第二章 タツァーキブシ-立上げ星-
弦楽器の音色に合わせて男の人の歌声が聴こえてくる。
楽器の音は〝聴こえる〟のに、男の人の歌声は〝聴こえない〟から、この人はキタリステースだ。
男の人の弾く楽器の旋律にあわせてムーソポイオスの合唱が聴こえてくる。他のキタリステースの楽器の合奏も聴こえている。
明かりは側に置いてある松明のものだけ。地上は真っ暗で、松明の明かりがその周りだけを照らしている。
それに対して夜空は眩しいくらい沢山の星が輝いていた。
星の数ほど、という言葉は単なる比喩ではないことが良く分かるほど沢山の瞬く星々。
どうやら海辺らしく波が打ち寄せる音が聞こえてくる。
雲一つなく晴れ渡った夜空は満天の星が競い合っている。
その中で青白い星が強い輝きを放っていた。
不意に小枝が折れる音がして男の人がムーシカを中断した。他のムーシコスの歌声や演奏は続いている。
「ごめん。邪魔するつもりはなかったんだ。それ、あんたの国の唄? 変わった唄だね。それにその楽器も」
ムーシカを知らないということはこの女性は地球人だ。
男性は心なしか、がっかりしたようだった。
「俺の国の唄じゃないよ。どこからか聴こえてくるけど、他の人は誰も聴こえないって……」
「他の人には聴こえない唄が聴こえるの?」
「今も聴こえてるよ」
男がそう言うと、女性は口をつぐんで耳を傾けるような仕草をした。しばらくそうしていてから、
「聴こえないよ」
と言った。
「そっか」
男は淋しそうに微笑った。
新宿駅の近くを歩いていた楸矢は椿矢の歌声を聞いて中央公園に向かっていたが、次のムーシカが始まると椿矢は歌うのをやめてしまった。
今は小夜がデュエットのムーシカを歌っているが男声パートは椿矢ではないムーソポイオスが歌っていた。
それでも中央公園に行ってみると椿矢がベンチに座っていた。
「なんで歌ってないの?」
「さすがに人前でデュエットの男声パートだけ歌うのはちょっとね」
確かに女声パートが聴こえていない人は変に思うだろう。
一応ムーシカを奏でているときに別のムーシカは奏でない、という暗黙の了解がある。
他人に危害を加えるようなムーシカを打ち消すときは例外だが。
柊矢のようにキタリステースが歌ったり、ムーソポイオスが演奏する分には他のムーシコスには聴こえないから他のムーシカを奏でることは出来るが、椿矢が歌ったら聴こえてしまう。
「楸矢君はどうしたの? 小夜ちゃんと柊矢君が歌ってるから出てきたって訳じゃないんでしょ」
どこにいても聴こえるのだから近所だろうと遠くだろうと変わりはない。わざわざ家から離れた中央公園までくる必要はない。
「俺は予備校でパンフレット貰った帰り」
楸矢は紙袋を持ち上げた。
「本気で別の大学考えてるんだ」
「うーん……」
「違うの? パンフレットまで貰ってきたのに」
「色々問題山積みでさ……」
楸矢はベンチの背もたれに寄りかかって空を見上げた。
「柊矢君、好きなとこ行っていいって言ってくれたなら、今更反対したりしないでしょ」
「うん」
「じゃあ、何が問題なの?」
「まず、どこ受ければいいのか分からない。俺、音楽しか知らないし」
楸矢は小学生の頃から勉強が苦手だったが祖父も柊矢もどれだけ悪い成績を取ろうと何も言わなかった。
ただ教師には叱られるから中学に入った頃から試験の前だけは勉強していたが酷い点数しか取れなかった。
それでも柊矢は怒らなかったので力を尽くした結果だから許してくれてるのだろうと思っていた。
それで慌てたのが担任の教師だった。この成績で入れる高校はない。
だが幸い何度かコンクールで優勝したことがあってフルートが上手いことは周知の事実だった。
同じ中学を卒業した柊矢が音大付属に進学していたこともあり、なんとか同じ高校を推薦入試で受けられるようにしてくれた。
推薦なら実技と面接だけだ。それで一般科目の試験は受けずに高校に進学できた。
高校でもやはり成績は悪かったが音楽科は実技優先だったから試験前に勉強する程度で後はフルートの練習ばかりしていた。
さすがに、いくら音楽科とはいえこの成績は問題があると教師に再三注意され追試や補習、宿題などを出され、それらをこなすことでなんとか見逃してもらっていた。
だから音楽以外のことは自分でも得手不得手さえ判断出来ないくらいよく分かっていなかった。
「特に希望がないなら、とりあえず入れるとこ入れば?」
そもそも最初から目指しているものがあって大学に入る者は日本ではそれほど多くはないだろう。
大抵は成績に応じた大学を受験して受かったところに行く。
椿矢の高校のクラスメイトも、医学部に入れるだけ成績を取ってるから医大に入ったとか、願書を出せばセンター試験の結果だけで合否が決まるからという理由で出願したら合格したから法学部に入ったとか、そんなのは珍しくない。
さすがに医学部に入った者は頑張って医者になったが、法学部へ行った者は法科大学院へは進まず普通の企業に就職した。
元々出願だけで受かったから法学部卒の肩書き目当てに入学しただけで法曹界に入る気はなかったようだ。
もちろんウルドゥー語を学びたいという確固たる信念の元、東大に合格したのにそれを蹴って東京外語大に進んだ猛者もいる。
「ウルドゥーってどこだよ」とか「蹴るくらいなら最初から受けるな」とか散々突っ込まれていたが、これは東大合格者数を一人でも増やしたい高校側に懇願されたという事情があるから仕方ない。
「それが二つ目。俺、成績悪すぎて、かなり猛勉強しないとどこも受かりそうにない」
「音大付属って音楽以外の授業、全然ないの?」
椿矢が不思議そうに訊ねた。
「あるよ。普通の科目も多少は出来ないといくら付属でも大学へは進めないから試験の時は頑張って勉強してた。でも全然ダメでさ。本来は進学させられないんだけど、フルートの成績が良いから特別に目を瞑ったって先生に言われた」
「柊矢君に叱られなかった?」
「俺がフルートに集中してると思ってたから」
「フルートに打ち込んでるなら普通の勉強おろそかでも怒らないんだ」
椿矢が面白がってるような表情で言った。
「柊兄、音楽第一だから。それなのに音楽家目指してたわけでもないんだからね。柊兄がヴァイオリニストになってもいい程度にしか考えてなかったなんて、ライバル連中に知られたら絶対、後ろから刺されるよ」
「なんで?」
「すっげぇ才能あったから。柊兄には敵わないからって一度コンクールでヴァイオリン隠されたことあったんだよね。それで柊兄は他の人から借りたの」
借りたヴァイオリンは出場者が使ってる中で一番の安物で音も値段相応だった。
少なくとも持ち主が弾いたときはそうだった。
高いものはそれだけいい音が出るから貸してくれたのは一番安いヴァイオリンを使っていた人だけだったのだ。
ライバル達は皆、これで柊矢の優勝はなくなったと確信した。
「ヴァイオリンが違うだけで優勝出来るかどうかが変わるものなの?」
