わたしの婚約者は…皇太子様
異世界転生は自分には関係ないと思ってた。
だって、順風満帆な人生だったし、後悔もなにもない。
なのに、記憶があるってどういうこと!?
それに、記憶があるけど、全く役に立たない。
ただ好きな人と一緒にいたいだけ
一人称の部分と三人称の部分があります
わたくしの名前はアメリア・ピーターソン。家族や仲のよい友人からはアミィって呼ばれることが多いです。
ハウゼント帝国と呼ばれるこの国では、15歳になる年、成人の祭典にあたるデビュタントに参加しなければなりません。それがわたくしの場合は今年なのです。
デビュタントで社交界にデビューし、それからは大人として夜会や茶会に参加しなければなりません。それが今から鬱々とした気持ちにさせる元凶なのです。
なぜなら、そこにはこの国の皇太子であるオリバー・ウィルソン・ラス・ハウゼント、わたくしを鬱々とさせる元凶が参加されることとなっているからです。
デビュタントまであと2週間。そんな短い期間さえも憎らしい。どうしてここまで悩まないといけないのかとわたくし自身もそう思ってしまいます。
しかし、このデビュタントで皇太子とわたくしの婚約が発表されてしまう、それが一番の問題なのです。
この国は豊かです。間違いありません。
自然もたくさんあって、城を中心とした城下町もレンガ造りで趣深い。それに、そこに住む人々がとても笑顔なのです。この国の主である皇帝を悪く言う人なんていません。それだけ、みんなが笑顔で生活できるように道や建物や公共事業を整えた先代の王たち、またそれを、受け継いでいく今の王がすごいのです。
こんな国の住人であるわたくしは、王の臣下であり側近である公爵家宰相閣下の娘として生を受けました。それも、前世の記憶を持ったまま。
けれど、ここが前世で流行していた乙女ゲームとか恋愛小説とかそんな類いの世界に転生したとかそんな夢みたいなことはありません。少し期待した自分が言うのもなんですが、そんな夢見る乙女丸出しの期待なんてすぐに打ち砕けました。まったく知らない世界ですし、魔法なんて言葉すら存在しません。夢は皇太子のお嫁さんとか、素敵な王子様が迎えに来てくれるとか、今ではそんな甘い考えは捨てています。
それはそうと、前世の記憶も最初からあった訳ではありません。自分の自我が芽生えると前世の記憶が甦ってきたのです。それも毎日夢として。この前世の記憶も甘い考えを捨てた要素ではあります。若くして亡くなったとか、憎しみで回顧したとか、後悔があるとかまったくありませんでした。どちらかと言えば順風満帆という方が正しいのです。
四人家族の娘として大学までいき、なりたかった看護師にもなり、好きな人と出会って結婚して子どもも設けて、おばあちゃんになるまで生きて子どもや孫たちに見守られながら亡くなりました。老衰で。
その人生になんの悔いがあるといえましょう。とても幸せだったのです。なのに、なんで前世の記憶があるのか。こういう場合なんらかのすさまじい悔恨があってこその記憶ではないのかと思ってしまいます。
強いていうなら、おばあちゃんになったときにはまった乙女ゲームがもう少し若ければ脇目も降らずに楽しめたのでしょうかって思うくらいです。白馬の王子様に見初められて結婚なんて楽しいだろうなとか夢見ていた程度なのです。
それが、今皇太子の婚約者という立場を得ることで叶おうとしています。
会ったこともない王子様。この国の皇位継承権第一位のお方。
どんな人なのか、そんな人と結ばれたらって夢見るだけですむのであればどれだけ楽しかったでしょう。
現実問題として目の前に突きつけられると、トキメキなんてそんな浮わついた気持ちまったくといっていいほど生まれませんでした。
それよりも、会ったこともない人と幸せになれるのか、皇太子なんてみんなが憧れる方と婚約したらいじめの対象になるんじゃないかとか、今まで友人だったお嬢様方からも仲良くしてもらえなくなるのではないかとか、皇太子妃なんて重い役割をわたくしなんかが全うできるのかとか色々考えてしまって、ここ最近はまともに寝られなくなりました。それに王妃になったら皇帝を支え後宮の管理までしないといけないのです。つまり、側室や妾たちの夜伽の調整をするのも王妃のつとめだということらしいのです。
一夫一妻の前世では考えられなかった多妻制度がこの国では極て一般的なのです。それも、王妃が率先して側室や妾を皇帝にあてがうのだから、前世でいえば夫に公然と不倫相手を見繕って毎晩相手になってもらうこと、そんな現実が辛すぎて悲しすぎて、皇太子と婚約なんてしたくないと考えるまでに至りました。
