二十八、音無しの村
そこはとても静かな集落だった。人の姿は見えるのに、誰もが口を開かずに黙々と歩いていた。大人も子供も一様に顔に深い皺を刻み、歪んだ口を引き結んでいた。ときわは何故かぞっとした。
男達はときわを小さな汚い社の前に引きずり出した。乱暴に放られて、ときわは地面に膝をついた。
(皆、聞け)
再び老人があの不快な、声——ではない何かを発した。
村人達は億劫そうに顔を上げて老人を見た。
老人は懐から小さな小刀を取り出し、ときわの太ももを軽く突いた。
「痛いっ」
ときわは叫んだ。
村中の人が息を飲んだのがわかった。
ときわは老人を睨み付けて怒鳴った。
「何するんだよっ。放せって言ってるだろうっ」
老人はときわに向き直った。
(ここは音無しの村)
「音無しの村? 」
ときわは自分の声がやけによく響くような気がした。
(はるかな昔、神の怒りに触れ、あらゆる音を奪われた者達の末裔)
「あらゆる音を奪われた……? 」
その時、気付いた。先程から辺りを浸している静寂。鳥の声も、葉ずれの音もいっさい聞こえない。ときわは村中を見回した。誰も口を開いていない。なんの音も聞こえてこない。
老人の声は音にならずに直接脳に押し込められる。
続く言葉にときわは絶句した。
(この村では音をもたらす者は神からの賜り物として生涯祀りあげられる)
ときわは肝を冷やした。生涯ということはまさか、自分は一生ここに閉じ込められるのか。
「冗談じゃないっ」
ときわは慌てて立ち上がった。だが、すぐに周りの者達に押さえ込まれる。
(逃げようとしても無駄だ。この村には他に音はない。逃げようとすればすぐにわかる)
ときわは暴れながら叫んだ。
「僕は神からの賜り物なんかじゃない! 放してくれっ」
だが、必死の叫びは聞き入れられず、ときわは社に押し込まれた。カビ臭い匂いがする。乱暴に扉が閉められたが、その音も聞こえなかった。
「出してよっ。ここから出してっ」
ときわは力の限り木の扉を叩いた。拳に血が滲んだ。外の者達はこの音も有り難がって聞いているのかと思うと腹が立つと同時にぞっとした。
(鈴虫じゃあるまいし、こんなところに閉じ込められて鳴き続けろというのか)
あまりの理不尽さに叫び出したかったが、外の者達を喜ばせるのが悔しくて声を飲み込んだ。
堅い木の床にへたり込んだときわは、かきわと秘色のことを考えた。二人共、無事でいるだろうか。
ときわは二人が連れ立って自分を助けに来てくれる光景を夢想した。かきわは力強い笑顔で、秘色は少し心配そうに手を差しのべてくれる。そうだったらどんなにいいだろう。
ときわは皮の剥けた拳をさすった。それから、不意に広隆のことを思い出した。
広隆だったら、こんなところに閉じ込められたとしたらどうするだろう。おそらくは、理不尽さにひとしきり腹を立てた後、冷静に脱出方法を考えるのだろうな。と、ときわは思った。広隆なら、どんな状況でもあきらめないに違いない。
ときわの頬をつうっと涙がつたった。
あの強さが欲しいと思った。そうだ。自分はずっと兄に憧れていたのだ。あんなふうに、強く明るくなりたかった。
周囲は真の静寂に包まれていて、ときわが鼻をすする音だけがやけに大きく響いた。
こんな世界に放り込まれて初めてわかった。一人では何も出来ない自分は、ずっと兄に憧れていた。兄のようになりたかった。
だが同時に、憎んでもいた。うらやんでいた。妬んでいたのだ。そして、大好きな兄に対してそんな感情を抱く自分がたまらなく嫌だった。
だから、兄に対する複雑な感情を全て苦手意識として処理した。兄を好きだと認めれば、自分の汚い感情とも向き合わなければならない。それが怖かった。
ときわは涙をぬぐった。どうにかしてここから逃げ出さなければならない。そして、かきわを探さねばならない。
