7
フツシが血を吐いて倒れた。
それまでなんの素振りもなかったのに。
「おっ……お前、大丈夫かよ!?」
倒れ伏したフツシに駆け寄り、生命兆候を確認する。瞳は開かれ、息が荒い。しゃがんで確認しようとすると視線がこちらに寄った。意識はあるみたいだ。
「……内臓を、やられた。多分、しくまれ、て……」
口元を真紅に染めながら、精一杯の意識を示す。
外傷はない。が、息絶え絶えなのを見るとこいつのいう通りなのだろう。
自慢じゃないが、俺は流血沙汰が苦手だ。人死はもっと、人殺しはさらに。
だから助けたい。目覚めが悪くなる。
しかし、今の戦力では難しい。俺たちは誰一人として治癒魔術を使えないのだ。
……治癒魔術はかなり適性を問い、出来る出来ないが明確に分かれてしまう魔術だ。人体の再生という奇蹟は、無意識下の魔力操作を多分に伴うので教えることもできない。
元々人口の少ない魔術世界でも希少な人種だ。故に前線に駆り出されることはほぼ無い。
「応急処置だけする!リュツィフェールさん!」
「はい、結界をはります!」
クロナガが手を突き出し、水の魔力を放つ。
クロナガのいう応急処置とは、自己治癒力を高めることを言う。その魔術なら、単純に対象を強化すれば良いため汎用性が高いが、欠損や体力低下の際は意味がない。故に応急処置なのだ。
とはいえデリケートな魔術だ。変なものが近寄らないように、結界を張った方が良いだろう。
「obice!」
得物の剣を振るって、魔力の糸で周囲を巻き上げて結界とする。俺は魔術が得意な方では無いが、空間の天属性の適性者だけあって強固だとわかる。
……フツシの言っていた、「仕組まれた」が気になるところだが、ひとまず大丈夫だろう。
俺はスマホに手をかける。最寄りの使士支部に連絡をするためだ。
「こちらガラハド・ベルモンド!遺跡にて和人と思われる発見者が負傷、回復術士の派遣を願う!」
支部なら治療魔術の扱える使士か使い魔が常駐している。また、和人は希少民族で白黒戦争の生き字引だ。ましてや古代遺跡の主、死なせるわけにはいかない。きっと派遣を許可するだろう。
「時間が惜しい、転移を!」
転移魔術には馬鹿みたいな魔力が要るが、アホみたいな魔力のある奴がいる。その点心配はない。
レトちゃんに視線をやると、
「遺跡の中は魔力がサクソーしてて難しいけど、外からなら大丈夫!」
と頷いた。
フツシをクロナガとリュツィフェールさんに任せて、俺たちは石の道を戻る。警戒しつつ歩いて3分ほどの道は、俺が本気で走れば刹那にも満たない。
だがそんな速度を出そうものなら遺跡は倒壊するし、レトちゃんもついて来れない。魔力で周囲を補強・自身を制御しつつ走る。それでも石床にヒビが入り、身を切る風は烈風となった。レトちゃんは風の魔力でブーストしながらついてくる。
……そこかしこから幽世の気配がする。フツシが仕組まれた、といった。何者かの意志で彼が倒れたとそのまま受け取れば、その何者かは当然俺たちの邪魔をするだろう。
この遺跡の防衛機構とも思ったが、フツシを守ろうとしている遺跡に(反則で)認められて入った身だ。やはりフツシを害する何者かの尖兵の気配だと断じる。
視界の端に紫煙が見える。俺は突き出した右足で急ブレーキをかけた。
当然止まれなかったレトちゃんの首根っこを捉えて、停止させる。
「どわっぷ!!ちょっとジャネ兄!止まるなら言って!」
「言ったところで間に合うかよ!それよりも、気を付けろ」
石壁の隙間から噴き出る紫煙は勢いを増す。
幽世の気配そのものであるそれは、やがて集まって形をとっていく。
それは人型、御伽噺に出てくるような古代和人、横に房を曲げた髪型をした女達だった。
顔はとうに腐り落ち、その手には銅製と思われる槍や剣を構え、赤黒く爛々とした目でこちらを睨みつける——黄泉醜女!
