1頁目 エルフの里とハーフエルフ
初投稿です。
木入香と申します。よろしくお願いします。
読み方は「きいり かおる」と「きーりか」の二つあります。お好きにお呼び下さい。
至らない点が多々あるかと思いますが、生暖かい目で見守って下さると幸いです。
一応、投稿前に見直してはいますが、誤字脱字があるかと思います。
その際は、お手数ですがご指摘していただけると嬉しいです。
また、投稿は一、二日おき。時間帯は夜の六、七時辺りを目処としていますが、仕事の都合で前後することがあります。あらかじめご了承下さい。
それでは、今日から始まる彼女の新たな人生に、どうぞお付き合い下さい。
薬草を薬研ですり潰していた手を止め、ふと窓の外を見ると、いつの間にか夜が明けていたようだ。一旦ここで休憩にしようと腰を上げ、軽く伸びをすると、ベッドと作業台、薬草や魔法薬、本などが押し込められた大きな棚があるだけの狭く殺風景な部屋から出る。
「あら~シアちゃん、お疲れ~調子はどう?」
古びた木の扉を開けると、そこには朝食を用意している母、アリンの姿があった。私は、集中力が切れてややぼんやりとした頭で「まぁまぁ」と答え、席に着く。
「シアちゃんが言うなら、上々の出来みたいね~。師匠として鼻が高いわ~」
まぁまぁと答えただけで、何故良い方向へと解釈されたのか些か疑問であるが、実際に私の作る魔法薬は、たまに里を訪れる商人や冒険者には好評のようで、まぁまぁ良い値段で買ってくれている。
年季の入った椅子をギシギシと軋ませながら、テーブルの上に食事が並ぶのを静かに待つ。
今日のメニューは、森の木の実を数種類、軽く塩で煎ったものと、寒季も終わりを告げるこの頃、柔らかくなった木の葉を混ぜ合わせたサラダ。それと今朝、母が狩ってきたのだろう、ウサギ肉の香草焼きと乾燥してやや堅くなったパンのようだ。
母が対面の椅子に腰掛けたところで、お互いに手を伸ばし握り合って目を閉じて、この里で信仰しているカラマ神へと祈りの言葉を紡ぐ。
「「今日もお恵みをありがとうございます。この糧をこの身、この心に刻ませて頂きます」」
二人揃って言い終えると、各々食べ始める。
「ねぇシアちゃん」
「なぁに? アリン?」
「もぉ~私のことは、お母さんって呼んでっていつも言ってるでしょ~?」
「いや、流石にこの歳になって、いつまでもお母さんは恥ずかしいよ」
「まだまだ子供じゃない」
「いや、成人したし」
このゆるい言い合いはいつものことだ。いつも穏やかで柔らかい物腰のこの母だが頑固な部分もあり、その最たるものがこのお母さん問題である。いつも同じような話題であることに呆れはするものの、飽きることはなく、私自身もどこかこのやりとりを楽しみにしているような節があると思う。しかし、決してこの喧嘩を継続させたいが為に、母をお母さんと呼ぶことを抵抗している訳ではない。何故なら……
「だって、アリン。私もう一二〇歳だよ? 成人になってもう二〇年も経った。立派な大人だよ」
そう、私はもう既に一二〇歳を迎えている。人間だったなら、とっくに亡くなっているであろう年齢である。だが私は人間ではない。エルフである。
そもそも、私の元々の生まれはこのファンタジーな世界ではない。いわゆる、転生者と呼ばれるものだ。しかし、私は自分が死んだという実感がなければ、以前、どこでどのような生活を送っていたかということもぼんやりとしか覚えていない。どうやら、自身が以前も今も性別が女性であるということがハッキリと分かっている程度である。また、転生の際には、神様に会って問答をするのが決まりらしいのだが、あいにくと私の記憶にはそのような存在はなかったし、今を生きる私にとっての神様とは、このエルフの里で崇拝するカラマ神のことである。
「頂きました」
ずっと可愛らしく文句を言ってくる母を尻目にさっさと食べ終えた私は、木を削って作った食器を洗う為に、外の井戸まで持って行く。水面に目を落とすと、そこには整った顔立ちの女性が映っていた。母親譲りの金色の髪は腰まで伸ばされ、瞳の色は、父親と同じ翠色である。目付きも若干父に似て釣り上がっている。相変わらず、自分には過ぎた容姿だと思いつつも、水を汲み上げ、食器を洗っていく。
この土地は、近くに火山地帯があるおかげで地熱により、寒季でも雪がほとんど積もらないのだが、それでも暖季に入ったばかりの井戸水は微かに冷たく感じる。いや、エルフは寒暖に鈍感であるから、あくまで私個人の感覚の問題だ。
空を見上げると、さっきよりも明るくはなってきているが、周りを森で囲われているこのエルフの里に日が差すのは、もう少し後になるようだ。