だからこそ、婚約発表が待ち構えているデビュタントが嫌で仕方ないのです。
お父様に頼んで婚約発表をしないでほしいとも頼んだのですが、わたくしが生まれてまもなく決まった公然のことであり、皇帝の命である今回の発表は側近である宰相のお父様も関わってることで、今さら白紙にはできないと言われてしまいました。
それなら妹のアイリスにと頼もうとも思ったのですが、自分の嫌なことを妹に押し付けることなんて出来ませんでした。他の令嬢でも同じこと、皇太子妃になれば家門は繁栄すること間違いないため名乗り出る令嬢もたくさんいるとは思いますが、嫌なことを押し付けるのは変わりなく自分が自己嫌悪に陥るだけなのでその提案もやめました。
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アメリアは寝台から起きるように侍女から促され、眠たい目を擦りながら上半身を持ち上げた。身体にかかっている夜着をのけ、白いレースをあしらったシルクのネグリジェを身に纏った姿を露にする。そこから伸びる白くてほっそりとした足を床へと誘った。
「アメリア様、おはようございます。今日もあまり顔色が優れませんね。朝食の準備は整っていますが、召し上がれますか?」
心配そうな侍女の声が届いた。アメリアはお腹を押さえてみるもののお腹がすいていないと思った。欲しくないと。いらないわ、と声をかけると侍女は承知の意を言葉にし、すぐさま次の行動へと移る。アメリアの胸辺りに結ばれた紐を手解き、肩から滑らすようにネグリジェを取り去ると、そこには彼女のふくよかな二つの膨らみが露になった。
アメリアはその膨らみに視線を落とし、それに右手をやった。また大きくなったかしらと思いげんなりする。ピーターソンの家系は代々貧乳だ。アイリスも全くもって成長がない、前世でまな板に小豆とはよくいったものだと思ったが、まさにそれだ。嫁にあたる婦人方の家系はそれに相反し、所謂巨乳だ。だが、ピーターソンの血が濃いのか、はたまた呪いなのか、女が生まれると皆貧乳ばかりなのだ。このアメリアを除いては。
母譲りの大きな房は前世のモノよりはまだ小さいが、まだ成長しているのかと思うと前世と同じくらい大きくなるのだと考えていた。前世でもひどくコンプレックスだったそれは、この世でもアメリアのコンプレックスとなった。肩が凝る、着たい服が制限される、胸をしめると息が少ししづらい、そもそも貧乳家系だと知り喜んだ自分を返してほしいとまで思った。胸を押さえられるように特注したビスチェに毎日押し込める重労働を侍女が行ってくれている、それがまた大きくなったら更に寄せて押し込める侍女の負担が大きくなったのだとアメリアは申し訳なく思った。
手慣れた侍女のおかげでアイリスほどの貧乳とはいかないが、そこまで大きいとは思わないほどには見える。その上からお気に入りの学園の制服を身に纏った。デザインは同じだが、分かりやすいように学年毎に色が違う。アメリアの学年はジャングルグリーンで、その落ち着いた色も気に入っていた。
自室から一階のエントランスホールに降りるとガーネット色の制服を纏ったイーサンがアメリアを待っていた。
イーサンはアメリアの二つ年上の兄で、父の頭脳を受け継いだ次期宰相候補だ。シルバーヘアにアリスブルーの瞳、ピーターソンの長子の血が流れる者はみな、この特有の色彩を持っている。180センチを越える身長に整った容姿、学園では一、二を争うモテ男だった。
イーサンはアメリアを見るなり、顔を緩め微笑む。そっと掌を上に向け右手をアメリアの方に出した。彼女は朝の挨拶をイーサンにし、当たり前のようにその右手の上に自分の手をおいた。前世ではあり得なかった男性のエスコートもこの世界では普通のこと。最初は戸惑ったアメリアも、今では普通のことと受け入れ、手を差しのべられれば差し出すほどに馴染んでいた。
二人は公爵家の家紋が施された馬車に乗り学園へと向かう。学園は7歳から13歳まで通う初等教育と、14歳から18歳まで通う高等教育に分かれている。
初等教育ではこの国の歴史や政治、社交界の最低限のマナー、紳士淑女としての嗜みを覚えていく。そして、高等教育では、初等教育の発展として社交界の作法や踊りなどをはじめとした実践的なものを、場面場面で細かな違いを覚えていくのだ。もちろん、勉強だってレベルが上がる。
この高等教育期間に皆が婚約を成し、どちらかが卒業と同時に結婚をするというのも、この世界では当たり前のことだった。だからこそ、入学してすぐ閨の教育が男女分かれて行われるのもこの世界では当たり前のことだった。14歳と18歳で婚約すればすぐに卒業、結婚が待っているからだ。
