46頁目 異国の民と昔の仲間:前編
前回のあらすじ。
宿屋は元牢獄。そして図書館で歴史のお勉強。
前編になります。後編はまた明日。
昔は調べ物と言えば図書館でしたが、今ではネットの普及によってわざわざ図書館に行かなくても大体の物事は調べられる時代。
それが正しい情報かどうかはともかくとして、様々な知識を手軽に得られるというのは便利な時代ですね。
かく言う作者も図書館へ行くのは二~三年に一度程度です。
地元ならではのローカル史といったことは、地元の図書館でなければ見つけられない場合もありますし、そうやって調べていたら新しい発見、気付きもあって楽しいです。
古い歴史書と改訂版の二冊があり、古い方には書かれていなかったことも、その後の地元の史跡調査で判明したことが改訂版に反映されていたりと、そういう小さなことも面白いものです。
ただ、そういった編纂作業に携わる人員がいないのか、ここ数十年更なる改訂版が出版されていないので、是非令和版も出していただきたいですね。
朝になった。読書で夜を明かした私は、一旦休憩を入れるついでに朝食を食べるべく一階へ降りる。
食堂はまだ早い時間なので客の数はまばらだが、直に全ての席が埋まるだろう。人気の宿なのか、昨日の夕方に宿へ戻ったら、丁度夕食時だったこともあってか大勢の人で賑わっていた。確かに、値段も一泊二七ドタと王都の宿としては破格の値段である。
単位はジストと違うものの、金銀銅それぞれの貨幣に価値の違いはない。よって、二七ドタとは二七トルマ。一トルマ当たり五〇円程度ということを考えると、一三五〇円。一国の首都の宿屋が一泊二日食事付きで一三五〇円程度とか、安すぎて逆に不安になりそうと思うのは日本人の感覚だろうか。
確かにルームサービスとか付加価値となるような物は何もなく、ただ泊まるだけ、食事するだけの場所である以上はこのくらいの値段で問題ないのだろうか。電気ガス水道はなく、唯一の灯りであるランタンも燃料は有料だ。
私はグリビの町で魔石灯を購入したので、燃料代も浮かせることが出来る。
食事だって有料だ。しかしハーフとはいえ立派なエルフ族である私も食事は朝の一回のみで良い為、食費だって抑えられる。よってほぼ最低料金での利用が可能となる。
一応、お風呂が完備されている宿屋もあるにはあるが、ここの宿はそういった設備はないようだ。
「そういえば、しばらく雨もなかったし身体洗ってないかも」
最近あった雨と言えば、一〇日前のスップ草原で一角獣と白雷獣の戦闘を見た時に遭遇した嵐が最後だったと記憶している。
元日本人の私はお風呂に入るのが大好きだった。いや、今でも好きではあるのだが、エルフは入浴をしない上に身体を洗う行為と言えば雨に打たれること、つまり浴雨が当たり前である。
日本には櫛風沐雨もしくは櫛風浴雨という言葉がある。櫛風は髪を風で梳かす。沐雨または浴雨は雨で身体を洗うという意味で、雨や風に打たれても負けないで我慢強く働くことという言葉だ。
確かにエルフは雨が降れば服を脱いで外に出て恵みを全身で浴び、濡れた髪は一応櫛で梳かすものの、乾かすのにドライヤーなんてある訳がないので自然乾燥だ。
洗いに使うのは雨のみであるので、シャンプーやリンスはもちろん、トリートメントなんてない。いや、ないこともないか。高齢のエルフなんかは髪の艶を維持すべく、植物の種を磨り潰してから絞って出た油を付けていた。実際に、髪質は私と変わらないくらい滑らかで柔らかかった。
その女性エルフも高齢とはいえ、見た目ではまだまだ人間族でいう三〇歳程。高く見積もっても三〇後半と若いので、本当に効果があるのか元々の髪質なのかは判断が難しいところ。
つまり、元日本人としてのお風呂への執着はこの一〇〇年ちょっとですっかり薄れてしまい、今では立派にエルフの常識が身体に叩き込まれている。所々まだ前世の感覚が残っているが、それも後一〇〇年か二〇〇年経つ頃にはなくなってしまうだろう。
いずれは、先程感じた宿賃が安い感覚もなくなっていくのかもしれない。
前世の記憶があるだけ普通とは大分違うけども、それでもちゃんとこの世界で生まれ育ったハーフエルフとして立派に生きることは出来るはずだ。
そこまで考えたところで思い付いた。せっかく海を見る為に来たのだ。どうせならそのまま海水浴して洗ってしまおうと考える。
「あのーご注文は?」
「あ、すみません」
つい、考えに夢中になっていた。席に座ったのに一向に注文しない私に業を煮やしたのか、給仕の少女がおずおずと聞きに来た。若干だが怯えているように見えるのは何故だろう。疑問に思いつつもメニューを見ていく。
「えぇと……」
メニュー表には定番の定食が書かれているが、私が注目したのはその内容だ。
