年日、年末日、年の終わりと定めた。
暦表には順に、
春節(年始)、後暖期四十五日、前暑期四十五日、極天日、後暑期四十五日、前涼期四十五日、秋節、後涼期四十五日、前寒期四十五日、下限日、後寒期四十五日、前暖期四十五、迎年日(年末)
と並ぶ。
ハニヤヒイシカ暦は机上の、図形と計算上の設計で創られた。
暦法の製作者は図面に円を描く。
円の中心を通る横線を引き、同じ中心を通る、横線に垂直な縦線を図形に加える。
円周と縦横線が交わる四点が春節、極天日、秋節、下限日。
接点を結ぶ四分弧は季期。
ただ、九十日は長い、四分弧を等分して八分割、八分弧がひとつで四十五日。
図面上には美しく八分割された円。
簡素で左右上下対象。どの位置から眺めても姿が変わらない。
これこそが完璧な姿。製作者は出来に満足。
満足気な暦の製作者は、すっかり忘れていた。
一年は三百六十五日。
気付いたのは、暦の日付が前暖期に進んだ時。
大慌てで前暖期最終日(前暖期//四十五日。三百六十四日目)の翌日に「迎年日」という季日を付足した。
「一年も終わり、新しい年を迎える準備の為の日。」と云う理由も付けて。
これにより、迎年日と春節は隣り合わせ、前暖期と後暖期に二季日を挟むという今の姿になった。
と云う逸話がある。
迎年日を押し込む前の姿が、美しいと感じる暦の製作者にとって、その姿を損なった今の形が広く流布したことは、甚だ不満であっただろう。
日付の経過と季節の変化が、機械の様に仲々、何時まで経っても狂うこと無く、修正も要ら無い、
太陽の動きから生まれた暦法。
それに比べ、
月の満ち欠け(月齢)を基準とする暦法は、常に修正を必要とする、という残念な弱点から、使い勝手の悪い制度だと見做されて、次第に採用され無くなった。
暦法の基準を太陽に譲った月。
暦法は月を中心とし無くなったと云えど、満ち欠けを気にする連中は少なく無い数が存在した。
云わずと知れる、魔法使いと魔術師と云った者達。
何時からか、
魔法使いと魔術師も、月の満ち欠けが法術に影響を及ぼしているのではと、その関連性を感覚的ながら捉えていた。
満月を頂点として月の満ち欠けと、法術の行使と効果の増幅と減衰に関係していると薄々感づいていた。
やがて、
月の満ち欠けと法術の関連を、潮汐との関係性から指摘する説が登場。
法術に必要な、『魔力』、『精霊』、『魔素』、『霊子』、『絶対子』などと好き勝手呼ばれる『何か』が、海の満ち引きと同じく、空間にも濃淡を作るのではないか?
満月の日には海が満潮になる様に、月の引力で引っ張られて来た、法術と関わりがあるであろう『何か』が集まり濃くなる。
とすれば、
それら『何か』が濃い中で法術を使うとなれば、どうなるか。
と、説明する。
魔術師と魔法使いには、
依然として月の運行、その時々の月の姿を知る事は、無視出来無い、未だに切っても切れない仲なのである。
前回の会議......?
隣席同士で言い合いしていた事と法術解説しか記憶にない会合から三十日後、
マーカー・ハストン中尉は、ゴレム性能試験の件で、王都の陸軍省庁舎内の会議室に居た。
予定されていたことである。
今会合期日も、前回で予告されていた。
関係者にされてしまったからには出席しなければならない。
自分の知らないところで関係者にされたとしても、安易に「嫌だ」と言える組織で無い役所勤めの一人なので。
ハストンは考える。
これが、
何処ぞに巨大生物が上陸して街を破壊しているとか、何処から到来した異星文明の戦闘兵器が街を蹂躙している。などという自然災害でも発生していれば、出席出来ない言い訳にはなるかもしれない。
欠席の理由になるかは兎も角、少なくとも会合自体は中止にはなるだろうし、大体が、それどころでは無い。
そんな事態では軍の出動要請どころか国家非常事態宣言での出動命令の騒ぎなのではなかろうか。
しかも、そんな場面で飛んでくるのは『矢』では無いのは確実だろう、ましてや、その矢面の位置に立つのは確実にハストンである。
伏線にならなければ良いが......。
会合参加者の顔触れに変わりは無く、席の配置すら変わっていなかった。意味があるのか面倒だからなのか。
性能試験の責任者、当会合の進行役であるミルドルド・トロウヤ大尉は会合参加者に告げる。
「おまたせしました。
試験期日は、
前涼期、三十三日から、と決まりました。」
何度も催促していたものの、無視された格好に苛つくトロウヤへ該当管理部門から返答があったのが、今会合の六日前。
どうにか試験の具体化を進めることが出来るとトロウヤは胸を撫で下ろす。
聞いたハストン、胸の内で唸る。
記憶から、年間行事予定、陸軍の毎年度の最大行事、恒例演習の予定が呼び起こされる。
恒例演習の実施は後涼期中だったはず。変更だとの話は聞いていない。
だとすれば、
性能試験と言っても事実上はゴレム相手の模擬戦、その性能試験と恒例演習との間に余裕が余り無い。
それだけでは無い。
前涼期三十三日の夜は、月齢が中程、『十五夜』近くではなかったか、
帰ってから調べてみなければ、確かだとは言え無いが。
果たして、これは偶然か?