前世では保健の授業として、どうしたら人は子どもができて出産するのか、望まない妊娠を防ぐためにはどのようにしたらよいのか教えられたが、ここでは常識が違うのだから教える内容だって違うのは当たり前なのだ。しかし、あまりの直接的な表現の数々に赤面したのはアメリアだけではなかったのが彼女の救いだった。
学園に着くと、教室まではイーサンがアメリアのエスコートを行う。紳士として教育された賜物か、その動作には隙がなく実に模範ともいえる優雅さを兼ね備えていた。
教室の前でアメリアがいつものようにエスコートに対する感謝をイーサンに述べる。
「イーサン、アミィ」
二人の後ろから声をかけてきたのは、ブラウンヘアで琥珀眼の伯爵令嬢マーガレットだ。
アメリアの友人にして、イーサンの婚約者である。
婚約した女性は婚約者の家紋が施されたヘアアクセサリーを身につける。もちろん、マーガレットもピーターソンの家紋付きのバレッタをハーフアップした髪に付けている。
婚約したのが分かるように、誰の婚約者か分かるように、それはまるで自分のものだと皆に示すような独占欲の塊りみたいな風習に最初は引いたアメリアだったが、それが当たり前なのだと皆がしているのを見ると、そんなものなのかと考えるようになり見慣れてしまった。
それに、バレッタに手をやり、頬を染めながらイーサンを見るマーガレットの微笑みがあまりにも綺麗で、自分もいつか愛する人の物を身に付けられたらとアメリアは思うのだった。
「マギー、ーーーーー…」
マーガレットを愛称で呼びながら、イーサンは耳元で何かを囁いた。その後すぐにマーガレットの顔が茹で蛸のように真っ赤に染め上がった。俯いて両手で顔を押さえたマーガレットは、恥じらいイーサンの顔が見れないと言う。そんな様子のマーガレットの頭に軽いキスを落とすと、アメリアには見せたことのない愛しそうな笑みを見せ、さらさらのブラウンヘアを一撫でしたイーサンは自分の教室へと向かった。
昔はたくさん頭を撫でてくれたのに、今では全くしてくれなくなったイーサンの大きな手を思い出し、アメリアは少しマーガレットを羨んだ。だけど、そんな思いは些細であり、どちらかと言えば眼前で見せつけられた二人の愛し合っていますという行為を見せつけられたことの方が俄然アメリアを呆れさせたのだった。
「マギー、おはよう。お兄様からなんて言われたの、なんて聞きませんから、そろそろ教室に入りましょう」
「なっ、アミィ…幼なじみにつれなくない?」
「お二人が好きあってるのは知っていますけど、相手もいないわたくしに見せつけるのが悪いのです」
「アミィだってもうすぐ婚約するじゃない」
それとこれとは話が違うとアメリアはマーガレットに言うと、一人先に教室に入っていく。その後を謝りながら追うマーガレットに対して、振り向き、もうわたくしの前ではやめてくださいねとアメリアは笑った。
そんなアメリアに、そんな顔誰でも見せてはいけない、嵐が吹き荒れると、何故かとてつもなく慌てたマーガレットだった。なんの事かは全くわからないアメリアはこてっと顔を横に倒して見せた。
そんな様子のアメリアにマーガレットは何度も注意を促し、それは先生が教室に入ってくるまで続いた。
勉強はどちらかといえば得意なアメリアはすでに公爵家の家庭教師たちに習っていた範囲をこの学園で復習しているようなものだった。だからあまり真剣に聞いていないことはいつものことで、先ほどマーガレットに言われたことを思い出していた。
もうすぐわたくしも婚約します。だけど、それはお兄様やマーガレットとは違います。幼なじみとして幼少期から一緒に過ごし、互いに惹かれあい、そして婚約した二人とは全く違うのです。愛する人と婚約できるのなら、わたくしだって両手をあげて嬉しいに決まっています。そうではなくてただの家同士が決めた所謂政略結婚なのです。そんな相手にお兄様のような、マーガレットのような、相手が愛おしくて仕方ないといわんばかり笑顔を向けられる筈がありません。わたくしには、幸せな婚約ではないのです。そうアメリアは思い、悲しくなるのだった。
昼休みになるとアメリアたちは中庭の芝生に集まって、木陰になる大木の下で昼食をとるのも日課となっていた。
そこにはマーガレットだけでなく、アメリアの友人である侯爵令嬢のソフィーやイザベラ、それに兄であるイーサンとイーサンの友人であるオリバーも一緒だった。
イーサンとオリバーは同い年で幼なじみであった。小さな頃より一緒に二人が過ごしている中に、アメリアも紛れていた。オリバーのことを優しいお兄さんだとアメリアは思っていた。転けないように支えてくれたり、もう少し小さな時には勉強を教えてくれたり、ダンスの練習に付き合ってくれたり、とても頼りがいのあるお方だと思い、いずれはこのような方と添い遂げたいと考えていたのだ。そんな憧れた方と一緒に過ごせるこの昼休みがアメリアの唯一の楽しみとなっていた。
