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09

「――さて。おふざけはここまでだ」


 キースが鋭い双眸を眇め、それに伴ってオーギュストとカイルも学生時代の雰囲気をしまい、ガラリと政治家のそれに戻る。


「王。確認するまでもねぇ事だが、イザベラ様の世迷言……全てを許容すると本気で言った訳じゃあるまいな?」

「無論。アレは小娘の戯言と捉えておく。然れども、エリック=スウィングラーの能力の如何によっては、取り込むのもやぶさかでないと考えておる」

「そうだな。私も陛下の意見に同意です。エリック=スウィングラーのスケコマシ……否、女性を虜にする能力は、見ようによっては社交能力の高さと言っても良い。イザベラ様が彼を手に入れた暁には、外交面で役に立ってもらうのも手かと。――何せ未だ、人材不足が深刻ですからね、この国」

「王弟殿下には御子がいらっしゃらないからな……。事情が事情とはいえ、後継ぎを作らないという姿勢は立派な心掛けだが、憐れにも思う」

「……」


 宰相と財務大臣の言葉に、王は僅か瞳を伏せた。現外交大臣を務めるエドガーは、オーギュストの異母弟なのである。



 今は治世によって平和なウィギストリ王国だが、実は彼らが若い頃、内乱が起きた。

 キースが卒業間際の十八歳で、オーギュストとカイルに至ってはまだ学生だった頃。

 現在玉座に座っているオーギュストだが、実は王太子ではなかった。

 彼には四つ年上の同母兄が居て、オーギュストと共に正妃の息子だった彼――アルフレッドは王位継承権第一位の王太子。誰もがアルフレッドが次の王になるのだと信じて疑わなかった。オーギュストも然り。

 優雅で美麗でピアノを好む、絵に描いたようにたおやかな王子様だったアルフレッド。

 平和主義で誰に対しても丁寧で穏やかな兄で、自分より背が高く体格も良くなってしまった弟に嫉妬するどころか、「オーギュスト! この間の馬上試合の君の勇ましさに感動して、思わず曲を作ってしまった、聴いておくれ!」と三時間に及ぶ超難解で優美なピアノを急に聴かせてきたり(聴くだけで疲れるが、技巧の凄さが宮廷音楽家にも引けを取らないので飽きずに聴けるという恐ろしさ)、時々家族愛が爆発して俺様な実弟でさえ転がし翻弄する人ではあったものの憎めない気質で、オーギュストが「心配だから、俺様が膝を折ってお仕えして助けてやるよ」と思わせたほどの気質穏やかで繊細な好青年だったし、婚約者の令嬢ともお似合いのカップルだった。

 けれど、その幸せな日常は突如崩された

 唐突な内乱によって多くの命が失われ、オーギュストの家族も殆どが犠牲になった。

 父の異母兄で伯父である男が、父王を弑し、王太子も殺し、その婚約者だった令嬢を無理やり自身の妃にして、暴政を振るったのである。

 正妃の生んだ男子という事で王位継承権第二位だったオーギュストも当然命を狙われ、命からがら王都を脱した。脱した後も、執拗に暗殺者を差し向けられた。

 入学早々キースにシバかれて、多少謙虚になったオーギュストではあったが、本当に謙虚さや慎みを学んだのはこの逃亡時代と言える。

 三年もの間、ひたすら爪を砥ぎ牙を磨いて地に伏して機会を狙っていたオーギュストは、チヤホヤ王子様だった生活から一転、その日の食事も満足に得られないような暮らしが続いた。

 幸い、オーギュストを匿ってくれる味方も少なくなかったので、三年後に義勇軍を率いて伯父を討ち取り、王城と王都を取り戻してからは内乱中閉鎖されていたリーリル学園の授業体制が整って学園が再開されると、事情により休学扱いになっていたオーギュストは時に学園に通い、時に定期試験を城で受けながら、数少ない味方の官吏から政治を必死で学び、卒業と同時にすぐ戴冠式を行って玉座に就いた。