「な、なんですかコイツら!?」
「ヨモツシコメ……古代和のワルキューレみたいなもんか。貴人の墓とか遺跡に良く出るヤツだ!……ともあれ蹴散らすぞ!」
狭い通路を前に立ちはだかる黄泉醜女。
俺たちの目的は前進だ。ならば!
「どうか安らかに、ッせい!」
遺跡を破壊しないように調整した張り手の一撃を放つ。それでも小石が天井から落ちてきた。
破壊の振動は醜女達を貫き伝う。
霊体を砕かれた彼女らは崩れ落ちる間もなく、文字通り霧散する。
仲間の異変に気づいてか、敵対者の脅威に怯えてか、道奥にいた醜女たちが武器を構えて飛びかかってくる。
「大人しく帰ってくれりゃあ良いのに、なッ!!」
雹のように前方から飛んでくる霊体を、一つ一つ拳で砕く。これが神父のやることかよ!
もう面倒になったので、レトちゃんを掴み、取り出した十字架から魔力の鞭を放出する。
入り口の石壁に先端を食い込ませて、鞭を縮めた。
短くなる鞭に引っ張られて、俺たちはそれなりに高速で入り口まで飛んでいく。これなら石床に負担もかからない。
途中いた醜女が俺の体に当たるなり消えるのは、単に俺がクソ丈夫だからだ。
風を切って数秒、見えた入口の光に転がり込む。
外の石柱群の中に飛び出て、着地した勢いで足をひねり、魔法陣となる円を描く。
「制御は俺がやる、魔力を!」
「アイサー!」
レトちゃんが天と風の魔力を集中させる。
俺は、左手で右手を掴み、固定して魔力を込めた。リュツィフェールさんがやったように適性ある魔力——風属性で手綱を握るようにして制御するのだ。一部は自分の力で動かせないので、パズルをやっているような感覚。よくもまぁこんな事がアドリブで出来たものだ。すげぇなリュツィフェールさん。
適性がないだけでこの有様。才能とは残酷だ。
そんな事を頭に過らせながら、支部へと端末で座標を送る。
あとは向こうが術に応えてくれれば、転送できるはずだ。あと一歩でパズルが解ける、そんなところまで魔力を編み込んで待つ。……待つ。
………来た!
「レトちゃん!」
「はいッ!」
レトちゃんが杖を下から上へと振り上げて、高らかに叫ぶ。
「Veni, veni, veni huc!」
魔力の奔流が彼方より来たる。制御する指先を震わせる程の情報量。
存在を魔力に変換して、物理法則を無視して高速移動させるのが転移だ。
魔力となった対象を保護する魔力と対象を此方まで超高速で運ぶ魔力は、途方もない。
普通使える手ではないし、使えてもこのように緊急時に使うのが定石だ。
方陣が光り輝き、光の波が形を作っていく。
魔力に変換された対象がこちらにやってきたのだ。
膨大な情報を抱く光は収束し、ある女性の姿を描き出しす。
それは、真紅の長髪を纏った女となった。
「あ、あんたは確か……」
「ベリィさん!?」
「話は後ッ!患者は!?」
映画の女性将校を思わせる、有無を言わせない覇気が叩きつけられる。俺は心が弱く、怒鳴られることにすこぶる弱いのだが、ある種の正しさ……正義感や使命感からくる怒声であるそれには、俺の善性が狼狽えたり反発する前に従えという。
勿論そのつもりだ、と思考を挟むこともなく答える。
「遺跡の中だ!」
「運んで!」
彼女の髪が俺の肩を、みしり、と音がするほどの力で掴む。