「楽器って基本的に高いものほどいい音が出るんだよ。しかも、楽器には個性がある上に毎日弾き込んでる人がいる場合その人のクセも付くから、いきなりだと思い通りの音を出すのは難しいんだよね。素人には同じに聴こえるだろうけどコンクールの審査員になるのはそういう音の違いが分かる人達なわけだし」
知人が良い物を安価で譲ってくれたとかでない限り、安い楽器はそれだけポテンシャルが低い。
それは、そのまま出せる音色の限界に跳ね返ってくる。素人ならともかくコンクールに出場するような人間だと楽器の性能に足を引っ張られることもあるのだ。
良いヴァイオリンでも初めて使うものでは思うような音は出せないのに、その上安物で音色が悪いとなれば優勝は絶望的だ。
楸矢も慰めの言葉を考え始めていた。
「もしかして、優勝しちゃった?」
「そ。ホントに同じヴァイオリンなのかってくらい持ち主が弾いたときとは全然音色が違っててさ。まぁ、柊兄が自分のヴァイオリンで弾いた時と比べたら大分劣ってたけど」
それでも他の参加者を圧倒するには十分だった。
「皆愕然としてた。ホント、マジで参加者全員ムンクの叫びみたいな顔でさ」
楸矢は大真面目に話しているのだが椿矢は腹を抱えて笑った。
「持ち主まであのヴァイオリンでこんな音が出せるんだって唖然としちゃってて。まぁ、持ち主は単に楽器の性能引き出せてなかっただけだけど……。柊兄の後の人達、可哀想だったよ。動揺しすぎて演奏めちゃくちゃだった人もいてさ。誰だか知らないけど、この中の一人が隠したヤツなんだろうなって考えたらいい気味だって思った。でも、同時に俺にはこんだけの才能はないなって」
高価なものを使っていたのに一番安いヴァイオリンを弾いた柊矢に負けたのだ。
柊矢の方が良い楽器だったからという言い訳が出来なかったどころか、初めて使う安いヴァイオリンという大きなハンデを背負ってた相手に負けたのだから皆自尊心をズタズタにされたはずだ。
あれは参加者全員に相当な衝撃を与えただろう。
あの中にヴァイオリニストへの道を断念した者が一人や二人いてもおかしくない。
ヴァイオリンを隠すような卑怯な真似をした者は自業自得だが、関係なかった人からしたら、とんだとばっちりだ。
柊矢はそれなりに高価なものを使っていたから、隠されていなければ負けたのは柊矢の腕ではなくヴァイオリンが良かったからだという言い訳が出来た。
周囲の人にも、自分自身にも。
「ま、そこでめげちゃうようなメンタルじゃ、どっちにしろプロは無理だけどさ。でも楽器が違う俺でさえ、かなり凹んだんだからヴァイオリン弾いてた人達のダメージ半端なかったと思うよ。だから、フルート奏者になることを期待されてたわけじゃなかったって分かって正直ほっとした部分もあるんだよね。俺にはあんな才能ないからさ」
弾ける楽器は独学のブズーキのみ、音楽はムーシカだけしか知らない椿矢には音楽家(の卵)の悩みは理解してやれそうになかった。
ムーシカに才能は関係ない。
ムーシカというのは鳥の囀りのようなもので、奏でたいたいときに奏でる、ただそれだけだ。
ムーシコスは地球人の原始的な本能にプラスしてムーシカを奏でるというのがあるだけだ。
本能による行為だから、シンプルであり、かつ、原始的。
それがムーシカなのだ。
そのときムーシカが終わった。次のムーシカが始まる様子はない。
そろそろ夕食を作り始める時間だから少なくとも小夜はもう今日デュエットを歌うことはないだろう。
「俺、帰るよ。あんたのファンに睨まれてるし」
楸矢の言葉に周りを見回すと椿矢のムーシカをよく聴きに来る人達が少し離れたところからこちらを窺っていた。おそらく歌っていないのは楸矢と話しているせいだと思っているのだろう。
楸矢が行ってしまうと椿矢はブズーキを弾き始めた。すぐに周りに聴衆が集まってきた。
楸矢は小夜が風呂に入ると柊矢の部屋にノックして入った。
「柊兄、ちょっといい?」
「なんだ?」
柊矢が机に向かったまま答えた。仕事中らしい。
「実はこの前、清美ちゃんから小夜ちゃんのこと相談されたんだけど……」
「何かあったのか?」
柊矢が椅子ごと楸矢の方を向いた。
速攻かよ。
「その……ホントに遺産あるの?」
「どういう意味だ?」
「清美ちゃんのお母さんの知り合いが相続税払えなくて家ごと土地を現物納付したんだって。それ聞いて、小夜ちゃんもホントは遺産がないから家賃や食費払ってないんじゃないかって心配になったって」
「それはない」
柊矢の説明によると相続した財産の八割近くを土地が占めていた。
土地が西新宿の上に銀行に預けていた預貯金以外の動産が焼失してしまったのだからそれは仕方がない。ちなみに残りの二割のほとんどは保険金が占めていた。保険金や退職金などは受け取り前でも『みなし財産』として相続する財産に含まれる――小夜の祖父はとっくの昔に退職してたので退職金は大分前に受取済みだったが――。
保険金は相続税の支払いで半分以上消えたがまだ残っているし土地を売った代金も入った。預貯金も少額だがある。
それに相続というのはプラスの財産だけではない。借金やローン、葬儀にかかる費用や墓地、墓石の代金というマイナスの財産(要するに出費)も対象である。
小夜の祖父に借金やローンはなかったし墓地や墓石も既にあったが葬式の費用はかかった。
そういうマイナスの財産は相続税を計算するときプラスの財産から引かれる。斎場で行った質素な葬儀だったので微々たるものだがそれでもプラスの財産から葬儀費用は引いた。
プラスの財産からマイナスの財産を引き、残った分から更に基礎控除を始めとした諸々の控除額を引いて、まだプラスの財産が残っているとその部分の額に応じた税率が掛かる。
ちなみに相続税の支払いの時に受けた控除の中に未成年者控除というものもあったそうだ。相続人が未成年者の場合、成人するまでの年数×十万円が相続税から引かれる。
楸矢は最初、一年につき十万なんて何の足しにもならない金額をドヤ顔で控除とか国税庁渾身のギャグかと思った。
だが成人するまでの年数分×十万と言うことは子供が小さいほど額は大きくなるし、兄弟がいればそれだけ多くなる。
実際、霧生家は柊矢と楸矢で合計百万控除されたそうだ。
小夜の場合はもう十六歳だし一人っ子なので控除額は西新宿の土地の評価額の前では焼け石に水どころか水の分子一個分程度でしかなかったが。
「じゃあ、お金がないから家賃とかを受け取ってないわけじゃないんだね」
資産運用の出来ない後見人がやれるのは出費を極力抑えて減らないようにすることだけだ。
小夜の一人暮らしを認めなかったのは月々の家賃を始めとした生活費で遺産を減らさないようにするためだったらしい。
「うちは持ち家なんだから空いてる部屋使ってるからって金は掛からないだろ。食費や光熱費なんかも小夜一人増えたところで大して変わらないからな。一応家事をしてもらってるし」
霧生家にいれば少なくとも生活費は節約出来る。
「それなんだけどさ」
楸矢は清美と話していて気付いたことを話した。
「買い物は俺達のどっちかが付いてくべきじゃない? 小夜ちゃんは遠慮するだろうけど、その辺は適当に俺達が一緒じゃないとダメな理由付けるとかしてさ」
楸矢の言う通りだ。