 オーギュストは内乱を経験し、悪政に苦しむ民を救った英雄王として名を知られている。要するに人気が高い。

 平和な時代なら、オーギュストは抜けてるようで意外と冷静だけどやはり放っておけない兄に跪き、王族にしておくのは惜しいと言われた剣腕も無用の長物だっただろう。

 だが、皮肉な事に弟より武の才に恵まれなかったアルフレッドは伯父に容易く殺害され、オーギュストは武の才に恵まれていたからこそ平和でなくなった国を腕一本で救えた。

 騎士になりたかったキースが宰相としてオーギュストに仕えてくれているのも、この内乱の爪痕が大きい。

 夥しい血が流され多くの命が喪われ、伯父の内乱に手を貸した者達で固められた宮廷で若き新王の国政が思うように進む訳がない。

 寧ろ、殆どは後顧の憂いを断つ為に罪の重い者は処刑し、または刑罰を与えて王都から追い出した。マトモな廷臣など遠方に左遷されたり、地位を奪われ野に下されたり、処刑されたりしてとにかく少なく、その中から更に側近を選ばなくてはいけない。また、味方ばかりを選んでもいけない。自分の周りをイエスマンだけで囲うのは暗君の証拠。

 味方の少ない、王になる未来など想定していなかったにも関わらず若くして為政者として起たねばならなかったオーギュスト。

 キースは自分の夢より、大変な後輩を選んでくれた。騎士になりたい望みを捨て、冴え渡る頭脳と視野の広さで宰相として生意気な後輩を支える道を取ってくれた。

 オーギュストの異母兄弟も殆どが伯父に殺されてしまい、姉妹に至っては姪だろうが関係なく妾にされてしまった。

 生き残ったのはオーギュストが伯父を討ち、助け出した幼い異母妹二人と、オーギュストについて一緒に野を下った異母弟のエドガーのみ。他の妻や妾にされた異母姉妹は純潔を奪われた時や、オーギュストによって伯父が討たれた後に自分達の存在が後々オーギュストの為政に影を落とす事を避ける為、こぞって自害してしまって。

 現国王オーギュストには、正妃であるシュゼット以外の妻は居ない。子供五人は全て彼女が産んだし、オーギュストは他に愛妾を作らず、(たね)をよそに零してもいない。相手は結婚してからずっとただ一人の妃、シュゼットのみ。

 その徹底は、ひとえに異母兄弟を作らない為だ。

 オーギュストがシュゼットを選んだ理由は愛でも恋でも金でも地位でもなく、代々多産の家系で有名なアディントン家で未婚かつ結婚適齢期の娘であった事。それが唯一の決め手。

 オーギュストと同じ正妃の胎から生まれたのは兄のアルフレッドだけ。他の王子王女は全て側妃や愛妾の子だった。そして内乱を起こした伯父もまた、父王の異母兄で。

 外交大臣を務めるエドガーは異母兄で英雄でもあるオーギュストに何ら含むところはないし、王族の一員として誠実に仕えるつもりもあったが、やはり「異母兄弟である」という点を重く受け止めていた。

 内乱や悪政の記憶がまだ生々しい頃であったし、王都に住む民の多くが約三年間、高い税に苦しみビクビクしながら質素に生活していたのを野に下った二人の王子は見聞きしてきたので、無理もない。

 オーギュストは異母兄弟を作らないで済むよう、婚約者候補に挙げられた令嬢ではなく、学生時代にひっそり付き合っていた秘密の恋人であった子爵令嬢でもなく、多産の家系で知られるアディントン家の伯爵令嬢――シュゼットを正妃に迎えた。先代の二の舞にならないよう、他の妻を一切娶らなくても困らぬように。

 若き王に嫁ぐには、秘密の恋人であった令嬢の子爵家というのは若干身分が低いように思えるが、当時のオーギュストの人気を思えば、彼が望めば国民も官吏も反対などしなかっただろうに。

 実のところ、オーギュストは自分が玉座に就いた事を、今でも夢なんじゃないかと思う事がある。

 勿論、起きれば同じ寝台には恋した子爵令嬢でも婚約者候補の令嬢でもない、自分が王として求めた妻が眠っていて、日々国政に励む。夢ではないのだと痛感し、亡くなった人達を想う胸は密かに悼む。きっと当時の自分のように、他に想い人が居たかもしれないシュゼットを王妃として隣に置き、謝罪を言えない代わりに大切に扱う。