「さて、続きでもしようかな」
綺麗になった食器を持って家に入り、布巾で水気を取って棚に仕舞い、その後、再び自室にこもり、薬を作る作業へと戻る。
いつもの繰り返しの作業の為、先程の思考の続きをする。
私が生まれたのは、今から一二〇年前。母のアリンはエルフ族であるが、父は人間族である為、私は正確にはハーフエルフということになる。父が亡くなったのは八〇年程前、私が四〇歳頃のことである。享年七二歳。老衰である。現代の日本からすれば、まだまだ若いと思うが、電気もガスも水道もない今の技術や、衛生管理も不十分なこの世界では、同じように寿命を迎えることは難しいかもしれない。医療も、魔法や薬による怪我や病気の治療があり、この点に於いては、かつて私がいた世界よりも医療は充実しているのかもしれないが、老いを止める方法は存在しない。
「本当はあるのかもしれないけどね」
ふと、思考が口に出てしまい、誰もいないと分かっているが、つい周りを見渡してしまう。溜め息を吐くと、再び薬草をすり潰し始める。
魔法が存在する世界なのだ。また、私達のようなエルフ族といった長命な種族を始めとし、世界には数多くの種族がそれぞれコミュニティを築き、生活を送っている。
この世界にヒトと呼べる存在が誕生して早八〇〇〇年。あくまで確認出来る限りでの年数だそうで、もしかしたらそれ以前にも文明があったのかもしれないと言われている。
いずれにせよ、そこから住む地域や気候、思考など様々な要素から人種が別れた地球のように、私達の先祖もそうして数多くの種族や人種に別れ、世界各地で過ごしている。
私の知らないところでは、機械文明が発達した国や、賢者の石か何かの魔法で、長寿を成し遂げた人間が住む集落があるのかもしれない。そう考えると、この世界を見て回りたいと思ってしまう。
だが、我慢しなければならない。
成人後一〇年間は冒険者としてその身を危険な目に合わせ、母を随分と心配させてしまった。一〇年前に引退してからは、たまに武器の手入れをする程度で、基本は家に籠もり魔法薬の作成に努めている。
里の外に出るのは、薬草や野草、木の実などの植物の採取や、食糧となる動物を狩る、時々、里に害を成そうとする怪物を討伐する時くらいで、基本、日々まったりと家に引き籠もって過ごしている。不満はないが、やはり、どこか物足りない。あの冒険者時代に味わった、命の危険をもう一度体験したいとは思わないが、知らない土地、知らない文化、知らない食べ物などを知るのは、非常にワクワクしたものだ。
「やっぱり、集中出来ないかな」
そんなことを考えていたからか、いつの間にか手を止め、ぼんやりと窓の外を眺めていた。外では、人間の見た目三〇代前後、実際はその一〇倍、二〇倍を生きるエルフ達が、井戸端会議をしていたり、薪を割ったり、農作業をしたりと、穏やかにその時間を送っている姿が目に映った。
私は異端児だ。
転生者なのだから当然なのだが、普通エルフは見た目の成長の割に精神の成長は遅い。見た目だけならば、五〇~七〇歳の間には成人と同じ姿となる。最大で二〇年の開きがあるが、数百年を生きるエルフにとって、二〇年なんて誤差である。成人が一〇〇歳となっているのは、そこに関係している。エルフの六〇歳前後とは、人間でいう一〇歳程度に相当する。長命な分、精神の成長が非常に遅いのである。それはハーフエルフも変わりはない。人間の血が混じっている為、若干早熟するという程度で、結局は誤差で片付けられてしまう。
だが私は、生まれた時から既に成熟した精神をこの身に宿してしまった。その為、普通なら遊ぶのが仕事という幼少期を早々に卒業し、家事の手伝いや、年老いて動けなくなってしまった父の介護を行ったり、母に師事して薬草の知識を学んだり、魔法や武器の練習に勤しんでいた。
そして一〇〇歳。元服し、成人の証として両耳に銀のイヤリングを付けて単独で里の外へ出ることが出来る許しを得ると、母に冒険者になると一方的に告げて、里を飛び出してしまった。
森の奥の小さな集落であり、外部との交流はなさそうに思えるが、実は人間の町と火山の間に位置しているということで、そこを行き来する商隊の中継地点として利用されている。その為、里の外の話を聞く機会があったのだ。
ここで、冒険者はともかく商隊が火山へ何の用事かと疑問に持つところだが、実は山の麓には、鉱石などを扱うことに特化した種族、ドワーフ族が住んでいるのである。