柊矢達からしたら大した重さではなくても小夜にはかなりの重労働だろう。
小夜は小柄だしスポーツなどで身体を鍛えているわけでもない。
そこまで考えてなかったのは迂闊だった。
十八年近く男所帯だったからどうしても気が利かない部分が出てきてしまう。
小夜は何も言わないから、もしかしたら他にも気付けてないことがあるかもしれない。
楸矢は柊矢の考えを見抜いたらしく、
「一応、清美ちゃんに、小夜ちゃんが何か遠慮してるようなら教えてくれるように頼んでおいた」
と付け加えた。
「確かに買い物は一緒に行くべきだな。だが、理由か……」
「柊兄は一緒にいたいからって言えばいいじゃん」
どうせ家にいるときは四六時中張り付いてるんだし、と胸のなかで付け加えた。
「柊兄に用があるときは俺が適当な口実作って一緒に行くよ」
「分かった」
柊矢が頷くと楸矢は部屋を出た。出てから、デートに誘うのも遠慮しているようだという話を思い出したが、そろそろ小夜が風呂から上がってくるだろうし毎日一緒に買い物をしていれば自然とデートの話になるかもしれない。
楸矢のいないところでなら、いくらイチャイチャしても構わないしヴァイオリンのセレナーデも〝聴こえない〟。
まぁ、さすがに外でヴァイオリンを弾いたりはしないと思うが仮に弾いたとしてもそれで恥ずかしい思いをするのは楸矢ではない。
デートは小夜が奥手で自分から誘えないというのもあるだろうから柊矢の方から言い出せば問題ないはずだ。
柊矢がデートを思い付けば誘うはずだからそういう話を小夜が振ればいいのだ。
小夜は男女のことに疎いから清美に入れ知恵してもらえば本人が気付かないまま誘うようなことを言わせることは可能だろう。
楸矢は自分の部屋に入るとスマホを取り出した。
「清美、今日はかなり機嫌がいいね」
涼花が、深雪と話している清美を見ながら言った。
「そうだね」
彼が出来たら真っ先に報告してくるはずだがそれは聞いてない。きっと他に何か良いことでもあったのだろう。
もしかして香奈の親戚の家に行っていいってお許しが出たのかな。
「小夜、行ってもいいか聞いてくれた?」
香奈が訊ねてきた。
「ごめん、まだ」
「清美は? 行けそうって言ってた?」
「聞いてないけど」
「これ見せれば絶対食いつくと思ったのになぁ」
香奈がスマホを見た。
小夜がその画面に目を向けたとき、クレーイスからムーシカが途切れ途切れに伝わってきた。
歌詞はよく聴き取れないが演奏は弦楽器のようだ。
既存のムーシカではないがムーシケーのムーシカでもない。
はっきりとは分からないが伝わってくる感情からしてムーシコスの誰かが創ったムーシカだろう。
でも、ムーシコスが創ったムーシカならどうして魂に刻まれてないんだろう。
「ね、それ、よく見せて」
小夜が頼むと香奈がスマホを渡してくれた。写真を見てみたがクレーイスが何に反応しているのか分からない。
「ちょっと、小夜。柊矢さんがいるのになんで香奈の従兄の写真、そんな食い入るように見てんのよ」
いつの間にか側に来ていた清美が言った。
「従兄の人を見てるわけじゃないよ」
清美は香奈のスマホを小夜から受け取ると、
「香奈、他の写真ないの?」
と言って画面をフリックした。
違う画像が表示された途端ムーシカが止まった。
今、表示されている画面にはスカイツリーが写っている。
「香奈、今の写真、親戚の家の近く?」
小夜が訊ねた。
「学校って言ってたよ」
「他に学校かその近所が写ってる写真、無い?」
「風景だけの写真なんか無いよ。特に景色が良いわけじゃないし」
小夜はちょっと考えてから高校の学費を調べたときのことを思い出した。
ホームページに載っている校舎の写真に背景が写っていた。
「その従兄の通ってる高校の名前、教えて」
香奈は学校名は覚えてなかったが、県立だというので親戚の住所と通学手段や時間を聞いて高校を探してみた。
おそらくここだろうと当たりを付けた高校のホームページに掲載されている写真の背景はほとんどが空だった。
クレーイスは特に反応しない。
しかし香奈の従兄やその友達に反応したような感じではなかった。
多分、背景の何かだと思うんだけど……。
小夜が考え込んでいると、
「学校の周りの景色が見たいの?」
と清美が訊ねてきたので首肯した。
「なら、その学校のFacebook見たら? 学校が載せてなくても在校生や卒業生が学校周辺の写真載せてるんじゃない? あとインスタとか」
「そっか。ありがと、清美」
小夜は高校やその在校生、卒業生のFacebookやInstagramを見てみたが、やはりクレーイスがどこに反応したのか分からなかった。
香奈の従兄やその友達のページも見たがクレーイスは反応しなかったから、やはり背景の何かのようだがそれがなんなのか分からない。
さっきのムーシカ、この前、楸矢さんの本を見たときのムーシカに似てたような……。
ムーシケーのムーシカじゃないけどクレーイスから聴こえてきたんだからムーシケーが伝えてきたのは間違いないはず……。
「ん?」
楸矢は顔を上げた。
小夜と椿矢のデュエットが聴こえる。
二人で一緒に歌っているなら中央公園だろう。
最近は四六時中柊矢と歌っているのに椿矢とまで歌うなんて、ホントにムーシコスってムーシカが好きなんだな、と痛感させられる。そして柊矢と小夜ほどムーシコスらしいムーシコスはいないという椿矢の言葉にも。
これだけ好きならムーシケーのムーシカも平気で聴いていられただろう。
楸矢はげんなりした。
「どうしたんですか?」
清美が不思議そうな顔で訊ねた。
楸矢と清美は新宿駅近くの喫茶店にいた。
楸矢が清美を、小夜のことで話があると言って呼び出したのだ。
「なんでもない」
「柊矢さんと小夜、そんなにしょっちゅうイチャイチャしてるんですか?」
どうやら楸矢が、家での柊矢と小夜を思い出してうんざりした顔をしたのかと思ったようだ。
「まぁね。あ、でも、遺産のことは確認しておいたよ。ちゃんとあるって」
柊矢から聞いた話を掻い摘まんで話した。
「ありがとうございます」
「手続きしたの俺じゃないよ」
楸矢が笑って手を振った。
「でも、あたしが柊矢さんに質問するわけにはいきませんから。楸矢さんに聞いてもらえて助かりました」
確かに赤の他人が遺産のことを訊ねるわけにはいかないだろう。
「お金の心配がないなら、後はデートですね」
「そ。俺に見えないところでベタベタする分には全然構わないし。大学の寮、断られちゃったし、そうなると……」
楸矢が入り口を見て顔を引き攣らせた。
清美が振り返ると、聖子が店に入ってくるところだった。
「ま、待ち合わせだったんですか?」
「まさか」
聖子は真っ直ぐ二人の方へ向かってきた。
「楸矢」
「ちょ、ちょっと待って。清美ちゃん、ごめんね」
楸矢は勘定書きを掴むと聖子の腕をとって慌ててレジに向かった。
楸矢が会計をすませて店の外に出た途端、聖子との口論が始まった。
声は全く聞こえないから何を言い争っているのかは分からなかった。
やがて楸矢は聖子の腕を掴むとどこかへ歩いていった。