ときわは狭い社の中を手探りで探ってみた。ときわを放り込んだ扉とは別に、反対側の壁には穴が開いていた。大小の石で大雑把に塞がれてはいたが、石をどかせばどうにか人一人くぐれるかもしれない。
ときわは木の隙間から周囲の様子をうかがった。
村人は皆自分の家に帰ったようだが、社のそばには見張りがいた。老人の言葉通り、辺りには物音一つない。ときわが身動きすると、衣擦れの音がやけに大きく響く。どんな小さな物音でも、あの連中には気付かれてしまうかもしれない。ときわは頭を抱えた。
石をどけてこの穴をくぐり抜けたとしても、茂みに飛び込めばその音ですぐに気付かれる。
(どうしたらいいんだろう……)
大きな音を立てて村人の目をそちらへ向けさせてその隙に逃げ出すという考えが思い浮かんだ。だが、あいにくときわは刀一振り以外何も持っていない。大きな音を立てるものなど……
その時、甲高い金属音が辺りに朗々と響いた。
ときわは驚いて耳をふさいだ。
りりいぃぃぃん
りりいぃぃぃん
森中に響き渡るかのような音。それが自分のポケットから発せられていることに、ときわはしばらくの間気付かなかった。
ポケットに手を入れると、丸い感触が手のひらに触れた。
取り出したそれは、あの古い鈴だった。鈴は赤く煌々と輝きながら、自ずから身を震わせて甲高い音をたてていた。
ときわが鈴をかざすと、社の木の扉が鈍い音をたててひとりでに開いた。ときわは恐る恐る外を覗いた。見張りの男が、両耳を抑えて悶えていた。鈴はときわの手の中でひときわ大きく鳴る。これまで音のない世界に生きてきた者にとって、この金属音は脳天に響くらしい。
ときわははやる胸を押さえて唾を飲み込んだ。鈴は鳴り続けている。
(落ちつけ……逃げるには、今しかない)
ときわは鈴を扉の取っ手に結わえ付けると、社を抜け出した。頭を抱える見張りの横をそおっと通り過ぎ、薮の中に身を隠した。鈴はまだ鳴り続けている。這いつくばって進みながら、ときわは秘色の言葉を思い出した。
ーー持ち主に危険が迫った時、一度だけ助けてくれるの。
動悸がはやまる。耳に届く鈴の音が、少しずつ、遠く小さくなっていく。村から十分に離れたと思われるところでときわは立ち上がった。そして、後ろを振り返らずに全速力で駆け出した。もう鈴の音は聞こえなかった。だが、ときわの頭の中には鈴の音と秘色の言葉が交互に鳴り響いていた。
(どういうことだ? )
走りながら、ときわは自分自身に問いかけた。あの鈴。あの鈴は、納戸で見つけたただの鈴のはずだ。大きな鈴。そう、秘色が身に付けている鈴とちょうど同じぐらいの鈴。
秘色は言っていた。
あれは巫女だけに与えられる鈴だと。
秘色の鈴は秘色が持っている。緋色の鈴は……かきわ。かきわが、持っている。
ときわの脳裏に、広隆の言葉がよみがえった。
マヨヒガに行った人間は、なんでも一つ、持って帰ってくることが出来るんだ。
ときわは混乱していた。
なんでも一つ……かきわが、もしもあの鈴を持ち帰ったのだとしたら?
かきわ。背が高く、男らしい少年。そう、どこか広隆に似た……
ときわは走りながら頭を抱えた。
納戸の中で偶然みつけた古い鈴。無意識に持って来てしまったただの鈴。古くて色のはげた、大きな鈴。
(巫女の鈴。持ち主を一度だけ助けてくれると秘色が言っていた……)
ときわは薮の中を走り抜けながら混乱する頭で考えた。
(あの鈴は。かきわは……)
心臓がうるさいぐらいに鳴り響いていた。決して走っているせいだけではなかった。
そんなはずはない。そんなことがあるわけがない。この世界の時間の流れが、元の世界とは異なっていたとしても。
(かきわが……兄さんだったなんて)
では兄は知っていたのか? 知っていて、弟が鈴をみつけるように仕向けたのか。
ときわの中で広隆の顔がぐるぐるまわった。
広隆は何を考えていたのだろう。
ときわにはわからなかった。




