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それにしても、と全ての手紙に目を通した後、カインは改めてこの世界を考える。
ギャルゲーの世界だ、と気付いた事から判る通り、前世の自分はこのゲームをプレイした事があった。ただし、ゲームのタイトルももう覚えていない。
それもそのはず、攻略対象がたった四人、複雑な選択肢も殆どなく、欧風のファンタジーな世界観にも関わらず、よくある剣と魔法の…といった特別感もない。テキストノベルと偶に現れる選択肢、主人公の一日の行動を決定したりパラメータを確認する為のセレクト画面、そして美麗なスチル絵。それくらいしか印象に残っていない。
ただのヨーロピアンな国で、とある男の子が貴族の妾腹だった事から男爵家に引き取られ、そこから始まる恋愛シミュレーション。
シンプルで遊び易いと言えば聞こえは良いが、要するにシンプル過ぎてミニゲームややり込み要素といった作業染みたお遊びが殆どない。
普通だったら埋もれてしまう、こんなに個性のない恋愛シミュレーションゲームなんて。
なのに何故断罪シーンで思い出せたのかといえば、前世の自分が初めてやった恋愛シミュレーションゲームがこれだったのだ。何かの初めてというものは、多かれ少なかれ印象に残り易い。それと、イラストが自分好みだったので、それも理由の一つだろう。
カインの前世は野球で高校に通っていたくらいなので、親元離れて寮暮らしだった。野球の名門校にスカウトされて、甲子園を夢見て実家を出る事に決めたのは中三の秋。
高一はとにかく地獄のようだった。野球で有名な高校なのだから覚悟はしていたが、その覚悟を上回っていたと言うべきか。
練習は中学時代のそれを遥かに超える。基本メニューだけでもキツいのに、先輩達ときたらその後の自主練習をやる為にグラウンドに残る者が殆どで、「この特訓に俺は着いていけるのか…」と入学早々の春は戦慄したものである。
同室者も地方からスカウトを受けてやってきたので、愚痴や弱音なら吐き合えた。寧ろ、同じ苦しみを経験した仲でないと吐けない。
けれどスカウト入学で学費免除なだけに、簡単に辞められない。
四月はほぼ吐きそうになりながら部活に参加していたが、身体というのは過酷な状況でもいつしか慣れるものなのか、それとも基礎体力などが練習に追い付いていったのか。一年後の高二になる頃には、随分頑丈になっていた。一年前には無理だと思っていた自主練習も短い時間だがこなせるようになるくらいには。
そうなると、少しだけ学校生活と野球以外のものにも目を向ける余裕が出てくる。
しかし悲しいかな、前世に通っていた高校は野球の名門校で、しかも男子校だった。つまり身近に同世代の女子という生き物が居ない。教師も若い女性なんて一人も居なくて、それは今思えば男子校故の配慮であったのかもしれないが。とにかく潤いがない!
彼女が欲しい、と思うのは健全な男子高生なら普通の欲求だ。
「出来れば可愛い彼女が欲しい」
「否別に、気立てが良くて優しかったら顔は二の次」
「おっぱいはデカい方が良いよな」
「俺は胸より脚の綺麗な子が好き」
などなど……。自分達の顔も大した事ないくせに、同室のチームメイトとそんな話で盛り上がるくらいには。
けれど、自分達の顔立ちは平凡、中の中くらいだと自覚はある。新陳代謝が活発な年頃で毎日青春の汗をかいていたからニキビもしょっちゅう顔に出来ていたくらいなのだ、そんな顔で女の子と付き合いたいとは片腹痛い。
女の子と知り合える伝手やコネもなく、よしんば奇跡的に彼女が出来たとしても、毎日朝から日が沈むまで部活でデートどころではないし、寮生活ともなれば何かと規則が厳しい。
しかも自分達はスカウトを受けて高校に通っている。優先すべきは野球だし、迂闊に問題も起こせない。異性交遊につきもののセックスなんぞシてそれが公になった日には、甲子園どころか部活、引いては高校そのものを退学になる可能性だってあるのだ。
大袈裟と言うなかれ、推薦入学というのはそれくらい期待を掛けられている証拠。問題など起こせない。自分以外にも迷惑が掛かるのだから。
でも可愛い女の子とデートとかしてみたいよな、などと話し合っていた翌日は、週に一度身体を休めて良いと部活の自由参加を認められている日曜日。
いつもなら午前中だけ参加して午後からオフにする、というのが二人の日曜日だったが、この日は久々に一日オフにして、寮を出て街まで遊びに出掛けた。
そのさなか、ゲーム屋に寄って見付けたのである。『どれでも千円!!』と黄色い紙に赤く書かれ、ワゴンセールになっていたこのギャルゲーを!