「なんだか顔色が悪いけど、ちゃんと眠れているの?」
そう言いながらオリバーはアメリアの頬を撫でた。アメリアの右隣に座るオリバーはいたく心配しているのか、その表情は苦悶に満ちていた。
その手をその気遣いをなんて優しいのだろうとアメリアは胸を熱くする。触れられた頬がいつもよりも温かく感じたのだった。
「デビュタントが不安で、最近あまり眠れていないのです」
素直にそう告げると、
「何がアミィをそんなに不安にさせるの?僕にも言えないこと?」
頬の手を離さないままオリバーは言葉を続けた。
「アミィは作法だって踊りだって完璧すぎるほど美しい。大人になるための通過儀式みたいなものだけど、そんなに不安に思うことないよ」
オリバーの優しい声色に安心感がアメリアを包み込む。眠たいのに中々眠れない日々がアメリアをどこか緊張させ強ばらせていた。
緊張が溶け、昼の暖かな木漏れ日が次第にアメリアを夢へと誘おうとする。
「眠たいの?安心して眠っていいよ」
オリバーに肩を引かれ、彼の足の上に頭を下ろす。婚約もしていない男女がこのように身体を触れ合わせるのを許されてはいない。
だけど、兄妹なら別である。兄妹のように過ごしてきた二人にとっては至極当たり前のことなのだとアメリアは思っていた。また、周りもその行為に対して何も言わない。それが当たり前だと思っていたからだ。
だが、目を閉じきる前にアメリアの発した言葉が、そこにいるすべての人を驚愕させたのは、夢に落ちたアメリアは知る由もなかったのだ。
「ありがとう、オリバー……わたくし…デビュタントで皇太子様と婚約するのですって……どのような…方なのか…し…ら…オリバーみたいな優しいお方なら…良いのですが……お顔も知らない…お方と婚約するなんて……不安…」
アメリアが目を覚ますとそこには見慣れた天蓋があった。自室だと気づくのにはそう時間もかからなった。
あのまま寝入ってしまったのですね、お兄様がここまで連れてきてくれたのかしら、そうアメリアは身体をお越しながら考えていた。
しばらく眠れていなかったため、一度しっかり寝入ってしまうと声をかけても起きることはなくあのまま公爵家に連れ帰られたと教えてもらった。そして、兄ではなくオリバーに横抱きにされ帰ってきたことを聞き、アメリアは恥ずかしくて両手で顔を覆った。体温が急上昇したのではないかと思うくらい全身が熱くなるのを感じていたのだった。
デビュタント当日、令嬢の朝は夜が明ける前から始まる。
朝から入浴させられ、髪を洗われ、全身をマッサージされ、オイルを塗られ、香を焚かれ、全身を磨かれる。
そして、普段は下ろしている髪もドレスを着るならばと侍女たちが張り切って髪を結い、化粧をし、この日のために発注したドレスを身に纏わせてくれた。
自分の瞳と同じ色のアリスブルーのAラインドレスは、コンプレックスの二つの房がかなり目立つ。しかし、その上に羽織るラピスラズリ色のレースのボレロが胸下辺りまでふわりと覆い隠し、胸を目立たなくさせているのだ。肘下までのびるボレロの袖は胸のシフォンのような広がりはなく、タイトな作りになっていた。ストレートビスチェのドレスにオフショルダーのボレロ、アメリアの綺麗なデコルテと相まって相乗効果のようにすべてがアメリアを美しくさせた。
「綺麗だね」
兄弟や婚約者にエスコートを頼むこの日、兄のイーサンはマーガレットのエスコートに出てしまっていた。それは前から分かっていたため父にエスコートを頼んでいたのだが、何故かいつの間にかオリバーがエスコート役となっていたのである。
そんなこととは知らず、正装で現れたオリバーに目を見開いたアメリアだった。だが、差し出されれば差し出すほどにエスコートに慣れきったしまっていた体は、差し出された右手をなんの戸惑いもなくとってしまった。
ピーターソンの馬車はイーサンが使用していた。きっと今乗っているのはオリバーの家の馬車なのだろう。
見たことある家紋だが果たしてそれはどこでだったのか、そういえばオリバーの家紋をわたくしは知らない、お兄様と仲が良いのできっとそれなりの爵位をもつ家系の令息なのだとアメリアは馬車に揺られながら考えていた。
