63頁目 娘の女子力と自由落下
前回のあらすじ。
古代エルフ文字、もしかして……?
次回の投稿は明後日予定です。
ついでに前書きのネタもありません。
月日は流れて今は暖季。毎日しっかり数えていたはずなので、今は二月三日だと思う。
ウェル山脈に入って四ヶ月近く、途中で一緒になったアネモネと二人での旅が始まって三ヶ月が経った。
その間、ずっと遭難していた私達は本日、ようやく下山の目処が立ったところである。いやぁ長かった。
暖季とはいえ山である以上、多少標高が下がっても雪は残っており、まだまだ寒季が抜けていない様子。
しかし、更に下まで行けばそれまでポツポツとあった木々も鬱蒼とした森となり、そこに辿り着く頃には雪の気配はほとんどなくなっていた。森の中は、ある程度の日の光が差し込む程度であったが、決して明るい訳ではない。ただ森での生活に慣れている私にとっては、全く問題にならない明るさであった。
日に照らされて雪が溶けているのだろう。森の中では雨でもないのに多くの水滴が落ちてきて、それが地面に染み込んで泥濘みとなって歩きづらくなっている。
「どう? 上から何か見える?」
休憩も兼ねて、乾いた地面を見つけて座り、水分補給として動物の胃袋を加工した水筒から水を飲む。
暖季の森であるので、小飛竜の出現に気を遣いながら、空を飛べる特性を持つ魔剣ノトスの精霊であり、私の娘 (ということになっている)であるアネモネに声を掛ける。
彼女にはその特性を生かしてもらって、木々の上から周囲を見渡して近くに集落などがないか探させている。本人が「お役に立ちたいのですわ!」と元気に飛んでいったのだが。白い無地のワンピースの中にある純白の下着を見せ付けながら……一応、何度も注意をしているのだが、本人は首を傾げるばかり。挙げ句の果てには「下着が見られるのがいけないことなのでしたら、脱げばよろしいのですか?」と真面目に返されたので、違うそうではないと教えたのだが、どうにもまだ理解されないようだ。
見た目は一〇歳前後の女の子。といっても、その身長は二、三歳程度の大きさしかない。耳はエルフ族の耳よりも短く、人間族よりも長く尖っている。髪は身長並に長く、幼子のサラサラと柔らかい髪質は翡翠色ということも相まって、非常に滑らかで光りに反射して様々な青や緑の色を見せてくれている。目もぱっちりとしていて瞳の色も透き通るような翡翠色をしており、その純粋な瞳で見つめられたら浄化されてしまいそうになる。別に私はアンデットではないけども。
声を掛けられたアネモネは、フワフワと降りてきて私の目の前で静止する。
「多分あちらに何かありますわ」
彼女が指差した方向は、現在私達が向かっている方向と同じである。ということは、このままの進路で問題なさそうだ。
普段の元気で明るい口調は抑え、落ち着いた雰囲気で話されると若干だが戸惑う。しかし、ここは野生の世界。下手に騒いで周囲の警戒を呼び、更に不要なトラブルに遭遇することを避ける為には、あの高いテンションを封印するのは当然のことである。このことについては、説明すると一回で「分かりましたわ」と言い、以来実践してくれている。下着の件とどう違うのだろうか。
「分かったわ。このまま進もうか」
「はいですわ」
普段なら「はいですわ!」と元気良く言ってくれるのだが、ちゃんと出来ているようで偉い。そんな思いを込めて頭を撫でてあげると、嬉しそうにそしてくすぐったそうに笑顔を見せる。
「魔石の方はどう? 変わったこととかない?」
「何もありませんわ」
魔石とは、アネモネの首から提げられた革製の巾着袋に入れられた魔力が固まり、結晶化した物だ。
大きさは二歳児の両手で持てる程度。重さは普通の石と同じくらい。色は深い青色。魔力を流すと光り、サファイヤのように輝く。
現在下っているウェル山脈のとある場所にて、古代エルフ族が残したとされる遺跡があった。そしてそれを守る為に複数の結界と、警備兵代わりか魔石によって動く岩人形が配置されていた。魔石はその岩人形の核として用いられていた石で、それを砕くことで機能停止となった。欠片となった現在でも、魔力を注げば土魔法を顕在化させることが出来るということから、アネモネに持たせている。
