第98話 背中を向ける二人
アジトの中では、静歌がソファーに座ってコーヒーを飲んでいた。静寂な時間が過ぎていくが、ある時、彼女は何か気付いたように動作を止めた。そして、一息置いてゆっくりとカップをソーサーに置くと、顔を上げてじっと壁を見つめた。
『…志乃、ついに目覚めたのね…。どうやって目覚めたのかはともかく、今すぐ逢いたいわ…。志乃……こっちへ来るのよ』
静歌は念じるように心の中でそう呟くと、ニヤッと口角を上げた。
今まで気を失っていた志乃の目が開いた。何かの上に乗っけられているようだ。…よく見ると、彼女は今、あろうことか亮司の背中におぶられていた。
「ちょっとちょっとちょっと!どういう風の吹き回し!?私をおぶるなんてさ!」
志乃は恥ずかしいとかではなく、単純に苛立ちを覚えて亮司に問い詰める。亮司は歩きながら視線を後ろに向けた。
「…なんだ。もう起きたのか?まだ早いぜ」
「いいから降ろしてよ!って言うか、どこに連れてく気!?」
「黙っておぶられてろ。それともまた気を失いたいのか?」
抗う志乃に亮司は脅しをかけるが、志乃は素直に答えない亮司にイライラを募らせる。そして、自分から無理矢理地面に降りた。
「どうせ魔女同盟の館にでも連れてくんでしょ。そうはいかない。お姉ちゃんが私を呼んでるから」
志乃は亮司と月音と対峙すると、不敵な笑みを浮かべた。このまま黙ってついて行く気などさらさらない。対して、亮司は彼女の口から出た、"姉が呼んでいる"というセリフに疑念の目を向ける。
「呼んでる?テレパシーでもできんのか?」
「私とお姉ちゃんは一心同体。あんたたちとは生きる世界が違うの。じゃ、もうついて来ないでね」
志乃はそう告げると、2人に背を向けて、静歌のところへ向かって走り出した。
「あっ…!志乃待って!」
月音が手を伸ばして呼び止めるも、志乃は聞く耳持たずに走り去ってしまった。見る見る姿は小さくなっていくが、亮司は追おうとせず、じっと後ろ姿を見つめていた。
「ちっ…!勝手にしろってんだ」
亮司は眉を寄せて舌打ちすると、前に向きなおして歩き出した。月音もそれに続くように志乃に背を向けて歩き出す。
結局、志乃を手放してしまった。彼女は人を殺した。…もし、今は隠れているもう一つの人格がそれを知ったらどう思うだろうか。深い自責の念に駆られるかもしれない。人を殺すことを誰よりも嫌っていた彼女が、躊躇なくやってしまった。
亮司は暗い表情を浮かべる月音に目を向けた。
「おいどうした。リーダーなんだから堂々としろよ」
亮司がリーダーらしい態度を促すと、月音は自分を嘲笑うような表情になった。
「リーダーなのに、仲間の1人も救えない…。私はリーダー失格だ」
「なんだよ。自信なくしたのかよ」
月音はすっかり意気消沈してしまっていた。瑞葉だったら志乃を説得できたかもしれない。…自分は情けない奴だ。説得を試みても、彼女の言い返す言葉に対し、それを打ち負かすような言葉が出てこない。そして結局―――亮司を頼っている。
「渡良瀬…。私はおまえを頼りすぎている…」
「んだよ。そんなことで悩んでるのか?もっとドシッと構えてろ。以前のおまえはそうだったろ?ほら、俺の腕に炎の手錠でもかけてみろよ」
亮司はそう言って立ち止まると、腕を差し出してきた。月音は不意を突かれたようにキョトンとした表情で亮司を見る。
「なんで…?」
なぜ亮司が炎の手錠をかけるように促してきたのかわからず、月音は小首を傾げる。
「なんだ。かけねぇのか。以前のおまえなら無表情でかけてきただろうな。人の苦しみが好物みたいな顔してたぞ」
「なっ…!?それは言い過ぎだ!」
酷い言われように、月音は拳を握りしめ、唾を飛ばす勢いで文句を言う。
「元気出たか?出ねぇなら、あとは狼女に元気にして貰え」
「…!」
月音はハッとする。暗い表情をする自分を少しでも元気づけようとしてくれていたのだ。そう思うと、なんだか嬉しい気分が込み上がってきた。
亮司と月音が館に戻ると、瑞葉が驚いた表情で出迎えた。
「2人…?志乃は…?」
「人格が変わっちまった。あいつは今、姉貴のところに向かってる」
「なっ…!?」
亮司の返事に瑞葉は驚愕する。心の中で不安に思っていたことが……現実になってしまった。
「そんな……」
悲しみで言葉がうまく出てこない。あの太陽の様に明るい志乃は…陰に隠れてしまった。
しかし、亮司は活路を見出している目をしていた。
