三十二、うたい町
やわらかい光の中では、大小様々な白いキツネがとんだりはねたり歌ったりしていた。
ときわは足を止めて静かにきつね達に近寄った。だが、彼らが友好的である保証はないので、草陰に隠れて様子を見守ることにした。きのこの楽隊はときわの脇をすり抜けてきつね達に合流した。
「さて、皆さん。」
一匹のきつねが呼びかけた。
「我々がトハノスメラミコトにお仕えしてずいぶんになります」
めいめいにはしゃいでいたきつね達が動きを止めた。
「我々の使命は歌うことです。迷えるものだけにとどく歌を」
迷えるものだけに、と残りのきつねが唱和した。
(なんのことだろう?)
ときわは思わず身をのりだした。
それがいけなかったのか、笹薮ががさがさ音を立てた。気付いたきつねが叫んだ。
「人間だぞぅ」
わっときつね達の間にどよめきが起こった。手のひらに載りそうな大きさの子ぎつね達がわらわらと逃げて木の影に隠れる。
「待って、怖がらないで」
ときわは慌てて言った。
「何もしないよ。敵じゃない」
ときわは両手を上にあげて見せたが、きつね達はそんなときわをうさんくさそうな眼で眺めた。
「あー、おほん」
先程演説をしていたきつねがつつっと近寄ってきた。
「迷い子の方ですね」
「迷い子?」
「我々の歌に惹かれて、この世界に迷い込んできたのでしょう」
きつねは全ての事情を知っているようだった。
「そうなんだ。君達が歌っていたんだね」
ときわは笹薮をかき分けてきつね達の前に立った。代表のきつねが小さな手をのばしてきた。ときわは屈んでその手を握った。ほんの小さなぬくもりがあった。
「迷い子がうたい町にまでやってくるのは珍しいのですよ」
「うたい町?」
「ええ。我々は歌うのが使命なのです。トハノスメラミコトがお戻りになる日まで」
きつねはわずかに胸を反らせた。
ときわは周りを飛び交う白い光を指さして尋ねた。
「この光はなんなんだい?」
「それはとても難しい質問ですな」
きつねはほんの少し困った顔をした。
「これらは我々が生まれる前からずうっとこの世界にいますから、いるのが当たり前なのです」
きつねはそう言った。それから、ときわの手を取ってきつね達の中心に歩み出た。
「せっかくのお客様です。ごゆっくりしていってください」
「ありがとう。でも、僕はかきわを探さなくちゃ」
ときわがそう言うと、きつねは不愉快そうに顔を歪めた。
「里の連中はいまだに常磐堅磐を二つに分けているのですね。愚かなことです」
常磐堅磐。
その言葉にときわはどきりとした。
「そういえば、ときわとかきわは元は一つの岩だったって、ぐえるげるが言っていたけど………」
元は一つの岩であり、その岩に宿っていたのがトハノスメラミコトだと、ぐえるげるは言っていた。それを里の者が二つに分けたためにトハノスメラミコトは帰る場所を失い、この世界をさまよっている。ときわはなんだか矛盾を感じた。
「里の人達はなんで岩を二つに分けたんだろう。トハノスメラミコトが困るとは思わなかったのかな」
「愚かだったのですよ」
きつねは言った。
「トハノスメラミコトがどちらかに宿ると考えたのです。自分達のがよりトハノスメラミコトに愛されていると証明したかったのです」
「子供みたい」
ときわは素直な感想をもらした。本当に、そんな子供の喧嘩のようなことが発端で、二つの里はいまだにあれほど憎しみあっているのだろうか。だとしたら、それほどむなしいことはないと、ときわは思った。
「トハノスメラミコトがお戻りになることが我々の望みです」
きつねは辺りを見回して言った。
「貴方はここに来るまでにたくさんの異形のもの達を目にしたことでしょう。命の危険もあったでしょう。許してあげて下さい。彼らは不憫な存在なのです。トハノスメラミコトがおわした頃は、皆に役目が与えられていました。しかし、トハノスメラミコトが失われて以来、皆何をすればいいのかわからなくなってしまったのです」
「それは、トハノスメラミコトが戻れば解決するの?」
ときわは尋ねた。
「皆がトハノスメラミコトに従わなければいけないの?」
「あなたからすればおかしいと思われるかもしれませんが、我々は皆赤子なのです。赤子は親がいないと何をしていいのかわからないのです」
きつねはときわを見上げて言った。
「貴方だって、何をすればいいのかわからないままに、ひとの言うことに従ってきたのでしょう?」
ときわは口をつぐんだ。確かにそうだった。
ときわはすがりつくように尋ねた。
「僕はこれからどうしたらいい?」
きつねは答えてくれなかった。
「貴方、ここはマヨヒガなのです。迷い子のための場所、迷い子が作り出した場所なのです。よく目をこらしてごらんなさい。トハノスメラミコトはいつでもあなたのそばにいるのです」
ときわにはきつねの言うことが理解できなかった。これからどうしたらいいのか見当もつかない。かきわと秘色を探すべきかと思っても、かきわの正体を考えると会うのが怖かった。
ときわはその場にうずくまった。白い光はそんなときわを慰めるように頭の上を飛びまわった。
「少しおやすみなさい。貴方はまだまだ歩かねばなりませんから」
きつねがやさしくそう言った。
ときわの周囲を小さなきつね達が面白そうに駆け回った。それに合わせるように、白い光も宙に舞う。
ときわは少し穏やかな気持ちになった。
ここに来る時もこの光を見た。穴に落ちた時もこの光が辺りを漂っていた。
(この光がよりあつまって巨人になり、僕達を助けてくれた………この光は僕らの味方なのだろうか)
その時、ときわの思考を打ち破って悲鳴が響いた。
きつね達が混乱したように跳ね回っていた。
驚いて立ち上がったときわは、あの狒狒のような化け物がきつね達を追い回しているのを見た。
「こんなところにまでやってくるとは………」
一匹のきつねが狼狽した声を出した。
小さなきつね達の歌会は突然の闖入者によってめちゃくちゃになってしまった。
ときわは急激に腹が立った。
きつね達の平穏をぶち壊した化け物が許せなかった。きつね達はここで歌っていただけなのに、理不尽な暴力だと思った。
ときわは刀の柄を強く握った。怒りに任せて刀を引き抜いたときわは、そのまま化け物に向かって突っ込んだ。刀など使えないと思っていたのに、刃は軽やかにひるがえって、化け物を容赦なく斬り付けた。返り血が飛んだ。
「血だぞぉ」
誰かの悲鳴が聞こえた。
ときわは自分の中の怒りを吐き出すように刀を振るった。何度も何度も。
化け物が完全に動かなくなったのを確かめて、ようやくときわは刀を下ろした。
滅茶苦茶に切り刻まれた化け物の死体がそこにあった。
ときわは肩で荒く息をしながら茫然とそれを見下ろした。きつね達が遠巻きにときわを見ていた。ときわがそちらに目をやると、きつね達は悲鳴をあげて逃げ出した。
「血だ」
「血が出てる」
「血は怖い」
「怖いよう」
きつね達が怯えているのは化け物ではなかった。それを斬り殺し、返り血を全身に浴びて立ち尽くすときわに怯えているのだ。
それに気付いて、ときわは愕然とした。
生臭い血の匂いを嫌ったのか、あれほど飛んでいた白い光も消えてしまっていた。
ときわの前にあるのは、ときわが殺した死体だけだった。
ときわは血に濡れた刀をぶらさげたまま空を見上げた。月も星もなく、ただ闇ばかりの空に向かってときわは叫んだ。
もう涙も出なかった。




