65頁目 ダンビの森と規制の経緯
前回のあらすじ。
お酒と煙草が駄目な国に辿り着いた。
次回の投稿は明後日の予定です。
身体に害のない程度に、そして他人に迷惑を掛けない程度に嗜好品は楽しみましょう。
「全く、酷いですわ」
「ごめんね。つい夢中になっちゃって」
「いくらお母様でも許しませんわ」
「ごめんね。木の実一個あげるから」
「二個……ですわ」
「分かったわ。二個ね。はい」
「ん、許しますわ」
先程のライヒ王国の罪人ギンゼルさんと話し込んでいたことで、すっかりほったらかしにされていたアネモネはその柔らかい頬を膨らませて、プリプリと怒っていた。そして、木の実をあげることで機嫌が直ってしまった。
相変わらず我が娘は可愛いと思う反面、それで良いのか娘よとも思ってしまう。
「親が美人だと子供も美人なんだな」
そんなやり取りを見ていたギンゼルさんの呟きが聞こえた。
「それじゃあ行こうか。アネモネも靴ないけどしっかり歩いてね?」
「大丈夫ですわ! むしろ、このままの方が歩きやすいですわ!」
「それはちょっとね……貧乏でも野生児でもないのだから、ちゃんとしたの買うわよ」
「はーいですわ」
何故残念そうなのか。手を繋ぐと嬉しそうにはしゃぐが、森の中なので「シー」と言うと、素直に静かにしてくれた。
「お待たせしました。それでは行きましょうか」
「あーその子、靴は良いのか?」
「怪物に襲われた時に落としてしまったみたいですね。元々裸足が好きな元気な子ですから、気付くのが遅れました。スクジャに着いたらまずは靴を買わないとですね」
「そうか。いや、大丈夫なら良いが」
お酒を飲んで暴れた犯罪者。しかし、アルコールが抜けているだろう今の彼は気遣いの出来る良い大人だと思った。まぁ普段は善人なのに、お酒を飲むと人が変わるなんて例は前世でもいくらでもあったし、それで連日連夜事件として報道された時もあったと思う。
「一応確認ですが、案内はお願い出来ますか?」
「いや、俺も初めて入るから分からん。リュシオリスの蜜が夜に咲く花から採れるというのは知っていても、採り方だとか見つけ方も知らない」
予想は出来ていたので驚きはない。冒険者でもリュシオリスの採取を引き受ける冒険者は少ない。夜の森はライヒやジストに限らず、危険であることに変わりはないのだから。
ハチミツだって主にミツバチの巣から採取出来ると知ってはいても、まず巣がどこに作られるのか、どういった木に来るのか、など意外と知られていないことが多い。前世では養蜂が確立されていたので、下手したらハチミツは工場で作られると勘違いしている子供がいるかもしれない。
「分かりました」
私は周囲を軽く見渡し、ギンゼルさんが来た方角を確認し、視覚だけでなく音や匂いで周りの様子を窺う。
大体当たりは付けられたが、確証はない。それにここは慣れたルキユの森でもキダチの森でもない。全く見知らぬ土地の森なので、私の常識が通じるとも限らない。
「アネモネ?」
それだけで察したのか、彼女も頷き、小声で同意した。
「お母様の予測は正しいと思いますわ」
「ありがとう」
そしてギンゼルさんに顔を向け、手を繋いでいない左手で進行方向を指差した。
「恐らくこちらにあるはずです」
「分かるのか?」
「エルフの勘というものです。生まれてから百数年、ずっと森で過ごしてきましたから、ある程度の経験による法則から導き出しただけです」
「え、そんなに歳……」
「熟女ではありませんよ」
「いや、言ってねぇし」
周囲を警戒しながら移動を開始する。
ただ、ずっと黙ってというの暇なので、少しでもこの森の情報を得たいと話し掛ける。
「この森に生息している怪物についてですが、何か知っていますか?」
「それなら有名だ。蔓鞭植だよ」
「は?」
思わず足を止めてしまう。
「蔓鞭植って、荒野や砂漠などの暑く荒れた地域で生息していることが多いのですが、この寒い地域の、しかも森の中にいるのですか?」
「そうなのか? 俺達は生まれた時からこの森には恐ろしい植物の怪物がいるから入ってはいけないと教えられてきたから、他の国のことは知らないな」