 オーギュストは内乱によって家族を喪ってからは、王になるしか道がなかった。だから国の為に生きようと決めた。

 恋した人を捨てて、アルフレッドの代わりに平和な国を築く。自分が玉座に居るのは自ら欲したのではなく、夭折してしまった兄の代わりに預かっているだけだと言い聞かせて。

 密かに愛を育んだ恋人すら国の為に諦めたオーギュストを見て、エドガーも生涯独身を貫き、子を持たないと決意してしまったらしい。

 気にするな、とオーギュストは何度も説得したが、エドガーは外交大臣として辣腕を揮いつつ、とうとうこの歳まで独り身だ。

 オーギュストとしては自分がこの先も道を誤らず真っ当に政を行って、次代のフェリックスに恙無く王位を明け渡せば何ら問題ないと思っているから、エドガーが家庭を持っても困らないのに。外交大臣のくせして頑固一徹なエドガーは全く聞く耳を持たない。……仮にも王の言葉に耳を傾けないって何事!?

「せめて養子でも貰いなさい、老後が不安じゃろ!」と兄王からのしつこい説得に歳を取って考えが変わったのか、いい加減兄のお節介が鬱陶しくて辟易したのか、最近は気持ちに変化が出たらしく「妻はともかく養子なら貰ってもいい」みたいな前向き発言をするようになった異母弟に、オーギュストも良い傾向だ、とホッとしているのだが……。

 その養子枠として、エリック=スウィングラーをエドガーの息子に据える、というのはイザベラの話を聞きながら思い付いた。

 男爵令息を王女の婿にするのは身分的な意味で少々釣り合いが取れず難しいが、王弟の息子なら王女の婿に据えても違和感はない。


「我が弟ながら、何でエドガーってあんなに頭堅いんじゃろ…。あれで外交やれてるのが不思議で仕方ない、本当に」

「良い子なんですけどね。陛下と違って」

「余と違って、ってどういう意味」

「胸に手を当ててよく考えたら宜しい」


 親友と先輩に言われて、大人しくペタリと豪奢な服の上から胸に手を当ててみる国王。

 俺様なくせに素直なところは一向に変わらないな、と心の中で感心する財務大臣と宰相をよそに、彼は胸に手を当てたまま、寂しげなため息を吐く。


「はぁ……。余もすっかり筋肉が落ちてしまった…」

「胸筋凄かったですもんね、若い頃の陛下って。同じ男として垂涎ものでした」

「今思えば筋肉だるまでしたな」

「宰相の言い方……」

「そのくせ、男性が見ても女性が見てもカッコイイ外見の王子様って辺りが陛下の凄いところでしたね。あの筋肉をあれ以上鍛え過ぎず、さりとて衰えさせず、そして見栄えの良さマックス維持で美丈夫…。あの筋肉バランスは中々保てるものじゃありませんでしたな」

「それはもう、努力したからな。兄上が線の細い美少年であまり頼りがいのある外見ではなかったから、臣下にナメられ…否、軽んじられないよう、余が兄上の分まで強そうに見えなくてはいけないとあの頃は何故か思いこんでて筋トレに余念がなく……」

「脳筋か」

「はっ! そういえば大変なんです、ウチのカインも最近ちょっと脳筋気味なんですよ、よく外走ってるしどうしよう!? というか、寧ろ一体何故なのか…。これもオリヴィア様への恋心が爆発した結果なんでしょうか…。判らん……!」