ドワーフ族と交易を結んで鉱石を売買し、その護衛を冒険者が務めるという仕組みだ。この交流は数百年に渡って行われており、私の父も、元々は冒険者として護衛でこの地を訪れて母と出会い、夫婦となったのだそうだ。
「そうだ、そろそろ商隊が来る頃かな」
薬棚を漁り、魔法薬が詰まった薬瓶十数本と、乾燥した薬草数本を取り出し革袋に詰めていく。商隊がいつ来るかなどは決まった周期があるわけではなく、完全な勘なのだが、半分近くは当たるので、あながち馬鹿に出来ない。そして、袋を持って外に出たところで、里の門の方から、ガラガラと音がすることに気付く。しばらく待っていると、森の中から馬車が数台、縦一列となって現れた。
「やった」
馬車は、休憩の為に里で唯一の宿屋へと向かうので、私も遅れないように急ぎ足で、その後に続いた。
「いらっしゃいませー!」
いち早く辿り着いた私は、すぐに馬車の横に陣取り、魔法薬や薬草を広げる。
エルフの里内での取引は通貨を必要とせず、物々交換が基本なのだが、それは普通に生活する分には自給自足で事足りており、あまり外部の物を必要としていないことに関係している。それ故に、お金を持っていないエルフは何人もいる。
私もそれに倣って里内での取引は物々交換で行うことが多いが、欲しい物がない場合はお金でやりとりをしている。
「さぁどうぞ。見ていって下さい。師匠お墨付きの魔法薬です!」
「お、今回はフレンシアが一番か。よーし、どれどれ?」
恰幅が良く、豪快に笑う商人のおじさんが、地面に広げられた魔法薬類に手を伸ばしてじっくりと見定めていく。フレンシアとは今の私のフルネームであるが、母などの親しい人達は皆シアと呼んでいる。
今回は、私が一番良い位置で場所を取ることが出来た。つまり、商隊が来るタイミングを勘で当てることが出来た者だけが、優先して商売することが出来るというのが、この里での暗黙の了解なのである。この為に、外部の物を必要とするエルフは日々、勘を研ぎ澄ます努力をしている……訳ではなく、種族柄、長寿のエルフはさほど急ぐ、慌てるということをしない上に物欲もあまりないことから、偶々居合わせたエルフが一番乗りだった時に、私は甘んじて後列に並ぶのである。
そんな物欲に乏しいエルフ族である私だが、精神が人間であることが関わっているのか、それとも人間の血が混じったハーフエルフであるが故か分からないが、いずれにせよ私自身は、それなりに物欲がある。
「よし、魔法薬は全部もらおう。薬草は、それとそれ、後これをくれ。乾燥状態はどうだ?」
「ここのところ晴れ続きでしたから、天日干しで問題なく。三日ですね」
「分かった。金額は一六.一四キユでどうだ?」
キユというのはこの国、ジスト王国で使われている主な通貨の単位だ。
金貨がロカン、銀貨がキユ、銅貨がトルマで、一ロカン=一八キユ、一キユ=三〇トルマである。日本円に換算すると、一トルマが大体五〇円前後くらいの価値だろうか。
今回、商人が提示した額が一六.一四キユということは、一六キユ一四トルマで、おおよそ二四七〇〇円くらいになる。今回用意した魔法薬は一四本。となると一本一.〇四キユだろうか。日本円にすると一本一七〇〇円くらい。残りの一八トルマは薬草の分ということになる。
日本で風邪薬を買うと一〇〇〇~二〇〇〇円であることを考えると、相場はさほど違いはないのかもしれないが、この世界の魔法薬は飲むだけで、程度によるが傷が癒え、病気も治す万能薬である。もちろん粗悪品もあれば反対に最上級や上級と呼ばれる魔法薬があり、更にある一点特化型の特級魔法薬も存在する。どんな傷も全快させ、たちまちに死の淵から蘇るというものらしいのだが、本当だろうか。少なくともお金持ちの人なら、外傷では死ぬことはないのかもしれない。
話が逸れてしまったが、そんな万能薬である魔法薬が一.〇四キユというのは安い。もちろんこれは取引価格で、ここに税金や人件費、運搬費などが上乗せされるので、最終的に市場に出る頃には、それなりの値段になっているだろう。
出回っている低級の相場が大体一.〇二キユであること。もちろんこれは市場価格なので、実際の取引では、それよりも少ない二〇トルマ前後でやり取りが行われる。
話を戻して今回の取引、相手方が提示したのは薬草を購入し、更に多少色を付けての一六.一四キユ。一応、一本の価格が一キユを超えているので、低級ではないとの判断からなのだろうが、それでも納得がいかない。今回私が出す魔法薬は、中級には手が届いていると自信を持って言える出来である。それが思ったほどの評価がされないともなれば、プライドが許さない。