マジか……普通に堂々と歩いていた。一応索敵はしていたが、蔓鞭植相手ではそれも通用しにくい。うっかり蔓を踏んでしまって、藪蛇ならず藪……蔓鞭植? になっていたら目も当てられない。気を付けなければ。
「知らなかったとはいえ、少々警戒が甘かったようですね。最初にその情報を得るべきでした」
「いや、何かすまん」
「大丈夫ですよ。まだ襲われていませんし、これからも襲われるつもりもありません」
私の索敵能力は半径五〇ファルトと狭い範囲ではあるが、地上にある生物はほぼ空中も含めて察知することが出来る。しかし地中や水中など、何かで隔たりがあったりするとほとんど機能しない。だが、私には無理でも……
「はい。わたくしにお任せ下さいですわ」
彼女がいる。
自信満々の我が娘は、繋いでいた手を離して地面に手を置く。すると魔力が流れるのを感じる。元々私の魔力だったからか私は知覚出来ているが、ギンゼルさんからすれば何が何だか分からない様子。
アネモネは首から提げた巾着袋に入れられた岩人形の魔石に魔力を注ぎ込むことで、土魔法を発動出来る。土、つまり地面を操ることが出来るということは、地面の状況も把握出来るということ。
本来ならそこまでの術者になるには相当長い年月の修行が必要なのだが、元々自然、風を司る精霊であるのに加えて、魔石の能力もあるとはいえ、あれだけの土魔法を披露したアネモネが、この程度の索敵が出来ない道理はない。
案の定、目を閉じて集中していた彼女はゆっくりと目を開けて、見えない何かを見つめるように森の奥をぼんやりと眺める。
「分かりましたわ」
「距離はどのくらい?」
「分かりませんわ」
「え?」
どういうこと?
「距離というのは、普段お母様が使っている”ふぁると”とか言うものですわよね? わたくし、数字が分からないので、その、ふぁると? というのも分かりませんわ」
「そ、そっか」
そういえば、彼女には数字も単位も教えていなかった。どうしようかと思っていたら、土を触れていた手でそのまま手を繋いできた。
「大丈夫ですわよ。地形は分かりましたので、近くに来たら教えますわ」
「分かったわ。ギンゼルさん、大体の位置は把握しましたので進みましょうか」
「その子、何者なんだ?」
「私の娘ですよ。ただ、私よりも魔力があって、魔法の扱いも私よりも上手いだけです。エルフ族の成人は一〇〇歳ですので、この子はまだまだ後数十年は掛かりますが、もし冒険者になれたら、あっという間に戦闘力だけで言えば金ランクになるでしょうね」
「うへぇ……」
軽く引かれたが、気にしない。
それから半刻程、アネモネの案内の元で蛇行しながら目的地を目指すが、当初の想定よりも切り返しの数が多い。それだけ群生しているということだろう。確かに何も知らない状態で歩けば、たちまちに餌食となるのは明白だ。だから処刑か無罪かの天秤として使われているのか。
全員が全員死亡か行方不明となった訳ではなく、中には無事に突破して無罪を勝ち取った例もあるらしい。勿論、その人は罪が軽いこともあって、条件も比較的に森の浅い場所で採取出来る物であったということも要因だろうが、生きて帰ってきた例があり、尚且つ、実際に無罪になった場面を見ると、まだ希望を持たせることが出来る。違うか。希望を持ってしまうが正しいか。
もしかしたら突破出来るかもしれないと、希望を持たせることで、後々に絶望を与える。何とも惨い処刑法だ。いや、実際に無罪になった人もいるし、脱走を成功させた人もいるかもしれないことを考えると、完璧な処刑とも言えないか。
一応、簡単な装備は支給してくれるらしいが、大体が廃棄処分から見繕った物だということなので、装備は充てにならない。となると、残りは自身の魔法と運に左右される。
私やアネモネのように周囲を探る手段があれば、もしかしたら脱走も可能なのかもしれない。
「ところで、ギンゼルさんの魔法は何ですか?」
「ん? あぁ、まだ言ってなかったな。光魔法と音魔法だ。と言っても、ほとんど使いこなせない。というか使いこなす場面がなかったからな」
「職人さんですか? それも、鍛冶師でしょうか?」
「驚いたな。分かるのか?」
「はい。筋肉の付き方と歩き方からの大体の予想ですが」
「歩き方?」