「オイ、カイルそれマジかよ…、益々俺好みじゃねーか。カインがウチの娘婿になる日が今から待ち遠しいぜ……じゅるり」

「じゅるりって何、先輩!? ヤメテ、先輩のクールビューティーな顔で「じゅるり」はヤメテ! せめて「ちゅるり」でお願いします!」

「カイル、先輩に「ちゅるり」は可愛過ぎて、却って不気味じゃろ…」


 騎士になりたい夢を捨てて宰相に就いた分、せめて騎士系男子を娘婿に欲しいと思っているキースにとっては、脳筋な息子が出来るというのは案外喜ばしい事らしい。

 毎朝の日課は手合わせで始まり毎晩の日課も手合わせで終わる舅と婿のじゃれ合いを夢見るキースは、宰相になってからも剣を振るうのを日課としていた。

 せっかく被った宰相の皮をアッサリ捨てて不良優等生の顔を出すキースに釣られてか、カイルも後輩の顔が出てしまっている。もはやグダグダである。



「おっと、話がズレたな。今はそう…、イザベラ様だ」

「失礼を承知で申し上げますが、イザベラ様のお考えは呑気でふわふわし過ぎてます。一体誰に似たのやら」

「間違いなく兄上だな」

「「……」」


 表向き、王太子として平等に優しく平等に厳しく冷静でそつのなかった王子様、アルフレッド。

 しかしその実態はやや浮世離れしていて、自分より逞しく俺様な弟に「僕の可愛いオーギュスト…、頭を撫でても良いかい? …うっ、君の髪は何て素晴らしい榛色なんだ…この世の榛色全てが霞んでしまう! 何て罪深き僕の弟……あ、今曲が出来た。君の頭を撫でるのはピアノを弾いてからだ!」とか言って頭を撫でようとする兄に合わせてせっかく膝を曲げ頭を下げたオーギュストのデレを無下にし、「朝一番に見るオーギュストの美貌は後光が差している……お陰で毎朝、眩暈立ち眩み動機息切れが止まらないんだ…ふぅ」「それは病気です。兄上熱を測らせ、」「はっ、顔が近い! オーギュスト駄目だ、君は自分がどれだけ美しいのか自覚してないのか、コイツめ☆」「俺様のデコをコツンってするのやめて下さい。それより熱を、」「待った! 今、新たな旋律が閃いてしまった…! こうしちゃいられない、すぐに譜に起こさねば! アデュー!」とか、色眼鏡どんだけ掛けてるんですかと問いたくなるような事をしょっちゅう言っては弟の言葉も聞かずにピアノや五線譜に向かうなどして、同母弟に捧ぐ曲を作りまくった王太子、アルフレッド。

 実は彼が作曲した曲の殆どが難しい技巧を凝らした素晴らしい名曲なのだが、その大半がオーギュスト含む兄弟姉妹への激しい愛によって生み出されていた。兄弟愛の強過ぎる王太子、アルフレッド。

 オーギュストは恥ずかしいので、内乱中でも処分されず残った兄の譜面を宮廷音楽隊に譲与する際、自分へ向けた曲のタイトルや書き込みを全て塗り潰してから渡した事は公然の秘密である。

 兄弟愛が強いアルフレッドだが同じ胎から生まれた唯一の兄弟であるオーギュストへの愛は抜きん出て深過ぎて、今思えばあの甘ったるい可愛がり方も、若かりしオーギュストを俺様に仕立ててしまった原因の一つかもしれず。


「アルフレッド様かぁ……」

「遠くから見てる分には良かったですな。絵に描いたようなキラキラしくも模範的な王子様で、宮廷の令嬢の憧れで。…近付くと意外と暴風警報で驚きましたが」


 言われてみると、あそこまでではないにしろ、世間知らずでちょっと我が儘で私事に関しては妙に考えが甘くてふわふわしている辺り、オーギュストが言うようにイザベラは亡きアルフレッドに少し似ているかもしれない。

 オーギュストは五人の子供を全員等しく愛しているが、末っ子のイザベラを妙に可愛がってしまったのは、王太子として大切に、蝶よ花よと愛されて天真爛漫だった兄に似ているからかもしれないと、今になって思う。

 イザベラは飽き易いが、一たび熱中するととんでもない集中力を発揮する。天才型によくある性質の人間である。アルフレッドも間違いなく天才型だった。音楽に限って言えば、の話だが。

 今はだいぶ落ち着いたけれど、三年前から一年くらい前までイザベラはドレスのデザインを生み出すのに余念がなく、彼女が起こして王室御用達の仕立て屋に作らせたドレスは流行の最先端として婦女子の関心を集め、社交場に彼女が顔を出す度に流行が宮廷を駆け抜けた。

 仕立て屋がこぞってイザベラのデザイン画を高く求め、契約したがったのだから才能は本物だ。ドレスのデザイナーが仕事に困るくらいに。

 今でも一流の仕立て屋がイザベラの考案したデザイン画の複製をたくさん所持しているのは有名で、イザベラがただの王女ではない事を示している。

 同じく天才型のアルフレッドが生きていれば、芸術家タイプの伯父と姪同士、話が合ったかもしれない。


「イザベラ様がエリック=スウィングラーを落とせたら、先ずは王弟殿下の養子になる事を受け入れさせねばなりませんね。スウィングラー男爵も息子はエリックのみで、だからこそわざわざ昔手を付けた女性を探し出して引き取ったんでしょう。相手が王弟のエドガー様といえども、すんなり手放してくれるかどうか……」