本当ならば、もしかしたら暴走するかもしれない危険を考えれば私が持っているのが良いのだろうが、彼女自身が欲しいと言ったこと。そしてもし暴走したとしても戦闘力の差で私よりもアネモネの方が上だということで、渋々認めている。それに、魔力を流すだけで別系統の魔法、この魔石の場合は土魔法を発動出来るということで、単純に戦闘能力の向上という点でもアネモネが持っていた方が違和感はない。
本来ならこの世界の住人は、一人に対して一つか二つの属性、もしくは系統の魔法しか扱うことが出来ない。しかもランダムに決まる訳ではなく、親からの遺伝や極稀に祖先からの隔世遺伝といった血筋によって手にするものだ。
私の場合は父が雷、母が回復の魔法を使えることでその二つを受け継いだのだが、それ以外にも魔剣ノトスを使うことで風魔法も発動させることが出来る。更に、この世界に生まれて意識が覚醒した頃には、既にジスト王国で使用される共通リトシ語を理解していたことから、疑似的だが言語魔法が使用出来る可能性があるという非常に面倒な状況だ。
そこに魔石によって土魔法が発動出来るとなると、もういくつの魔法が使えるのよという状態になって、非常によろしくない。
魔剣の存在も、これ程の大きさ、純度の魔石の存在も、私の前世についても全て明かす訳にはいかない大事な秘密である。
一方でアネモネは風魔法しか使えない。ここに土魔法を追加したとしても違和感はないはずだ。ちなみに、人前に出る時には空を飛ばないように言い付けている。空を飛ぶ魔法は、私の知る限りでは存在していないからね。靴がないので早急に対処する必要がある。
私は、鉄火竜素材の深緑色の半袖のジャケットをアネモネに着せる。サイズが全然合わないのでブカブカであるが、この白地のワンピースのみの姿で人前に晒す訳にはいかないので仕方がない。
「ありがとうですわ」
「うん、とりあえず人のいる集落を見つけたら、靴と他に着る物を買うからそれまでそれで我慢してね」
「わたくしは別にこのままでも良いのですわ」
「それは駄目だからね。私が見繕うから、ちゃんとした格好をしようね?」
人前で裸体や下着姿を堂々と晒した人の台詞ではないが、良いのである。よく言うではないか、自分のことは棚上げにして、と。それに裸は家族同然の同族の前だけだし、下着姿も一応隠す部分は隠している。水着とそう変わらないので問題ないはずだと主張している辺り、女子力の低さが窺われる。
まぁ、成り行きとはいえ親になったのだから、ちゃんと育てないといけないしね。
アネモネの指し示した通りの方向へ、道なき道をひたすら進む。時折休憩を挟みつつ、そのついでと周囲の植生の観察も行う。
「山脈という壁を隔てた、向こう側とこっち側というだけのはずだけど、やっぱり結構違うものね」
目の前に伸びている木の葉を摘まんでマジマジと見る。やはり、寒い地域だからか針葉樹が多い。
ここより大分南方にある私の故郷、ルキユの森にも針葉樹はそれなりに自生しているが、ここまでではない。しかし、暦の上では暖季で実際に雪解けが始まっているとはいえ、まだまだ寒さが残っている。その割にこれだけ緑に溢れているということは、一帯が常緑樹であるということか。
「ふぅ、疲れましたわ」
そう言って彼女は私の背負っている背負い袋の上に腰掛ける。
精霊の姿を維持し続けるのに、多少とはいえ魔力を消費し続けているらしい。私から毎日供給されるし、自身でも魔力回復を行うことが出来るとはいえ、昨日のように子供の如くはしゃぎ回ればエネルギーは消費され、疲労となることは当たり前だ。って子供だったわ。そして、ずっと飛び回っていたことでも魔力を垂れ流していたから、こうして疲れてしまったのだろう。
リュックの上で進行方向とは別に座って「はふー」と息を吐いている様子は、見えていないのにその姿が容易に想像出来て可笑しくなってしまう。
精霊だからか、重さはほとんど感じられない。もしくは本人がそのように調整してくれているのかもしれないが、まぁ気にしないことにする。子供とはいえ女性なのだ。レディーに体重のあれこれを詮索するのはマナー違反なのである。
「大丈夫? 座りにくくない?」
「大丈夫ですわー」
不安定な場所だろうが、生憎と他に座れる場所もない為、仮に座りづらくとも我慢してもらうしかない。思いっ切り本人は寛いでいるようなので、杞憂であろうが。
それから更に一刻、つまり二時間程進むと森の先に光が見えた。
「出口かな?」
