森の魔女と出会う
森の魔女に見つかったら命は無い。だが、森の魔女の血を飲めば永遠の命が手に入る。そんな噂を信じて多くの冒険者が森へと入って行った。
だが、その森から帰って来た冒険者は一人もいない。魔女に殺されただの、森にすむ狂暴な魔物に殺されただのと言われているが、真偽の程は不明である。
そんな恐ろしい森の中。一人の少女がフラフラと歩いていた。
「はぁ……はぁ……っ」
顔は青白く、呼吸も荒い。今にでも死んでしまいそうな少女――ラッカはつい最近、王都から追い出された冒険者であった。
幼いころから魔力が高く、いずれは王国の宮廷魔術師となるんだと夢見ていた。が、現実は違った。意気揚々と王城へと行けば、王は彼女にこう言った。
――農村出身の魔法使いなど要らん。まぁ、どうしてもというのなら、タダで雇ってやってもいいぞ?
そう告げられた瞬間、ラッカは怒り任せに王の顔をぶん殴ってしまった。後悔は全くしていないが、それはよくなかった。
ラッカは反逆者として騎士から追われ、命からがら、この森へとやって来たというわけだ。が、騎士から受けた傷は思ったより深かったようだ。
剣や弓で体のいたるところには傷が刻まれ、そこからはとめどなく血が川のように流れ出していた。死ぬまでもうすぐということか。痛みで飛びそうな意識をなんとか繋ぎ止めながら歩く。
ラッカは回復魔法が使えない。高い魔力があっても、どうやら素質がないのか。その代わり、攻撃魔法に関しては天才であった。町一つ吹き飛ばせるほどの大魔法を無詠唱で、かつ何発でも使うことができる。
「これなら、ただ、働き、でも……王に従った、ほうがよかった、のかな……っ」
ラッカはそう呟き、胸の中で“いや、いっそのこと城を半壊させちゃえばよかった”と、笑う。手を空へと伸ばせば、その手は自分の血で真っ赤に染まっていた。
無様だ。相手は殺す気なのだから、こちらも殺す気でやって逃げればよかった。そのせいで死にかけているなんて、最悪だ。
「嫌だな……死にたくないな……」
自分の意識がどんどん沈んでいくのがわかる。まるで、池の底から黒い手にでも引っ張られているかのようだ。これが、死ぬ一歩手前、というやつか。
ラッカは目を瞑り、そのまま眠るように意識を落としていった。
「……んっ」
温かい光に呼ばれるようにラッカは意識を池の底から持ち上げ、瞼を僅かに震わせた。すると、視界にまず入ったのは――美しい少女の顔だった。
緑色の髪と同じく緑色の瞳。白い肌はまるで、この森が人となって姿を現したのではと勘違いしてしまう。それほど、目の前の彼女は神秘的だ。
ラッカはきっと、天使様が迎えに来てくれたのだろうと思った。
「どうやら、目が覚めたみたいね」
目の前の少女はそう言って顔を歪めた。ラッカはまだ覚醒しきっていない頭で辺りを見回し、自分の体を見た。すると、いくつもあったはずの傷はまるで、最初からなかったかのようにキレイさっぱりなくなっていた。
何も考えられず、ボーっと少女へと顔を戻す。
「あの……貴女は、天使様ですか……?」
気の抜けた声でそう問いかければ、少女は目を見開く。
「はぁ? そんなわけないでしょ。貴女、バカなの? そのまま死んだほうが良かったんじゃない?」
「えっ」
天使だと思っていた少女は違うらしい。だって、天使はいつも微笑んでいて、あんな――汚物でも見るような目なんかするはずがない。
そこで、ラッカは何となく理解する。まだ、自分がこの世に生きているということに。そこから脳の覚醒は早かった。
弾かれるように体を起こしたラッカは警戒した様子で、少女を見つめた。が、すぐにその警戒心は薄れてしまう。
なぜなら、目の前の少女は――息を呑むほど美しい。言葉にできない美しさというのはこういうことを言うのか、と考える。人間というよりも、彫刻などを見ているようだ。
少女はそんなラッカの視線にうんざりだと言いたげに、目を細めて立ち上がる。
