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55ページ目「定まらぬ未来。」

 その巨大な建造物を、英輔はまるで城のようだと目を丸くした。

「でけえな……」

 バスを降りて、敷地内のバス停を出てすぐに美しい噴水広場が目に止まり、その後ろに巨大な校舎がそびえ立っているのが見える。

 来る前に千幸にもらった資料を確認すると、この建物が一号館にあたるようだ。その左手には二号館があり、隣接するようにして三号館。更にその向こうには五つに分かれた学生寮も存在する。

 辺りを見回していると、見慣れたコンビニの看板を見つけて英輔は感心のあまり嘆息した。

「敷地内にあると便利だよね」

「昼飯買うのに楽だな」

「先輩がバイトしてるんだけど、エナジードリンクがよく売れるんだって」

 何故そうなるのか、すぐに想像はついたが今はあまり深く考えたくなかった。



 あれから英輔は千幸と話し合い、次の土曜には白凪大学のオープンキャンパスへ行くことになった。

 白凪大学は敷地内にバス停があり、バス一本で行ける。白凪大学のある白凪町は、英輔も何度か訪れたことのある町だ。特に緊張感もなく早めにバス停のベンチで待っていると、随分とめかしこんだ様子の千幸が現れて、英輔は椅子からずり落ちかけてしまう。

 英輔と千幸は、中学の時から何度も同じクラスになっている。特別普段から付き合いがあるわけではないが、席が近かったり同じ係だったりすればホッとする程度の親しさがある。

 だからこそ、見慣れた姿と全く雰囲気の違う今の千幸に、英輔は驚きを隠せなかった。

「ごめんね、待たせちゃった?」

 ほんのりと化粧の乗った顔が傾くと同時に、香水の匂いに気づいてしまう。

「……いや、さっき来たばっかだけど……」

「え、でも今寝落ちしそうになってなかった?」

 ずり落ちかけたのを寝落ちと解釈してもらえたのは助かったが、寝そうになる程待っていたわけではない。なんと答えたものかと迷ったが、ここは素直に白状してしまった方が楽なように感じた。

「長谷見があまりにもいつもと違うから、びっくりしただけだ」

 椅子からずり落ちかける程驚いたと知られれば笑われるかと思ったが、千幸は予想外の反応を見せる。

「そっ……か……」

 わずかに頬を赤らめつつ、千幸は英輔から顔をそむける。その様子に戸惑っていると、いつの間にかバスが到着していた。

「……あ! バス来たよ! 乗ろう!」

「お、おう!」

 現在時刻とバスの表示を確認し、英輔は千幸と共にバスに乗り込む。

 自然に隣り合って座ったことで、香水の匂いを更に意識させられた。強すぎない程度の甘い香りが鼻腔をくすぐり、わずかに触れ合う感触が一気に緊張を高める。

 何だかどこを見ていても問題があるような気がしてきて、英輔はなるべく窓や足元を見つめるようにしてしまった。

 お互いに顔をそむけあったまま、体感時間の長い十数分間が始まった。










「私の身体はもう長くない。近い内に、この玉座を降りる」

 父であり悪魔界の王である悪魔、サータがそう告げた時、リンカは落胆と諦めを同時に味わった。

 父の身体が長くないことは百年以上前からわかっていたことだ。

 力が支配する悪魔界で、老いて力を失うということは王として致命的だ。老いたサータを恐れぬ者が増えたからこそ、今の悪魔界は混沌を極めている。

 そしてリンカは、次の言葉も知っていた。

「……リンカ。次はお前がこの玉座に座るのだ」

 それでも動揺は隠せない。

 リンカの力は悪魔の中でも上位に位置するが、全盛期のサータはおろか兄のクレスにも及ばない。

 だが断ることは出来ない。現状、一族で最も序列が高いのはリンカだ。長兄であるクレスは罪人として地下に幽閉されており、他の兄弟も皆既にこの世にはいない。人間界も悪魔界もまとめて滅ぼそうとした強大な悪魔、ルシファーとの戦いで命を落としたのだ。

「…………」

 吐き出しそうになった弱音をどうにか飲み下すリンカだったが、そのまま言葉が出なくなった。

 無理だ。出来ないと答えることは簡単だが、それで何かが変わるわけではない。父の意志を継いだ治世が出来るのは今リンカだけだ。リンカが玉座を拒めば、すぐにでも強いだけの悪魔が玉座を奪い取る。待っているのは悲惨な争いだけが渦巻く混乱の世だ。

「そう難しい顔をするなリンカ。何も私は明日死ぬわけではない。考える時間はまだある」

「……はい」

 考える時間、というよりは学ぶ時間だ。最早女王になるという未来に変わりはない。変えてはいけない。サータがまだ王でいられる間に、少しでも多くのことを学び、力を身に付けなくてはならない。