そもそも前回の取引時は寒季ということもあり、魔法薬の材料も少なく数が少ないことから、今回よりも質が悪くても一本当たり一.二二キユまで値が上がったのだ。
前回よりも数段は質を上げており、おそらく彼もそれをある程度理解しているだろう。液体の色や透明度が明らかに違うからだ。にも関わらず、一.〇四キユというのは些か納得出来ない。
これでも薬師であり、それを売る以上は商人だ。妥協は許さない。
「安いですね。一本二キユ」
「前回は、寒季で材料もあまりなかったし、魔法薬が数揃えられなかったからであって、今回は寒さも越したし、この薬草の状態を見ても良好と見える。これなら、安定した数が確保出来るだろうから一本一.〇四キユだ。これでも市場よりも値を上げてるぜ」
「前回よりも質は上がっています。前回は低級の中でも上位程度でしたが、寒季にじっくりと研究しましたので、中級に手が届く程度にはなりましたよ? 中級は、安くても二.二キユ。それよりも二〇トルマも安いですよ?」
「ぐ、一.〇六キユ」
「二キユ。ここで安く仕入れて、どうせ市場では三キユ近くの値段で卸すのでしょ? その分の儲けを少し分けて下さいよ」
「……一.一キユ」
「私も悪魔ではありません。一.二八キユ」
「材料はタダなんだろ? 一.一三キユ」
「人件費と時間給込みです。一.二七キユ」
「人件費ったって、フレンシア一人じゃないか。それにエルフに時間給とかって概念ないだろ?一.一四キユ」
「種族差別です。侮辱罪込みで三キユ」
「値上げすんじゃねぇ! そもそも侮辱罪って何だよ!」
「あー嫌な気分になりましたー。もう私売りたくなーい。直接町行くー」
「あ、くそ、一.二キユ!」
「もう一声」
「だーもう! 一.二二!」
「一.二五です。これが最低ラインです」
「分かったよ! 一.二五キユ!」
「毎度ありがとうございます! では魔法薬一本一.二五キユが一四本。それに乾燥薬草三束で、合わせて一ロカン六キユと一〇トルマのところ、端数分を削ってあげましょう。温情です。では一.〇八ロカン! いただきます!」
「はぁ、はいよ」
「ありがとうございます」
最初一六.一四キユのところから一気に一〇キユ程釣り上げ、二六キユ、つまり一.〇八ロカンまで引き上げることが出来、ホクホク顔の私である。地味に薬草を二トルマ値上げして計算していたことは内緒である。まぁ相手もベテランの商人だ。計算は速いので分かってはいるだろう。それに、結局差し引いたのだから問題はない。
受け取った一.〇八ロカンの内、一.〇二ロカンは財布に仕舞って六キユだけ手に持ち、再び交渉の席に座る。第二ラウンド開始である。
「じゃあ、今度は私の番ですね。本を下さい!」
それから後、交渉を終えた私は二冊の本を持ってトボトボと家へと歩いていた。
結局、六キユで三冊を希望したものの、二冊しか買うことが出来なかった。見事にやり返されてしまった形となる。その後は今の町の様子や他の交易の状況、同僚や奥さんへの愚痴などの世間話を軽く聞いてお別れした。
「ここでは、私くらいしか本買う人なんていないのだから、三冊くれても良いのに……」
エルフ族は本を読まない。エルフだけに限らないが、多くの亜人は人間のように文字として記録や記憶を残す習慣がないのである。その理由は様々であるが、例えばエルフであれば、長命であることが原因の一つとなっている。
ハーフエルフであれば、片親の種族によっては文字を学ぶ機会はあるだろうが、そもそものハーフエルフの数も少なく、この集落では私しかいないので分からない。
子が増えることもそう滅多になく、次世代に記録などを残す必要がなく、あったとしてもそれは口伝で解決するというものである。それ故に、文字が読めないエルフは多くいる。
実際ここ数百年の間、里の人口も四〇~五〇人とほとんど変わっていない。
ドワーフ族の場合は、人間と取引をする為、一応文字の読み書きは出来るが、それでも技術は口伝であったり見て盗めという職人気質だったりするので、やはり本をじっくり読むという文化が定着してない。
母も、簡単な単語程度なら読めないことはないが、書くことは難しいとのこと。
獣人族は、人間と生活圏が近かったり、共存共栄していたりしているから割と本を読んでいる方だとは思うが、元の動物によっては脳筋だったりするので、これは個人差だろう。その他の種族については、深く関わったことがなかったり、会ったこともなかったりした為に分からない。機械人とかもいるのだろうか。
ちなみに、今回買った本は、とある旅人が諸国を巡って食べた料理の感想本と、最新版の薬草大全集である。