オリバーはアメリアを見つめ微笑む。そんな彼に頬が熱くなるのを感じるアメリア。鼓動も心なしか早くなっている気がする。思えば、オリバーと二人になるのは初めてかもしれない。オリバーは近いうちに婚約すると友人たちに言っていたのをアメリアは思い出した。友人たちはおめでとうとか、やっとか、念願だなとか口々に言っていたはずだ。婚約されようとしている人にエスコートをしてもらい、二人きりになるのは婚約者に対して失礼なことではないかとアメリアは申し訳なく思い始めた。それをオリバーに告げると、心配しなくても大丈夫だよといつもと同じように優しく微笑まれる。
その笑顔に胸が鷲掴みにされたように痛みを覚えた。この痛みはなんなのか、なぜ痛いのか、大好きな笑顔を向けられただけなのに、胸が張り裂けそうにつらい、アメリアは今まで感じたことのない悲しさにふと前世を思い出した。
看護師として働いていたときに出会った青年。仕事で疲れてふと立ち寄った居酒屋。酔っぱらって隣に座っていた男の人に絡んでしまった。そして、なぜかそれから頻繁に会うようになって、気がつけば惹かれ、会うたびにドキドキして、でも会いたくて、他の女の人と話す姿をみると胸が痛くなった。それが恋だと、愛なのだと教えてくれたのもまたその青年であり、その人と一生を添い遂げられたのも前世のわたしにとっては誉れなことであった。
そして、アメリアはオリバーを見る。優しい微笑みに胸が跳ねる。鼓動が早くなり、その笑顔が自分に向けられたものだと嬉しくなる。そして、気づく。
オリバーが好きなのだと。
婚約するこのお方を愛していると。
そして、自分自身も他のお方と婚約するのだと。
気づいてしまうと気づかなかった時には戻れない。この誰にも打ち明けられない気持ちをアメリアは苦しいほどに残酷だと思いながら溢れそうになる涙を必死に圧し殺そうとした。
それがこの世界で生きる侯爵令嬢としてのアメリアの矜持だった。
「どうしたの?」
「なんでもありません」
アメリアは精一杯の笑みを浮かべた。
オリバーが心配そうにアメリアに手を伸ばす。いつものように頬を触るのだろうとアメリアは思い、その手を取った。
「オリバーはもうすぐ婚約されるのでしょう?わたくしも今日、婚約するのです。婚約者でもないのに気軽に女性の頬を触ってはいけないのですよ」
アメリアは自分の言葉にさらに胸が締め付けられる思いだった。こんなに胸が痛いなら、オリバーに対する気持ちなんて気づきたくなかった。婚約するこの身がつらい、オリバーと婚約できるご令嬢が羨ましい。
なぜわたくしは皇太子の婚約者なのだろう、なせわたくしはオリバーの婚約者ではないのだろう、こんなにもこの身が口惜しい。
アメリアはこんな醜い気持ちをオリバーには知られたくないと精一杯強がった。
そんな、アメリアをよそに、オリバーは対面していた席を立ち、アメリアの隣に腰を掛けた。そして、ドレスアップした髪をドレスを崩さぬようにそっと肩を引き寄せ、アメリアを優しく抱き締めた。
「アミィは心配しなくても大丈夫だよ。これから、聞くこと見ること驚くかもしれないが、僕がアミィのそばにいる。こんなことしても、誰にも文句は言わせないよ」
頭の上でオリバーの優しい声が聞こえて、さらに涙が出そうになる。それを堪えて、今だけは、この身を彼に預けてしまうわたくしの甘さを許してくださいと、アメリアは心の中で涙を流した。
ここから逃げ出したいと思いながらも15年令嬢として育った環境とこの身がそうはさせてくれない。
馬車からおり、オリバーのエスコートで会場に向かう。誰も彼も頭を下げ、二人の行く道を開けていく。
何故かしらと疑問に思う余裕すらも今のアメリアにはない。
王城の離宮の一つが今回のデビュタントの会場となっている。いつもはもっと小さな離宮を使用していたが、皇太子妃の婚約発表を兼ねているため、いつもよりも大きな会場だった。きらびやかに装飾された内装に感嘆のため息がもれる。黄金をあしらった扉は大人の男性二人がかりでやっと開けることのできるもので、その扉の向こうがダンスホールとなっている。
扉を抜けホールへと入る。
二人に一斉に集まる視線。
そして、お祝い申し上げますなどさまざまな祝辞を横を通りすぎる二人に貴族たちが声をかける。
アメリアは居たたまれない気持ちを隠し、精一杯の微笑みと会釈を心がけたのだった。
二人はホールの最奥に向かっていた。アメリアはどこに向かっているのわからないものの、オリバーのエスコートについて行く。
だが、アメリアはホールの最奥の檀上に腰掛けるお二方の前に堂々と立つオリバーに驚きながらも、ドレスのスカート部分をつまみ上げ、最上の礼を行い挨拶した。
「皇帝陛下、皇后様。ピーターソン公爵家が長女、アメリア・ピーターソン、ご挨拶の許可を願います」
「大きくなったな…挨拶を許そう」
陛下の言葉を待ち、顔を上げた。
「お久しぶりでございます。陛下と皇后様に拝謁でき、とても嬉しく存じます。」
