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四十二、広也

 まばゆい光に飲み込まれたと思ったので、ときわはしばらくの間目を開けるのをためらった。

 落下する感覚は止まり、海中を漂っているような心地よい感覚が全身を包んでいた。あの繭の中に少し似ていると考え、そういえばあの繭の欠片が白い光に変わったのだと思い出した。あれだけ脱出するのに苦労したくせに再び同じような状況に陥っていることに気付いて、ときわは自分の判断を少し危ぶんだ。


(ここはあの巨人のお腹の中なんだよな?)


 ときわはゆっくり目を開けてみた。予想していた通り、真っ白な空間が広がっていた。だが、心配していた目を刺すような眩しさはない。ときわは水を掻くように腕を動かして、体勢をまっすぐに立て直そうとした。といっても、どこまでもまっしろな空間ではどちらが上でどちらが下なのかも曖昧だったが。

 なにもない空間にぽつりと浮かんで、さてこれからどうしようと首を捻った時だった。


(ここにいるべきでないものがいる)


 頭の中に声が響いた。抑揚のない少年の声だった。


「誰?」


 辺りには白が広がっているだけで人の姿はない。だが、声は非難するような調子でときわの頭の中に響いた。


(ここはお前の来る場所ではない。出ていけ)


「出ていけって言われても……」


 ときわは白い空間を見つめながら問いかけた。


「君は誰?」


(誰でもない)


「どうしてここにいるの?」


(ここが私の居場所だからだ)


「ここはどこなの?」


(迷ひ家だ)


ーー迷ひ家。マヨヒガ。


 姿の見えない少年の声は不機嫌そうで取っつきにくかった。ときわの存在に苛立っているようだ。


「どうして僕はここにいちゃいけないの?ここはマヨヒガなんだろう?マヨヒガは迷い子のための場所だってきつねが言ってたよ」


(そうだ。迷ひ家は迷い子のための場所だ)


「だったら……」


 言いかけたときわの目の前の白い空間に、急に風景が浮かび上がった。真っ白な空間に突然出現した色の付いた景色にときわは驚いて口を開けた。

 それは平原の映像だった。真ん中に、誰かが倒れている。どこからともなく飛来した白い布がその誰かの上に被さった。映画のスクリーンのように流れていく映像に、ときわは思わず顔を近付けて見た。白い布にくるまれた誰かはそのまま動かず、布はやがて硬質な繭へと変化していく。自分の時と同じだとときわはごくりと唾を飲んだ。

 しばらくの後、繭がぱあっと光ったかと思うと、その光の中からいくつもの白い光の玉が飛び出してきて空へと舞い昇り始めた。光の玉は次々と生み出されて空へと昇っていき、やがて光が消えた時にはそこに繭は跡形もなくなっていた。繭に包まれていた人間ごと。


 ときわはぞくっと寒気がした。もしも、あの繭の中から脱出していなければ、今見た映像の通りになっていたのかもしれない。


「あのまま繭の中にいたら、繭と一体化して僕の体も白い光に変わってしまったってこと?」


 ときわの問いに答えるように、スクリーンに新しい映像が浮かんだ。ガラスの林に少年が一人立ち尽くしている。知らない少年だ。少年の足元はガラスに固められて動けずにいるようだ。足元を固めるガラスは見る間に少年の全身を覆っていき、顔まで覆ってしまった次の瞬間、ガラスの塊は白く発光しだした。先程と全く同じ光景が繰り返される。ガラスの塊は少年の体ごと白い光へと変化し、飛び去ってしまう。そしてまた別の光景、別の少年の姿が映し出される。何度も何度も。映し出される場所や少年の姿はその都度違えど、結果はすべて同じ。


「……そんな」


 ときわは呻いた。この白い光、ときわとかきわをこの世界に導いたこの光はーー


「この白い光は、僕らの前のときわとかきわだったのか!」


 ときわは信じられない気持ちで叫んだ。この世界に溢れている白い光は元は自分と同じ人間だったというのか。


「なんで?どうしてっ」


 混乱するときわの頭の中に、冷ややかな声が響く。


(ここは迷ひ家。迷い子の為の場所。迷い子が創った場所だからだ)


「迷い子が創った……?」


(この世界は、お前のいた世界の者達の「迷う心」が形作ったもの。「迷う心」が白い光となりこの世界を創った。だから、迷い子が白い光へと姿を変えるのも当然のこと)


 頭の中に響く少年の声を聞きながら、ときわはかきわのことを思った。かきわはガラスの林に落とされたはずだ。先程の映像の中にガラスの林もあった。ときわが繭に包まれたように、かきわもガラスに全身を捕らわれているのではないか。