俺の能力について知っているなら早い、頷くとレトちゃんを見やり、得物を構える。
先程と同じように鞭を突き出し、行けるところまで行かせて突き刺す。
菫色の魔力が走り、どこかに当たる感覚がする。
「しっかり捕まっててくださいよっ!!」
「ええ、レトちゃん、私の髪に!」
「は、はい!」
再び鞭を縮ませ、数秒間風を切る。
先程の飛翔で醜女たちはみんな消えたのかわからないが、霊体がぶつかる感覚はしなかった。
先の飛翔より幾分かスムーズに石壁まで辿り着く。
鞭の先端が食い込んだのはクロナガの開けた石壁のようで、すぐに当のクロナガが駆け出してきた。
「おっと、お前か。なら話は早いな。……魔力で内臓を破壊されてる。対象の耐久力は低い、自己治癒で完治は無理だ」
「わかった!警戒は頼んだわよ!」
「了解」
クロナガは、こういう時だけテキパキしている。
さもなれけば普段の自由は許されないのであるが。
ベリィさんが仰向けに倒れるフツシに駆け寄り、徐に腹部へ手を翳す。命を司る水属性の魔力が駆け巡り、その裡へと滲みてゆく。
「……………すま、ない」
「黙ってて。今からもっと痛いわよ!」
魔力を提供する流れだと思って側に控えるレトちゃんに、ベリィさんが静止の手を出す。しゅんとした顔の少女に、女性は感謝と充分を伝える微笑みを向けた。
「それは、そこでずっと結界を張ってるお兄さんにお願い」
レトちゃんは頷き、額に汗を滲ませるリュツィフェールさんに駆け寄った。
それを確認したベリィは、更に魔力を集中させる。
「Resurrectionem vitae.」
詠唱とともに、フツシを巡る魔力が強く、複雑になっていく。波だった魔力の流れは、確かな筋となりて傷を目指し奔る。
「……ッ、ぐ……ぅ……が……」
体内の急激な変化に痛みが伴うのか、フツシの口端からうめきが漏れる。
ベリィさんも目をかっ開いて、翳した左手を右手で押さえ、何か途方もない本能を抑えるが如く歯を食いしばっていた。
俺は医療魔術に関してはさっぱりだが、実は本人にも割とそうである。
あまりにも高度かつ細部の操作を行うため、もう人間の脳では処理できない。なので魔力で脳を増強することで、やっと無意識に一定の方向へ再構成することが可能になるそうだ。ざっくりと言うとだが。
科学的に未だ解明されない部分にさえ、元通りに作用する。何故かわからない部分に何故かわからない改造をする。本当に治っているのか、と思えてしまうが、この魔術に頼らなければ今頃使士も聖霊騎士団もその他中小零細も、とっくに全滅している。
よくわからないが凄いものに頼るしか無い、神代からの常ではあるし、魔術だと尚更だ。
さて、警戒、もっと言えば手持ち無沙汰の俺の横にクロナガがやってくる。
「……さて、フツシのいう"仕組んだ"奴は次にどう出るかね?」
「さァーね」
石壁に体重を預け、今の状況を考える。
魔力で保たれた空間は、湿度も温度も程よく、清潔だ。フツシの棺は美しく飾られ、特定の人間しか入れない——反則で入ったが——入り口に石壁。その眠りを妨げるものを許さない、つくり。
愛だ。誰かは知らないが……彼の永遠の安寧を願い、同時にいつか目覚めて欲しいとも願う者愛の巣だ。童貞でもわかる。
この墓を作った者は、きっと真にフツシを思っていたのだ。
それが、目覚めてすぐの彼の内臓をブチ抜くか?
