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「ふられた……」

「へー、そっすかー。そりゃまた残念な事で。振られたんなら綺麗さっぱり諦めて、とっとと次の縁談結んじゃいましょーよ。――そんで、お帰りなさいませカイン様」


 王城から途中百貨店に寄り道しつつずっと走ってやっと帰邸したカインに対し、開口一番、この従僕ときたら。


「オイ待て違うぞ!? 雨に降られたって意味だよ見て判れ!! 第一、俺はまだ振られてない、そう、まだ! 多分! きっと! 恐らくは!」


 百貨店から邸へ帰る最中に振り出した夕立により、全身濡れてしまったカインは何だかんだ言いつつちゃんとタオルを用意していたテッドの手からふかふかのタオルを受け取ると、頭や顔を拭き始めて抗議した。

 幸いにも小雨だったので、びしょ濡れと言うよりはしっとり湿っていると言った感じの濡れ具合だが、水も滴るイイ男を体現しているカインは、正に雨に打たれた薔薇もかくやな艶やかさをこれでもかと醸し出し、目の保養なのか目の毒なのか判りかねる有様。……口を開いた途端、匂い立つような色気など即霧散したが。


「えーでも、「まだ」「多分」「きっと」「恐らく」なんて保険掛けた単語が次々出てくる時点で、カイン様自身、勝算が薄いって自覚があるんじゃないっすかー? 無駄な期待なんてしない方が身の為っすよー? 第一その必死さに、却ってドン引きされてるかもしれませんしー」

「うぐっ」


 相変わらずなテッドの率直さに、タオルに顔を埋めたまま唸る。必死な自覚は痛いくらいあったから、尚更。

 自分でも、「アレはねーよ」と思っているのだ。

 オリヴィアが何か言い掛けたのを遮るという不遜な真似までして、何とか断わりの文句を引き延ばす体たらくにも。情けないしダサいし見っともない。

 断られてもおかしくなかった、と思う。あんなスマートじゃない告白、きっと呆れられた。時を巻き戻せるなら今すぐ戻したい。


「…テッドってさぁ、確か俺の恋を馬鹿みたいだって思ってる半面、応援してくれてるんじゃなかったっけ……?」

「それとこれとは別っすよー。だってカイン様の恋が実るとは、正直な話、俺には到底思えないっすもん。時間ってのは万人に与えられし、数少ない平等なんすよー? あんまし無駄にしない方が賢いんじゃないっすかー?」

「み、実らないと思うその根拠は! 後、時間の無駄とかハッキリ言うな!」

「俺がオリヴィア様だったら、間違いなくカイン様みたいに無駄にキラキラしくて派手でやたら注目される男と並びたいとは思わねーからっす」


 問答無用の一刀両断さに、カインは少しだけ泣きたくなった。

 仮にも一応、テッドはアルベスト家の従僕なのに。だったら少しくらい、この家の息子であるカインを持ち上げてくれても良いのに。この正直者め!


「俺の顔……そんなにその、アレか。綺麗か?」


 男なので「綺麗」という表現を遣う事に若干の躊躇いはあるものの、タオルを返しながら一緒に自室に向かう廊下で訊ねてみる。


「アレックス様みたいに老若男女全てに好かれるような非の打ちどころない顔立ちとは逆のベクトルっていうか、人によっては好悪がバッキリ分かれる癖のある顔立ちっすけど、文句なくお綺麗な部類だと思うっすよー? 少々女性的な繊細さもあるんで、そこが却って余計に女性からは好かれるか疎んじられるかの二択でバッキリ、ってタイプかと」


 艶美なカサンドラとは性別が違うだけでほぼ似た顔立ちをしている時点で、若干女性らしい華やかさも持つカインは、確かに同じ美男子枠のアレックスと比べても繊細さが強調される。