「しかし、エリック殿の女性に対する籠絡…社交能力は、上手く育てれば間違いなく交渉で手腕を発揮する逸材かと」

「うむ…」


 兄二人がそれぞれタイプの違う美男子で、更に婚約者のカインも充分な色男。そんな彼らを筆頭に美形を見慣れたイザベラのみならず、他にも数人の女性を同時に手玉に取るその才能。

 外交官として成果を上げてくれるなら、男爵の息子を王弟の養子として迎え入れ、イザベラの相手として釣り合う立場と身分を用意してやる算段くらいはある。

 リーリル学園を中途編入で入れたという事は、少なくとも頭脳明晰である証。イザベラがエリックを射止めた暁には、エドガーの養子になってもらう条件で外交をしてもらう。


「スウィングラー家といえば、二十年くらい前の連続強盗事件…、アレまだ、犯人捕まってないんでしたな」


 二十年くらい前、とキースは曖昧な表現をしたものの、正しくは十八年前の事件で、当時スウィングラー家のデビュタントを迎える前の令息と幼い令嬢と一人のメイドと一人の執事が生死不明で行方が判らないまま十八年経っている。一家惨殺と言えば良いのか、その四人以外の家人は全て殺され、豊富な財産を奪われた。

 強奪事件、という名を示す通り、国で一番警備を敷かれた王都で盗賊団による大掛かりな強奪。スウィングラー家を皮切りに、幾つかの貴族の邸が強盗の犠牲に遭った。

 その責任を取る為、王都に警備の騎士を配置していた当時の騎士団長――ウィギストリ王国初の女性騎士団長として女性騎士達の憧れでもあったラムゼイ公爵家の女当主は辞職の上、爵位を二階級降格という処分を受け、ラムゼイ伯爵当主となった彼女は今、オーギュストの采配により騎士養成士官学校の教鞭を執っている。

 息子のブライアンは、あえて母が教鞭を執る学校とは別の士官学校に入学した。母を忌み嫌っての事ではなく、あらぬ噂や偏見を招かぬようにという息子なりの考えだ。

「スウィングラー家の当時の息子と娘……生きていたら今、幾つくらいになるのか…」

「兄の方は、少なくとも三十は超えてますな」

「本家の跡取りだからな、彼は」


 現在のスウィングラー家当主――エリックの父親は、実は分家の人間である。

 本家の人間が軒並み殺され、唯一の跡取りに至っては生死も行方も不明なまま。そこで、家を断たない為に分家筋で次男だった彼が本家の当主に収まった。

 不幸な事件だったし、彼の判断は家を繋ぐ為の処置として至極真っ当なのだが、家を継げる長兄と違い、貴族の次男以降は己の才覚で生きていかねばならない。

 そういう理由で、若い頃から始めていた商売が軌道に乗り始め、後はコネと身分があれば、というところで転がり落ちるようにそれらが手に入っている。

 まるで狙ったかのようなタイミングで本家の邸と権利と爵位をそのままそっくり受け継いだ現スウィングラー男爵に、妙な引っ掛かりを覚えたのは一度や二度じゃなくて。


「さて。スウィングラー家の今の当主が実質どうであれ、エリック=スウィングラーの誑かし……女性の心を掴む能力は高いでしょう。それを磨いて外交に使えるなら使うべきです」

「カイル殿の仰る通り。イザベラ様がエリック殿を落とせば、王弟殿下の養子に貰って外交を本格的に学ばせる事が出来ます。外交によって他国と渡り合うには、国力がまだ全盛期より回復しきっていないウィギストリにとって重要な戦略ですからな。――ですが、問題はイザベラ様以外の女性をエリック殿が選んだ場合です。…そうでしょう? 陛下」