椿矢がお開きだというと聴衆は散っていったが小夜はその場に残っていた。
「今日は小夜ちゃんが相談?」
「今日は?」
小夜が小首を傾げると、
「なんでもない。それよりどうしたの?」
椿矢が訊ねた。
「その、椿矢さんのうちはクレーイス・エコーの家系なんですよね」
「榎矢の言ったこと真に受けないで。あいつ、真性のバカだから」
椿矢が白けた表情で言った。家系とか血筋とか言う言葉にかなり辟易しているようだ。
「ここ三代くらい続けて選ばれてたけど家系なんてご大層なものじゃないよ」
「でも、クレーイス・エコーのことよく知ってますよね? 教えていただけませんか?」
「どんなこと?」
椿矢がそう言いながら小夜の背後に向かって片手を軽く上げた。
振り返ると柊矢が歩いてくるところだった。
「待ち合わせですか?」
「いや、小夜ちゃんと待ち合わせじゃないなら今のムーシカ聴いて来たんでしょ」
「邪魔したか?」
柊矢は二人の側に来ると訊ねた。
「全然」
柊矢にそう答えると、小夜に、
「もうちょっと具体的に聞いてくれないと答えようがないよ」
と言った。
「つまり、ムーシケーの意志を知るためにしないといけないこととか、何かありますか? お坊さんが滝に打たれたりするみたいな……」
「滝に打たれてもムーシケーの意志は分からないと思うよ」
椿矢が可笑しそうに答えた。
「滝って言うのは例え話で、何か意志が分かるようになる修行みたいなこととか……」
小夜が真剣な表情で椿矢に訊ねた。
「いや、そもそもムーシケーに意志があって、しかもそれを示すことがあるなんて小夜ちゃんがクレーイス・エコーになるまで誰も知らなかったから」
椿矢が首を振った。
「皆クレーイスを貰うだけの名誉職だと思ってたくらいだし。だから、当然それを知るための修行とかもないよ」
「じゃあ、沙陽さんもムーシケーの意志は分からなかったんでしょうか?」
「分かったら外されたりしないでしょ」
「沙陽さんは無理矢理ムーシケーを溶かそうとしたから……」
「それを思いついたのはムーシケーに行ってクレーイス・エコーから外された後。沙陽、フラれると却ってムキになって自分のものにしたくなっちゃう性格みたいだね」
椿矢は面白がっているような表情で柊矢を見た。柊矢は心底嫌そうな顔をした。
小夜は困ったように黙り込んだ。
「何かあったの?」
椿矢の問いに、
「ムーシケーが何か伝えようとしてきてるんですけど、それが何なのか分からなくて……」
小夜が答えた。
「今も言ったように、僕が知る限りムーシケーが意志を伝えてきたのは小夜ちゃんだけだよ。っていうか、もしかしたら今までも伝えようとしてたのに分かった人がいなかっただけかもしれないけど。どっちにしろ、誰も知らないんだから答えてあげられる人はいないよ。必要に迫ればもっとはっきり分かるように伝えてくるんじゃない? この前だってそうだったでしょ。それまでは待つしかないと思うよ」
小夜はがっかりした表情で椿矢に礼を言うと柊矢と一緒に帰途についた。
「ムーシケーの意志?」
楸矢が鰆の味噌漬けを食べながら聞き返した。楸矢は柊矢と小夜から、今日椿矢と中央公園で交わした話を聞いていた。
「何か伝えようとしてるんです。でも、それがなんなのか分からなくて……」
「うーん」
楸矢は首を捻った。
「俺、ムーシケーの意志なんて感じたことないし……。柊兄は?」
「ないな。椿矢の言うように焦らず待った方がいいんじゃないか?」
「だよね。そもそもムーシケーが何かして欲しいとしたら、それはムーシカ歌うことでしょ。だったら、ムーシカを伝えてきたらそれ歌えばいいだけじゃないの?」
柊矢が同感だというように頷いて、話はそれで終わった。
「清美、お父さん達の説得は? 上手くいきそう?」
休み時間、どこかから教室に戻ってきた清美を捕まえた香奈が訊ねた。
「え、あ、まだ、なんともいえないっていうか……」
あれだけ乗り気だった割には歯切れが悪い。説得が難航している、という感じでもない。
「頑張ってなんとか説得して! お願い!」
香奈が真剣な表情で手を合わせた。
「う、うん。やってみる」
と頷くと清美は小夜の方にやってきた。
小夜が口を開く前に、
「ね、小夜、楸矢さんと彼女、上手くいってる?」
と訊ねてきた。
「え、さぁ? 聞いてないけど。なんで?」
「昨日、見ちゃったんだよね。楸矢さんと彼女が喧嘩してるところ」
「どこで?」
「新宿駅の近くで。だから、上手くいってるかどうか聞いてみて」
「清美……」
「上手くいってるかどうかだけじゃなくて、別れそうかどうかまでしっかり確認してね」
小夜は溜息を吐いた。
昨日、椿矢さんに彼女がいるか聞いておけば良かった。
榎矢は沙陽の仲間だったが、その点さえ抜きにすれば清美の好みのタイプだ。
椿矢と榎矢は兄弟だから似てるし、親戚だから二人と楸矢も面差しは似通ったところがある。
楸矢や榎矢と似ているのだから椿矢も好みだろう。
早めに椿矢さんに彼女がいるか確認して、いないようなら清美に紹介しよう。
椿矢が歌い終えてお開きを告げると聴衆が散っていった。
終わるのを待っていた楸矢が椿矢の隣に座った。
口を開こうとしたとき、不意に白く半透明な巨木の森が現れた。
二人が黙って見ているとムーサの森は静かに消えていった。
「そういえば、あんた、この森はムーシコスの前に現れるって言ったんだって?」
「そうだよ」
「でも、小夜ちゃんは柊兄と知り合うまで見たことなかったらしいよ」
「え、そうなの? 柊矢君が小夜ちゃん連れてきたの、去年の秋頃って言ってたよね。知り合ったのっていつ?」
「連れてくる一、二ヶ月くらい前じゃないかな。正確な時期は聞いてない」
楸矢は、柊矢と小夜が知り合ったきっかけを話した。
「小夜ちゃんが、あの辺で学校帰りに歌ってたらしいんだよね」
楸矢は柊矢から聞いた場所を指した。
「小夜ちゃんが歌ってるの見つけて毎日聴きに通ってたんだって。柊兄が小夜ちゃん連れてくるまで俺も知らなかったんだけど。……どうかした?」
楸矢は黙り込んだ椿矢に訊ねた。
「クレーイスがクレーイス・エコーの元に来るって話は知ってるでしょ」
「知らない」
そういえば雨宮家や霍田家では常識だが霧生兄弟と小夜はムーシコスなどのことは何も知らずに育ってきたのだった。
柊矢には話した気がするのだが楸矢に伝えてなかったらしい。
「クレーイスはクレーイス・エコーが死ぬとその人の持ち物から消えるんだよ。先々代のクレーイス・エコーはうちの祖父様で、祖父様が死んだとき消えて君達のお祖父さんの遺品の中に現れた。君達が次のクレーイス・エコーに選ばれたからね」
「あんた、沙陽が小夜ちゃんの前のクレーイス・エコーだったって言ったよね。それならなんでクレーイスは沙陽のところに行かなかったの?」
「クレーイスはまずキタリステースの元に行くから。クレーイスを手に入れたキタリステースがムーソポイオスに渡すの」
祖父にクレーイスを渡したキタリステース――祖父の従妹――によると、クレーイスを手に入れてしばらくすると祖父が相応しいように思えて彼に渡したのだという。