 アレックスは兄のフェリックスが父王似の雄々しい美丈夫タイプなので対比的に美々しい王子様にしか見えないが、カインと並ぶとやはり彼の方が男らしい美貌の持ち主だ。そしてテッドの評価通り、彼の見目は万人の好悪を超越し誰もが「超イケメン」としか思わない程、完璧な造形美を誇る。

 アルベスト家の双子は性別が違うので当然二卵性なのだが、カインとカサンドラは今でこそ性別の違いが体格などに表れているとはいえ、今よりもっと幼い頃など、まるで対の人形のようにそっくりだった。違いといったら髪型と服と目尻のほくろくらいで。

 カインの骨格を女性的に、更に優美さを少し足して凛々しさを少し削るとカサンドラの顔になる。逆にカサンドラの骨格を男性的に、更に優美さを少し削って凛々しさを少し足すと、カインの顔になる。


「寧ろ、顔立ちは俺くらいの平凡レベルの男の方が、乗り気になってくれそうじゃないっすかー? オリヴィア様の事、俺はよく知らないんであくまでも想像っすけど」


 そういうテッドは常から細目がちなせいでどうにも狐のイメージが強いものの、細目というだけでよく見ればちゃんと整った顔の男だ。自称平凡だが。

 しかし彼の顔立ちもまた、人によっては好悪がバッキリ分かれるタイプだろう。


 オリヴィアより年下で未だ学生の自分と違い、テッドは本人の言によればカインとは十違いらしいから、今年二十七歳のはず。年齢的に二十二歳のオリヴィアとは程よく釣り合いも取れていて、カインにはない大人の男特有の寛容さや包容力が滲む。

 カインはオリヴィアの好みを残念ながら知らないが、大人っぽい男性のそういう面を求めているなら五歳年下という点を少なからず気にしてしまって、彼女の前ではついつい背伸びもしてしまうカインにはないものだ。

 余裕がほしい。彼女の前に立っても焦らず、等身大である事に自信溢れる男でありたい。……今すぐそうなりたくても、結局は無理な話だが。


「せめて、オリヴィア様の好みの男性像が判ればなぁ……」


 上流階級は自分の好みなど二の次になる。恋で結婚するのではなく、金や血の為に家を繋ぐのが自分達の結婚だからだ。上流階級で恋愛結婚が出来るケースなど稀である。

 だからこそ、生粋の王族であるオリヴィアも、あえて好みというものを考えないように生きてきた可能性が高い。親の決めた相手としか結婚出来ない立場として、自分の好みなど知ってしまったら却って辛いだけに終わる。

 政略結婚とは、決められた伴侶との愛を少しずつ育んでいけば良いのだ。

 オリヴィアも、王族だから自身の好みとかその辺はあえて考えないように生きていた可能性が高い。嫁ぐ相手がファイスタ公国のルーベルト殿下と決まってからは、彼を支える妻となろう、好きになろうと努めた事だろう。真面目で情の深い方だから。


「そんな落ち込む事ないでしょーに。カイン様って充分美男子っすよー? もしオリヴィア様が駄目だったとしても、すぐ他のお嬢様引っ掛けられますってー。キャシー様だって何だかんだ、ナルシストって訳でもなさそうなのにカイン様の事、大好きじゃないっすかー。カイン様を見慣れた身内の女性すら何年も虜にしてるって、結構凄い事っすよー?」

「お前の! 慰め方! オリヴィア様が駄目だったらとか言わないで!」


 まだ振られてない! 雨には降られたけど!

 自室に入る。氷雨に打たれた身体は、けれどずっと走っていた為にまだ温まっていた。けれどそれも時間の問題だろう。

 暖炉にはいつからなのか既に火が入っており、自室は充分に暖かい。


「濡れたついでに、今日はもう風呂に入りたいんだけど、湯は沸いているのか?」

「準備だけならしてありますよー」

「なら、着替えついでに入る」


 雨粒が染み込んだ制服のジャケットを脱ぐと、すぐさま従僕らしく手を伸ばしてきたのでテッドに渡す。シャツやスラックスも次々脱いでしまって、下着だけになってしまうと、部屋が暖かいとはいえ、この季節に薄着ではくしゃみが出そうな程寒い。

