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五十四、トハノスメラミコト



 木々の倒れる音と土ぼこりが収まるまで、広也は龍にしがみついたまま顔を上げることが出来なかった。隣で広隆がせき込んだ。

 辺りが静まり返って、恐る恐る顔を上げると、龍の足元に六つの泉と空っぽの穴が一つ開いているのが見えた。そして、その泉の前に壮年の男性が一人、佇んでこちらを見ていた。

 男性は広也と広隆を見て目を細めた。見たことのない男性なのに、なぜかその面影に懐かしさを感じる気がして、広也は思わず身を乗り出した。そして、バランスを崩して龍の背から落下した。


「大丈夫か?」


 無様に地面に顔を打った広也の横に、広隆が軽く着地する。広也は涙を抑えて起きあがり、男性に目を向けた。広隆も男性を見て呟いた。


「トハノスメラミコト……」


 男性はにっこりと鷹揚に微笑んだ。


「いかにも。わしがトハノスメラミコトと呼ばれる者だ」


 その声に覚えがあった。赤いちゃんちゃんこの子供の声をもっと低く穏やかにしたらきっとこの声になるだろうと広也は思った。


「おぬしらが常磐堅岩を一つに戻してくれた。礼を言うぞ」


 そう言うと、トハノスメラミコトは空に向けて片手を上げた。すると、広也と広隆の真上だけに小さな雨雲が起こり、細い細い雨を降らし始めた。その雨に打たれると、不思議なことに体のだるさがすーっと取れていった。雨がしみこむ部分から疲労が消え、全身があたたまっていく。心地よい雨が止んで雨雲が散った時には、二人の体にはかすり傷一つさえ残っていなかった。濡れたはずの服や髪も完全に乾いており、広隆が不思議そうに前髪を引っ張っているのを見ながら、広也は自分達の冒険が終わったのだということを理解した。


(トハノスメラミコトが戻った。この世界に、もうときわとかきわは必要ない)


 少し切ない気持ちになりながら安堵のため息をついた広也に、トハノスメラミコトが尋ねた。


「お前達は、もう自分が行くべき場所を知っているな」


 広也と広隆は顔を見合わせた。お互いに瞳が確信していた。広也はトハノスメラミコトに向き直って言った。


「僕達にとって必要な場所に帰ります。ときわではなく今堀広也が生きる場所に」


 そう言って、広也はトハノスメラミコトの後ろの泉に目をやった。六つの泉は水をたたえているが、一つだけ空っぽの穴がある。必要な場所に行ける泉の水がなくなっている。広也は背後で悠然と背を伸ばしている龍を振り返った。


 この泉は必要な場所に行けるとぐえるげるは言った。ときわとしてではなく、広也として行ける場所はたった一つなのだ。トハノスメラミコトは満足そうにうなずいた。


「ときわとかきわがいなくなったのなら、もう巫女も必要なくなるんだよな?」


 広隆がわずかに顔を曇らせて尋ねた。


「左様。この世界にはもう巫女は必要なくなる。お主らの巫女も巫女の任を解かれ、これからは自由に生きるだろう」  


 トハノスメラミコトは笑みを浮かべて言った。


「お主らがこの世界に安寧をもたらしたのだ」

「じゃあ、緋色の魂はどうなるんだ? もう二度と生まれてはこれないのか?」


 最後までかきわの巫女として死んでいった緋色。きっとまたかきわの巫女として生まれ変わることを望んで死んでいったはずだ。魂が同じでもそれは緋色ではないとわかってはいるが、やはり緋色の魂にもう一度生まれてきてもらいたい。こんどこそ、自分のために生きてもらいたい。広隆はそう言って涙をぬぐった。広也も同じ気持ちだった。

 広也が不安そうにトハノスメラミコトを見上げると、彼はやさしいまなざしで広隆を見つめていた。

 トハノスメラミコトがちょいと指を動かすと、背後の泉の一つがちゃぷんと水音を立てた。


「見てみなさい」


 その泉を指して、トハノスメラミコトが言う。

 首を傾げながらも、広隆は泉に近寄っていった。そのほとりに屈み込んで泉を覗き込んだ広隆が、あっと叫んで水面に顔がつきそうなくらいに身を乗り出した。広也も慌てて駆け寄って広隆の背後から泉を覗き込んだ。

 泉には、祭壇らしきものを一生懸命磨いている秘色の姿が映っていた。

 そして、忙しく働く秘色の周囲をちょこまかと箒を持って駆け回る幼児の姿。赤茶色の長い髪に茜の袴。


「緋色……」


 広隆が呟いた。その声が聞こえたはずはないのに、幼児はぱっと顔を上げてこちらを見た。思わず息を飲んだ広隆の前で、水面に映る幼児の顔がにっこりと笑った。

 細波がたって、水面に映る景色が揺らいで消えていった。波が収まった時には、水面にはなにも映っていなかった。何も映っていない水面に、小さく波紋が広がった。一つ、二つ、三つーーすぐに消える小さな波紋をつくるのは、広隆の目からこぼれ落ちる涙だった。広隆は泣いていた。泣きながら微笑んでいた。

 広也は息を吐いて空を見上げた。


(よかった……)


 広隆が目をぬぐって立ち上がるまで、広也もそのままでいた。トハノスメラミコトも何も言わなかった。







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