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四十四、秘色




 光の中に閉じ込められた秘色を助ける方法を、広隆は必死に考えた。

 光に捕らわれた秘色は、諦めの表情を浮かべて微笑んでいる。


「ねえ、広隆。あたしのことはいいから、早くときわをみつけてあげて。そして二人で元の世界に帰って。どうせ、あたしの役目は終わったのだから。ここから出たって、あたしはもう何の役にも立たないのだから。あたしを助ける必要なんかないのよ」


「そんな訳ないだろう!」


 秘色の言いぐさに広隆は憤る。


「役に立つとか立たないとかはどうでもいい!俺が秘色を助けたいんだ。俺じゃなくてときわだって、お前を助けようとするさ」


 広隆がときわの名を出すと、秘色は顔を青くしてがっくりとうなだれた。その肩が小刻みに震えだしたのを見て、広隆は驚いた。そう言えば、再会してからどうも秘色の様子は変だ。自信と使命を持って二人を導いていた頃の精気が失われてしまっている。考えてみれば、どうして秘色があんなところにいたのかも聞いていない。ときわと別れて里へ帰る途中だったにしては、あんな中途半端な位置にいた説明がつかない。ぐえるげるは真ん中の泉に飛び込めば晴の里に戻れると言っていたのだ。里へ帰るつもりならそうしたはずだ。もしかして、自分が泉に落とされた後、ときわと何かがあったのだろうか。

 今更ながら、自分が突き落とされたことに対してときわが秘色を責めた可能性に気付き、広隆は頭を掻いた。自分の中では整理が付いていたのであまり深く考えていなかった。秘色の生きる気力が失われているのがそのせいだとしたら、彼女を立ち直らせることが出来るのはときわだけだ。


(俺にいったい何が出来るだろう)


 うなだれて泣いている少女をなんと言って慰めればいいのかわからず、広隆はつい弱気になってしまった。その弱気を狙ったように、広隆の頭の中に突然声が響いた。


(面倒くさいなあ。こんな奴放っておいて、早く元の世界に帰ろうぜ)


 広隆は顔色を変えて辺りを見回した。

 秘色の周りを固める光以外、辺りは闇一色だ。何もいない。いや、見えないだけで何かが潜んでいるのかもしれない。広隆は油断なく刀の柄を握った。


(本人が置いていけと言っているんだから、これ以上構う必要はないだろう。置いていけばいいんだ)


 再び声が響いた。冷酷な声が。

 広隆はごくりと唾を飲んだ。頭の中に響く声は秘色には聞こえていないのか、彼女は顔を上げる気配がない。聞こえていない方がいいのかもしれない。冷たく投げやりなその声は、紛れもなく広隆の声だった。


(俺は出来るだけのことをしたんだ。誰も俺を責めたりしないさ。ときわだって、秘色なんか助けたって喜ばないさ。だって、秘色はときわに見放されたんだ。俺を泉に落としたりしたから、その残酷さをときわに拒絶されたんだ。ときわの巫女がときわから拒絶されたら、もうこの世界にいる資格はないんだ)


「そんなことはない!」


 突然大声を上げた広隆に驚いて、秘色がぱっと顔を上げた。だが、広隆は秘色ではなく闇の中を睨んで叫んだ。


「秘色にはこの世界で生きる資格がある!」


 姿は見えないが、闇の中に響く声の主は洞窟の途中で広隆を惑わせようとした黒い蛇に違いないと広隆は思った。どこまでも意地悪く響く声は、広隆の怒りを誘うように秘色の罪を糾弾し続けた。


(だいたい、緋色が死んだのは秘色のせいだ!秘色があおったせいで緋色は血塗れになって死んでしまった。

 秘色は俺から緋色を奪ったんだ。それなのに、平気な顔で俺をときわのために利用した。秘色はときわのためならどんな卑怯なことでもやるんだ。

 いや、ときわのためじゃない。ときわの巫女である自分のためにやったんだ!秘色は本当はときわのことだって思いやっちゃいない。秘色が大切に思っているのは「ときわの巫女である自分」だけだ。自分の立場を守りたいだけなのさ!

 だから、ときわが元の世界に帰ることを恐れているんだ。ときわがいなくなれば、自分は特別な存在ではなくなってしまうから。誰も、ときわの巫女でない秘色になんか興味はないと知っているから。

 ここで秘色を助けたら、今度はときわに何をするかわからないぞ。ときわの巫女の立場を守るために、ときわが元の世界に帰るのを邪魔するに決まっている。こんな奴、ここに置いていったほうがいいんだ!それがときわのためなんだ!)


