その1
マーカー・ハストン中尉
後暖期27日、
陸軍省本庁舎に出頭せよ。
こんな命令を受け取った、マーカー・ハストン中尉が先ず想ったのは、
「何がバレた?」
と云うものだった。
マーカー・ハストンは陸軍第2装甲師団、装甲擲弾兵連隊、第2大隊において47名の部下を率いる小隊長である。歳は24。
黒い球体に火花を散らす導火線。
古い漫画や図版に登場する爆弾の姿である。
その絵姿は実在した兵器を描写したものである。黒い球体は陶器または金属で出来ており、中身は火薬が詰まっていた。
ものによっては、殺傷力を高めるために火薬と共に陶器片、金属片が仕込まれているものもあった。
近世欧州ではこの爆弾を、敵の眼前で導火線に着火させ、敵に投げ込む兵隊が組織されていた。
『擲弾兵』と呼ばれる兵士である。
不安定な火薬の詰まった爆弾を幾つも持ち、敵の眼前で導火線に火を付ける。いつ火薬に火がつくか判らない爆弾を投げ込む。
尋常ではない胆力と、並では務まらない精神力を求められる擲弾兵は勇猛果敢な兵士の代名詞でもあった。
しかし、戦争技術の進化と伴に有名無実な存在となって行った擲弾兵は、士気を鼓舞する為に復活。更に装甲車、自動車を装備する『装甲擲弾兵』の名称が新設されることとなった。
そして。此処では無い何処か。此方とは違う何処かの世界。我々と似ているが我々と違う世界。
世界の神秘と秘密を解き明かし、その一端を手にした世界。
その身に装甲を纏う『装甲擲弾兵』が居る世界。
これは、そんな世界での話である。
王都に在る陸軍省へ出頭せよ。
理由も説明されず、ただ単に「来い。」と云う命令。
命令される側としては色々不安になるが、『拒否権』と云うモノが制限される仕事に就いている身としては従わざるを得ない。
ただ、もう少し説明が在っても良いのでは?
とも想うハストン中尉であったが、命令を受けて先ず考えたのが、
「何がバレた?」
である。
こういうのが真っ先に頭に思い浮かぶのは、あまり多数派ではないだろう。
先方はそれを知っているからこそ、説明無しに呼びつけているのではなかろうか。
ともあれ、ハストンは脳作業労力の大部分を、「バレた」であろう隠し事のアレコレを列挙し、来るべき防衛戦に備え、言い訳を構築するのに投入。残りで通常の業務をこなしながら留守の間の業務の引き継ぎを行い、王都への出立を準備する。
審判の日は駆け足で近付きつつあった。
来なくて良いモノ程、全力疾走で追い掛けて来るに違いない。速度がどれ位なのかは知らないが。
この星の全周を一日の長さで割った位?
人は疲労すると訳の解らない事を考える。
ハストンは出来るのなら、“永遠に的へ当たらない矢”の魔法式を、『期日』と云う来なくて良いモノに発動させたいところであった。
“永遠に的へ当たらない矢”とは、
此方で云うところの『アキレスと亀』と同種のこと。此方にも『矢~』云々と同じ云い廻しもある。数学で云うところの『無限収束』である。
「目的地に到達するためには、その距離の中間へ到達せねばならず、中間に到達するためには、更にその中間の中間へ到達せねばならず、その中間の中間へ到達するためには、更にその中間の中間の中間へ到達~(以下、略)」
と云う事象を、『魔法』と云う、「世界に無理難題をふっかける」力で具現化するものである。
しかして、『その日』は無情である。誰にでも平等に、同じ早さでやって来るはずなのだが、主観、ハストンにとっては“足に翼がある”のごとき早さであった。
命令で指定された日。
ハストンの姿は王都に在った。
当然である。
心情としては逃げたいのだろうが。
庁舎に到着。
ハストンが受付で来訪を告げると、暫く待たされた後、案内の係が迎えに来た。
命令を受け取った日から案内役の兵に従って庁舎内を進んでいる今現在も、ハストンの脳内では言い訳の文言が最適化を目指し次々と更新されて行く。