 急いでガウンだけ羽織って前を閉じ、カインは夜着を用意するテッドを尻目に廊下に出ると、足早に浴室に向かった。



 濡れて冷えた若君の為にワザとだろう、少し熱めに張ってある湯に安堵して、じっくり浸かって身体も清めてから部屋に戻ると。


「…………キャシー?」


 謹慎処分を言い渡されてからというもの、めっきり態度がツンケンしていた姉が何故かカインの寝台に腰掛けていた。

 コテで緩やかに巻いたオレンジ色の髪は下ろして、イザベラと同じように、謹慎中という立場からか比較的地味な部屋着で過ごしているカサンドラは、飾り気がなくとも充分に魅力的だ。

 服の上から軽く見積もってもGカップはあるだろう豊かな胸と女にしては背が高いカサンドラは、十七という実年齢よりも上のお色気たっぷりお姉さん的色気に満ちている。

 妖艶な肢体を淑やかに包むのは、この季節にピッタリの立襟ドレス。露出は少ない分、布をたくさん使ったグレーのドレスは部屋着らしくコルセットを使わなくても良いタイプなので、その分本来の身体のラインが手に取るように判ってしまう。

 まだ少々脹れっ面だが、そんな表情すらコケティッシュな色香漂うカサンドラを魅力的に映す。

 弟としてずっと見慣れているカインですらそう思うのだ。カサンドラの美しさにひれ伏す信奉者達からすれば、垂涎どころではないだろうが。


「どうしたの。まだご機嫌斜め?」

「……」


 ツン、と膨れた頬をつつくと恨めしそうな眼で甘く睨んできたが、そんな表情も見慣れたカインとしては全く怖くない。寧ろ「今日のキャシーは甘えたさんだな」と可愛がる余裕すらある。

 事実、拗ねたカサンドラなどカインにとっては可愛いだけなので、他人からすれば色気があり過ぎて一種迫力ある美貌で睨まれても、横に座ってつついたばかりの頬に軽く頬擦りしてやると、少しばかり機嫌を良くするのだからご機嫌取りなど簡単なものだ。

 隠しているつもりでも空気が華やぐので、実に判り易い。そこが憎めない。

 カサンドラは元々カインを自慢の弟とばかりに可愛がってきたので、自分から距離を置いても、全く弟を構えなくなってしまうと禁断症状が出るらしい。喧嘩してもカインから折れない場合は暫くすると、こうして甘えに来る。

 しかも本日はカインの婚約破棄手続きが施行される日だった為、姉としても気がかりであっただろう。

 それなのに、中々帰ってこない上に雨まで降り出した。

 今回の件は王女側からの婚約破棄という事で、城から馬車くらい出してもらえるはず……寧ろ出してもらうのは当然の処置だろうから、手続きに多少時間を取られたとしてもそろそろ帰って来ても良い頃合なのに、学園の授業が終わって何時間も経つのに未だ弟が帰邸する気配がない。

 予想の時刻になってもちっとも帰って来ない弟に何かあったのでは、とカサンドラが心配するのは当然だった。

 そうでなくても、日数的に考えても「そろそろキャシーの我慢も限界になる頃」と思っていたので、突然部屋に姉が訪れていても何の驚きもない。

 ただ、髪の毛だけはまだ濡れているので、タオルを被っているもののあまりくっ付かれると滴がカサンドラに掛かってしまう。それは避けたい。

 ゲームの中のカインは中々姉贔屓の激しい少年だった。こんなに妖艶な姉が可愛がってくれるのだから仕方ない、と当時プレイしていた自分はのんびり思っていたものだが、今カインの横に座っているカサンドラは、思えばゲームよりは若干妹成分が強い気がする。

 カイン=アルベストそのものが自分の転生によりゲームの設定と既に違う面が多々あるので、カサンドラが姉でありながら妹の面も強く持っているのは、普通だと思う。何せ双子なのだし、偶にはカインだって弟ではなく兄役をする事もある。