「僕はずっとクレーイス・エコーを選んでるのはムーシケーだと思ってたんだけど……」
「ムーシケーでしょ。ムーシケーがムーシコスにクレーイス持たせたんだし、クレーイス・エコーが死んだら消えて他の場所に現れるとか、ムーシケー以外じゃなきゃ無理じゃん」
「うん、最初のクレーイス・エコーを選んでるのは間違いなくムーシケーだと思う。でも、実質的なクレーイス・エコーってムーソポイオスでしょ」
楸矢もそれは朧気ながら気付いていた。
ムーシカはムーソポイオスが歌わなければ効力を発揮しないのだから、キタリステースはムーソポイオスの協力が必要になる。
普段歌っているような特に効果のない、ただのムーシカならともかく、封印のムーシカのような効果を発生させる必要があるものはムーソポイオスが必須だ。
「三人のうちの最初のクレーイス・エコーがキタリステースなのはどうしてだろうって、ずっと疑問だったんだけど、もしかしたら一人目のクレーイス・エコーがムーソポイオスを選んでるのかもしれない」
「でも、沙陽がムーシケーに行ったのって別れ話の後だよ」
「多分、クレーイス・エコーとしての資質を確かめたかったんじゃない?」
最初のクレーイス・エコーは、なんとなくクレーイス・エコーにクレーイスを渡したと言っているから頭で考えて決めてるのではなく無意識に選んでるのだ。
推測の域を出ないが柊矢が潜在意識下で沙陽を外したのではないだろうか。
クレーイス・エコーは聖職者ではないが、それでも二股を掛けるような人間は相応しくないと思われて当然だ。
それでムーシケー自ら、沙陽がクレーイス・エコーに相応しいか見極めるために呼んだということは十分考えられる。
クレーイス・エコー同士は大体カップルになるから選定者がキタリステースなのだろう。
「で、ムーシケーのムーシカが聴こえなかった沙陽は失格。その後、柊矢君が小夜ちゃん好きになってクレーイス・エコーに選んだんじゃない?」
それなら身寄りが亡くなった小夜を引き取ったのも頷ける。
ずっと不思議だったのだ。
いくら初めて見つけた〝歌ってる人〟とはいえ普通、知り合って間もない赤の他人を引き取ったりはしないだろう。
しかも後になって聞かされたが、柊矢は毎日小夜の歌を聴きに通っていたという。
どこにいても聴こえるのだからわざわざ会いに行く必要はないし、なんなら家にいればムーシカにあわせてキタラを弾くことも出来るのだ。
実際、椿矢の歌声が聴こえても用がなければ会いに来たりはしない。
だが会ってみて好感を持ったのなら毎日通っていたのも頷けるし、そんな相手が身寄りをなくして頼れる人がいないとなれば引き取ってもおかしくない。
「クレーイス・エコーだからって、必ずムーシケーに呼ばれるわけじゃないんだよね」
「そうなの?」
「僕が知ってる中で、行ったことがあるのは沙陽と小夜ちゃんだけだよ。うちの祖父様だって呼ばれなかったし。過去に何人かはいるみたいだけど、沙陽の前は大昔だよ」
クレーイス・エコーがムーシケーに呼ばれたときの話はいくつか伝わっていたが何百年も前の事だから、どこまで本当なのか分かっていなかった。
「そもそも帰還派が生まれちゃったのも沙陽がムーシケーに行ったときの話をしたからだし」
椿矢は森が出た辺りに目を向けた。
「今、森見てどう思った?」
「どうって……小夜ちゃんや沙陽みたいに憧れたかってこと?」
「うん」
楸矢は首を振った。
「凍る前のムーシケー見たときに旋律は聴こえたけどさ、今は凍ってるし、小夜ちゃんには悪いけど、やっぱ凍り付いてる森見ても綺麗以上の感想は……」
「だよね。だから皆先祖があそこから来たってことは知ってても誰も行きたいなんて思ってなかったわけ。それを沙陽がムーシケーを見てきて、どれだけ素晴らしいところだったかって力説して、凍り付いた旋律を溶かして帰ろうってぶち上げたんで帰還派が生まれたんだよね」
真っ先にその話に乗ったのが不肖の弟――榎矢――だったのだから兄としては頭が痛い。
「……うーん」
楸矢が腕を組んで首を傾げた。
「どうかした?」
「いや、沙陽と小夜ちゃんが見てきたのが同じ場所だとしたら、沙陽が行ったときだって凍り付いてたのは同じでしょ。しかも、沙陽にはムーシケーのムーシカ聴こえなかったんだし」
「うん」
「小夜ちゃんみたいにムーシケーのムーシカが聴こえたなら憧れるのも分かるよ。ムーシケーのムーシカが、小夜ちゃんのムーシカみたいな感じだったなら大抵のムーシコスは猫にマタタビ状態になるだろうし」
実際、未だにしょっちゅう小夜のムーシカが歌われるのは諸にムーシコス好みだからだ。
地球の音楽に様々なジャンルがあるように、一口にムーシカといってもゆったりした曲調のものあればアップテンポのものもある。地球の音楽と違ってジャンル名はないが。
ムーシコス好みのムーシカに共通しているのは創った者の感情が感じられるものである。曲調や歌詞には拘らない。歌詞が知らない言語で意味が分からない場合が多いというのはあるにしても。
小夜が創ったムーシカのように感情が強く伝わってくるようなものは特に好まれる。
楸矢もムーシコスだから小夜のムーシカが好まれている理由は理解出来る。
「けどさ、ムーシケーのムーシカが聴こえなかったんだとしたら、沙陽は一体どこを気に入ったのかなって思って」
楸矢の言葉に今度は椿矢が考え込んだ。
椿矢の知り合いでムーシケーに行ったことがあるのは小夜と沙陽だけだが、小夜の話を聞いた限りでは神殿の周り以外はどこも同じように凍り付いていたそうだし、その周辺にはムーシケーのムーシカ以外の旋律は無かったと言っていた。
だとしたら地球で眺めようが実際に行ってみようが見えるものに変わりはない。
神殿は地球からは見えないが、それに関しては沙陽は一度も口にしたことがないし小夜もそういうものがあったということ以外は何も言ってないから魅了される点はなかったのだろう。
ギリシアの神殿に似ていたと言っていたから石造りだったのだろうが、凍り付いてなかったのなら数千年間手入れをされることもなく放置されていたということだから相当酷い状態だったに違いない。
神殿自体は旋律を奏でてないならムーシコスとして惹かれることはないだろうし、十代の女の子は保存状態が良いわけでもない古い建造物に魅力を感じたりはしないはずだ。
まぁ、沙陽の言動は昔から理解に苦しむとこあるし……。
休み時間、小夜は盛んにスマホを操作していた。
「小夜、今日はずっとスマホいじってるけど、もしかして柊矢さんとLINEでもしてんの?」
「そうじゃなくて、お料理のレシピ調べてるの」
「なんの料理?」
清美は小夜の肩越しにスマホを覗き込んだ。
「二人とも、特に嫌いなものはないみたいだからなんでもいいんだけど、材料が軽いもの」
「軽いもの?」
「うん、最近、いつも柊矢さんと帰ってたでしょ。最初は嬉しかったけど、柊矢さんに用があるときは必ずスーパーの前で楸矢さんに会うの。柊矢さん、荷物持つために一緒に帰ってくれてたみたい。だからせめて軽い材料だけで作れる料理にしようと思って」