案内された会議室前。
室内には威並ぶ軍法務官。
これが敵ならば躊躇うこと無く、手榴弾を投げつければ終わりだが。
それこそが『擲弾兵』の本義。
相手が悪い。擲弾兵の本義を全うして、手榴弾を軍法務官に投げ込めば『終わり』である。確かに。
だからこそ、手榴弾に換えて『言葉』を武器に退けない戦いに挑むのだ。
頭の中で力強く吼えるハストン。
大分『お疲れ』のようである。
寝不足もあるかもしれない。睡眠が足りないと謎の高揚が起こると云う。
ただ、それらを表に出さないだけの分別、冷静さは辛うじて仕事をしている様であった。
案内の兵士が会議室扉を数回軽く叩く、合図打の後、取っ手に手をかける。いよいよである。
「この門を潜る者は一切の希望を捨てよ。」
ハストンは誰かがそう囁いた気がした。
会議室内へ。
室内の光景に、ハストンの脳は言い訳更新を即座に停止した。というより思考自体が一時凍結する。
会議室に居たのは4人。
軍人には見えない。私服姿であるところからするに民間人のようだ。仕立てや身形からすると、企業から来たと察せられる。
二人一組で卓に着いている。のだが、うち一組の構成がどう見てもおかしい。
壁側の卓には男二人、共に四十~五十代位といったところか。これは見た限りでは別段おかしいようには思えない。
だが、中央の卓の二人は、「何故此処に?」という組み合わせである。
その卓には親子ほどの歳差がありそうな男女が座っている。見た目、父と娘だ。しかも十代後半の少女といった年頃に見える。
これで全員が軍法務官だとしたら、軍の正気を心配するところである。しかし、寝不足と疲労の合わせ技が決まっているハストンの脳の片隅は、〖ひょっとして、もしかしたら〗四人が軍法務官であると疑っていた。
先客の内、男三人は大人しく座っているのだが、少女らしき女性はひとり雑誌らしき本とにらめっこの最中だ。
ハストンが入室すると、目を合わせた男三人は座ったままで目礼する。ハストンも目礼で返す。ただ、雑誌を読んでいる少女は顔を向けること無く、ハストンを一瞥すると雑誌に目を戻した。
隣の父親らしき男が慌てて注意するものの、少女は無視している。
案内役に三つ目の卓へと促されたハストンは、席に向かう途中、少女を見遣る。
端から見れば、この場に不釣合いな、異質な存在を「何故此処に?」という目で見ている風に見える。
隣の男もそう受け取ったのか、恐縮そうにしている。
が、
その実、ハストンの視線の先は少女の手元、少女が読んでいる雑誌にあった。
〖『驚異と神秘と奇跡』の最新刊!出てたのか。もう届いているかな。これは確認せねば!〗
マーカー・ハストン中尉は熱心な定期購読者であった。
『驚異と神秘と奇跡』とは、魔法と魔術を中心に扱う専門的な学術雑誌の書名である。魔法、魔術関連の最新研究の発表の場となっており、最先端の論文が寄稿、掲載され、その筋では権威ある雑誌として有名である。
ちなみに、最新刊の目玉記事は、
『蓄魔力の可能性。儀式と魔方陣回路の簡略化。および、材質と魔力容量の関係性。』である。
そんな重厚な専門的学術雑誌に集中している、まだ十代位であろう年頃の少女。
偏見であるのだが、この年頃の少女であれば、もっと、お洒落な衣装や小物、美容関連、華やかな若者向け芸能関連といった内容の雑誌を読んでいそうなもの。
ハストンの視線の先の少女の目が追っているのは、難しい学術用語やら、数式、統計図表等々。『お洒落』、『可愛い』とは、およそ無縁なものが大部分、圧倒的多数を占める雑誌。
それだけでも、この少女が、一括りにされる少女像から離れたところにいるのが判る。
のだが、
『驚異と神秘と奇跡』の最新刊に目を奪われてしまったハストンには思い至らない。というより、内容を早く知りたくて堪らない、という欲求に支配されていた。これも、あの「合わせ技」の為せるところか。