アメリアの成長した姿を、挨拶を、皇帝陛下も皇后も自身の娘の成長を喜ぶ親のように嬉しくなった。
「オリバーよ、本日、そなたと令嬢の婚約を発表した。これで、そなたの希望が叶えられたのだ。これからも国に尽くすよう、精進せよ」
「はい、父上」
皇帝陛下の言葉にオリバーを向くアメリア。そして、オリバーの口から発せられる父という単語。
「えっ、えっ…父…えっ」
アメリアの口から出るのは、感情をひた隠し令嬢の言葉とは言い難いものだった。
そんなアメリアを横目でオリバーは微笑んだ。そして、次の瞬間、片膝を床につき、左手を自身の胸に、右手はアメリアの左手をとった。
「アメリア、わたしはこの国の皇太子だ。いつか父の後を継ぎ、この国が変わらぬ繁栄を遂げるよう努めていきたい。そのためには、わたしの隣にアメリアがいてほしいと思っている。そして、この国とともにアメリアを守り抜き愛し抜くとこの場で皆に誓おう。
わたしと結婚してほしい」
皇太子、守る、愛しぬく、アメリアの中でオリバーの言葉が何度も反芻する。
結婚してほしい…
一筋頬を伝う温かいものをアメリアは感じた。胸が熱く、どこまでも、熱く高鳴る。これは現実なのか、夢なのか、あぁ現実であってほしい、そして、今までの彼の言動も府に落ちた気がした。
先ほどとは違う、この胸の高鳴りは痛みでも悲しみでもつらさでもない。これは、幸せな高鳴りだ。
アメリアはオリバーに近づく。
そして、そっと両手でオリバーの頬を包み込んだ。胸の中の愛おしさと嬉しさが爆発しそうだ。自身の口から溢れそうだ。
この場では、それはできないと公爵令嬢としてのわたくしが塞き止める。
だけど、どうにかしてこの気持ちを伝えたい。アメリアは少し屈み、オリバーの額にそっと口づけした。
そして、オリバーにしか聞こえないような声で、愛を囁いたのだった。
周りからは拍手が起こる。
次々と祝いの言葉が二人に降りかかる。
二人の未来はこれから始まる。今度は婚約者として。いづれは夫と妻、皇帝陛下と皇后として。
お互いを愛し、大切に思い、慈しむ、そんな二人の未来は明るいものだろう。
不安に思い、婚約を嫌がるアメリアはもうどこにもいない。オリバーの隣で、ふさわしい妻、ふさわしい皇后になるのだと、愛おしい彼のそばにずっといることを固く誓う。
オリバーはアメリアの手を持ったまま立ち上がった。そして、涙に濡れる頬を、片手でぬぐう。アメリアの手から、自分の手を離し、今度は両手でアメリアがしてくれたように頬を包み込んだ。
この手の中にいる愛おしいこの人を全身全霊で守り抜こうと固く誓い、自身の唇と彼女のそれをそっと重ねたのだった。
デビュタントは婚約発表後の正式なお披露目としてホール中央でオリバーとアメリアの二人だけで一曲踊った。それがこの国で皇太子の婚約のお披露目として伝統的に行われる慣習だ。しかし、口づけを目撃したアメリアの父が、まだ結婚していないとダンスが終了した二人を引きはなそうとしたのだ。会場はざわつき、その行為が公爵家が婚約を非難しているかのようにうけとられてもおかしくない行為だったため、皇帝を含め、イーサンですら焦って表情を歪めた。もちろん皇帝もイーサンもその行為が娘可愛さで皆の前で口づけを交わしたオリバーに対する妬みや怒りであることは理解していたが、現状それを理解している貴族たちが少数であることも理解していた。この行為が続けば、宰相並びに公爵家までもが罪を問われる。焦ったイーサンは父を止めようとホール中央に足を進めようとした時だった。父が明らかに怒気を消し笑顔でアメリアの髪を撫で始めた。呆気にとられたのはイーサンだけではない。父を目の前にした皇太子であるオリバーや皇帝、会場にいた貴族たちも同じだった。なぜなら、ピーターソン公爵宰相閣下といえば、冷静沈着に物事を推し進め、必要な改革であるならば誰にも異議を唱えさせないように緻密な計画書を作成し、怒りを顕わにすることはあっても、無表情で感情がない冷徹な人物として名をはせていたのだ。アメリア以外は笑顔の宰相に色々な意味でくぎ付けとなっていたのを、アメリアと宰相閣下だけが知らなかった。
宰相である父の取り乱した姿を見るのが初めてだったアメリアは、そんなお父様も素敵ですと父に微笑み、早々に彼の怒りを静めてしまったのだった。宰相は天使の笑顔を向けられ、先ほどまで頭を占領していた怒りが嘘のそうに消え去り、お父様も素敵という言葉だけが反芻し娘の可愛さに酔っていたのだった。
その手腕に皇帝陛下もオリバーも感心したが、アメリア本人としては思ったことを口にしただけだったので、何故感心しているのか疑問符が頭を占めていた。