製紙技術は意外と広まっており、それなりに質も良く、それに合わせて活版印刷や製本の技術も割とあったりする。ただし日本のように手軽にコピー用紙や文庫本、漫画本を買えるような物でもないので、安くはない程度である。
主な用途としては、聖書や図鑑だろうか。旅行記などの娯楽本は数少ない。書けば売れるのかもしれないとは思う。主に貴族などの階級の高い身分の人達などは、気軽にあちこちを見て回るということは出来ないだろうから、そういった層には受けるだろうと思う。
パラパラとページをめくりながら、今日買った本の内容を眺めていると、段々と薄暗くなってきていた。作業台の上に掛けられたランタンに火を入れる。
「もう夕方か。さて、今夜も魔法薬作り、頑張ろうかな」
エルフは食事をほとんど摂らない。大体が一日一回。朝食を食べればそれで一日の食事は終わりである。また、睡眠もあまり必要なく、三、四日程度なら睡眠は必要ない。エネルギー効率が良いのか、魔力が高い種族故、魔力によって補助されているだけか分からないが、日本のブラック企業が是非とも欲しがりそうな体質である。問題は、文字の読み書きが出来ないということと、おそらく電子機器関連の扱いが出来ないと思われることであるが。
さて、と棚から必要な材料や道具を取り出していたところで、扉の外から母が私を呼ぶ声が聞こえた。
「シアちゃん、今ちょっと良い~?」
「アリン? いいよ?」
席を立とうしたところで、母が扉を開けて入ってきた。
「どうしたの?」
一見、普段と変わらない、穏やかで落ち着いている様子であるが、一〇〇年以上そばで見てきた私は分かる。何となく不自然な落ち着き方というか、いつもの彼女とは違う感じがする。何か言いたいけど言い出しづらいこと、相談事か何かだろうか。
「ちょっと前から考えてたことなんだけどね~……シアちゃん、もう一度、冒険者にならない?」
「……え?」
唐突に何を言い出すかと思えば。私は、自分の意思で冒険者になって、そして自分の意思でやめたのだ。その原因に、母の存在がなかったとは言えないが、今こうして母とのんびり過ごし、魔法薬を作ったり、時々採取や狩りに出掛けたり、そんな穏やかな日々を送ることに不満はない。
何より、それは母が望んでいたことではなかったのだろうか。私が冒険者をしていた頃の母は、きっと内心で非常に心配していたことを何となく感じていたし、だから一〇年経ったことを節目に引退し、母と一緒にのんびり暮らそうと決断したのだった。
実際に一〇年振りに再会した時の安心したような表情は、今でも忘れられない。私の決意は間違っていなかったと思っていた。
「なんで……」
「私はシアちゃんの母親よ。だから分かるの」
いつもの間延びした話し方と違い、しっかりとした口調で言い切った。私は椅子に座り直し、改めて姿勢を正して母に向き直る。
「やめて欲しかったんじゃないの?」
「心配はしてたわ。それに、やめた後、一緒に暮らすこともすごく嬉しかったし毎日楽しいわ。でもね……シアちゃん、未練があるんじゃないの?」
「未練?」
未練なんてあっただろうかと首を傾げるが、母は断言してきた。
「あるわよ。商人さんとの取引を楽しみにしてたり、里の外の話をしたり、本をいっぱい買って、世界のことを学んだり、時々道具の手入れとか言いつつも、冒険者の頃に使っていた武器も手入れしていたり、狩りや採取の時に嬉々として出掛けていったり、窓の外を眺めては溜め息を吐いたり……」
「……」
未練、あり過ぎた。確かに、今の生活は満足しているが、物足りないとは常々思っていた。そのことを解消しようと本を読んだり、外の人の話を聞いたりとしていたが、それで満たされることはなかった。そのことに気付き、言葉を失ってしまう。
「だからね。お母さんね。シアちゃんが本当に冒険者を、また始めたいって言っても止めないわ。役目だとか、役割だとかで縛り付けたくないの。あなたは特別よ。生まれた頃から聡明で、とてもエルフとは思えない程の精神の成長が早かった。もしかしたら、特殊な体質な子なのかもと心配した時期もあったけれど、今はそんなものないわ。あの人との間に出来た、たった一人の愛する娘よ。そんな子が世界を見たいと言うのなら、それを応援するのが、親としての務めでしょ?」
「アリン……」
「もう、私のことは、お母さんって呼んでっていつも言ってるでしょ? あなたが疲れた時に帰ってくる場所は、この家なんだから。この家を守ることが、母としての務めなんだから」
唖然としてしまう。いつもポヤポヤしている母が、そんなことを考えていただなんて、思いもしなかった。
「ごめん、アリン……お母さん……」
