#1 前兆
Ability is nothing without opportunity.
優れた能力も機会がなければ価値がない。
- Napoleon Bonaparte
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///2067年 メトロポリタン トウキョー///
俺がその不可解な現象に遭遇したのは一か月ほど前だった。
いつものバイトからの帰り道、家の近くの国道沿いの歩道を歩いていた。
国道は夕方のラッシュアワーにさしかかり、電動自動車が途切れなく走っていた。多くの車がオートパイロットのステッカーを付けており、運転席に人はおらず、自動運転で走行している。それらの車と車の間を、最近公道での走行が認可されたエアスクーターが軽快に低空を滑走していた。
夕日に照らされた歩道に伸びる自分の影。その影の先、数メートル前方を一人の男が歩いているのに気がついた。
—なんか似てるな…
20歳前後の若い男、身長も同じくらい。うつむき加減で歩く姿が自分と似ている気がしたのだ。それはシルエットだけでなく服装にまでいたり……黒のパーカーに、カーキのワークパンツ、薄汚れた白のスニーカー。上から下まで、そっくりだった。
気になって注視していると、その男が立ち止まり、足元を気にしだした。なんとなく俺もつられて自分の足元を見る。そして、前の男の足元と見比べて気がついた。
—うへっ。マジか、スニーカーのブランドまで同じかよ
なんか恥ずかしい。少し距離を置こうかなどと考えていると、前の男は何事もなかったように歩き出した。別に遠慮する必要は何も無いと思い直し、そのまま俺も歩きだす。
しばらくすると、先を進む男は信号のない道にさしかかり横断歩道を渡り始めた。右から続く緩いカーブの道で左の十字路に合流している。
と、男の右手からスピードを上げた車が静かに近づいてきた。メタリックブルーのセダン、オートパイロットのステッカーを付けている。近づいて来たというより、突っ込んできたが正しいだろうか。電気自動車特有の静けさで、しかし確実に暴走しているのだ。
—あぶない!
そう思った瞬間、男が轢かれた。車に体がぶつかる鈍い音がし、男の全身が空中にが放り出される。俺は声にならない声を発し、すぐに前方の男の元へ駆けだした。
その瞬間、自分の目に映る映像が揺れた…ように思えた。軽い立ち眩みか何かのように。
それでも構わず俺は現場に駆けつけた。
すると、
—いない!
というか何もない。
辺りを見回すが、轢かれたはずの男も轢いたはずの車も見当たらなかった。どこに消えた?
—見間違い?
そんなはずはない。車に体がぶつかる鈍い音まで聞こえたのだ…。しかしいくら周りを見まわしても何もなかった。車道の車も、歩道の人々も何事もなかったかのように先ほどまでと同じ光景が続いている。
俺だけが一人、脂汗を流し立ち尽くしていた。白昼夢でも見ていたのだろうか?
気持ちが悪くなった俺は、「とにかく早く家に帰ろう」と思い、目の前の横断歩道を渡り始めた。無意識に右側を注意しながら。
すると三歩も進まぬうちに、きらりと光るメタリックブルーの塊が視界に飛び込んできた。静かだが、明らかに通常運転のスピードではない。慌てて歩道に飛びのく俺の鼻先を、オートパイロットのステッカーを付けた暴走車が走り抜けていく。
制御を失った車はそのまま十字路に侵入し、交差する右側の車線から来た車と軽く接触すると、車道をはみ出て通りの向こうの建物に激突した。大きな衝突音を発してやっと停止した車は、フロント部分が大破し、煙を上げはじめていた。
—これは一体なんなんだ?
とりあえず体は無事だったが、立て続けに起きた不可解な現象に、俺は理解が追い付かず、立っていられなくなり、思わず地面に尻をつき座り込んでしまった。
周りを歩いていた人が心配して駆け寄ってくる。
「どこか打ったのか?」
「救急車を呼ぼうか?」
心配そうに俺を覗き込む複数の顔。しかし、それらの者の言葉が耳に入らないほど、動揺していた俺は、しばらく立ち上がることができなかった。
そして異変はこれだけで終わらなかった…