「…キャシー?」

「……。ノート、貸して」


 ポス、と額を肩に押し付けられる。どうやら顔を見られたくないらしい。

 あんな事を人前で言って、今まで避けていた相手にこうして甘えるのは、やはり決まりが悪いのだろう。気持ちは判る。


「あぁ、まだ渡してなかったな、今日は」


 甘いと詰られるかもしれないが、カインは姉が自宅謹慎を受けてから、授業のノートを毎日帰邸後、カサンドラの部屋に届けていた。勿論、「顔も見たくない」と言わんばかりの態度を取られていたので、直接自分が部屋に届けに行くのではなくメイドなどに頼んでいたが。

 今のところ、一ヶ月に及ぶ自宅謹慎という処分をイザベラ、カサンドラ、シャーロット、セシル、そして元凶のエリックの五人が受けている。

 あの醜聞と態度に対する罰としてはあまりにも手ぬるいと抗議する輩も居るには居るが、何せリーリル学園は学業に関して恐ろしくシビアだ。王立でありながら王族の関与を全く許さぬ体制。誰が相手であろうと、授業日数、或いは成績の如何によっては容赦なく留年させる。

 高い水準の教育内容に清廉な教育体制。王族すら例外なく停学、退学、留年といった処分を申し渡す厳しさ。純度の高いカリキュラムを一ヶ月も受けられないとなると、成績という意味で大いに不利益を被る。

 更にこの一見軽いような罰だが、よりによって騒動を起こした時期が悪かった。一ヶ月後の処分明け辺り、学年末試験が行われる。

 この学年末試験は別名を進級試験と言い、最高学年で言えば卒業試験に当たる。

 当然、よほどの理由を加味されない限りは受けなかった時点でどんな成績を常から保持していようが、問答無用で留年が決定される。

 リーリル学園の言い分は至極真っ当かつ余計な情がない。――曰く、学生の本分は勉学である。以上。

 よほどの理由とは、例えば病欠や学園に行けない程の重軽傷など。それものっぴきならない症状で、医師の診断証明書を提出する必要がある。

 その場合、意識があれば教師の一人が試験問題を携え邸を訪れて、そこで試験を行うという念の入用だ。意識がなければ一年間の授業態度、生活態度を見た上で、進級(或いは卒業)させるか留年させるか、を判断する。

 そのような学園からすれば、今回の件は明らかに「よほどの理由」ではない。寧ろ自業自得であり、家庭教師でも雇って成績だけでも維持しとけよ、といった具合だ。

 例外は、数十年前に起きた内乱の時に、一時学園閉鎖した事くらいか。内乱自体は三年ばかりで一先ず今の国王が収拾したが、学園を再開するまでには五年の期間が設けられたと聞く。その間、各家庭は学園長並び担任から月一で届く試験を家で解き、それを担任の家に郵送して採点してもらい、その修学によって進級や卒業、或いは留年を定められた。

 学園が一時期やむを得ず閉鎖する状況にあっても、これだけの心配りで以てして学生に勉強させたリーリル学園である。

 カインが毎晩授業のノートをカサンドラに課すのも、姉に留年をさせない為というのが一番の理由だ。今頃他の四人もそれぞれ自主学習に余念がないだろうが、一ヶ月もの謹慎という処分は、処分明けにすぐ学年末試験がある背景を踏まえると、意外にも厳しい罰になっている。

 何より、あんな覚えのない事を詰られても、やはりカサンドラはたった一人の姉で、大切な家族なのだ。イザベラもだが、長年身内として過ごした姉や元婚約者をカインは簡単に切り捨てられない。

