十一、長
秘色に手を引かれてやって来た長の館というところは、色とりどりに咲き乱れる花畑の真ん中に建っていた。ナデシコ、キキョウ、サギソウ、タンポポ、オミナエシ………中にはときわの知らない花もあったが、赤、青、白、黄、とにかく色とりどりの花が季節を無視して咲いていた。
不思議なのは、神殿からここに来るまでに、たくさんの古い家が建ち並ぶ集落の真ん中を通って来たというのに、全く誰にも行き会わなかったことだ。
窓や玄関の戸が開け放してあったり、土間から米を炊く白い煙が漏れていたり、確かに人が生活している気配はあるというのに、ひとっこひとり、猫の子一匹、見当たらないのだ。
「ここに住んでいる人達は、今はどこにいるの? 」
そう尋ねてみたが、前を歩く秘色は振り返りもせず、
「ここにいるわよ。ここに住んでいる人はここにいるに決まってるじゃない」
「だけど、誰もいないみたいだから……」
「いるわよ、ちゃんと。みんなここに住んでいるんですもの」
なんだか薄気味悪くなって、ときわは黙ってついて歩くことにした。
「さあ、ついた。ここが長の館よ」
秘色は花畑の中にずかずか踏み込んでいった。ときわも遠慮がちに、なるべく花を倒さないようにして後に続いた。
「長ぁ。ときわを連れてきましたよ」
秘色は神殿と同じく全面木造の館の引き戸を勢いよく開けて中に飛び込み、ときわを手招きした。
そこはやはり神殿と同じくただっ広い板の間の空間で、違うのは祭壇がないことだけだった。そして、その室の真ん中に、異様に頭の大きな老人が胡座をかいて座っていた。
長い白髪の翁で、面長の顔に深い皺が刻まれている。こけてたるんだ肌はまるきり土と同じ色で、ぎょろりとした目玉はぎらぎらと不気味に光っている。その醜悪さに、ときわはすっかり怖じ気づいてしまった。
だが、秘色は少しも臆することなくさっさと中に上がり込んで、長から離れたところにちょこんと座った。
「何してんの。入って来なさいよ」
秘色は戸口にぼけっと突っ立っているときわを誘った。それでもときわがためらっていると、今度は長が口を開いた。
「臆することはないぞ若子よ。ぬしは成すべきことがあってここに来たのじゃ」
ねっとりとした、これまた不気味な声だった。
「入るが良い」
そう命じられて、ときわは仕方がなく上がり込んだ。じわっとした湿っぽい空気がまとわりついた。外は明るかったのに、室内はどんより薄暗く、それがまたよけいに不気味さを際立たせた。
ときわは秘色のほうへ寄ろうとしたが、彼女が目で指し示すことには、どうやら長の正面に座れということだった。こんな化け物然とした翁と向かい合うのは気が進まなかったが、秘色にジロリと睨まれてしぶしぶ腰を下ろした。
「こたびのときわはずいぶんと幼いことよ」
長は一人言のように呟いて、ふんっと鼻を鳴らした。
「さて、若子よ。これからわしの語ることをよく聞いておくがよい」
長はすうーっと大きく息を吸い、とうとうと語り出した。
「昔、この晴の里と東にある霧の里が一つの国であった時、トハノスメラミコトは国の中心であり宝であった。
だが、ある時から国は二つに割れ争いはじめた。やがてそれぞれが別に里をつくり、一つしかないトハノスメラミコトを二つに分けようとした。だが、二つにした瞬間にトハノスメラミコトは失われ、後にはときわとかきわのみが残された。
里の者は巫女をつくり、晴の里はときわを、霧の里はかきわをそれぞれ奉ることにした。しばらくの後、巫女の夢にトハノスメラミコトが立った。“常磐堅磐が私を見出した時、私はそこへ帰ろう”と。
その夢の後、初めてときわが人に変わった。それから何十人ものときわが現れたが、いまだにトハノスメラミコトはお戻りにならぬ」
ときわは絶句した。長はぎょろりとした目でときわを見据えて言う。
「片方の岩が人になれば必ずもう片方の岩も人になる。つい先日、霧の里に“かきわ”が現れたと聞く」
「かきわ? 」
ときわはちらりと秘色のほうを見た。秘色は緊張した面持ちで長の話に聞き入っているようだった。ときわも胸がドキドキしていた。この薄暗い室の雰囲気と、長の不気味な語り口が、なんともいえない迫力のようなものを生み出しているのだ。
「若子よ。ぬしはこれから旅立たねばならん。そしてかきわより先にトハノスメラミコトを見出すのじゃ」
「あの、でも……」
ときわは恐る恐る口を開いた。
「さっきから“トハノスメラミコト”って、わけがわからないんだけど……」
実際、ときわは混乱しそうだった。“トハノスメラミコト”という言葉は先程秘色と話した時にも何度も出て来たが、いまだになんのことだか見当もつかない。
「“トハノスメラミコト”とは父なる神のこと。なんとしてでも先に見出し、この晴の里にお連れ申すのじゃ。霧の里に奪われてはならん。
それが出来るのは、ときわ、おぬしだけなのじゃ」
ときわは唖然とした。
「でも、あの……僕は体力もないし、体育も苦手だし」
どう考えても、自分がそんな大役を任されるような器とは思えなかった。
「おまけに、学校の勉強にも耐えられないぐらい、心も弱くて……」
ときわはうつむいてぶちぶちとぼやいた。
(なんでよりによって僕なんだろ。僕みたいななんの役にもたたない人間が……。どうせなら、兄さんみたいに強い人間を呼べばよかったのに)
「若子よ。ぬしがどんなに弱い人間だったとしても、わしらにはぬしに賭けるしかないのじゃ。それにの、ぬしがここにやってきたのも、なにかしら意味があってのことであろうよ」
意味。意味ってなんだろう。と、ときわは思った。
「これを持っていくがよい」
そう言って、長は一振りの刀をときわに手渡した。ときわは本物の刀なんて目にするのはもちろん初めてで、そのずしりとした感触におののいて、慌てて断った。
「い、いらないです。こんなの」
「持っていくがよい。この里から一歩でも外に出れば、奇態な連中がちょっかいをかけてくる。役にたつこともあろう」
ときわがなんとも言えずに途方に暮れてその白柄の刀をみつめていると、それまで一言もしゃべらなかった秘色が長に向かって尋ねた。
「長。それであたし達はまずどうすればいいんです? 」
ときわは驚いて秘色を見た。
「あたしは一緒に行くのよ」
秘色はいたずらっぽく笑った。「あたしはときわの巫女だもの」
長はふむ、と頷いて言った。
「ここから南に進んで、ぐえるげるの森へ行くことじゃな。その森にはぐえるげるという仙人が住んでおる。わしなどよりずっと長く生きていてなんでも知っておる。ぐえるげるに会って知恵を授けてもらえ。わしに語れるのはこれだけじゃ」
長はふーっと大きく息を吐いた。この状況にすっかり飲まれていたときわだったが、一つ長に聞いておかなければならないことがあったのを思い出した。
「あの、長。僕が、前にいた世界に戻るにはどうしたらいいんでしょう」
長はふむ、と小さくうなった。
「わしにはわからぬ。ぐえるげるなら、あるいは知っているかもしれぬが」