 その計算がある一方、娘がエリックを振り向かせられなかった場合の事態も勿論考えてある。


「……イザベラが失敗したら、ファイスタ公国大公、テオバルトに嫁がせる」

「それが一番妥当でしょうな」


 重苦しい自分の宣言を、頷いて肯定する宰相に苦々しいものを抑え込む。

 オーギュストが自ら口に出すのを、キースは待っていた。自分が言うのではなく、父親のオーギュストに言わせた。

 言わされた、と判っているから、オーギュストも少なからず苦く思う。キースは昔から厳しい。

 オーギュストにとってファイスタ公国の現大公は、許されるならば自ら剣を取って斬りつけに行きたいくらいには、腸煮えくり返っている相手だ。

 オリヴィアを散々傷付けたテオバルト。普通、国同士の政略的な婚姻で、好悪はともかく正妃となった女を疎んじて遠ざけるくらいならよくある話だが、あからさまに忌み嫌いながら決して城からは出さず、「醜い」「見るに堪えない」「よくそんな風貌で死のうと思わないな」「俺の正妃は化け物だ、俺は何て可哀想な国主だろう」などなど、本人や愛妾や臣下を前にして口にしてはオリヴィアの心をズタズタにして。

 そんな風に嬲られ愚弄されても、オリヴィアは元来の性格と国政を思ってひたすら耐えて慎ましく目立たないよう過ごしていたらしいが、オリヴィアの何もかもが気に入らなかったテオバルトは徹底的に自分の正妃を貶し続けたそうだ。

 ウィギストリが第二王女を返してほしいと言ったら思いの外アッサリ返してくれたが、その執着のなさよりも、国同士の政略結婚でこれほどの扱いをされるくらい軽んじられた事に屈辱も憤怒も沸いたし、一度は権勢を奪還された側でした側も経験したオーギュスト、本音は娘を奪還するにあたって、いっそ攻め落としてやろうかなどと物騒な考えもよぎったが。

 ウィギストリ王国は今でこそ平和であれ、決して遠くない過去に、血なまぐさい王位簒奪という戦争が起きている。

 たった三年、されど三年。その三年間、買い物に出る為に外を歩くだけでもビクつき暴虐の政治に苦しめられた民に交じって暮らしたオーギュストは、戦争で犠牲になるのは民草なのだと承知している。身に染みて判っている。

 しかも、内乱と悪政によってそこだけ贅を凝らした生活を送っていた王宮の国庫は赤字を通り越していて。今でこそ財務大臣のカイルだが、財務官に就任した直後は国庫のあまりの惨状に何度もキレかけていた。お陰で新妻を早々寂しく一人寝させてしまい、一度だけ不貞を働かれてしまったが。

 国力は復活させるのに時間が掛かる。内乱の勃発から数十年、この国は豊かに戻りつつあるものの、まだ全ての国民に余裕がある訳ではない。テオバルトの横暴に喧嘩を売れない理由はそこにある。

 内乱から立ち直ってまだ数十年のウィギストリ王国よりも、軍事拡大によって少しずつ領土を広げている戦上手の大公が統べるファイスタ公国の方が、国力も軍事力も生産力も上なのだ。

 要するに、表向き対等と言っても内実はそうと言い難い。

 それでも、オリヴィアは先方に望まれて嫁いだのだから、途中で結婚相手が変わっても、丁重に扱ってくれるものだと思っていた。とんでもなかった。

 そのくせ、テオバルトが好き勝手にオリヴィアを傷付けた挙句に捨てるように母国へ突っ返しても、オーギュストは国を思えばファイスタ公国に喧嘩を売れない。それが父親として悔しい。不甲斐ない。

 親としての心境はどうあれ、ファイスタと繋がりを保つ為には婚姻が手っ取り早いのは言うまでもない。

 テオバルトは散々オリヴィアを貶したが、彼の好みの女性を調べてみた結果、よりによって華やかかつ大胆で少々気儘な性情の美人がタイプであるらしい。正しくイザベラのような。裏を返せば、イザベラなら嫁がせても傷付けられる事はないだろう。

 まして、あれだけの醜聞を起こしたイザベラがエリックに振られたら、いくら王女と言えども今度こそイザベラと結婚しても良いと言うような殿方なんぞ出ないだろう。国内で婿を探すより、他国に嫁にやる方が簡単だ。

 父親として、かつて恋を捨てた者として、イザベラが恋を選んでエリックを振り向かせるという気概は微笑ましいし応援もしたい。

 けれど為政者として、イザベラの婚姻相手を決めるなら相手が憎い男であっても嫁がせる事に躊躇いはない。

 テオバルトのオリヴィアへの言動の数々に憤っても、その感情のまま刃を向ければ待っているのは罪なき民の悲哀だ。戦火がもたらす悪行や不幸をよく知っているから、国を思えば我慢するしかない。