 悔しいが、身内とは大体そういうものだ。多少迷惑を掛けられても、その時は怒っていても、やがて「仕方ないな」とため息一つで許してしまう。

 もっと毅然とした態度で冷たくするべきかもしれないが、カインは姉を嫌えない。一度の愚かさですぐにバッサリ切り捨てられる程、カインにとって軽い存在ではない。

 気まずくて遠慮がちにおずおずと甘えてくるカサンドラは、我ながらどうかしていると思いつつカインがもっとも愛しいと思う姉の姿なのでどうしようもなかった。

 イザベラは厳密にいうと「身内」ではないけれど、「いずれ身内になる」存在として見ていたし、妹のような感じだったのでカインの中では充分身内に入る。

 授業のノートを出そうとして腰かけたばかりの寝台から立ち上がろうとしたら、夜着の上に羽織ったガウンの袖を掴まれた。


「キャシー?」

「……今日、」

「うん?」

「お城、行ったのよね。…どうなった、の?」

「……。イザベラ様との婚約は正式に破棄されたよ」

「…そう。……そう、ね…。カインは…本当は、…………」


 ノートを借りに来たのは半分口実だったらしい。

 カサンドラがカインの婚約破棄に関して、何も思わないはずがないのだ。

 今はどうやら恋のせいで色々おかしな事になっているが、普段のカサンドラはカインの事を自慢の弟とばかりに褒めそやす。

 浮かせた腰を戻して、また隣に座る。

 自分と同じ色の、けれど長さは段違いの姉の髪を手櫛で梳くと、もっと撫でてとばかりにすり寄ってきた。

 いくら美しく魅力的であろうと純粋に姉として見ているカインだが、前世の記憶が蘇った今、ゲームとはいえ一度は口説いて恋愛ルートへ突入した事もある女性でもある。

 何やら倒錯的な気分になりそうでちょっと怖いが、十七歳とは思えぬ豊艶な胸の膨らみに男としてドギマギするよりも、見た目より甘えたな面の強い姉を可愛がりたい弟としての気持ちの方が断然強く、そんな自分に一安心したりして。


「それで、何をそんなに拗ねてたの」

「…だって。カインが、オリヴィア様をお好きだと言うから……」

「えっ?」


 聞き間違いかと思って真横を見たが、カサンドラの表情はまだ少し拗ねたままだ。あからさまに「面白くない」と顔に書いてある。


「俺がエリック殿に嫌がらせしたって事実無根の噂で怒ってたんじゃないの?」

「そ、それは! …それは、よく考えたらおかしいもの。カインはそんな事するような子じゃないのに、どうしてあんな噂、信じちゃったのか、自分でもよく判らないの……」

「判らない?」

(イザベラ様も似たような事言ってたな)

「エリックの言う事が嘘だと思いたくないの…。でも、カインがそんな真似する子じゃないって、私もイザベラ様も知っているのに……どうしてかしら。判らないけど、あの時は頭に血が上ったみたいに、とにかくエリックを傷付けた者が許せなくて、それが私の弟だと思うと尚更許せなくて……」

「…あぁ。それで、少し時間置いたら冷静になって、俺を糾弾したのが気まずくて、俺の事避けてたの?」

「……ゴメンなさい」


 見た目同様、男にチヤホヤされまくりでプライドの高いカサンドラ。昔からカインがこうして甘やかしてしまうから、引っ込みつかなくなってしまってもすぐに謝れない。頭では判っていても、行動に移すには意地を張ってしまう。


「じゃあ、何で俺がオリヴィア様をお好きな事に、そんなに拗ねるの。もしかして反対? 俺がオリヴィア様を妻にしたいと望むのは」

「そんなんじゃない。オリヴィア様は立派な方よ。…そして、可哀想な方だとも思うわ」


 可哀想。――同じ女の視点として、オリヴィアは可哀想な女なのか。

 楚々とした美しさが余計に痣の醜さを際立たせているから、不憫なのは確かだが。それだけではない意図も感じた。

 強く望まれて輿入れしたはずのファイスタ公国の王宮では、嫁ぐ予定だった相手とは違う男の妻となり、随分肩身の狭い思いをして酷い扱いも受けたと聞く。

 出戻ってきたオリヴィアの憔悴にイザベラは激しくテオバルトに憤っていたし、学園でも暫くの間、温厚なアレックスがピリピリしていたから、彼女がよっぽど辛い思いをしたのは間違いなく。