買い物のことは念頭になかったのだが、楸矢は清美と話したときに小夜が買い出しで重い荷物を持っていると気付いたようだ。
「小夜、遠慮しすぎ」
「え?」
清美の言葉に小夜が顔を上げた。
「小夜が持たせたら悪いって思うような重さってことは柊矢さん達はもっと申し訳ないって思ってるはずでしょ。そんだけ大量に買わなきゃならないのは柊矢さん達が沢山食べるからなんだから。小夜が気を遣いすぎたら、柊矢さん達の方も遠慮しなきゃいけなくなるじゃん」
「でも……」
「重い物がダメとかいって軽いものばかりにしたら柊矢さん達が食べたいものの中に作れない物が出てくるんじゃないの? それじゃ本末転倒じゃん」
清美の言う通り、重い物を買わないとするとカボチャなどは切った物でもかなり重いから買えなくなるが二人ともカボチャ料理が好きだ。
「今までも小夜一人じゃ重くて持てないからって買えなかったものがあるんじゃないの?」
確かにカボチャを含め重たい野菜は何度か諦めたことがある。
切った物が売っているといっても、ロールキャベツのように切ってあったら使えないから丸ごと買っているわけではない。
量が必要なので切ってあったところで沢山買わなければならないから重さは変わらないのだ。
「柊矢さん達が持ってくれれば、そういう材料使った料理作れるんだから、結果的には柊矢さん達の得になるってことだし、材料沢山買えれば好きなだけ食べれるじゃん」
さすがポジティブ思考の清美だ。
小夜は申し訳なさが先に立ってそこまで考えが及んでなかった。
小夜はスマホをフリックして前の画面を出した。
カボチャの中身をくりぬいて外側を器にした料理だ。
カボチャ丸ごとなんて重い物は論外だと思っていたが切ってなければ二、三ヶ月は常温保存できるから二、三日おきに三回に分けて一個ずつ買えばいいだろう。
カボチャの旬の頃になったら事前に日持ちのするものを多めに買っておいてカボチャを買う日は他を軽いものにすれば重さを抑えられるだろう。
「何これ、美味しそう。作ったら楸矢さんの反応教えてね。楸矢さんが気に入ったら、あたしも作れるように練習するから」
「カボチャの旬はまだ先だから当分作らないよ」
「なーんだ。じゃ、今の旬って何?」
「色々あるけど……っていうか、清美、お料理とか全然しないの?」
小夜と清美が料理の話などをしているうちに休み時間が終わった。
放課後、小夜は柊矢との待ち合わせ場所に向かっていた。
道路の向こうにいる柊矢が小夜に気付いて片手を挙げた。
これ、ムーシカ?
なんだか嫌な感じのムーシカが聴こえてきた。歌っているのは一人だし演奏もない。
他のムーシコスは奏でていないから聴こえてないのだろうが小夜に対する呼び出しのムーシカではない。
一瞬、クラクションの音が聞こえたような気がしたとき、胸元のクレーイスが熱くなったかと思うと目の前に白い壁のようなものが出現して道を遮られ足を止めた。
これは旋律で凍り付いているムーシケーの巨木だ。
小夜の真ん前に立っている。ムーサの森の樹はどれも高さが二百メートル前後はあるから当然幹も物凄く太い。
だから正面にあると視界を完全に塞がれてしまうのだ。
ここ、ムーサの森?
小夜は思わず辺りを見回した。
その途端、森が消え、鳴り続けるクラクションと悲鳴や怒号が聞こえた。
クラクションの鳴っている方を見ると、交差点の真ん中で小型車がタクシーの側面にぶつかって止まっていた。
小夜が渡ろうとしていた横断歩道は歩行者用の信号が青で他の車は止まっている。
小型車だけ信号を無視して横断歩道を突っ切り、走っていたタクシーの横っ腹にぶつかったのだ。
タクシーの後ろのバスも際どいところで止まっている。あと少しでタクシーは後ろからも追突されるところだったのだ。
「小夜!」
柊矢が走って横断歩道を渡ってくると、小夜の両肩に手を置いて顔を覗き込んだ。
「無事か? ケガは?」
「柊矢さん……」
小夜は柊矢を見上げた後、もう一度、事故現場に目を向けてようやく状況を理解した。
多分あのまま歩いていたら信号無視の車に跳ねられていたのだろう。
それでムーシケーが小夜を足止めしたのだ。
パトカーのサイレンの音が近付いてくる。少し遅れて救急車のサイレンも聞こえてきた。
「無事で良かった」
柊矢に抱きしめられながら小夜は車を見ていた。
帰れない理由は分かったんだから帰還派じゃないはず……。
だけど、この事故はムーシカのせいだ。
ムーシケーが守ってくれたことから考えても狙われたのは小夜で間違いない。
でも、どうして……。
椿矢がお開きだというと聴衆の女性が、
「いつもより少なくないですか?」
と残念そうに言った。
「ごめん、ちょっと喉が痛くて」
椿矢がそう答えると女性は「お大事に」と言って帰っていった。
実際には他のムーソポイオスがデュエットを歌い始めたからなのだが、それが分かっているのは楸矢だけだろう。
デュエットを歌っているのは知らない男女のムーソポイオス二人だった。
どうやら最近よくデュエットが聴こえるから流行り始めたようだ。
演奏と副旋律のコーラスはいるものの主旋律は二人で歌っていた。
「このデュエット歌ってるムーソポイオスの二人もカップルなのかな」
楸矢は椿矢の隣に座りながら言った。
「どうかな。近くにいる必要ないから顔も知らない相手ともデュエット出来るからね」
とはいえ、さすがに人前でデュエットの片方のパートだけ歌ったら変に思われる。
今、歌っている二人も別々の場所にいるなら一人か、誰かと一緒なのだとしたらムーシコス――おそらくキタリステース――なのだろう。
「柊兄がムーソポイオスだったら、これ延々と聴かされてたってことだよね」
「そうなるね」
椿矢が、うんざりした顔の楸矢を面白そうに見ながら答えた。
「相変わらず仲良いんだ、あの二人」
「うん。もう見せつけられてるこっちは頭がおかしくなりそう。地球人の音楽家なら曲の解釈の違いとかで喧嘩も珍しくないのに」
楸矢は溜息を吐いた。
「へぇ、音楽家ってそんなことで喧嘩するんだ」
「知らないの? ムーシコスの一族なら音楽家も結構いると思ってた」
楸矢は音楽――クラシック限定だが――にはそれなりに詳しいがムーシコスのことは殆ど知らない。
逆に椿矢はムーシコスのことは熟知しているが地球の音楽に関する知識は音楽の授業で習った程度だから皆無に等しい。
以前、柊矢に「音楽は地球にもある」と言ったが、やはり椿矢もムーシコスだから音楽とはムーシカのことで地球の音楽は必要に迫られたときしか聴かない。
「ムーシコスの一族だから地球の音楽は聴かないんだよ。生まれた時から家族がムーシカ奏でてるから地球の音楽は学校の授業で聴くくらいなんだよね」
「ふぅん。クラシックは解釈の違いで殴り合いになることもあるよ」
「クラシック音楽の合奏とかすごく平和そうな感じなのに? ロックとかヘヴィメタとかならともかく、パッヘルベルのカノンとかを喧嘩しながら弾いてるの?」
椿矢が意外そうな表情をした。
「喧嘩するときは演奏中断するよ。良い楽器って下手したらそこらの家より高いから壊すと大変だし」
「いや、そこじゃなくて……」
