3日目夜 始まりの地平
目がさめるとそこは知らない天井だった。本当の本当に一欠片ほども見た覚えのない天井が目の前にあった。装備も外されており外套はやはり外せなかったのか首にスカーフ状になって巻きついている。手の届くところに短剣と装備一式が洗浄されて置いてあり周囲から俺に対する敵意も感じられない、水差しが見えたので起き上がって水を飲もうと思ったが…
「っぐ…」
身体が起き上がらないというかそもそも動かない、踠いていると足音が一つこちらに向かってきており病室であろうこの部屋の扉がスライドする音が聞こえると紅い髪と瞳が特徴的なエルフもどきが現れた。
「やぁー?いきてるぅー?」
「…はぁ、こっちもそのセリフを言いたいとこだがこんなザマじゃあそう言われても仕方がないな」
それはたしかに俺がその体の半分以上を丸太などを用いた大量の物資による質量攻撃で吹き飛ばした筈の剣士であり女性である。だが彼女の肉体と彼女のありようというのがオレの想定を大きく上回る物だったということだろう。
…重心がわずかにずれている。
「右腕、それも重度の骨折かな?」
「正解〜」
ついでに言うとそれは普通ではない折れ方だった。それはまるで意図したかの様により強く繋がる折れ方をしており緻密に計算されたパズルの1ピースの様な寸分の狂いもない骨折と言えば良いのだろうか、見る人が見ればもっとわかるだろうが俺の魔眼での探知ではその程度のことしかわからなかった。
少なくともそれが今しがた突然に治った理由もわからないが、こちらはおそらく彼女の肉体の回復力の賜物だろう。
「なんのためにそんな事を?」
おそらく帰ってくる答えは簡単で、すでに予測はついているが一応聞いてみる。
「そりゃあ勿論、強くなるためだよ短剣使いくん」
そしてその返しは予想通りだったがその真剣さには今までのどんな問いやどんな危機よりも重大である様に聞こえるほどに緊張と狂気をはらんでいた。
うむ、いつも通りだ。天使やら神やら関連の不都合は出ていないらしい、そうでなければこんな質問などするものか、かつて剣聖だった彼女がもう一度剣聖レベルの高みを目指しそして追い抜こうとするのは当然である。なにせ俺の知る限りでの彼女は自分ができたことが出来なくなるのが一番苦痛に感じるタイプの人間だ。あのダンジョンの中でマトモだった頃の感情の動きを読み取ればそれくらいはわかる。
「ところで此処は、そしてなんで俺は倒れてる?」
「むふふ〜お答えしようじゃないかー」
彼女はカルテを取り出した。
「100日もしくはそれ以上の長期間の探索戦闘による精神および肉体の疲労と水薬によって維持されていた以上な活性状態の循環異常…ま、ざっくりと言うと君が疲労とか諸々でぶっ壊れそうだったから病院にぶち込んだってだけだよ〜」
そう言った彼女はカルテを放り投げて空いた手で椅子を引き寄せ座る。ちょっと申し訳なさそうに眉毛をハの字にする。
「ま、正確には君の状態を探索者組合に伝えたら引き摺ってでも良いから休息を取らせろって言うことになってねぇ…あっちのダンジョンで起きたことの聴取とかも出来ない内に死なれるのも、そもそもダンジョン攻略者に対する外部圧力からの刑罰中の死亡とか洒落にならないらしくてね〜、神様やらなんやらがバックに居ても結局人間によって運営されてる以上、醜聞だとかそう言うのには敏感にならざる得ないらしいよー?」
更に更にと彼女は言葉を重ねる。
「元上司に『探索者に大量の水薬を服用させて放置など…いや、本当に天上の名にとかじゃなくて元探索者としてどうなんですか貴女』とか言われちゃって〜」
「それは反省してくれ、マジで」
ぶっちゃけ水薬は薬であり毒である。生命力を強制的に活性させる治癒の水薬は俺の様な使い方をすれば普通治癒力の欠乏を起こし死ぬ、俺は運良く死線などで生命力主に治癒力を増幅できたので良かったが…ちなみに精神の水薬も似た様なものでどちらも過ぎれば毒である。
そもそものところ俺が偶にやっている手足の接合も普通水薬ではなくエリクサーと呼ばれる万能の霊薬や医術による治療、ごく稀に生まれる治癒能力系異能持ちに大枚叩くのが普通の治療法であり俺の戦い方も悪かったかもしれないが、そう言うギリギリの判断をしなければいけない状況にわざわざ探索者を放り込んだ元天使様にはちょっとは反省してもらいたい所である。
「まぁまぁ、それくらい生き残ってもらわないとダメだし今の状態を作り出すのも計画のうちだよ〜」
「…あぁ?」
俺が怪訝そうに彼女を見つめると俺の死線が数瞬先に起こる未来を教えてくれた。
「よしっ!じゃあ一回死んで!」