それとも試験は日中の事だから影響は無いと考えているのか。
他からの異論、『双剣と盾』社から特には挙がらない処から見るに、特に問題は無いと云うことなのだろうか。
ハストンに悪意が囁く。
試験期日が恒例演習の近くに決まったのは、
ハストンとその部隊を困らせるため。
否、そんな可愛気なもので無く、重度の嫌がらせ。
演習場の使用日時が仲々決まらなかったのも、試験の夜が満月なのも、その為だといえば可怪しく無い。
陰謀が存在するかのような見方が真実だと思わせる程度には説得力、筋が通る。
どうしてくれよう。
〖これは、やはり協議だな。〗
内に昏い色が染み出すハストン。
降って涌いて押し付けられた責任者という立場のトロウヤだとて、性能試験と恒例演習の間が短いことは認識している。そこに何やら裏があるのか、思惑があるのか。
取り敢えず、今はそれは置いて於く。
屋根から造れる家は無い。
先ずは課された事案を片付けるのが仕事。
何やら内に不穏を秘めているハストンを余所に、
トロウヤが試験日程を説明する。
前回、説明した予定そのままに、
第一回試験、『兜と籠手』社ゴレムとの模擬戦。期間は五日間。
初日は演習場現地での事前準備日。中三日で試験実施。
五日目、最終日は報告会及び撤収作業。
十日間で機材、設備の入れ替え等の実施。
後、第二回試験開始。『双剣と盾』社ゴレムとの模擬戦。内容は第一回試験と同じ。
『兜と籠手』社の席、
前回は、
「傍若無人を絵に描くとこうなる。」だったのが、今回は、
「そんなことありましたか?」
と云う澄まし顔のリーリッサ・ペロロペルアの掌が挙がる。
ペロロペルアが礼儀正しく発言を求めたことに、『奇跡』を見た思いのトロウヤ。
ペロロペルアを除く全員に求めれば、同一見解を得られるのではなかろうか。
それだけの行動で奇跡扱いされる、ペロロペルアの評価。
低空飛行が共通認識。
「どうぞ。」
トロウヤはペロロペルアへ手差して発言を促す。
「前回、そちらの隊長さんが、
『お互いのゴレムの性能を公開すれば公平性を保てる。』
なんて言っていたけれど、」
言うペロロペルアの視線の先にはハストン。
意見した覚えがあるハストン。
言葉尻からどんな言い掛かりを付けようというのか。
警戒心を押し隠し、冷静を装い澄まし顔。
ペロロペルアの発言は続く、
「こっちも、隊長さんと兵隊さんの情報を知っておかないと、公平とは言えないんじゃない?」
報復に成功して愉悦だと言わんばかりの薄笑いを浮かべるペロロペルア。
謎な理屈を常識だと当たり前のように、何かとんでもないことを言い出した。
よく解らない理屈もそうだが、勝ち誇る顔をするのも、よく解らない。
調べれば、公式に公表されている情報は簡単に手に入る。それ以上の何が知りたいと言うのか。
軍事機密は当然として。その他にも隠し事は色々あれど、
〖そんな事が知りたい訳ではないよなぁ。〗
ペロロペルアの発言と思惑がよく判らず、内は困惑するハストン。
「ふむ。」
ペロロペルアの発言に考え込む様子のトロウヤ。
「興味深い提案ですね。」
どう言う訳か、ペロロペルアの発言に好意的。
·『双剣と盾』社のシルタとガルダルタの二人、それとハストンのペロロペルアへの低空飛行な評価は錐揉みをしながら墜落中。
「ゴレムを『倒せる』だなんて言う隊長のところの人達だもの、どんなに『凄い』人達なのか見ておきたいと想うでしょ?」
口許だけが笑うペロロペルアの弁。
「元より関心があった部隊だからね。この際、参考までに見ておきたい。」
とは、目許が笑っているトロウヤ。
〖見て!どおぉぉすぅるー!!〗
内心で叫びたい、否、叫ぶハストン。
それでも冷静が外装な外壁を崩さず
「見に来たって、面白いものなんてありませんよ。」
牽制する。
『双剣と盾』社から掌が挙がる。
挙げたのはソーリッド・シルタ。
トロウヤが手差して発言を許可。
「面白いかどうかは別として、参加される部隊を実際に見て於くのも『有る』のではないでしょうか?
こう、なんと言うか、力量?と云うか、能力と云うか、を把握すると言うか.........。」
魔術の知識が『それなり』より深そうな部隊長と、その隊長に率いられる部下に興味を持ったらしいシルタ。
味方が居無いハストン。
孤立無援。