「うん♪ でもね。この場合は、ごめんじゃないわ~」
いつもの口調に戻ったことに、思わず笑みがこぼれてしまが、気にせず今言うべき言葉を口にする。
「ありがとう。お母さん」
「うん♪ で、どうするの~?」
「うん、私、行くよ。冒険者に戻って……前はお金を稼ぐことに重点を置いていたりしてたけど、今度は違う。世界を見て回りたい。本にも載っていないような、私の知らない物事を、いっぱい目にしたい。そして、それを本に残したい」
「美味しい物いっぱい見つかると良いわね~」
「話聞いてた?」
「聞いてたわよ~。世界の色んな美味しい物を食べ歩くんでしょ~?」
「それも間違ってないけど、間違ってる! 私は食べ物だけじゃなく、その土地のその人達の生活、文化などを見てみたいの。それと、人間、亜人などに限らず、怪物達の様子もじっくり観察したい。普段は、狩る狩られるの立場だけど、出来れば観察して、それも記録に残したい」
「うん、良いと思うわよ~。やりたいことをするのが一番。あ、でも~悪いことはしちゃ駄目だからね」
「しないよ。だって、お父さんとお母さんの子だもん」
「えぇ!」
話が一段落したところで、作業台の上の旅行記へと目を落とし、決断する。
「じゃあ、早速、準備しなきゃ」
「え?」
突然のその言葉に、母は驚いた様子である。
「決めたからには、早速明日には出るから」
「え~もうちょっと……来年にしない? もう少しゆっくり準備して~……」
「時間かけ過ぎじゃないかな! お母さんも未練あるんじゃん」
「それはそうよ~。だって、また娘としばらく会えないんだもの~」
「駄目だよ。余計に未練が残ると思う。うん、明日朝に出るから」
私の意思が固いことを認識したのか、母は諦め、拗ねるような表情をする。
「そんな顔しないの」
「だって~」
やれやれ、これではどちらが親なのか分からない。先程までの立派な母親は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。だが、こんなのも悪くないなと、自然と頬が釣り上がってしまう。
「あぁ~笑った~! もう知らない~。シアちゃんなんてどこへでも行っちゃえ~」
「さっきと言ってることが違う」
「やっぱり行かないで~」
「どっち!」
「嘘嘘、気を付けてね」
不意打ちである。突然そんな真剣な表情で言われたら、頷くしかない。
「分かってる。無理や無茶はしない。長い旅になると思うけど、絶対にお母さんの元に帰ってくる。約束する」
「分かったわ~じゃあ、私はそろそろ寝るわね~明日朝は腕によりを掛けて豪華な食事にするんだから」
「ふふっ分かった。楽しみにしてる。じゃあおやすみ」
「おやすみ~」
母が部屋から出て行き、古びた扉が軋みながら閉じられる。すると途端に静寂が辺りを包み込む。そのことに、ある種の寂しさを覚えながらも、自分で決めたことだと活を入れ、支度を始める。
まず武器は弓矢と剣。この剣は所謂ショートソードとも言う物で、片手でも扱える程度の長さがある。派手な装飾などはないが、冒険者時代から愛用している物であり、手入れは欠かしていない。
続いて取り出したのは狙撃銃。なんとこの世界には銃が存在するのだ。私が、機械文明が進んだ国があるかもしれないと予想した根拠がコレの存在である。
この銃は、父の形見である。父も弾の補給が乏しいので、頻繁に使うことはせず、お守り代わりとして持っていたらしい。その為、年季の入った骨董品である。あまり銃に詳しくはないのだが、第二次世界大戦とかそれ以前で使われたようなデザインで、ボルトアクション方式の銃である。
銃はこの国ではすごく珍しいらしく、弾もなかなか手に入らない。だがそこは問題ない。魔法で精製した弾、魔弾を用いれば解決する。または、動物や怪物の骨や牙などを加工して、魔力で覆うのもアリかもしれない。
狙撃銃に限らないが、魔力を付与することで、武器はその威力を底上げすることが出来る。そして、その魔力は、基本、一人に対し、一つか二つの属性しか保有出来ない。その為、この世界には、異世界で定番の生活魔法と呼ばれるような、飲み水を出したり、洗濯をしたり、着火をしたり、物を収納するといった魔法は存在しないと思う。作ることは出来るのかもしれないし、あると便利ではあるが、特に必要と感じないのは、自分がハーフとはいえ物欲に乏しいエルフだからだろうか。
私の魔力は二種類。雷と回復だ。戦闘向きと補助向きを二つも持ち合わせているので、両親に感謝だ。ちなみに母が回復で、父が雷だ。魔力は遺伝によって受け継がれ、それが一つか二つなのである。よって、二つの魔力を持つ親同士から子が生まれたとしても、四つの内、受け継がれるのは、同じく一つか二つになる。