野球三昧でゲームする暇があるのか、と思われるだろうが、高二になった頃には少々体力や気持ちに余裕も出来たので、二人で仕送りを切り詰めて折半し、据え置き型のハードを購入したのである。
とはいえ、やはり毎日は出来ない。殆ど日曜日の午後に二人で同時にプレイ出来るソフトで遊ぶくらいが常だったが、たくさんのゲームが一纏めに収容されたワゴンの中に中古のギャルゲーを見付けた瞬間、閃いた。
(現実で可愛い女の子に免疫ない俺らだから、寧ろ二次元の可愛い女の子で慣れておくのもアリじゃね?)
しかも、ギャルゲーなら手軽に恋愛の真似事も経験出来る。つまり、可愛い女の子とデートしたりキスしたり出来るのだ!
千円という価格も魅力的だ。多少ガッカリな代物であったとしても、千円だったらそう惜しくない。
二人で折半して五百円ずつ出し合って、その日は早速寮に戻った。
初めてのギャルゲーは新鮮で、イラストも好みだったから、自分も友人も割と楽しくプレイしていたと思う。迷える選択肢は「こっちだろ!」「否、追い掛けるべきだ!」とギャアギャア言いながらルート失敗したり、スチル回収の為に何度も同じキャラを攻略したり。
初めてのジャンルのゲームで、比較対象がなかったのも良かったのだろう。「ギャルゲーとはこういうものだ」と普通に楽しめたお陰で、千円以上のお釣りを貰った気分だったし。
すっかりギャルゲーの虜になってしまって、それ以降、面白そうだと思ったギャルゲーは街に出る度に購入していたが。恋愛だけじゃなく、そのゲーム特有の能力を上げる為にアイテム調合や一芸を磨いたり、特定のパラメータを上げなきゃいけなかったり、意外とやり込み要素が高いものあって、難易度が高ければ高いほど、ついついメインの恋愛パートを置き去りにしてしまうくらいのめり込んだものもあった。
本命の野球を疎かにしない程度に、多種多様な切り口で遊び心満載のギャルゲーの魅力にのめり込み、いつしか初めてプレイした個性のないギャルゲーは記憶の彼方に葬り去られてしまったが。
記憶の甦りを果たすくらいには、印象に残っていたらしい。
それはともかく、とカインはまたもや思考を飛ばす。
カインはゲームの中のカイン=アルベストと、今の自分とのキャラに差があり過ぎる事が疑問だった。
勿論、記憶が甦った瞬間前世に引き摺られて性格も変わりました、というオチならば判るのだが、今こうしてここで生きているカイン=アルベスト――つまり自分は、どう考えてもゲームの中のカインとは明らかに元からの性格や考え方が違うと思われる。
ゲームの中のカインは、見た目通りの高慢さと酷薄さを容赦なく発揮して、主人公はチンケな嫌がらせから洒落にならない事態まで一通り経験させられる。悪知恵と権力を持つカインは、まさに主人公にとって目の上のタンコブと言うか、悪役キャラ以外の何者でもなかった。
そのくせどうにも小者感の拭えないところが如何にも苦労知らずの箱入り坊ちゃんそのもので、画面にコントローラーを投げたくなるというより、コントローラーで殴り飛ばして、「テメェ、自分だけの足で立ってみせろや!!」と説教の一つはかましたくなるような、何とも言えない気分にさせられたものである。
絶対好きにはなれないキャラだったがさりとて嫌いにもなりきれないというか、「真っ当に育てばスペックは高い方なんだし、色々勿体ねぇキャラだな…」と惜しんでしまう、残念さが滲み出るキャラではあった。
「……もしかして、前世の俺がカインの事を「勿体ない」って思ってたから、俺、カインに転生したのかな」
前世の記憶はついこの間の夜会までなかったが、無意識下で前世の自分がカインの人格を僅かばかりでも矯正していたのかもしれない。今まで歩んできた自分の人生がゲームのカインと結び付かない理由は、もしかしたらそこにあるのかもしれない。考えても栓なき事だが。
前世は一般庶民の日本人、今世は上流階級の公爵令息。今生きているのはこの世界で、カイン=アルベストだ。前世に戻れない以上、必要以上に考えても仕方ない事。さっさと割り切って現在の事を考えるべき。
そういえば幼少の頃の自分は、ボール遊びが殊の外お気に入りだった。
この世界にはまだ野球というスポーツが誕生していない時代設定なのもあり、「ボールを投げるだけの遊びに、どうしてそこまで夢中になれるの?」とカサンドラに呆れられた覚えもある。