 遠方視察から無事帰還し、父であり国王でもあるオーギュストに簡単な報告を済ませつつ労いの言葉を賜って。

 後は旅の埃を落とすべく、湯を浴びて、「さて、髪がもう少し乾いたら一眠りしましょうか」なんて思った矢先に父親から執務室に呼ばれ、「何かしら?」と思いつつも一先ず薄手のヴェールを手早く留めて厚手のガウンを羽織り、見苦しくない最低限の礼儀を弁えた姿でやって来ただけのオリヴィアからすれば、執務室ではなく何故か執務の合間に休憩するような小さな地続きの間に通されて、暫くも経たない内に数人集まったと思ったら、寝耳の水のやり取りが始まった。

 ビックリを通り越して、何が何だか判らなかった。

 急に茶番でも始まったのかと思ったくらいだが、始まったのは何と妹とその婚約者の婚約破棄手続きではないか。それこそ何の茶番かと耳を疑ったのに、ドアの向こうの部屋で、婚約破棄は淡々と、それでいてひどく真面目に執り行われた。


「……ふぅ」


 寝台に寝転がってみたものの、一連の出来事が脳裏をめぐって眠気が吹っ飛んでしまっている。あれだけ疲れていたし、眠りたかったのに。

 何となくふかふかの枕をギュッと両腕で抱きしめると、中に仕込まれたポプリだろうか、ふんわりとラベンダーの香りが鼻を擽った。

 コロン、と寝返り打ってみる。コロン、コロン、と幾度も意味なく。

 六歳の時から好きだと告げられた。

 今のはなかった事に、と手のひら返されて。

 でもその後すぐに、リベンジさせて下さいと言われた。


「……。ミソシルって、何かしら」


 最後に叫んだセリフのインパクト故か一番記憶に強く残っているが、カインの告白は、少なくとも冗談や嘘には聞こえなかった。もし、あの口から出てきた気持ちの全てが心にもない言葉だったとしたら、彼は王立歌劇場の舞台にも立てると思う。

 オリヴィアは王女としてならそれなりに自信がある。けれどかつて嫁いだ先でぶつけられた暴言の数々、浴びせられた嘲笑、初夜からずっと冷たいままの褥……一つ一つ思い出す度に、つま先から体温が下がっていく感覚。

 テオバルトはオリヴィアにとって、予期せぬ夫だった。元々ルーベルトの妻になるのだと思っていたから、途中で相手が変わるなんて。


「……」


 他国から正式に嫁いできた大公妃のオリヴィアを蔑ろにして、いつも後宮の美女と戯れていたテオバルト。

 酔った勢いで身体を暴かれた時は、相手を認識していないからこそまさぐる手に恐怖を覚えても耐えて、「やっと手を付けられた、これで大公妃の務めを果たす事が出来る」と、恐怖を安堵に挿げ替えるのがやっとで。

 その翌朝の事も、その後に起きた事も、思い出すだけで辛い。――オリヴィアは無意識に、枕を腹部の辺りにズラして強く抱き締めた。何かから守るように。


「……ッ、ぅ……く…、」


 涙が滲み、唇を噛み締めて嗚咽を堪える。隣室で控えている侍女に気付かれて心配を掛けるのは嫌だった。

 オリヴィアは身内以外の男性が怖い。特に、身分が高く地位も財産もあり、容姿の優れた男は尚更。

 カインの事は妹の婿として見てきた。

 顔に似合わず努力家で良い子だとは思うものの、顔立ち特有の酷薄で冷徹な面も確かにあるのだ。彼は自分の敵とみなした相手に容赦がない。貴族として当然の冷たさや手段を持っていて、それを実行する事に、きっと眉一つ動かさないだろう。

 自分だって王族で、その冷たさに慣れている。その思考に慣れている。だけど今は、そういう冷たさを恐ろしく感じてしまう。

 カインの言葉を嘘だと思いたくはないけれど、どうしたって信じきれない。

 あんなに綺麗で地位も財産もあるような男が、何だってイザベラではなく自分に恋をするのか。しかも六歳からという筋金入りで。意味が判らない。

 怖い。何も考えたくはない。このまま永遠に眠ってしまいたい。

 丸まったオリヴィアの涙と嗚咽は大きな枕に吸い込まれ、そのまま意識を失うように静かに眠りについた。

親世代の方がキャラが濃ゆいという呪いに掛かっている『婚活!(略)』。

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