 実際、ウィギストリ王国にとってオリヴィアは王族として人気が高い為、そんな姫様を手酷く傷付けた隣国の若き大公はかなり評判が悪い。


「一度目のご結婚で辛い思いをなされたオリヴィア様に無神経にも求愛する、その行動そのものが、キャシーは許せない?」

「そうじゃなくて……、そうじゃなくて、カインがオリヴィア様をお好きだという事実を今まで知らなかった事が面白くないの!」

「…はぁ?」

「だって! 私が一番、カインに近いのに!」

「え、えぇー…? 否、まぁ、確かに…俺に一番近い女の子はキャシーだけど。俺必死で隠してたし、っていうか初恋なんて諦めてたし、イザベラ様との結婚も嫌だと思った事ないし、普通にイザベラ様との結婚を受け入れてたし……、俺に一番近いキャシーに気付かれてなかったのは、俺としては寧ろ上出来っていうか、」

「でもやなの! 私がっ…私が一番、」

「あ、はい」


 こういう時の女に正論ぶつけても時間の無駄だと、カインは重々承知している。大人しく引き下がった。

 あまりにアッサリ引き下がったので、途端、主張を中途半端に切り上げられてしまい物足りなさそうな表情をするカサンドラも、「これはこれで欲求不満っぽい感じが中々そそる」と思うくらいには姉を愛でる余裕がある男、カイン=アルベスト。

 ちなみに、カサンドラの事は前世の記憶が蘇った今でも純粋に姉として見ているので余計な下心はない、これでも。

 それに、逆の立場でいえば、エリックに恋をしてしまったらしいカサンドラにちょっと面白くないと思っているのも本当だ。カサンドラに一番近い男の子は、誰が何と言おうと自分であるから。

 その「面白くない」という感情には、当然彼女の婚約者――ブライアンの心境を慮っての事もあるのだが、それだけではないのも事実。

 上手く言えないが、血の繋がりと仲が親密過ぎる異性という立場と距離感のせいで、恋人とは違う意味で互いに独占欲を刺激されるのかもしれない。

 だから、肩や腕にグリグリ額を押し付けて無言の抗議をしてくるのやめてほしい。頭突きよりマシだが、地味に圧力が掛かって痛いのだ。


「…六歳からなんて、全然気付かなかったもの。悔しい」

「そりゃまぁ、六歳の時点では恋だっていう自覚そのものがなかったし…、イザベラ様と婚約した時すら、「婚約」の意味をそもそもちゃんと判ってなかったしな」


 その時点で前世の記憶が既に蘇っていたら、前世では告白した試しもない人生だったが流石に淡い初恋らしきものは経験した覚えがあるので、すぐさま「これは恋だ!」と気付けただろう。

 しかしその頃のカインは前世の記憶もなくまだたったの六歳で、恋そのものがよく判らない年齢である。

 ただ、人気のない場所でひっそり涙するオリヴィアを一目見て、その時から気になって気になって仕方なかっただけで。


「オリヴィア様を好きになる前に、俺はもう未来の伴侶がイザベラ様に決まっていた訳だし。自覚した瞬間に、失恋したようなものじゃないか。だったら隠すだろ。イザベラ様にも申し訳立たないじゃないか」


 もっとも、肝心のイザベラは初恋に浮かれてカインの諌言も碌に聞かず、夜会でとうとうあんな言動をしてしまった訳だが。それはこの姉にも言える事だけど。

 あの日の夜会を思い出すにつれ、カインはつくづく思うのだ。本来、片恋とは秘めてナンボだと。

 秘めててもバレバレな人も居るが、隠そうとする心意気があるのとないのとでは、傍から見ても全然違う印象に映る。

 今は隠さずオリヴィアへの恋心を開けっ広げに主張しているカインだが、姉含むイザベラ達のあの行動とイザベラの婚約破棄宣言があったからこそ、秘めていた恋を公言出来たようなものだ。あれがなかったら、今もカインはイザベラと婚約中だっただろうし、オリヴィアへの想いはいずれ風化するものとして粛々と恋を秘めていたに違いない。