「違う!」


 広隆は噛みつくように叫んだ。


「違う!そうじゃない!」


(どこが違う?秘色が自分で言っていたじゃないか。ときわがときわじゃんくなるのが、ときわの巫女でなくなるのが怖いと。この旅が終わらなければいいと。つまり、秘色は俺達が永遠にこの世界をさまよっていればいいと思ってるんだ!)


「それは俺達と別れるのが辛いからだ!一人になるのが怖いだけだ!」


 言い返しながら、広隆はこの世界にくる前の自分を思い出していた。父が死んだ時に味わった取り残された気持ち。あの感情は決して忘れられない。そうだ。一人になるのは、置いていかれるのは怖いことだ。そう知っていたのに、自分も弟を置いてきてしまった。


「俺は元の世界に戻らなきゃいけない。俺の世界はここじゃないから。ときわだってそうだ。俺達はこの世界の住人じゃない。でも、秘色はこの世界の住人だ。だから、この世界でこの先もずっと生きていかなきゃいけない」


 広隆は闇に背を向け、呆然と広隆を見上げる秘色を見下ろした。


「そうだ。生きていかなきゃいけないんだ。お前はこの世界に生まれたんだから」


 広隆は秘色が捕らえられた時のことを思い出した。黒い板に吸い込まれた秘色が、今は光の檻の中にいる。

 そうだ。黒い板だ。

 広隆は思った。化け物は黒い板の姿をしていた。闇の中から響いた声も、広隆を惑わせたのも黒い蛇だった。黒いほうが本体なのだ。


(じゃあ、秘色を閉じこめるこの光はなんだ?)


 広隆はじっと秘色の目をみつめた。不安に揺れる、頼りない目。


「秘色。もしかしたらこの光の檻は、お前を閉じこめているんじゃなくて、お前を守っているんじゃないのか?」


 秘色は目を見開いた。


「お前はときわに会いたくないんだ。会うのが怖いんだ。だから、ここから出たくないんだろう」


 秘色にはここから出ようという意志が感じられない。そのことに、広隆は気付いた。秘色は逃げているのだ。


「お前はここから出られないんじゃなく、出ようとしていないんだ。出たいと思えばすぐに出られるはずだ」


ーー帰りたいと思ったものだけが帰ることが出来る。


 ぐえるげるの言葉がよみがえった。同じだ。


  広隆は光から少し離れて、刀の柄に手をかけた。


「秘色。俺にはこの闇をはらうことは出来る。でも、光の檻を壊すことはお前にしか出来ない。自分の意志でそこから出るんだ」


 秘色は広隆の言葉に戸惑いの表情を浮かべた。だが、目はそらさなかった。広隆も秘色の目を見つめ続けた。長い沈黙が続いた。もう、闇の中から声は聞こえてこなかった。

  秘色が小さく口を開いた。


「……ここから出ても、あたしにはもう出来ることがないのよ。あたしの役目は終わった。ときわにも嫌われた。あたしは一人で里に帰らなきゃならない。でも、里にもあたしの居場所はないの。ときわの巫女でなくなったあたしは誰からも必要とされないのよ」

 

秘色は顔を歪めて涙をこぼした。


「あたしにはここから出る意味がないのよ!」

「甘ったれるな!」


 一喝するのと同時に、広隆は刀を引き抜いた。


「お前、言ったよな?ときわのためならなんでもすると。なら、ときわのためにそこから出てこい!このままお前と別れちまったらあいつはずっと後悔するぞ!」


 秘色が息を飲んだ。広隆は片手に握った刀を降りかぶり、もう片方の手を秘色に差し伸べた。


「出てこい秘色!一緒にときわをみつけるんだ!」


 力強い広隆の声に、秘色は一瞬全身を震わせた。

 そして、次の瞬間、はじかれたように立ち上がって勢いよく地を蹴った。光の中から、闇の中に立つ広隆の元へ。

 二人を遮っていたはずの見えない壁は、倒れ込むように広隆に駆け寄る秘色を阻まなかった。

 秘色の手が差し伸べられた広隆の手を握った。重なったその手をぐいと引き寄せて、次の瞬間、広隆は足元の黒い闇に刀を突き立てた。

 その途端、鏡がわれるような音が響いて、辺りを覆っていた暗闇が粉々に砕け散った。まるで、真っ黒いミラーハウスが崩れていくようだった。黒い欠片がばらばらと降ってくる。その合間から眩しい太陽の光が見えた。




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