季節の魚定食。仕入れの都合により魚の種類や値段は多少変わるが、その魚を開きにしてパン粉の衣を付けて油で揚げる、魚のフライがメインとのこと。
これは是非とも食べたい。王都レガリヴェリアで食べた時は輸送費や保存費などの影響で多少値段がしたが、ここは産地直送で今朝水揚げされた魚介類がそのままの新鮮さで店に運ばれるので、安く手に入れることが出来るらしい。
私は定食で魚が食べられることに夢中になっていたが、同時に挙動不審な給仕の様子を観察していた。
視線が何度も私の両耳に行くので納得した。エルフという未知の種族が怖いのだろうか。人は自分が知らないことを怖がる、避けたがる性質がある。科学技術の進んだ世界ならば証明出来ることも、その昔は理解出来ない分からないと遠ざけていた。中にはその不思議な現象に名前を付けて想像で姿形を絵に残したりした。妖怪や悪魔、もしくは妖精がそこに当てはまる。
私自身は彼女の目の前にいるので、見えない恐怖というのはもちろん私の内面のことだろう。種族が違えば、考え方も宗教も言葉や食生活だってあらゆるものが違う。まぁ種族間だけでなく同じ人間同士だって相手の内面は分からないものだが、種族が違うというだけで相手がどういった存在か分からずに恐怖してしまうのは仕方のないこと。
私の場合は好奇心が勝ってしまうのであまり意味がないが、彼女の反応は未知との遭遇では当然の防衛反応と言える。
それにしても、ちょっとオーバー過ぎると思うのだが……と考えたところで、一つの可能性が頭に浮かぶ。
「えぇと、この季節の魚定食を一つ。それと一つ良いですか?」
「は、はい。え?」
「あなた、ソル帝国出身ですか?」
「え、えぇと、その……」
当たりか。
「いえ、良いのです。納得しましたから。気にしないで下さい。私も気にしませんので」
「え、と、すみません」
「理由は聞きませんが、ここはエメリナです。多くの亜人がいますので怖いのは仕方ないですが、時間を掛けて慣れるしかありません。無理しない程度に頑張って下さい」
「は、はい。ありがとうございます。あのご注文を繰り返します。季節の魚定食を一つ」
「はい。それとお水ももらえますか?」
「分かりました。少々お待ち下さい」
注文を受けて去って行った彼女の背中を見て溜め息を吐く。
ソル帝国は一〇〇年程前に旧シューガ王国から武装蜂起によって誕生した国である。革命でシューガ王は処刑され、その家族もどうなったのかは記録に残されていないと言われている。
建国後は帝王にジョジェルゼ・ソルが帝王として君臨して現在までソル一家の支配が続いている。
ソル帝国は徹底的に亜人を差別した純粋な人間の国にしようと作られた国だ。その為、ドワーフ族やエルフ族はもちろんのこと、古来より人間族と密接な関係を築いていた獣人族も迫害の対象となって差別され排除されてしまった。
現在は、帝国の辺境に細々と亜人が寄り添って住んでいる集落があると噂がある程度で、基本的に亜人の姿は見かけない。冒険者ならば、行動の制限は付くものの入国も冒険者活動も可能であるが、そういった国事情からあまり近付く人はいない。
革命直後は経済が傾いたようだが、それも現在は工業力を武器にそれも取り戻しつつあるようだ。しかし工業力と言っても作っている物は鉄砲の紛い物であったり大砲のような何かであったりする程度で、現在の一番の売れ行きは移動可能の投石機、カタパルトだそうだ。
中世の欧州でも用いられたマンゴネルに近い形で、石の代わりに爆弾を投射することを目的としている攻城兵器である。それを更に大型化して固定式にした平衡錘投石機、前世ではトレビュシェットと呼ばれる物もある。こちらも本来の用途は攻城兵器なのだが、固定式という観点から、拠点防衛として用いられていると聞く。
実際に物を見ていないので分からないが、話を聞くだけでは全くサッパリである。
本当なら火薬によって砲弾をより遠くへ飛ばすことが出来、更に破壊力もある大砲の量産を推し進めたいらしいが、火を付けると発射する前に爆発する事故が多発しているとかで難航しているとの噂もある。しかし、遠距離兵器で量産されているのが投石機であることを鑑みると、あながち嘘ではないのかもしれない。
戦争準備をしているのでは思う程、軍備を調えている隣国であるが、今日まで目立った衝突は起きていない。ジストとエメリナの二国間同盟が良い形に牽制になっているようだ。
しかし、工業生産だけでは国は儲かっても民までお金が回らない場合がある。その為の手段の一つとして出稼ぎが挙げられる。そしてどうせ働くなら金回りが良いであろう国の首都といった大都市が人気になるのは必然。しかし、ジスト王国の王都はソル帝国からは遠い。そこでジストよりは比較的に近い距離にある同じ隣国のエメリナの王都で働くソル出身の若者がちらほらいる。