 人生、何が起きるか全く判らないというが、本当にその通りだ。自分に前世の記憶が蘇った事からしてもそれは言える。

 正直、ここまで恋を明け透けに表現する理由などない。

 だが、あの夜会で王に告げてしまった事により、カインの想いは誰もが知るところとなった今、中途半端に控えめな姿勢で居るよりもガンガン押していった方がオリヴィアも自分の本気を感じてくれるのでは、と思ったのだ。

 カインだって本当は人前でオリヴィアの事を好きだの何だの言い連ねるのは恥ずかしい。しかし本能が察知していた。ここが勝負どころだと。

 一か八かの賭けに違いないが、一度は他国で人妻になった姫君にアプローチをかます時点で、どう足掻いても注目を浴びてしまうのは覚悟の上である。ひっそりこっそり、という訳にはいかない。なら、いっそ堂々と。

 それに、婚約破棄されたとはいえ、その内実は同情の余地があるものであり、カイン本人には何の落ち度もない。金も外見も頭脳も血筋も持っている公爵令息で、現在フリー。

 この好物件を逃す女は居ない。結婚適齢期の婦女子の中には、せっかく纏めた婚約話を取り消してまでアルベスト家嫡男一本釣りを狙う家も多いと聞く。

 つまりは、それだけ多数の人間から現在最も話題の貴公子として注目を浴びまくっている立場なのだ。どこに居ても好奇の視線を向けられ、噂話をされ、挙句オリヴィアに振られるだろうと見越してアプローチの数々を早速仕掛けられている。今、机の上に積まれた手紙なんかが正にそう。ウンザリする。

 何だか、せっかく決まっていた他家の婚約まで破棄させる原因になっている気がして聊か心苦しいものがあるのだが、それは自分のせいではなく欲をかいたその家の令嬢や親の自己責任だ、と思う事にしていた。

 そう思わないとやってられない。

 大体、まだ振られたと決まった訳でもないのにアプローチされている事実が歯痒い。カインがいっそ堂々と「オリヴィア様好き好き大好き!」と主張する理由は、そんな娘達への牽制も兼ねている。だってまだ振られてないのに!

 自身の婚約破棄が他家で結ばれた数々の婚約にまで影響を及ぼすとは、我が家ながらアルベスト家がちょっと恐ろしい。

 それとも、そうさせる程カイン=アルベストが魅力的なのだろうか? 我が事ながら俄かに信じ難い話ではあるが。

 多分、アルベスト公爵家の嫡男というのも大きな旨みなのだろう、と軽く結論付けている。

 カインは己を客観的に把握出来ているし、それは前世の記憶が蘇った事でカイン=アルベストがゲームのキャラクターであった事から更に客観視出来るようになったが、前世の記憶が要らない弊害を齎している事に気付いてはいなかった。

 ゲームの中のカインと今ここに生きているカインは、同じ存在でありながら全く違う人物として成長しているという点である。

 ゲームのカインは小物感漂う残念な悪役でしかなかったが、今ここに生きるカインは違う。少なくとも、悪役ではないしチャチな嫌がらせもしない。エリックに対し、一度か二度忠告はしたもののせいぜいその程度で。

 だからカインは、自分の婚約破棄が齎した余波のせいで決まっていた婚約を白紙にされて男共はさぞ恨めしい思いをしている事だろうが、出来れば逆恨みは勘弁してほしいな、という呑気な思考しかしていない。

 ゲーム内で悪役を発揮していたカイン=アルベストの小物っぷりを思い出してしまったせいで、今になって己の魅力に無自覚になりつつあるカインなのだった。

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