ホールの端で、いつものメンバーが集まる。イーサンにエスコートされているマーガレット、イザベラに、ソフィーに先ほど皆の前で愛を誓いあった二人だ。
みんなも知っていたならどうしてもっと早く教えてくれなかったのかと、自身の失態をみんなに責めるアメリア。その表情は羞恥で真っ赤になっており、誰もオリバーが皇太子なのを気づかない方が知らない方がおかしいとアメリアに言うことができなかった。それに今は公爵家が罪を問われてもおかしくないような行為を止めたアメリアに、デビュタントが血祭にならなくてよかったと感謝の気持ちが占めていたのだった。
しかも、オリバーは今日正装だ。王室の象徴である不死鳥をモチーフとした家紋の胸章をつけている。それに、この王室伝統の正装を見ても気づかないとはオリバーにも考えつかなかった。
それにアメリアの衣装のラピスラズリはオリバーの瞳の色だ。そして、イヤリングやネックレスは彼の髪の色に合わせてイエロー系でまとめてある。
それすらも気づかないのだから、アメリアにはちゃんと言葉で伝えることが必要なのだと、集まったメンバーは誰一人かけることなく思ったのだった。
そんなアメリアも愛おしいと、オリバーはアメリアの腰に手をやり、自身の方に引き寄せた。髪に軽く口づけを落とす様はまさに、この世のものとは思えないくらい美しかった。その行為にアメリアは別の羞恥で顔を赤くする。だけど、恥ずかしいのにやめてなんて言えない、この愛おしそうな笑みをもっと見ていたいとアメリアは思った。
「もう、いちゃつきたいのなら二人でやって…」
少し呆れを含んだ声を出したのはマーガレットだった。正式な婚約者となる前でも、なんたかんだみんなに分かりやすく婚約者として振る舞っていたオリバーである。正真正銘の婚約者となってしまった今、オリバーの独占欲と愛護欲を抑えつけるものはない。これからは、より酷くアメリアに対しての想いを見せつけられるのかと思うと、マーガレットたちは酷く愕然とした。
そして、これから二人の世界に入り浸るのだろうと思い、そんなもの見せられ続けるのもたまったものじゃないと、この場から一刻も早く離れたいと思うのはマーガレットだけではなかった。
「そうだね、今宵はマギーのデビュタントでもある。あっちで踊ろう」
そうマーガレットの腰に手を回し、ホールの真ん中へと、イーサンとマーガレットは呆れた表情を隠し向かった。
「好き同士、落ち着いたってことで、一件落着。わたくしもお相手が待っているので、これで、失礼します」
「わたくしもいつまでも待たすわけにはいきませんので」
そう言ったイザベラとソフィーもオリバーにドレスの一部を持ちながら軽く礼をし、二人の傍からそそくさと、しかし、令嬢としての品位は損なわないように優雅に離れたのだった。
四人を見送ったアメリアは少し正気に戻っていた。会場についてからまともに見れていなったホール全体を見渡す。
イーサンにエスコートされているマーガレットは優雅かつ、楽しそうに踊っていた。
イザベラもソフィーも婚約者のそばに行くと、ダンスに誘ったのか誘われたのかはにかみながらホールの中央に向かった。
ホールの中央では、婚約者や親戚の方々と一曲踊っては更にもう一曲踊る方もいれば、中央から離れ談笑し始める方、椅子に腰掛け休憩する方もいる。
自由に踊り、自由に過ごす、みんながそれぞれの時間を楽しんでいたのだった。
そういえば、デビュタントなのに、初めての夜会なのに、最初の一曲以外踊っていないとアメリアは思った。これでは、せっかくのデビュタントが一曲だけで終わりを告げてしまうのは悲しい、せっかくダンスもたくさんの曲を練習したのにと思った。オリバーともっと踊りたい、オリバーと踊って素敵な思い出を作りたい、そう思ったアメリアは決意を胸にオリバーに向き直る。
アメリアの腰に回された手はそのままだったが、さきほどの横に並んでいた体勢とは異なり、オリバーと向き合ってる体勢になった。
そして、オリバーに掌を上に向け差し出し、微笑んだ。
「どうか、わたくしとダンスを踊っていただけますか」
その栄誉にオリバーは胸がどくんと高鳴った。そして、アメリアに微笑み返し、その手をとった。
二人は微笑み合いながら、ホール中央へと向かったのだった。
ーーーーーーーーー
わたくしには前世の記憶があります。幸せな一生を過ごしたのは間違ありません。幸せでしたから。
しかし、転生するとそこは前世とは価値観も常識も違う世界でした。一般人ではなく、宰相閣下の公爵家の長女、アメリア。それが、今世でのわたくし。
前世で亡くなる前にはまった乙女ゲームの世界ではなかったが、同じような王が支配する世界。そこで、王子様に恋に落ちて、婚約し、いづれ結婚することになります。