ハストンは少しでも中身を覗き込めそうな位置に座る。
自分にも届いているはずなのだから、帰ってからゆっくり読めば良さそうなものだが、現物を目にして「待て」が難しくなっている。
人、それも少女が読んでいる雑誌を覗き込むのも格好悪いし、お行儀が悪い。
いっそ術で盗み見るか、
ここで発動させて、“警戒術式”に引っ掛かって警報を発令させるのはマズイ。
“警戒術式”を無力化する術を先に展開して、等と
段々に物騒な思考に耽るハストン。
外見、軍人らしく姿勢正しく、お澄まししているが、内では、気になって仕方ない雑誌をどういう方法で盗み見るか、大事になったらどうしよう、どうすれば術を反応させないで済むか、葛藤している真っ最中。
最早、何で此処にいるのか、すっかり抜け落ちた、マーカー・ハストン中尉であった。
扉を軽く叩く音が数回、入室を知らせる合図打がある。
ハストンは立ち上がり、上体をやや反らす『気を付け』の姿勢を取る。
先客だった三人の男達もハストンにつられるように立ち上がる。
が、少女だけは面倒臭いといった態度を隠す事無く、腰を上げる。
会議室の扉が開く。
紙束を小脇に抱えた大尉の階級章と参謀記章を付けた男が入室する。
「お待たせしました。」
そう告げる大尉はハストンとあまり変わらなさそうな歳だ。その歳で大尉とは随分優秀なのだろう。
「皆さん、楽にして下さい。中尉、君も着席し給え。」
そう言いながら正面の席に向かう大尉。
全員が席に着く。
三つの卓に向き合う、正面の席に着席した大尉が司会、議長役といったところか。
この集まりは一体何なのだろうか。
今更ながらに疑問に想うハストン。
そう言えば、自分が何故、此処に呼ばれたのか全く知らされていないことを思い出す。
いいのか?それで。
席に着き、少しの間、紙束、書類を捲っていた大尉。顔を上げ、口を開く。
「私が、本案件を押し付け、」
言葉を止めた大尉。口を開いたまま、その瞳が一週、それが終わると、
「本案件を任された、ミルドルト・トロウヤ大尉です。」
言い直す。
自己紹介なのだが。なにやら、いきなり不穏である。
トロウヤ大尉は再び書類に目を落とすと、内容を目で追いながら男二人の卓を手差し、
「そちらが、『双剣と盾』社から、ソーリッド・シルタ氏とブレダ・ガルダルタ氏」
紹介された順に男達が頭を下げる。
中央の卓を手差し、
「そちらは、『兜と籠手』社から、エルムト・ドレトギャン氏とリーリッサ・ペロロペルア女史。」
男は頭を下げるが、少女の方は頷いただけ。隣のドレトギャン氏が慌てて注意するも、何処吹く風である。
反抗期か?思春期か?
『双剣と盾』社と『兜と籠手』社はこの世界では有名な、軍需産業分野で市場を二分するくらいの大手。兵器製造、開発も手掛ける所謂『武器商人』である。
『兜と籠手』社は、創業は古く、建国中期まで遡るという。創業以来、一貫して武器、武具の製造と販売を生業としている老舗である。
一方の『双剣と盾』社、農具を主とした金属加工工房が始まりで、事業拡大で武器、武具も扱うようになり、現在に至る。どちらかと言えば新規市場参入組である。
先客達の正体が明らかとなった。
この場は軍需企業との会合。
そこに自分が何故、呼ばれたのか。ハストンは嫌な予感がした。
トロウヤ大尉は最後にハストンを手差す。
「軍からは、マーカー・ハストン中尉。」
ハストンは立ち上がると「気を付け」の姿勢を取り、三十度程上体を傾け、礼をする。
これにより参加者全員の紹介が終わった。
ハストンが着席すると、
「前置きや、始めの挨拶は抜きで。とっとと、本題に入りましょう。」
トロウヤは全員に告げる。
「軍は今、『ゴレム』の採用と導入を検討しています。」
トロウヤの言葉に、ハストンは自分が呼ばれた理由を確信し、げんなりとした。
あの囁きは警告だったのだろうか。