「それだけ元気ならもういいわ。今回は命を助けてあげたけど、次は無いわよ。死にたくなかったら、今後、この森には来ないことね」
早く出ていけというように冷たい声がラッカへと突き刺さる。が、その時、彼女はゾクリとした恐怖とは違う何かを感じた。
「あ、あの……!」
「なに?」
「貴女の名前を、教えてくれませんか!」
ラッカがそう言うと、少女はあからさまに嫌そうな顔をした。その表情が自分に向けられたものだと思うと、ラッカの体には再び、ゾクリとした何かが走る抜けたような気がした。
「……嫌よ。なんで、貴女なんかに教えないといけないのよ」
「貴女は私の命の恩人ですから! お願いです。命の恩人の名前を知らないなんて、先祖に顔向けできません!」
「そ、そんなに必死だと……気持ち悪いんだけど……まぁ、いいわ――セイダよ」
セイダと名乗った少女はラッカを冷たく見下ろす。その冷たさは痛みを伴いそうなほどだ。が、今のラッカにそれは通用していない。
まるで、想い人の名前かのようにラッカは彼女の名前を何度か呟く。その頬はほんのりと赤く染まっている。
「……セイダさんはどうして、私を助けてくれたんですか?」
ラッカがそう訊くと、セイダは軽く眉を顰める。それは、命を救ったのが不本意だと言っているようなものだった。
ラッカは気付いていた。彼女が恐れられ、この森の主だと言われている――森の魔女だということを。でなければ、瀕死の自分がこうして話していられるわけないのだから。
昔、聞いたことがあった。森の魔女はどんな病気も、ケガも治せるのだと。だが、森の魔女は人間外嫌いでもある、と。故にラッカが首を傾げると、意外にも彼女は素直に答える。
「別に、貴女には借りがあったからよ」
「借り?」
「そう。貴女、森の入り口で小鹿を助けたでしょう」
「……もしかして、あの子」
ラッカは空を仰ぐ。そして、森の入り口でケガをしていた小鹿を思い出した。罠にかかってしまったのか、迷子になっていたのか。足にけがをしていた小鹿に最後の回復薬を使ってあげたのだ。
セイダは彼女が思い出したのを確認すると、フンと鼻を鳴らす。
「バカな人間ね。自分が死にそうになっている時に……でもまぁ、そのおかげであの子は母親の元へと戻れた。だから、私は森の主として……お礼を言うわ。ありがとう」
「あ、いえ……えへへ」
照れるラッカにセイダは冷たい視線を向ける。
「まぁ、いいわ。早く森から出ていきなさい。でないと、この森にいる魔物が貴女を食い殺しに来るわよ」
「……」
ラッカは答えない。セイダは顔を顰める。
「ちょっと、聞いて――」
「嫌です」
「……は?」
セイダの冷たい眼差しがより一層鋭くなる。が、ラッカは気にしないといった様子で、彼女へと詰め寄る。
「私、貴女にお礼をしたいんです」
「は? いらない」
「そ、そんなこと言わずに」
即答で返されてしまうラッカ。だが、諦めず、もう一歩セイダへと近づく。すると、彼女は一歩下がる。
氷のように冷たい眼差し。森林のような優し気な見た目と反したそれに、ラッカの心臓がドクン、ドクン、と音を立てる。
「私は貴女に命を助けられた。それがたとえ、借りであり、貴女にとって不本意だとしても、私は貴女にお礼をしたい!」
セイダの手を取ったラッカはそう言ってまっすぐ彼女を見つめた。ずっと、彼女の傍にいたい。なぜか、そう思ってしまうほどにラッカは彼女に強い思いを抱き始めていた。
そんなことなど知らないセイダは、気味悪い、理解不能な生き物でも見るような表情で手を振り払い、もう一歩下がる。
「セイダさん」
「な、なによ」
「私を貴女の――家来にしてください!」
ラッカの半ば叫びのようなそれは森に響き渡った。
――それから半年後。
あの森には新しいうわさが追加されていた。なんでも、森の魔女が人間を引き連れ、夜な夜な王都の騎士を殺して回っているという。
そんな噂が密かに、ゆっくりと流れていた。