「そんなに悲観することない。幸い、俺の用がある人間もそこにいる」
「用があるって…その、鬼怒って人?」
「そうだ。…それから、青塚だ」
亮司がその名を口にしたとき、彼の顔に明確な怒りが表れていたのを、月音と瑞葉は目にした。
栄野の中心街から少し外れたところに、10メートルはある大きな朱色の鳥居が建っている。その先には一直線に砂利敷きの参道が続いており、両脇には背の高い杉の木によって森が広がっている。
入口に1人ポツンと矢櫃光磨が立っていた。彼はじっと参道の奥を見つめると、吸い込まれるように足を鳥居の中へと運んだ。
「瑞葉と散歩するのに丁度いいかな」
どうやら、光磨は瑞葉と一緒に出掛けるのに良いスポットを探しているようだ。光磨は参道の砂利を踏みしめていく。参道を覆い被さるように植わっている杉の木によって、太陽が出ている時間でも薄暗い。何か野生動物でも飛び出してきそうだ。
しかしそれでも、神秘的な雰囲気が自然と足を進めさせていく。やがて、光磨は社務所の前を通りかかった。そこに、警察官と神主らしき人が立ち話をしていた。
光磨は何故神社に警察官がいるのかわかっていた。少し前にニュースになっていた、この神社の社宝である御神石が盗まれた件だろう。
「残念な報告ではありますが、未だに手がかりが見つからない状況です。引き続き捜査を続けますが、時間をいただくことになるかと」
「…そうですか。あれはこの神社で最も大事にされてきたものですから、なんとしても取り戻したい」
「これは私の勝手な推測ですが……、この街には"魔女"と呼ばれる特別な力を持つ人間がいるそうです。もしかしたらその魔女によるしわざかも知れません」
警察官はひそひそと神主に告げるが、その話の内容は光磨の耳に届き、彼はハッとして足を止める。
『今…確かに魔女って言った…あの警察の人…。あの事件…魔女が絡んでいるの…?』
光磨はチラッと2人の方に目を向けるが、警察官は構わず話を続けた。
「普通の人間には無い力を持っていますから、悪巧みを考える可能性も高いです。でもご安心ください。もし魔女が犯人でも、我々には特殊部隊がいますから、魔女に対抗できます」
「それは心強い」
警察官の励ましに、神主はホッと安堵した表情を浮かべる。一方、光磨は冷や汗を垂らしていた。
『魔女が…怪しまれている。魔女はみんな優しくて良い人たちなのに…。瑞葉に伝えないと…!』
光磨は踵を返して出口に向かって走り出した。―――その様子を、チラッと警察官が乾いた目を向けた。
「ちょっと失礼…」
警察官は神主に断りを入れると、少し離れて携帯を取り出し、ヒソヒソ声で話をし出した。
「もしもし。…はい。怪しいガキが1匹出口に向かいました」
光磨は砂利を蹴りつけながら出口に向かって走る。参道の先の鳥居がだんだんと大きくなっていく。――と、何か気付いたようにハッとして、参道から逸れて脇の茂みに飛び込んだ。そして、茂みの隙間からそっと鳥居の方を見る。
バシャァ…
突然、石畳からタイツを被った男が顔を出してきた。光磨はその光景に驚愕する。間違いなく能力者だ。
その男は携帯を耳に当てて電話をしていた。
「見失っちまったよぉ~~。そいつの顔は見たか?」
【えぇ。この目でしっかりと】
警察官がそう答えると、タイツの男は不敵な笑みを浮かべた。
「よし。そいつの映像を俺の脳に送れ。魔女に通じてるかもしれねぇからなぁ~~」
「…!!」
光磨は息を呑みこんだ。先ほど、予知でタイツの男に瞬間的に引きずり込まれる未来を見た。もし予知していなかったらと思うとゾッとする。
そうこうしているうちに、タイツの男は再び石畳の中に潜り込んでいった。光磨は一応能力を発動する。……どうやらもう大丈夫なようだ。
『あの人は一体…。もしかして……瑞葉が言ってた…魔女狩り…?』
光磨は以前、瑞葉から魔女狩りのことを聞かされていた。自分と同じ能力者で構成されている組織で、魔女の殲滅を企んでいる…。なぜ自分が狙われているのかはともかく、御神石の事件に魔女狩りが絡んでいるのかもしれない―――光磨はそう思った。
光磨は茂みから姿を出すと、鳥居をくぐって外に出た。そして、急ぎ足で神社から離れていった。
バシャァ…
その後方でタイツの男…土槍が地面から姿を現し、冷酷な目つきでじっと光磨の後ろ姿を見つめた。
「うひょひょ~~。逃がしはしねぇぜぇ~~小僧~~」