雷魔法は基本無詠唱。漫画やアニメで得た知識を転用出来ないか試行錯誤した結果、ある程度ものになったと思う。
回復魔法は簡易詠唱による外傷の治癒が可能だが、病気や状態異常は治すことが出来ないので、そこは魔法薬頼りということになる。簡易詠唱では治療出来ない状態異常も、長文詠唱によって発動させれば可能となる場合もある。
後は補助武器として、いくつか投げナイフを持っておこう。不意打ちや牽制などに使えるし、しまう場所もそれ程困らない。
武器の確認はここまでとして、次は防具だ。
私の戦闘スタイルなら、いつものエルフの民族衣装でも問題ないのだが、露出も多いので流石に里の外で着るのは恥ずかしい。性能は問題ない。耐刃により物理耐性はそれなりにはあるし、エルフの着る服なので耐魔法に関しても申し分なし。欠点としては、女性の衣装は、腕や脚など露出が目立つので、里の中で着る分では良いのだが、エルフ以外の種族が多くいる里の外で着ることには些か抵抗がある。
性能は問題ないのだ。それに見た目も、どこか和服を彷彿とさせるデザインで、私は可愛いと思っている……が、それとこれは別である。よって、冒険者時代に使っていた物や、その頃に作ったものの、結局使うことのなかった物を使うこととする。
上半身は小飛竜の革や鱗を用いた革防具を着、下半身はいつものホットパンツにしよう。足下は、膝まで覆う小飛竜の素材を使ったブーツで……と見たところで気付く。
「灰色が多いかな」
小飛竜は全身がほぼ薄い灰色の為、必然防具も灰色となる。一応、アクセントとして、ベルトを赤くしたりしているが、ホットパンツが茶色ということもあり、地味さが半端ない。小飛竜の防具は、少し値が張るが、それでも鉄よりも非常に軽く、同じような強度だからと、冒険者に人気である。色合いが地味だから、オプションで様々な塗装をする人が多いが。
私もケチらずに塗装しておけば良かったかなと思いつつ、ならばと、父の形見である薄汚れたフード付きのコートを引っ張り出す。
「うん、深緑ね」
やっぱり地味であった。丈は膝に届くくらいに長いが、袖は私に合わせて短く加工してある。色合いは地味だが、このコート、冒険者時代も使っていたが、非常に頑丈である。何せ、鉄火竜の素材が使われている為、耐火性、防御力と申し分ないのだ。それでいて軽くて動きやすい。父は、特注品だと自慢していた。
鉄火竜。別に鍛冶をする竜ではない。鉄のように硬く火を扱う竜から来たらしい。
前世日本人だった私からすると、鉄火と聞くとまず浮かぶイメージが美味しそうであるが、実際に美味しいらしい。是非とも食べてみたいが、珍しい怪物なので、なかなか機会は巡ってこないと思う。
アーマーにコートと揃えたので、防御面は問題ないと思うが、備えあれば憂いなし。もう一つ防具を足しておこうとベッドの下から取り出したのは、鉄よりも軽さも頑丈さも上回るライトメタルのアーマーである。とても高かったので、胸部を覆う分と手足の甲を守る分しか購入出来なかったが、それでも十分だ。色もシルバーであるが、光の加減で薄らとピンク色にも見えるので、地味な色合いばかりの防具の中でも丁度良いアクセントとなるだろう。
その他は、リュックサックに簡易キャンプ道具、魔法薬などの薬品に、後、薬草事典に何も書かれていない本を数冊。記録を残すのに、記す物がなければ話にならない。多少荷物はかさばるものの、食事をほとんど必要としないエルフである為、食糧のスペースを活用出来るのは大きい。また睡眠もあまり取ることもないので、キャンプ道具と言ってもテントは必要ないし、シートなども荷物になるので除外、あくまで簡単な調理器具と雨具くらいか。他にも、薬品類や薬草、これまで稼いだ全財産が入った革袋の財布、替えの下着とホットパンツ。裁縫セットも持って行こう。
着るか分からないが一応、今日まで着ていたエルフの民族衣装も持って行こう。リュックに入りきらない分は、腰のベルトに取り付けたサイドポーチ、それでも入りきらない分は、ベルトに直接取り付けたり、コートのポケットに入れたり、急遽縫い付けたポケットに放り込んだりする。
頭部はどうするか。何も身に付けないのも良いが、一応、様々な環境へ行くことを考慮し、防塵用のゴーグルと、マスク代わりのスカーフを首に巻くことで解決したことにした。
用意が出来たところで、一回着替えてみる。
「うん、意外と悪くないかも」
