四十八、弟
広隆の目には広也が突然空中から降ってきたように見えた。
音をたてて地面に着地すると同時に、手にした刀で広也は秘密を捕らえる大蛇の赤い舌を断ち切った。
ぐぎいぃぃっ
断末魔の叫びをあげて、大蛇はのたうちまわる。広隆は秘色を抱き寄せ、大蛇から離れた。広也も地面に突き立てた刀を構え直して後退る。大蛇は太い胴体を地面に叩き付けて七転八倒していたが、やがてどうと倒れて動かなくなった。
しばらくの間、三人は警戒を解かずに倒れた大蛇をみつめていた。大蛇がぴくりとも動かなくなったのを確認すると、広也はふーっと息を吐いて刀を下ろした。
「ときわ……」
秘色を抱きしめたまま、広隆が口を開いた。
「無事だったんだな。よかった」
広隆は笑って、安心したように体から力を抜いた。秘色はまだ強ばった表情のままで広隆にすがりついている。
広隆の笑顔を見て、ときわは涙が浮かんできた。記憶の中の兄の笑顔そのものだった。
「兄さん……」
涙をぬぐいながら、ときわは言った。
「兄さん、僕は広也だよ」
目の前の、自分と同じ年の兄に、自分が弟だと伝えたかった。
「僕は広也。今堀広也」
広也は大きな声ではっきりと言った。
「今堀広隆の弟だ」
広隆は突然弟の名前を出されて困惑した。目の前の、自分と同じ年の少年が自分の弟だと主張している。
「そんな、まさか……」
広隆には信じられなかった。弟はまだ幼い。こんなところにいるはずがない。
「ときわ……」
広隆にくっついたまま、不安げに秘色が呟いた。
「ときわも、ときわでなくなってしまったの?広隆みたいに。あなたはもうときわではないの?」
「僕は、最初から今堀広也だったんだよ。どんな世界にいたって、僕は今堀広也なんだ」
「じゃあ、あたしのときわはどこへ行ってしまったの?」
秘色が泣きそうな表情で言った。
広也は自分の胸に手をあてた。
「いいや、ときわはまだ僕の中にいる。ときわと僕が別れるのは、僕が元の世界に帰る瞬間かトハノスメラミコトをみつけた時だ」
広也は同意を求めるように広隆の目を見た。兄もまた自分と同じような試練をくぐり抜けてきたはずだと確信していた。広隆は呆然として広也を見ていた。目の前にいるのが自分の弟だと、なかなか信じることが出来ないようだった。
「広也……本当に、広也なのか……?」
「広也だよ。兄さん」
「信じられない……じゃあ、お前は俺がいた世界より未来から来たのか?」
混乱しそうだ、と呟いて、広隆は頭を押さえて唸り声を上げた。
「あんたたち、兄弟なの……?」
ようやく広隆から離れた秘色があっと叫んだ。
「根が同じだってそういうこと?」
秘色は広也と広隆の顔をかわりばんこに覗き込んで、それから肩をすくめて溜め息をついた。
「あの子供もぐえるげるも、きっとあんた達を見ただけで気が付いたのね。それならそうと教えてくれればよかったのに」
そこでいったん言葉を切って、秘色は小さな声で付け足した。
「そしたら、あたしだって広隆にあんなことしなかったのに」
そう言って俯いた秘色を見て、広也はなんと言っていいかわからずに口をつぐんだ。広隆も同じような表情で黙っている。
短い沈黙の後、突然秘色が広隆に勢いよく抱きついた。
不意を突かれて広隆は思わずよろけたが、なんとか足を踏ん張って倒れるのをこらえた。秘色は広隆をきつく抱きしめて言った。
「でも、あたしは広隆が好きよ。ときわーー広也のお兄さんだからじゃなくて、あんたがいい子だから、あたしは広隆が好きよ。あたしと一緒にいてくれて本当にありがとう」
秘色はぽろぽろと涙をこぼした。
広隆は最初驚いた顔をしていたが、秘色の言葉を聞くと笑みを浮かべて秘色を抱きしめた。
その光景を見て、広也は広隆が完全に秘色を許しているのだと知った。
(兄さんらしいな)
二人の姿に暖かい気持ちになりながらも、自分だけ仲間外れにされているようで広也は少し複雑だった。
その時、広隆に抱きついたまま秘色が顔だけを広也に向けた。目が合って、内心を読みとられたかと思って広也は少しどきりとした。秘色は広也の顔をじっと見て、それから一度広隆の顔を覗き込むとようやく体を離した。そして、広隆に軽く背中を押されるようにして広也の前に歩み出た。
「ときわーー広也は一人でここまで来たのね。広也はちゃんと一人で歩けるのに、あたしはあなたのことを信じていなかったのね。あたしがすべきことは広隆を排除することではなく、あなたを信じて送り出すことだったのに」
そう言って、秘色は悲しそうに微笑んだ。
「今ならわかるわ。あたしはあなたにずっと必要とされていたかったの。あたしだけ一人で置いていかれたくなかったの。そのせいで、広隆にひどいことをしてしまったわ。本当にごめんなさい」
広也は目を伏せて地面を見た。広隆が突き落とされた時に感じた怒りはまだ自分の中にある。それはきっと簡単には消えないだろう。でも、秘色があんな行動を取った原因の一端は恐らく自分にもあったのだと広也は思う。自分が秘色に心配されてばかりで、信じて任せてもらえるような人間じゃなかったからだ。
広也は大きく息を吸って目を閉じた。
(何も出来ないなんて言って甘えていた僕を、秘色が信じられなかったのは無理もない)
広也は自嘲の笑みを浮かべて目を開け、目の前で不安そうな顔をしている秘色に片手を差し出した。
「僕の方こそごめん。君にひどいことを言った」
秘色のしたことは許せなくても、自分もまた許されないことを言ったのだ。秘色を傷付けた。人殺しと言われた時の彼女がどれほど深い絶望を味わったか、それを考えると胸が痛かった。
差し出された手を見て秘色は少し驚いていたが、やがてにっこり笑うとその手をぎゅっと握った。