 そうなれば、もう人間界に頻繁に行くことも出来ないだろう。

 元々人間界と悪魔界には大きな隔たりがある。悪魔は余程大きな力を持たない限りは人間界に直接干渉することは出来ない。召喚されて始めて、制限付きで人間界に足を踏み入れることが出来るのだ。

 リンカは、ルシファー封印の功績を認められて特例でサータの力を借りて出入りさせてもらっているに過ぎない。

「人間界に親しき者達がいるだろう。その者達がまだ若いのであれば、別れを告げておきなさい」

 わかっていたことだったが、今の言葉で確信した。サータは人間の寿命の範囲内で玉座を降りる。

 英輔達にも、いずれ別れを告げなければならないだろう。

「……わかりました」

 渦巻いたものをすべて抑え込んで、リンカはそう答える。サータはわずかに目を細めてから、小さく頷いた。

「許せ、リンカ」

 吐息のようにか細い呟きに、リンカはどう答えれば良いのかわからなかった。









 午前中の予定が終わり、英輔と千幸は学食体験をさせてもらっていた。

 白凪大学の食堂は広く、土曜で在校生も少なかったので自由に座ることが出来た。

「……お、うまい」

 カツカレーを口にして、英輔は思わずつぶやく。

 四百円で分量も申し分なく、味も良い。流石に具沢山というわけにはいかないが、コストパフォーマンスは良いと言えるだろう。

 正面では、千幸もおいしそうにカレーを食べていた。

「ほんとだね。桧山君の真似してカレーを選んで正解だったかも」

「他のもうまいんじゃないか? 日替わり定食とか面白そうだよな」

「わかる! ねえ、白大受けたくなった?」

「……アリかもな」

「私も! 来て良かったね!」

 将来をどうするのか。何を学ぶのか。英輔にはまだ展望がない。学科の説明も受けたが、受けるとすればどれなのかも決めきれないでいる。

 それでも、このキャンパスで大学生活を送ること自体は非常に魅力的に思えた。

「あ、しおちゃん先輩だ! せんぱーい!」

 不意に千幸がそんなことを言いながら手を振り始める。英輔が振り返ると、そこには在校生らしき女性がカツ丼をトレイに乗せて立っていた。

「千幸じゃない! そういえば今日オープンキャンパスだったっけ?」

 長い黒髪の、整った顔立ちの女性だった。

 彼女はつり気味の目元で柔和に微笑みながら、英輔の方にも視線を向ける。

「あ、紹介するね。この人はしおちゃん先輩、部活の試合で知り合ったんだよ」

「……部活の試合で?」

 普通に卒業生なんじゃないのかと思ったが、違うのかも知れない。

 首を傾げていると、当のしおちゃん先輩の方から解説が入る。

「千幸とは試合の時に知り合ったのよ。だから高校は違うわ」

「あ、なるほど……」

 部活に入ったことのない英輔にはピンと来なかったが、そういう知り合い方も世の中にはあるらしい。

 他校の、それも先輩と試合で知り合って仲良くなる辺り、千幸は英輔が思っているよりも積極的に誰かとコミュニケーションを取るタイプのようだ。

「改めまして、志村詩織しむらしおりです。よろしくね、桧山君」

「あ、はい桧山英輔です……って、何で知ってんスか?」

「そりゃあ、千幸がこの間話してて……」

「あーほら先輩! はやく食べないとカツ丼冷めちゃうから!」

 詩織が言いかけたところで、慌てて千幸がそんなことを言い始める。

「それもそうね。それじゃ二人共、楽しんでね」

 顔を真っ赤にする千幸を見て少しニヤリとした後、詩織はそう言いながら手を振ってその場を後にする。

 そんな詩織の後ろ姿を見つめながら、英輔は何となくこの大学での生活をイメージした。

 きっとこんなやり取りが何度もあるのだろう。

 新しい友人も出来るだろうし、もしかしたら何か将来の目標も見つけられるかも知れない。

 サークルに入ってみるのも良いかも知れないし、バイトしながら欲しいものを買うのも良い。

 英輔は進学のことを高校の続きみたいに考えていたが、案外そうでもないのかも知れない。もっと広くて、可能性のある進路だ。

「…………」

 でもそれは普通だな、と思う。

 かつてはあれだけ退屈していた普通の生活が、妙に魅力的に感じてしまうのは、悪魔やアンリミテッドとの戦いが濃密過ぎたせいだろうか。

 幾度も繰り返される戦いの中で、英輔は何度も傷つき、時には死に直面したこともある。大切な人を喪ったことだってあった。

 それらはもう遠い昔のことで、英輔の今はこの平和で普通の日常だ。

 この日常を大切にしたいと思ったし、もう手放したくないとも思えた。

 けれどこの景色の先に、きっと彼女はいない。

「……桧山君? どうしたの?」

 思考に埋没しかけていた頭が、不意に起こされる。

「ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてて……」

 ついこの間会ったばかりの少女が、何だか急に遠くなったように感じた。









 ――――……リンカ。次はお前がこの玉座に座るのだ。

 王の間を出て、リンカは広々とした廊下を歩きながら父の言葉を思い出す。

(王に……私が……)