 嫌な想像をしてしまいそうになって、ときわは頭を振った。


「かきわは……兄さんは白い光になんかなったりしない!僕が抜け出せたんだから、兄さんだってーー」


 そこまで言ってから、兄はちゃんと元の世界で生きていたことを思い出して、ときわはほーっと息を吐いた。


(そう。お前は抜け出した)


 安堵するときわに少年の声は言った。


(あのまま眠りにつけばこの世界と同化出来たのに、お前はそれを拒否した。お前はこの世界ではなく元の世界を必要とした。だから、お前にはここにいる資格がない。ここは迷い子のための場所だ。己れのいるべき場所を知っているものはここにいてはいけない)


 少年の台詞に聞き覚えがあるような気がして、ときわは記憶を探った。


ーー己が己の世界に生きる理由をみつけた者だけが己の世界に戻れるのだ。


 ぐえるげるの声がよみがえった。


「己の世界に生きる理由ーー己のいるべき場所ーーそれを見つけられなかったら、白い光になってしまうということ?」


 ときわは自分の中で何かがカチリとハマりそうな予感がした。もう後一歩で答えにたどり着けそうな感じだ。 


「今の僕にはここにいる資格がない。それは僕が繭の中から抜け出したから。ここは迷い子のための場所なのに、僕がいてはいけないということは、今の僕は迷い子じゃないということ」


 ときわは一つ一つ口に出して考えた。今までに貰った言葉はすべて大事なヒントだった。


「繭に入る前の僕と今の僕の違い。それはーー」


 繭の中で、ときわは広隆がこの世界に迷い込んだ理由を知った。自分とは違うと思っていた兄の傷ついた心を知った。それを知って初めて、これまで広隆から与えられてきた愛情が本物だったと信じられた。広隆のような強い人間には自分の気持ちは分からないと決めつけて、どこかで受け入れることを拒んでいた愛情を素直に受け入れることが出来た。そうだ。広隆だけではない。母も祖父も祖母も、ずっと愛情を持って接してくれていた。劣等感や自己嫌悪でそれを受け入れることを拒んでいた自分が、勝手に自分には価値がないと思い込んで世界から逃げ出した。

 でも、違ったのだ。自分はずっと愛されていた。そして、必ず戻ってくると信じてここへ送り出された。信用されている。信じて待ってくれている人がいるから、元の世界に帰る価値がある。待っている人がいるから、帰る必要がある。


「ーー必要……」


 ときわは小さく呟いた。その瞬間、ときわの中でカチリと音がしたような気がした。

心の中に幼い自分の姿が浮かんだ。兄が戻ってくるのを待っている小さな自分。もしも、あの時、広隆が戻ってこなかったとしたら、自分はどうなっていただろう。


(嫌だ。兄さんがいないのはーー兄さんが消えてしまうのは嫌だ。僕には兄さんが必要だ。あの頃も、今も)


「僕もかきわも、元の世界に帰る必要があるんだ……」


 消えていった過去のときわやかきわ達は、このことに気付けなかったのか。元の世界を必要としている自分、必要とされている自分を見つけられなかった孤独な魂は、迷うことに疲れてこの世界の一部になってしまった。


(ああ、そうか)


 ときわは唐突に理解した。


(今、わかった。どうして人々が、この世界をマヨヒガと呼んだのか………)


 ときわは目の縁ににじんだ涙をぬぐった。

 この世界に迷い込んだときわとかきわがぐえるげるの森を目指す理由もわかった。


ーーその泉は、見る者にとって必要な場所を移すのだ。


 今の自分があの泉を覗けば、きっと元の世界が映るに違いない。元の遠野の光景が、そこで待っている広隆の姿が、映るに違いないのだ。


ーーその泉に飛び込めば、映った場所にすぐに行けるのじゃよ。


 ときわは目の前の白い空間をきっと見つめた。どこにいるかわからない少年の声に向かって言う。


「君の言う通り、僕はここにいるべきじゃない。僕はもう迷い子じゃないから。必要な場所を知っているから。僕はときわという名の迷い子じゃない。僕は、僕の名前はーー広也だ。今掘 広也だ」


 こんなにもはっきりと自信を持って自分の名前を口に出したことはないと、ときわーー広也は思った。

 次の瞬間、強く背中を押されて、広也は体勢を崩した。そしてそのまま、急流に押し流されるように体が勢いよく運ばれていく。流れに逆らう暇もないまま、広也の目の前に丸い鏡が現れた。薄青くて、キラキラと光る丸い鏡ーー


(違う。あれはーー水面だ)


 広也の体は水鏡に叩きつけられた。一瞬だけ、硬いものに当たったような感覚がしたが、痛くはなかった。ただ、急に息が詰まって苦しくなった。視界が白黒して、突然体がぽんっと投げ出された。次いで、背中と尻に衝撃と痛みが走った。

 呻きながら目を開けると、そこは真っ白な空間ではなかった。





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