「ロックやヘヴィメタのことはよく知らないけど、でも、その辺の新しい音楽はあんまり解釈とか気にしないんじゃない? 歌詞もあるし。それに、大抵は作った人が生きてるから解釈とかあったとしても、それを伝えられるでしょ。死んじゃってたとしてもインタビューとか残ってるだろうし。クラシックは殆どの作曲者がもう死んじゃってるし、基本的に楽器の演奏だけだからね。楽譜に書いてある指示も曖昧だったりするし。だから、弦楽器は調弦とかでも喧嘩になることあるって言ってた」
「柊矢君も喧嘩したことあるの?」
「柊兄は授業で弦楽四重奏演奏することになったとき、調弦だの解釈だので他の三人が言い争ってるの放っといて一人でヴァイオリン弾いてて仲裁しろって教師に怒られたんだって」
それを聴いて椿矢は笑った。
やはり柊矢は骨の髄からキタリステースなのだ。
演奏以外のことに興味がないから解釈なんかどうでもいいし、どうでもいいから主張する事もない。
だから喧嘩にもならない。
「ムーシカには解釈なんてないからねぇ」
ムーシコスは皆好きなように奏でているからキタリステースの演奏も合奏とはいっても実質的には独奏である。
「それで? この前、パンフレット貰ってきたって言ってたけど、ここでよく会うのはこの近くの予備校行ってるから?」
「いや、あんたの声が聴こえたから相談に乗ってもらおうと思って」
「いいけど。楸矢君、友達多そうに見えるけど他に相談できる人いないの?」
「俺が唯一、柊兄に勝ってるのは友達の数だけだからね。友達はそれなりにいるよ。でも、皆音楽科の上に同い年か年下が殆どだし、普通科の知り合いって小夜ちゃんと小夜ちゃんの友達くらいだから。高一じゃ進路の相談されても困るでしょ」
その言葉に椿矢は納得した。
確かに高校一年の子に進路の相談をしても無駄だろう。
音楽科の友達にしても楸矢と同い年や一、二年上くらいでは就職を見据えた進路の相談に的確なアドバイスが出来るかどうか。
特に楽器専攻なのだとしたら大学入学前から音楽家以外の道を考えるとは思えない。
他の進路を考えているなら別の学科を専攻しているはずだ。
柊矢は年が離れてるが音楽科でヴァイオリン専攻だったからどこまで助言できるか分からない。
元々音楽の授業が長いというだけの理由で音大付属や音大へ行っていただけでヴァイオリニストも「なってもいい」程度だったのでは将来について深く考えてたかどうかも怪しい。
下手したら同級生と同レベルのことしか言えないか、場合によっては「好きにしろ」の一言で終わってしまう可能性もある。
「そっか、進路が決まらないと予備校でどの科目の授業を受けるかも決められないしね」
「俺の場合、それ以前」
「え?」
「予備校も試験があるって知ってた?」
「ああ、浪人なら高校みたいに朝から通うことも出来るんだっけ」
大学入試で全敗したクラスメイトが「受験が終わったら今度は予備校の試験だなんて」と嘆いていたのを思い出した。
普通の塾のように科目単位で授業を受けるなら試験は必要ないが、学校と同じように朝から晩まで予備校で授業を受ける場合は試験を受ける必要があるらしい。
その代わり授業だけではなく進路の相談や、それに応じてどの授業を受ければいいかなどの指導もしてくれるとかいう話だった。
どうやら楸矢は成績が悪いという自覚があるから音大の授業に出ずに予備校に通うつもりだったようだ。
「矛盾してると思わない? 予備校の試験に受かるくらいなら浪人になんかならないでしょ」
楸矢の言葉に椿矢は可笑しそうに笑った。
「どうせ、もう入学決まってるんだし、大学は音大でいいんじゃない? 別にフルート奏者以外にもフルートを活かす道はあるでしょ。フルートの先生になるとか、大学で教員免許取れるなら音楽の教師になるとか」
柊矢と小夜は歩道を歩いていた。
「今日はデリバリーにするか?」
柊矢が気遣うように訊ねてきた。
事故を起こした車は小夜の前を通り過ぎていっただけなので二人は路上で警官に話を聞かれただけですぐに開放された。
「大丈夫です。ケガしたわけじゃありませんから」
小夜がそう答えると、柊矢は一瞬考えてから頷いた。下手に気を遣うより普段通りの方がいいと判断してくれたようだ。
「あの、柊矢さん?」
人気の無くなったところで小夜は口を開いた。
「ん?」
「さっき、ムーシカ聴こえました?」
「え?」
「事故の時、ムーシカが聴こえたんですけど……」
「俺には聴こえなかったが。呼び出しのムーシカか?」
「いえ、違うと思います」
小夜は事故の直前、巨木に道を遮られたことを話した。
「普通科の人ってどうやって進路決めてんの?」
楸矢が訊ねた。
「なりたいものがない人は入れる大学か専門学校に行って就職出来るところにしてるんじゃないかな。高校卒業したらすぐに就職する人もいるし」
「ムーシコスはあんま音楽家にならないって言ってたよね。なら、皆何になってんの?」
「雨宮家は副業あるけど一応サラリーマンだね。サラリーマンにならなかった親戚はムーシケーやムーシカの研究のために研究者になったり、後はムーシコス捜しに熱心な人の中には医者になった人もいるよ。病院に入れられちゃうムーシコスもいるからね」
「え!? ムーシコスの病気なんてあるの!?」
「そうじゃなくて」
椿矢が苦笑した。
「ムーシカって地球人には聴こえないでしょ」
椿矢は自分の側頭部を指差した。
「ああ、なるほど。そういや、俺も精神科に入れられそうになった」
楸矢は昔の交通事故の時の話をした後、いきなり黙り込んだ。
「楸矢君?」
椿矢が楸矢の横顔を見ながら首を傾げた。
楸矢は顔を上げると椿矢の方を見た。
「俺があんたと初めて会ったとき、沙陽がここで嵐、起こすムーシカ歌ってたじゃん」
「うん」
「俺の祖父ちゃんが死んだ交通事故の時もあのムーシカが聴こえたんだよね」
「え?」
「だから来たんだよ。俺が、昔祖父ちゃんが事故ったときに聴いたムーシカだって言ったら、小夜ちゃんが森と関係あるに違いないって家から飛び出そうとしたから柊兄が車で送ってきた」
今度は椿矢が黙り込む番だった。
楸矢は事故の時の話を続けた。
「祖父ちゃんの事故の時に歌ってたのは沙陽じゃないと思うけど。あの事故の時、柊兄と俺、森に飛ばされたみたいなんだよね」
「ムーサの森に?」
楸矢は衝突の瞬間、白い森が見えたことを話した。
「この前も、柊兄、帰還派に狙われて事故ったんだけど、意識を失う直前、白い森が見えたって言ってた。多分、ぶつかる寸前にムーシケーが一時的にあの森に飛ばしたんだろうって。祖父ちゃんが死んだ事故の時も俺達それで無事だったんじゃないかって。実際、祖父ちゃんの遺体は見せてもらえなかったのに俺達はかすり傷で済んだし」
「見せてもらえなかったって……」
「大型トラックに正面衝突したから、とても見せられる状態じゃないって言われて……棺に入れられて帰ってきたけど釘が打ってあって開けられないようになってた。棺って普通は開いてるものだってことも、蓋を閉めた後も顔の部分は開けられるようになってるってことも、小夜ちゃんのお祖父さんのお葬式のときまで知らなかったし」