 覚悟はしてきたつもりだった。

 父の寿命が近い中、兄達が命を落としてしまった以上、次代の王が自分になることは容易に想像出来た。しかしそれでも、悪魔界を背負う重責に耐えるには、リンカは自分がまだまだ未熟に思える。

 それに反発も大きいだろう。下手すれば現状よりも遥かに悪魔界が荒れる可能性がある。それだけはどうにかして避けたい。

 人間界と比べると、悪魔界は非常に狭い。一つの王宮で統治出来るのはそのためだ。

 無数に存在する世界の一つがリンカ達の言う人間界であり、その隙間に存在する小さな世界が悪魔界なのだ。

 だが王になるということは、狭くて小さな世界とは言え、一つの世界を丸ごと統治するということなのだ。

 その責務は重い。

「……やはりここは……」

「後見人が必要なんじゃない?」

 突如、真っ赤な柱が視界を塞いだかのように感じた。驚いて見上げると、そこにはリンカよりも頭二つ分程も身長の高い男が立っていた。

 真っ赤な長髪の、細身の男だ。

 男はリンカを見下ろしながら、その長い赤髪を左手でかき分けた。

「……バラールか」

「そうとも、バラールさ。陛下と話をしてきたんだろう? 何の話だった?」

「お前の察している通りだ。茶化しに来たのなら帰ってくれ。私は今考え事をしている」

「まあそう言わず」

 言いつつ、バラールは優しくリンカの背中に手を回す。

 すぐに逃れようとするリンカだったが、バラールはそれよりもはやくリンカを一度抱き寄せてから壁際に追い詰めた。

「ていうか、考え事なんかしなくて良いよ。大抵のことは、僕が後見人になることで解決するんだから」

 ガーネットのように暗く赤い瞳がリンカを見下ろす。

 穏やかな顔立ちだが、その奥で野望が燃え盛っているのをリンカは知っていた。

 バラールは悪魔界では三大悪魔として知られている強力な悪魔だ。

 王であるサータ、リンカの兄で体内にルシファーを宿していたクレス、そしてこのバラールが悪魔界で恐れられている三大悪魔だ。

 そのバラールがリンカの後見人となれば、大多数の悪魔は従うだろう。

「僕と婚約しようリンカ。別に僕は政治がしたいわけじゃない。君の意向に従うさ」

「……それはどうだろうな。お前が企てた父上を暗殺する計画、一つや二つではあるまい。後見人などとまどろっこしいことを言わずに私を殺したらどうだ? 簒奪する方が余程簡単だろうに」

 バラールは足がつかないようにうまく立ち回っているが、サータを暗殺するために刺客を送ったことが何度もある。サータもリンカも何度か追い詰めようとしたが、最終的には逃げ切られてしまっているのだ。

 悪魔界の中でも王家に次ぐ地位と、現状では王をも凌ぐ力を持つバラールは、今最も厄介な相手と言っても過言ではないだろう。

「殺す必要がある相手と、そうじゃない相手ってのがいるんだよ。君は後者だよねぇ」

「殺すまでもないと言いたいのか?」

「好きに解釈しなよ。でも口ではこう言うよ、『君を愛してる、婚約してくれ』ってね」

 わざとらしく耳元で甘く囁くバラールを、リンカは拒絶し切れない。

 このまま野放しにしておくよりは、抱き込んでしまった方が得策だ。どの程度制御出来るかはわからないが、少なくとも目の届かない場所よりは手元に置いた方が良い。

 彼を後見人にすることでうまく扱うことが出来れば、抑止力としても機能する。反乱を最小限に留められるかも知れない。

 だがこれはバラールを御しきれた場合の話だ。

「頭の良い君のことだ。どうすれば良いのかはわかるだろう?」

 そっと。バラールがリンカの頬へ手を伸ばす。

 リンカはそれを払い除け、小さく嘆息した。

「考えておく」

「前向きに?」

「向きは私が決める。もう帰れ、今日はもう休みたい」

 にべもなく突き放すリンカに、バラールは肩をすくめるとリンカへ背を向ける。

「それじゃあ、良い返事を期待しているよ」

 立ち去るバラールに別れも告げず、リンカは睨むようにしてその背中を見つめた。

「……何が『考えておく』だ……」

 一人呟き、リンカは拳を握りしめる。

 考えるまでもない。悪魔界の今後を考えるなら、バラールとの婚約は最良の選択肢だと言って良い。

 バラールには強力な配下も多い。本気で攻め込めば今からでも玉座の簒奪は可能だろう。

 バラールがそれをしないのは、リスクマネジメントに過ぎないのかも知れない。

 それでもリンカが頷けないのは――――

「私はまだ、お前に何も伝えられていないのにな」

 自嘲気味にそうこぼして、リンカは重い足取りで自室へ向かった。

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