野球バカなのは筋金入りらしい。我ながら呆れてしまって、カインは苦笑を浮かべた。……笑ったつもりだった。
「…………うっ…ぁあ…、あぁぁ……っ、」
なのに、実際に出てきたのは小さな嗚咽と涙だった。
高三になった記憶が存在しないから、きっと自分は高二のいつかに命を落としてしまったのだろう。……一度で良いから甲子園、行きたかった。
翌朝、カインは登校する為、学園の制服に着替えた。
王族と上流階級の子息子女が通う学園の制服のデザインは、細部が凝っていて少々ファンタジックではあるものの基本はブレザータイプで、特に複雑な作業もない。
前世の自分は学ラン一辺倒だったので、記憶が甦った今となってはブレザーが今更新鮮である。新鮮な気分と言っても、少しだけだが。
落ち着いたブルーグレーを基調とした制服は銀の飾りや刺繍が施され、ループタイは学年によって色が違う。タイを留める金具は学園の校章がモチーフになっているのだが、実はこれ、純銀である。つまり毎日磨かなくてはいけない。つまり銀を磨く使用人をちゃんと抱えるだけの財力と家格を備えている、という証にもなっている。
「ありゃ、カイン様。今日は早いっすねー」
「あぁ、天気が良いからな。今日は歩いて行く」
普段は馬車で通学しているが、現在カサンドラが謹慎中で社交場どころか学園にも出掛けられない事もあり、早起きした日には馬車を使わず徒歩で学園に向かう事にしている。
馬車を使っていると言っても、その歩みは人通りの多い王都の公道を進むだけあってそこまで速くない。緩やかに優雅。
なので、馬車を使うよりは時間は掛かるものの、早起きすれば徒歩でも充分始鈴に間に合うのだ。偶には歩かないと贅沢な暮らしなだけにすぐ太りそうなので、カサンドラとは別々に、時々カインは一人で歩いて通学する事がある。
カインはテッドにそれだけ告げると、今日も綺麗に磨かれた靴に足を通した。
「カイン様、目が赤くないっすかー?」
「気のせいだ」
目敏いテッドに振り向かないまま否定して、カインは青空の下に踏み出す。
(……目が赤い、か)
今の自分はこの世界に生きているカインなのだから、前世の事など考えても栓なき事だ、と……貴族らしく割り切ったつもりでも、そう簡単には割り切れなくて。
前世の自分は志も半ばに若くして死んだのだと、改めてその事実に胸を衝かれて、思わず涙が出てしまった。
泣いたのはほんの僅かだ。けれど敏い者には気付かれるかもしれなくて、カインはワザと今朝は早起きした。玄関でテッドに指摘された時はギクリとしたが。
よりによって、今日は放課後、王城へ出向く事になっているのに。それもあって、今日は馬車での通学を取り止めた。眼が赤いなんてみっともないから、放課後までには戻っていれば良いのだけど。
「カイン、待たせたね。さぁ、乗って」
「アレックス殿下…、失礼します」
王族の威容を表すような、四人の大人がゆったり寛げるような立派な箱馬車。これがアレックスとイザベラが通学に使用している馬車である。
イザベラも、騒ぎの中心人物だったエリックを筆頭に、姉やシャーロットやセシル同様に謹慎中なので、今はアレックスのみが使用している。何とも贅沢な事だが、今ここに、カインも乗り込んだ。
「この馬車には今まで何度か乗らせて頂いた事がありますけど、イザベラ様を交えずアレックス様と二人きり、というのは今回が初めてですね」
「そうだったかい? 君はイザベラの婚約者だったのだし、当然と言えば当然か」
「……。今日、これから正式に、王城でイザベラ様との婚約破棄の手続きを遂行するんですよね…」
「そうとも。完遂出来るかどうかは、僕にもちょっと判らないが……」
あの夜会で、婚約破棄を告げたイザベラに対しカインは「どうぞ」という態度を取ったし、二人の婚約を取り付けた両家の片方である王の口からも婚約を白紙にすると公言なされたけれど。
正式な破棄の手続きはこれからだ。
いくら国王その人の承認があったとしても、あくまでも口頭許可でしかない。上流階級ともなると、あらゆる事で正しい手順を踏んで手続きを行う必要がある。まして片方は王族だ、言葉だけで簡単に婚約が破棄される訳ではないので。