だが、亜人を拒絶した国からの出稼ぎであることから、逆に亜人の多い他国では亜人からのいじめに遭ったりすることもある。そして、元々の国の教育によって亜人は悪だと植え付けられていれば、先程のように亜人である私に対してひどく怯える構図が出来上がる。
せっかくのお隣さんなのに仲良く出来ないのは前世でも経験している。むしろ国同士どころか、ご近所トラブルになって事件に発展するという国や地域ではなく家規模の話で度々ニュースを騒がせていた前世は、ある意味で平和だったのかもしれない。
「お、お待たせしま、した」
震える手でお盆を持ってきた先程の給仕の少女が、テーブルにお皿を並べていく。
「え、えと、その、六ドタ。お願いします」
「はい」
エメリナ王国の飲食店では注文の品が来た段階で会計をする。入国して最初の町であるグリビでは戸惑ったが、今は自然に支払うことが出来ている。
「ご、ごゆっくりどうそ」
そう言い残してそそくさと立ち去ってしまった。
あの子が特別そうなのか、それとも他のソル出身の人もあぁやって亜人に怯えながら生活しているのか。私はソル帝国の人に会ったのはこれが初めてなので分からない。それなのに何故見破ることが出来たのか。それは勘である。勘といっても長年の経験と観察眼による推測なのであるが、何となく引っ掛かって観察していたら違いに気付いて問い掛けたという訳だ。
顔立ちや肌の色などにジストやエメリナと大きく差はないのだから、普通にしていたら分からないと思うのだが、そこは私がこれ以上気にすることではない。
だが、あれでは進んで雇いたいという人も少ないのではないだろうか。ここは店主が色々と特殊だから、ここに辿り着けた彼女は運が良いのかもしれない。
「今日もお恵みをありがとうございます。この糧をこの身、この心に刻ませて頂きます」
いつもの挨拶を済ませ、何の魚か分からないがとりあえず何かの開きフライ定食を突くことにする。
タルタルソースなどのソース類はないのは残念だが、名産品の一つである海塩や魚醤、ジストから輸入された醤油があるから、海塩を振り掛けて食す。
衣はサクサクで中の魚は白身のようで、淡泊だが海塩と合わさることで旨味が口の中に広がっていく。また身は柔らかく、口内でホロホロと崩れる度に魚の脂が染み出して来て非常に美味しい。
そして主食。今回が偶々なのか定番なのかは分からないが、目の前に置かれている物、それは玄米であった。
こちらでは米を食べる習慣はあっても、籾殻を除去する手段が確立されていないか、あるいはあっても広く浸透していないのか。少なくとも、ジストで迷子の女王様の娘のリンちゃんを保護した時に食べさせたカツ丼は普通に白米だったはずだから、技術自体はあると思う。
玄米は炊き方が微妙なのか、多少ボソボソとするが私は気にならない。味や食感の違いなんて身体に入って栄養になってしまえば同じだ。実際それで以前は一〇年間冒険者やっていたのだから。しかし、一つ文句というか言いたいことがあるとすれば、米に魚と来たら普通汁物は味噌汁じゃないのだろうか。醤油はあるが、味噌は輸入していないのだろうか。
このスープ、コンソメっぽく思うけど自信がない。コンソメの味を覚えていないからだが、多分こんな感じの味だったはず。炭水化物に油物だから野菜が足りない。その分を汁物に入れて野菜スープとして提供しているのだろうが……やっぱり味噌汁が欲しい。
まぁ美味しいから良しとするけど。
「頂きました」
人が多くなる前に食堂を出る為にやや急ぎ目に食べ終えて席を立つ。この場合、事前に料金を支払っているとすぐに出ることが出来るのは楽だなと感じる。
宿を出てから、昨日結局行くことが出来なかった冒険者ギルドへ行くことにする。とはいえ登録のみで実際に依頼を受けるかどうかは未定だ。一応各国、各町村の調査も旅の目的に含まれているので、ある程度手記が溜まるまでは滞在するつもりだ。
「面白いことは大歓迎だけど、面倒事は勘弁ね」
私の願いが届くのかどうか。それを今知ることは出来ないが、知ることが出来ない、予想が出来ないということが面白く生きるのに必要なスパイスであると認識しているので、結局は行き当たりばったりで何とかすることになる。
「まぁそういう旅だしね。っと、ギルドはこっちね」
結局は諦めという自己完結により解決した私は、登録を行うべくギルドへの足を進めるのであった。
ついつい読書に夢中になってしまった。
多少の徹夜くらいなら問題ない、この丈夫な身体に感謝である。ありがとう母さん。
知らないことを知るというのは本当に楽しい。それが興味のあることなら尚更である。
ただ、城壁の移築の秘密を解き明かした時のように、知ると残念に思うこともある。それも歴史であるのでちゃんと飲み込まなければならない。
フレンシアの手記より抜粋