剣が一振りされ彼女の腕から凄まじい粉砕音が聞こえると同時に俺の意識は途切れた。
気がつけば俺は朝焼けのようにも夕焼けの様にも見える光射す地平に立っていた。後ろから青黒い空が流れる雲ひとつないその地平は観たことがあった。
「此処は…」
世界樹の祝福、それは探索者としての加護を受ける前この世界においてもう一つの加護であり法であり市民権であり生存権、物心つく頃に世界樹の元でこの世界に生きるための最低限の加護を与えられる。それはあまりにも微弱で加護というにはあまりにか弱いがたしかに存在する。
それが祝福、そしてそれを与えられた時見えた景色が此処だった。
『良い心象だ。貴様の様な愚鈍が持ち合わせているとは思わなかったがいいところじゃないか』
光射す地平線、この世ならざるその風景に子供ながら心を打たれたのを思い出しこの地平に近づくために、もう一度この光景を見たいがために知識を貪った事を思い出しているとすぐ横から声が聞こえた。その低く地の底から這い出てきた死者の様な声は聞いたことなどなかったが知っている。
「クソトカゲェ…」
『相変わらず口の利き方がなっていないぞ凡愚、死人となってみる景色に心奪われている貴様を観ていられなかったのだよ、そのままの状態でいようものなら…本当に死ぬぞ』
一体何どういう意味だろうか、本当に死ぬとはなんだ?まるで今現在のところ俺が死んでいないかの様な言い草だが…
『そういう事だ。貴様は今のところ仮死状態あの剣バカが裏技めいた技で現状放てる最高の斬撃でもって貴様から生を切り離した。』
「事も無げに言っているがなんであいつは概念に対して剣を振ってんだ…」
『それ故に剣聖、それ故に神への反逆者なのだ。…話を続けるぞ?』
格好だけは人の様だがその吐息は冷たく。瞳の虚さや体がどこか歪なのは彼奴自身が歪であるからか、それとも俺というレンズを使ってその姿を俺に見せているからなのか…定かではない、だがそれだからこそ口は明確に言葉を紡ぐ。
『いいか、よく聞け貴様は新人類としては稀なほどにこの世界から浮いている。肉体的苦痛や精神的疲労、あらゆる要素が貴様にとっては取るに足らない細やかなものに思えたことはないか?』
「…一体何を言っているんだか」
わからない、わかりたくもないそんな気持ちが渦巻きそのうちに何故自分が『わかりたくもない』などとのたまっているのかわからなくなった。
『それは単純だ。貴様は貴様が思っている以上に復讐に取り憑かれているからだ。』
「何を根拠に」
『貴様の本質は病的なまでの探究心と好奇心、この地平を見るまでは確信できなかったがこの様な心をしているものが貴様の様になるものか、なるとすればそれは呪い、あるいは心根を歪ませるほどの恨みだ。』
…
空が揺らぎ、雲のない空が元の形に曇り翳っていく。
『そうでなくば我やあの闇の塊ともいうべき人の業に出会いはしないしあまつさえそれに気に入られるなどあり得ないだろうよ』
「…それで、結局何が言いたい」
いつのまにか俺は外套を纏い返り血と臓物の匂いが染み付いた皮鎧を着込み白い短剣を紅く染めていた。
『その殺意を解き放てば戻れなくなるぞ』
「これを見たかったんじゃないのか?お前が、この凄惨で穢らわしい憎しみと殺意に濡れた汚泥が見たかったんじゃないのか?」
声を荒げれば世界は歪む、まるでそうあったかの様に、地平は光ではなく闇で照らされ月の様な暗い穴から泥が溢れる。
地には死と肉が満ち、空には狂気があり、その間に俺は立っていた。
そうだ。
俺は憎い、度し難い、彼彼女らの血筋の全てを殺し尽くしても足りぬほどに、俺の安寧と平穏を壊し秩序も何もない様なその行いによって妹や両親を壊した彼らが憎いのだ。
そしてそれと同じくらいのうのうと生き残り未だに彼女らと同じ苦痛を受けていない自分が忌々しいのだ。臆病な行動や戦法はあくまで理性によって組み上げられた物、俺の歪みは蛮勇、愚かな突撃、傷付くリスクを顧みずむしろ率先して死に急ぐ様な…たしかに俺にはそんな自傷願望があるのだろう。
「親も妹も生きている。生きているしまるで普通に暮らしている。だがその暮らしには綻びと歪みがある。同じ血筋とも思いたくない様な奴らによって意味のない暴力や不当な扱いを受けている。そしてその原因の一つとして俺はいるんだ。彼らの受ける苦痛や苦悩に比べて逃げ出した俺は…」
『よい、そこまでにしておけ愚鈍』
俺の短剣がまさに俺を貫かんとするその刹那短剣は死人の様に冷たいものによって受け止められた。
『いいだろう。貴様の復讐心、叶えてやろうぞ』
心に、意図的にひた隠し消し潰していたそれが燃え上がった。
ちょっとお休みします