いくら楸矢がまだ小学生だったとはいえ、そこまでして見せないようにしたのだとしたら相当酷い状態だったということだ。
顔の部分も開かないようになっていたのなら手の施しようもないほど損傷していたのだろう。
椿矢は真剣な表情で聞いていた。
「柊兄が事故った直後に話を聞いたときは、クレーイス・エコーだからムーシケーが守ってくれたんだって納得してたけど、クレーイスが祖父ちゃんの遺品にあったってことは、祖父ちゃんが事故ったときは俺達まだクレーイス・エコーじゃなかったってことだよね?」
楸矢の言葉に、
「その事故っていつ頃?」
と椿矢が訊ねてきた。
「七年前」
「歌ってたのは間違いなく沙陽じゃなかったんだね」
椿矢が難しい顔で確認するように訊ねた。
「多分、沙陽じゃないと思うけど……。でも、嵐の時まで沙陽の歌声聴いたことなかったし、七年も前だからはっきりとは……」
そのときスマホが振動する音が聞こえた。椿矢のものではない。
楸矢が取り出したスマホの画面に「聖子」と表示されていた。
「ごめん、今日はもう帰るよ。相談に乗ってくれてありがと」
椿矢にそう言うとスマホを耳に当てて話ながら足早に歩いていった。
「小夜、清美、聞いてくれた? 行くなら乗り物の予約とかあるから早くしないと」
「説得中だから、もうちょっと待って」
清美がそう言うと、香奈は小夜の方を向いた。
「小夜は?」
小夜は咄嗟に思考を巡らせたが断る口実は思い付かなかった。
「ごめん、まだ聞く機会がなくて……」
「早くしてね」
香奈はそう念を押すと席に戻った。
「小夜、楸矢さんに聞いてくれた?」
「え?」
「彼女とどうなってるのか。それ次第で本気で親を説得するか決めようと思ってるんだよね」
「清美……」
聞いてみて、上手くいってるという答えが返ってきたらどうするつもりなのかと思ったが、そしたら香奈の親戚の家からお参りに行くのだろう。
「なんか、人、増えてない?」
楸矢が去っていく聴衆を見ながら言った。
「あ、やっぱり、楸矢君もそう思う?」
ブズーキをしまいながら椿矢が答えた。
椿矢は隣に座った楸矢が足下に置いた鞄に目を向けた。ファスナーが開いていて中に入っている本が目に入った。
「予備校でイタリア語はやらないよね?」
「イタリア語は大学の方」
「第二外国語にイタリア語、選んだんだ」
「あと、情報メディア選ばないならもう一カ国、選択しないと。そのうえ三年からはラテン語までやらないといけないんだから柊兄が一年でやめたの正解だよね」
げんなりした表情で楸矢は教科書に挟まっていたカリキュラム表を見せた。
「最低三カ国語? 情報メディア選ばなかったら四カ国?」
「そ。普通の大学は英語ともう一カ国語でいいんだって? 高校の第二外国語でイタリア語とってたし、イタリア語とスペイン語は似てるって聞いたから、イタリア語とスペイン語とれば少しは楽かなって思ったけど……やっぱ普通の大学行きたい」
楸矢がぼやいた。
「四カ国語も出来たら就職先よりどりみどりじゃない? 普通の大学よりよっぽど潰しが利きそうだけど」
「それはちゃんと出来るようになったらでしょ。第一、一つはラテン語だよ。ラテン語なんて、どこで使うのさ」
「例えば、欧州会社なんかはラテン語使ってる場合があるらしいよ。日本支社では日本語使ってるだろうけど、本社から送られてくる書類はラテン語のところもあるかも」
英語の他にイタリア語やスペイン語が話せれば大抵の国では言葉に困らない。
出張にしろ赴任にしろ重宝がられるのは間違いない。
それにラテン語が出来る者は多くないから外資系で本社がラテン語を使っているところなどはラテン語が出来れば就職の時かなり有利なはずだ。
「欧州会社って何の会社?」
「ヨーロッパの欧州会社法に基づいて設立されてる会社の総称だから色んな業種があるよ」
「つまり、基本的にはヨーロッパにある会社ってこと?」
「そうだね。あとは、医学用語なんかはラテン語らしいから医者になるならラテン語が必要なんじゃない?」
「それ、イヤミ? エスカレーター式の大学でさえ進学、危なかったのに医学部とかどうやって入るのさ」
楸矢の言葉に椿矢は苦笑した。
ちょっとした好奇心から楸矢の高校と大学を調べてみたのだがそんなに偏差値の高い学校ではなかった。
まぁ、音楽家を育てるための大学やその付属高校だから普通の科目は最低限なのだろう。
それは世界的に活躍するようになったとき困らないように外国語が最低三カ国語というのを見ても分かる。
その大学に付属高校からにも関わらず進学がやっとだったのでは裏口でも使わない限り医学部は無理に違いない。
音大への進学もフルートの実技で一般科目の成績はお目こぼししてもらったそうだし高校も推薦入学なのだろう。
音楽家育成に力を入れている高校や大学にフルートの腕で入っているのだから楸矢も才能はあるに違いない。
だからこそ他人の実力や自分の限界が分かってしまうのかもしれないが。
「イタリア語が得意だったならだけど、入試で英語の代わりに第二外国語選択出来るとこ選べば? イタリア語で受験出来る大学があるかは知らないけど、第二外国語の試験は英語より簡単らしいよ。外国語の勉強の時間省ければその分、別の科目の勉強に時間割けるし」
椿矢はそう言いながらカリキュラム表を眺めた。
「独唱及び合唱って、楸矢君も歌えるんだ」
「ピアノと声楽は高校の時から副科でやってるから」
「じゃあ、柊矢君も上手いよね」
「歌ってるの聴いた事はないけど声楽の成績は凄く良かったよ」
楸矢が落ち込んだ様子で答えた。
おそらく楸矢よりもかなり良かったのだろう。
まぁ、キタリステースだろうとムーシコスに音痴はいないが。
聴こえないだけで演奏しながら歌っているキタリステースは珍しくない。
「柊矢君と小夜ちゃんのデュエット、聴いてみたいなぁ。……何?」
信じられないという表情の楸矢を見て椿矢が不思議そうに訊ねた。
「いや、リアリストでもやっぱムーシコスなんだなって。ムーシカ聴けるなら二人の世界に入ってるカップル見ても平気とか、俺には考えられないけど」
楸矢のうんざりした顔を見て椿矢は苦笑した。
相当辟易させられているようだ。
椿矢は再びカリキュラム表に目を落とした。
「そういえば、帰還派ってもう諦めたんだよね?」
「沙陽は知らないけど、他の連中は諦めたはずだよ。元々帰還派って沙陽以外はムーシコスはムーシケーに住むべきって言う原理主義的な考えで行こうとしてた連中だから、いつ隕石が落ちてきて死ぬか分からないようなところに行きたいなんて考えないよ。どうして?」
楸矢は、小夜が狙われて危ないところでムーシケーに助けられた話をした。
椿矢は驚いた表情で聞いていた。
「この前、僕の連絡先、教えたでしょ」
「うん」
「明日からは歌う場所変えるから、用があったら電話かメールしてよ。お茶でも飲みながら話そう」
「あんた、男同士でお茶飲んで楽しい?」
「公園のベンチで話すのはいいの?」
椿矢が可笑しそうに訊ねた。
それもそうかと思って楸矢は頷いた。