つまり、「元婚約者」と表現していても、現在進行形で未だカインとイザベラは「婚約者」のままである。書類上では婚約中のままなので、正式な手続きを今日の放課後に行う予定になっていた。
何せ相手は一国の王。自分の娘の婚約を白紙にさせると言えども、日頃の多岐に渡る政務もこなさねばならない。唐突な婚約破棄にすぐさま対処出来るほど、王という職業は暇ではないのだ。
日を改めて婚約破棄の手続きを取るにあたり、待たされた時間は五日。
この日数は決して長くはないが、短過ぎるという程でもない。そこがミソである。
恋の熱に浮かされたのか、人前であらぬ罪を被せカインを糾弾したイザベラではあるが、あの時はイザベラ以外の女性もいつもと少し違った。
シャーロットやセシルとはあまり接点がないので何とも言えないが、やはり世間に聞く噂とあの時の姿は一致していなかった。特にカサンドラとは生まれた瞬間から一緒だったのもあり、「恋の熱とは恐ろしいものだな」と少々戦慄する程。
淑女にあるまじき言動というのもあるだろうが、四人の謹慎とはいわば、渦中にあった重要人物と思しきエリックから離す為の措置でもある。少し頭を冷やしてよく考えろ、という訳だ。
普段のイザベラは決してあそこまで短慮ではないし、愚かでもない。イザベラに限らず、恋に夢中になり過ぎて周りが見えていなかっただけなら、エリックと引き離してリラックス出来る自分の部屋で落ち着きを取り戻せば、少しは冷静な判断も出来るようになるのではないか、と。
つまりこの婚約破棄、これから遂行するのだが完遂出来るかどうかは判らない。アレックスがそう言うのも当然だ。
イザベラが心から騒ぎを反省し、カインとの婚約を軽々しく破棄した結果、どれだけの事態になるのかを考えれば、そう易々を破棄を唱えられなくなる。
万が一、イザベラが「ゴメンなさい、よりを戻したい」と訴えたら、公爵と言えども所詮は貴族でしかないカインに拒否権はない。相手は王族なのである。
五日という猶予は、頭を冷やすには充分な時間だ。
国王の真意がどこにあるのか判らないが、「お前を息子に迎える日を待ち遠しく思っていた」と仰って下さるくらいだ、オリヴィアは結婚どころか身内以外の異性全般に恐れを抱いているようだし、同じ娘をカインに宛がうなら、オリヴィアよりも元々婚約関係にあったイザベラとの婚約破棄そのものをなかった事にしてしまった方が手続きも省かれる分、面倒が少ない。
「こんな事を言ったら不敬なのは重々承知ですが、俺はイザベラ様が何と言おうと、出来れば婚約を白紙にして頂きたいです。……オリヴィア様に求愛出来るチャンスを、みすみす逃したくありませんので」
「…カインの気持ちは、判ってるよ」
「……済みません。イザベラ様と結婚する事を何の疑いもなく受け入れていて、それを当然とすら思っていましたのに。…ついこの間まで、それが当然でしたのに。どうして、今は……」
どうして、なんて言っていても本当は判っている。自分の気持ちなのだから。
婚約の破棄が正式に成されれば、諦めていた初恋に挑戦出来る。優しく聡明で慎ましい、カインが惚れたオリヴィアに愛を告げても良いかもしれない。――そんなチャンス、この機を逃したら金輪際訪れない。
「それにしても、本当に驚いたよ。カインはいつからオリヴィア姉上の事が好きだったんだい?」
「六歳です」
「イザベラと婚約した歳じゃないか」
「イザベラ様の婚約者に選ばれて、初めて父に連れられて登城した際、偶然オリヴィア様を遠くから拝見しました。……詳細は秘密ですが、人目に付かぬ場所でひっそりと涙するオリヴィア様を見てしまいました。その時、「あぁ、何て健気なお方なんだ」と思って……その時はそれだけだったんですが、屋敷に帰っても近くで対面して直接お声を交わしたイザベラ様よりも、遠くから偶然拝見しただけのお話すらしていないオリヴィア様の事が頭から離れなくて…そこで、「これが恋か!」という結論に達した次第です」
「オリヴィア姉上が泣いて…? ちょ、カイン、そこ詳しく!」
「無理です」
「む、無理!? 何故だ!? 僕はオリヴィア姉上の弟だぞ!? 訊く権利はあるだろう!?」
「無茶です」
「む、無茶!? 何故だ!? 僕はそんなに無茶を言っているのか…!?」