森を出た所で足を止める。
「うわぁ」
その声は、どの感情から来るものだろうか。いずれにせよ視界に飛び込んできた光景は、今立っている場所が非常に高い崖の上で、眼下には更に森が広がっており、その奥に集落と呼ぶにはかなり規模の大きい、町のような建物が見られる。
と、この時点で分かった問題をいくつかピックアップしてみる。
まず一つ目。この崖、どこから降りるか。
二つ目。崖を降りたとして、また森を越えなければならない。
最後に三つ目。あの町がちゃんと人里、集落としての機能を果たしているか否か。
三つ目に関しては、到着してから考えれば良いし、仮に遺跡だったとしても調査の対象になるだけなので問題ない。雨風凌げそうならキャンプ地としても使える。
とりあえず崖のことは横に置いといて、この位置からあの町の場所まで、森を一直線に抜けたとして……大体一刻程度だろうか。となると森を抜けること自体も解決した。一番の難点は、一つ目の、この崖の攻略法である。
「うーん、高さは……一〇〇ファルトはありそうね」
目測では分かりづらいが、大きく外してはいないだろう。いずれにせよ、普通に飛び降りたら、流石の私でも死んでしまう……と思う。かといって、この切り立った岩肌を降りるというのも、一応登ることは経験したことはあるが、降りるのは未経験。しかもこの高さである。高所は苦手ではないつもりだが、流石に落ちたら死ぬという高さでは足が竦んでしまう。
そうやって、降りる手段について頭を悩ませていると、元気になったアネモネがリュックから再び空中へと浮き、私と目線の高さを合わせて周囲の景色を眺める。
「飛び降りたら良いんじゃないですの?」
「死んじゃうよ?」
「お任せ下さいですわ! わたくしが下まで運んで差し上げますわ!」
話を聞くに、私を持って崖下までゆっくり下降することで、安全に降りられるという。そのままだった。
「えぇと、大丈夫なの?」
「勿論ですわ!」
自信満々に胸を張られたら、親としては信じるしかない。ここで時間を潰して無駄にするのも勿体ないので、その手段で行くことにする。
それに、魔力保有量やその補正による筋力は、下手したら私を超える。頼るしかないか。
「それじゃあ、お願いね?」
「はいですわ!」
「くれぐれも安全にね?」
「お任せ下さいですわ!」
「怪物と遭遇しても慌てないでね?」
「掛かってこいですわ!」
「いや、対処は私がするから安全に下まで行ってね?」
「はいですわ……」
何故そこでションボリするのか。
とりあえず、私は両手両足が空くようにリュックを持ってもらって宙ぶらりんの姿勢になる。
真っ直ぐ真下に下りるのではなく、少しでも森を歩く時間を短縮すべく、少し前に進みながら高度を下げていく。
下り始めて少し、体感で前世時間にして五分くらいだろうか。
「ふぅ、ふぅ……」
既にアネモネの息が上がっていた。
「大丈夫なの?」
「思った、より……はぁ、魔力の、ん、んー、消費が、大きいですわ……ふぅ」
「え、やっぱり重かった? ごめんね?」
「そっちは、ふぅ、だいじょう、ぶ、ですわ。風が乱れ、て……はぁ、はぁ、それをせい、せいぎ……ふぅ、制御、するのが……」
「あー分かったから落ち着いて、無理に喋ると集中力が切れちゃうし」
「……」
気流が乱れていて、それを押さえ込んで安全に下りるように制御すべく魔力を回していたら、思ったよりも消費が激しかったのか、それとも回復しきれていなかったのか。いずれにしても、魔力がレッドゾーンに入っているということか。
私達ヒトのように、魔力消費の許容量を制御する働きがあるのか分からないので、身体を労って無理しないようにして欲しい。今運んでもらっている立場で言える発言ではないので、これは黙っておく。
すると、何か吹っ切れたかのように明るい声で返してくれた。
「大丈夫、ですわ」
「そう、なの?」
「えぇ……落ちますわ♪」
「え?」
その発言の直後、私とアネモネは重力に従って真っ直ぐ森の中へと落下していった。
「えぇぇぇぇええええええ!」
「落ちてますのー!」
自由落下とは言う程自由ではないと昔どこかの誰かが言っていた気がする。まさか落下傘なしで飛び降りることになるとは……いや、この世界にはまだ落下傘という概念はなかったはず。後でこの部分だけ塗り潰して消しておかなければ……
フレンシアの手記より抜粋