「はい。長時間同じ姿勢で座っての作業。しかも力が必要ですから、自然と踏ん張るのに適した骨格となるはずです。そうなると、立って歩く時に少し普通の人よりも力というか体重を掛ける位置がズレることになりますから」
「はぁ、すごいもんだな。それもエルフの能力か?」
首を振って否定する。
「いいえ、これは長年色々な所で、色々な人と接してきた経験ですよ」
その返答に、彼は「ほぅ、やはりすごいもんだな」と感心した様子であった。
しかし、だとしたら本当に勿体ない。見た目は中年の人間族の男性。鍛冶師はドワーフ族が半数を占める中で他の種族が名を残すのは中々難しい。現に私のジストでの専属はガローカさんというドワーフ族だった。そんな中で、ギンゼルさんのような身体付きになるということは相当真面目に仕事に打ち込んでいたのだろう。
真面目な人がちょっとしたことで人生を棒に振るう。何と勿体ないことか。
私自身、お酒は飲めるものの、好き好んで飲むことはしない。まぁ付き合いで少々飲むことはある程度だ。それ故か、酒飲みもそこまで嫌悪感はない。
まぁ変に絡んできたり、今回のギンゼルさんのように人に危害を加えたり、逆に酔わせて意識を朦朧とさせて性的に襲う何てことに発展しなければ、人に迷惑を掛けない飲み方、飲ませ方をするのであれば問題はないと思う。
というか、絡み酒以外は全部犯罪だから。絶対に許されないから。特に最後のは人を人として見ていない最低な行為だからね。同じ女としては許せない。そんなに溜まっているのであれば、魚人島に行くと良い。無料であれやこれ、色々楽しめると思う。
なお、絡み酒も言動によってはセクハラなどになるので注意。むしろ絡んできた時点でセクハラになることもあるかもしれない。この世界にはセクハラという概念は存在しないようだが、人に迷惑を掛けるのはいけないことなので、気を付けなければいけないことは変わりない。
だが、今回の件は妻子の目の前で国王が殺されたのだ。王国である以上、王の最終決定には首を縦に振るしかない世界。禁酒法が出来るのは仕方のないことかもしれない。
禁煙法も……まぁ、依存すると自身の身体を蝕むし、森で育った私からすると、火事の原因にもなる火をそこら辺に捨てる行為というのは許せない。が、あくまで私個人の感情であって、一人で楽しむ分は良いと思う。人に迷惑を掛けない限りは。
ちなみに、この世界の煙草は、紙は貴重品だしフィルターとなる素材もほとんど出回っていないので、パイプとか煙管のような物となる。
前世での国や地域によっては、煙草の煙で邪気を払う儀式に用いられたりすることもあるが、この世界では魔法があり、邪悪な存在として死霊や屍がいるので、儀式として使われることは多分ない。あるかもしれないが、少なくともジストとエメリナにはなかった。話を聞くに、ライヒでもないそうだ。仮にあったとしても、現在のライヒ王国は禁煙法で縛られているので、もし儀式とはいえ煙草を使おうものなら、たちまちに罪となってしまう。
まぁ今回の密造酒のように、薬物関連は規制しても裏で取引されていることが多いので、表に出てこないだけで実際は……何てこともあるだろう。
インターネットもテレビもない世界だ。辺境の村や集落でならバレることはないだろうから、ヒッソリとやっているかもしれない。兵士の巡回とか? 真面目な兵士でなければ賄賂を渡せば寝返るんじゃないかな? 知らないけど。
「規制してもあなたのような例がありますが、かといって認めても事件になる。難しいですね」
「いや、反省している……本当に……もし、無事にこの森を抜け出して、それで無罪になれたら、ちゃんと断酒する」
「いや、法律で規制されているのですから、そもそも普通に生活していたらお酒に出会わないと思うのですが」
「そ、そうだったな」
大丈夫だろうかと思うが、結局は他人事なので、気にせず探索を行うことにする。
夜になるまで、残り数刻。
まさかこの寒い地域に蔓鞭植が自生していたとは。タルタ荒野のような荒れ地と違って、こちらは森の中で餌も豊富にあるはず。どのような生態をしているのか、また詳しく調査したいところだ。
フレンシアの手記より抜粋