ですが、以前はそんなことになれば嬉しいと軽々しく思ったわたくしが恥ずかしいと思っていました。王子様と結婚するということの重さも分かっていませんでしたから。
けれど、恋に落ち、愛を知り、このお方のそばを離れることはできない。このお方のそばにいたい。それならば、このお方の隣にふさわしい女性、妻になりたいと心から強く思いました。
まだまだふさわしい女性にはなれていませんが、これからも精進いたします。
この国の民を守れる存在になれるよう、陛下になったあの方を隣で支えられる存在になれるよう、あの方に愛される妻になれるよう、わたくしは誓います。皇后として隣にいてほしいとあの方に思ってもらえる女性になります。
だって、…わたくし、オリバーのそばにいたいのです。皇太子と知らなかった時に恋に落ち、皇太子との婚約に身が割けるような思いになり、皇太子と知ってからはそばにいても良いと祝福されることが嬉しく、そばにいて欲しいと、愛を囁くオリバーがさらに愛おしくなったのです。
わたくし、前世も幸せでしたが、今世もとても幸せです。そして、これからも幸せでいられるようにわたくし、頑張ります。
オリバーと手を繋ぎ、王城と渡りでつながるオリバーの居城の中庭を今、二人で散策しています。テニスコート10面ほどはあるのではないかと思うくらいの大きな温室があり、その中を歩いていました。
婚約発表をしてからは週に1.2回、こうして二人だけの時間を過ごしています。今日みたいに手を繋いで散歩をしたり、中庭の少し拓けた場所にあるベンチでお話したり、パラソル付きのテーブルで、お昼を食べたり、お茶を飲んだり、その時にしたいことをしていました。だけど、お部屋の中には絶対に入ってはいけません。それは、今世では結婚していない女性がすると、とてもふしだらで遊女や売女と言われても仕方のない行為なのだとお父様に教えてもらったのです。
それなのに、オリバーは時々不謹慎にもお部屋に誘ってきます。わたくしはふしだらな女ではありませんと怒ると、オリバーはなぜそんなことをいうのか分からないと困った顔をします。困った顔をされるとなぜか従ってしまいたいと心がとても揺すぶられるのです。だけど、それは皇太子妃になる身としては淑女ならざる行為のため、断固として拒否します。いつも最後は諦めてくれるのですが、何度も言われるといつかは負けてしまいそうで怖いのです。ですが、心を鬼にして断固として拒否できるよう、下着をとても見せられないようなぞうさんやライオンさんのイラストが描いてあるものを選んでいるのです。恥ずかしくて見せられません。
オリバーも婚約者がふしだらな女と言われてよいのでしょうか。つれこんだオリバーはふしだらな男と言われるのです。お父様から初めて聞いたときはショックでした。部屋にはいるくらいなら大丈夫だと気安く思っていたのです。前世の価値観はこちらでは非常識だということを忘れていました。それが、とてもショックでした。わたくしはオリバーの隣にふさわしい女性になるのだと決めたばかりだと言うのに。まだまだ、この世界の勉強が足らないということです。あとどれくらい励めば相応しくなれるのか検討もつきません。長い道のり、もしかしたら、皇太子妃になっても、皇后になっても、一生勉強は続くのかもしれませんね。とても気合いが入ります。
専属の庭師が毎日手入れを怠らないそこは、とても色とりどりの花や木が整えられていた。わたくしはそこがお気に入りで、いつかはここにテーブルとイスを置いてお茶を楽しめる場所にしたいと思っています。まだ婚約者なので、そんなわがままは言えませんが、結婚したらお願いするつもりなのです。
とても夢が膨らみます。
「オリバー、わたくし、今とても幸せです。それに未来を想像するとずっと幸せだと思えるのです。それって、オリバーの隣がわたくしの生きる場所で、わたくしを幸せにするのですね、素敵ですね」
不意に、思ったことが口から出てしまいました。
わたくしの言葉にオリバーは歩みを止めてしまったのを気づかずに歩き続け、手を繋いでいたわたくしは引っ張られるように後ろによろめいてしまいました。
おっとっと、と思いながら振り向き、ふとオリバーを見上げます。
顔を片手で覆い隠すようにしていますが、全く隠れてないそれは、真っ赤に熟れていたのです。
まぁ!りんごみたい!そんな風に思えて、そんな姿もなんて可愛らしいと思ってしまうなんて、わたくし、そうとうオリバーのことが好きなのですね。
初投稿です
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