勿論、否。
仕組んだ者とこの墓の作り主は違う。
動機等諸々はわからないが、俺たちが踏み入ったのを契機に手を下したのは確かだろう。俺たちが封印を解いてしまったからなんだろなぁ……すまん。
二千年前の墓に、少なくとも一つの意思が絡み付いている。(おそらく)二千年前の存在が生きていると不都合のある者がいる。
しかも和……一度この星を滅ぼしかけた国絡みだ。キナ臭すぎて笑えてくる。
何にせよ、今俺がすることは一つだ。
「どう出られても、守るしかねぇだろ?多分、手が出せるようになったので俺らのせいだし……」
クロナガは肩をすくめ、困り眉で笑う。こいつ、申し訳なく思うほど戯けて、裏で償うタイプなのだ。肯定と見て良いだろう。
突然、空気が変わる。外から魔力が流れてくる。
待ってましたとばかりに二人で駆け出す。仕組んだ奴の、次の一手だ。
クロナガの手を取って、鞭をまた走らせる。
今度は醜女達の感覚がした。
外からの光源に身を滑らせ、軽やかに着地する。
すると、頭上から咆哮が聞こえた。
「Ahhhhhhh——」
最早意味を持たないその咆哮は、人あらざる者。
黒光りする八本の脚、呪詛と毒液を吐きつける皇敵……八束脛。またの名を……土蜘蛛!
「和の原生怪異か面倒くせぇなぁ!」
特定の神話体系に属する者は、同じ神話体系が有効だ。強ければ強いほど、人々の信仰に根付く。故に、その信仰のあり方から逃れられないのだ。
それは土蜘蛛にも言えることだが……和の術は使用者が少ない。隣にいる和系謎人も滅多に使わない。
見やると、てへ、という顔をする。
「いやぁ、和系の術でしょ?うん、使えるけど……このサイズだと、"食べてもらった方が死体の始末が楽"だからさ。ちょーっと隙がいるな?」
地下空間に影響が出ないように、隙を作ってくれと言うことらしい。面倒だ、なんだか今回の任務こき使われてない俺?
はぁ、とため息一つ。こいつに振り回されるのも、振り回すのもいつものこと。
そう割り切って、——土蜘蛛に向かって縮地。
「それッ!!」
奴の目ともコアとも分からない何かがこちらを向く前に、森の木々に隠れるギリギリにまで蹴り上げる。I字バランスもかくやの開脚は、真っ直ぐ上空に土蜘蛛の巨体を浮き上がらせる。
「ついでにご褒美だ!」
二つの十字架から鞭を放ち、上空で縛り付ける。更に魔力で鞭に芯を通して、空中で固定。
さて、これでどうか。
クロナガはこちらに向かってウィンクをして……小さな輝くものを眼前に構える。
右手の人差し指と中指に挟まれたそれは、日光を受けて鈍く輝いていた。
「◼️◼️◼️◼️◼️◼️————」
僅かな違和感。こいつがこの魔術を起動するときはいつもそうだ。脳がその言葉を受け付けない、そんな忌々しい言葉を……人でない、地球のものでないナニカ知性のある音を紡ぎ出す。
クロナガが輝くものを上へと投げやる。
投げられたそれは、宙に呑まれて消えた。消えた場所に黒い円陣が浮かび上がり、円陣の裡に、深すぎる光の空を湛える。
「出よ、思考の鳥」
その空から、白い嘴が突き出される。両の翼と体を円の中にねじ込み、翼を広げて円を押し広げる。
やがて力一杯押し出された翼は縁を壊してひろがり、羽ばたきは白い羽を空に散りばめていく。
ホバリングのための羽ばたき数回で、周囲の草木がひしゃげた。見上げる空の半分は悠に占める大鴉。それが、クロナガの呼び出した存在だった。
「…………」
血を思わせる真紅の瞳孔が、土蜘蛛を射抜く。
「喰らえ、存分に」
歌うように、ふわりと呟く。
その手のひらが空を切った瞬間、大鴉は鳴き声ひとつあげず、その嘴を黒き体躯へと突き立てて貫いた。