冒険者時代は流石にここまで大荷物を持っていた訳じゃなく、拠点となる宿屋に荷物を置いたり、商隊と行動の際には一緒に運んでもらったりするなどしていた為、ここまで用意することはなかったが、今回は拠点も決めず、パーティを組むつもりもなく、ただ一人で気ままにあちこち歩き回る予定なのでそれなりに荷物が必要なのである。
「しかし、あれだけあったのに、よく入ったね……」
パンパンに膨れたリュックサックを見下ろして呟く。本だけでも何冊もあるのだ。普通なら溢れるだろうと予想したのだが……
「もしかして、この背負い袋、空間収納魔法とかかかってないよね?」
存在しないと否定したばかりであるが、もしかしたらあるのかもしれないと期待してしまう。だが、実際、入りきらなかった分はあるので、細かいことは気にしないことにする。
こうして、準備をしたところで、窓の外を見ると、薄らと空が白み始めていた。
「朝だ。今日から、私の新しい生活の一歩が始まるのか」
そう思うと、途端に胸が高鳴る気がした。
【国】
ジスト王国
【集落】
エルフの里(森のエルフの里)
【種族】
エルフ、ハーフエルフ、エルフの番として人間が住むこともある
【土地】
筆者含むエルフの里の住人は、森としか呼ばないが、人間や獣人族の間ではルキユの森と呼ばれている
人間の町ルックカから、西へ、徒歩なら二刻程。馬車なら一刻程で森の入り口に辿り着ける。そこから更に、徒歩でおおよそ一二刻ちょっと。馬車なら七~八刻程度のところにエルフの里がある
ちなみに、ドワーフの里までは、エルフの里から徒歩だと丸二日、馬車でも一日以上かかるので、移動は計画的に
お泊まりの際は、エルフの里で唯一の宿屋リリンまでお越し下さい
ルックカからドワーフの里へ繋がる道の中継地点として利用されている
【気候】
暖季、暑季、乾季、寒季の四季があり、暖季と暑季の間には雨季がある
近くに火山があり、その影響か、寒季でも雪が地表に積もることはほとんどないが、寒いものは寒い
【言語】
共通リトシ語
【通貨】
物々交換、一部通貨(ジスト王国共通単位)
【人口】
四〇~五〇人程度
【宗教】
カラマ神教
【食べ物】
木の実や野草、森の動物、一部自家栽培している野菜や果物
【産業】
魔法薬などの薬品やその材料の薬草
フレンシア印の魔法薬は、筆者が旅に出ている為、しばらく購入出来ません
【政治】
族長ジーが里の行事を取り仕切る
外部との交渉の際の責任者にもなる
あだ名は「ジーさん」御年七八〇歳のおじいさん
【文化】
寒季の終わりに、暖季を告げ、狩りを解禁する『狩猟祭』がある
乾季の終わりに、狩り納めを宣言する『休狩祭』がある
晴れた満月の夜に『音楽祭』がある
楽器は各々手作りで、主な材料は森の植物や動物の毛、皮、骨など
縦笛、弦楽器、打楽器など多種多様
精巧な小提琴を作るエルフがいるのだが、一体上記の材料からどうしたらそんな物が作れるのか……教えてもらったが、結局上手く作ることが出来なかった。人気の楽器は手軽で出来る太鼓
楽譜がある訳ではなく、それぞれ思い思いに演奏してそれが混じって大演奏となるのだが、意外と耳心地良く夜の静かな森と不思議と合うので、もし時期良く訪れる機会があれば、是非聴いてみることをオススメする。自慢の楽器を持ち寄って、一緒に演奏するのも悪くないかもしれない
ちなみに筆者の楽器は上記の通り、何度も失敗を重ねた為、諦めて陶笛を作った
【特徴・習慣】
エルフの特徴と言えば、真っ先に目に付くのは、横に長い耳である。長い耳のおかげで聴力も良く、遠くの音を拾うことに長け、視界が悪い森の中での狩猟の際は、非常に助けになる
成人しているエルフの耳には、銀の耳輪がある
勘違いをしている人が稀にいるが、エルフは草や木の実だけを食べて生活している訳ではない。狩猟民族である。ウサギの肉美味しいです
食事をあまり必要とせず、一日一回、朝に食べるだけで食事を終える
睡眠も人間のように毎日行う必要はなく、三、四日は起きていられる
文字の読み書きを必要としていなかった為、族長や宿屋の主人、一部外部と関わりを持つエルフを除いて、ほとんど読み書き出来ず、また書物もない
集落の人数がそもそも少なく、子が生まれることも滅多にない為、先人の知恵などは全て口伝で事足りてしまうことが原因であると考えられる
芸術は、主に音楽で、上記の通り音楽祭などの行事でその魅力を遺憾なく発揮することだろう
【備考】
あくまで、この記述はジスト王国の森のエルフの里のエルフのものである為、今後、別のエルフ族と交流する機会があれば、その文化や習慣の違いなども共有したいと考えている