第89話 蝶が見つけたもの
数多くの蝶が公園から一斉に飛び立っていく。静歌の蝶が街中に放たれているならば、尾行の数も増やす必要がある。美雨は飛び立っていく蝶を見送ると、志乃の方を向いた。
「もし志乃が目的だとしたら、そろそろ現れるかも知れないわ」
志乃は唾をゴクリと飲み、緊張した面持ちになる。もし…亮司が来る前に静歌が現れてしまったら、自分は戦う覚悟があるのだろうか…。静歌はまた人格を変えようとしてくるに違いない。もう、亮司や美雨を嫌な目に遭わせたくない。
「お姉ちゃんが美雨ちゃんを攻撃しようとしたら、私、全力で美雨ちゃんを護るよ」
志乃が力強い目で美雨に告げると、美雨は頬を緩めた。
「頼もしいわ。でも、だからって自分を疎かにしちゃだめよ。あっちは志乃の隙をついてくるに違いないし」
「…うん」
志乃は表情を曇らせる。自分が足手まといになるのではないかと不安に駆られた。
すると、美雨が反応を示す。
「何匹か発見したわ。やっぱり結構な数が飛んでいるようね。……だけど、志乃が目的だとしたら、もう既に場所を把握してるはず。まだこんなに飛ばす必要あるのかしら」
美雨はふと疑問を漏らす。志乃は確かにと思った。亮司の言うように、先程の蝶が既に志乃を発見しているとしたら、油断させるにしても大げさすぎはしないか。
亮司とすれ違った蝶は、"鬼怒"と書かれた表札を見つける。そして、家の全体を確認するように高度を上げる。…しばらくすると、蝶はサラサラと砂のようになって消えてしまった。同時に街中を飛んでいる他の蝶もすべて消えた。
「…!消えたわ…!」
静歌の蝶が唐突に消えたため、美雨は驚きの表情を見せる。何かを見つけたのか…確認できなかった。
「志乃…とりあえず周りに警戒して」
美雨は緊迫した面持ちでそう告げる。志乃は静かに頷き、周りに気配がないか心を研ぎ澄ます。
鬼怒は亮司が帰った後、リビングのソファーに座って新聞を読んでいた。ただただ静かな時間が過ぎていく―――。
ボコボコ…
その時、床下から奇妙な音が聞こえてきた。鬼怒は新聞から目を離し、怪訝そうな表情で床に目を向ける。
ボコボコボコ…
まただ。なんだろうか。何か柔らかいものが動くような音だ。鬼怒は床に這うように座り込み、耳を床にくっ付けてじっと様子を窺う。
すると、目の前の床が一部分茶色く変色し出した。
ガシッ!
突如、その茶色くなった箇所から腕が飛び出し、鬼怒の腕を掴んだのだ。
「なっ!?なんだ!?」
突然の怪奇現象に鬼怒は慌てふためく。掴んでいる手はさらに床からだんだんと姿を見せ、全身タイツを被り、マスクをつけた男――土槍が顔を出した。
「ハロォォ~~!鬼怒博士ぇ~~!探したぜぇ~~!」
土槍は間延びした声を発し、不気味な笑みを見せる。鬼怒は"博士"という呼び方にハッとした。
「魔女狩りか!!」
「そうだよぉ~~!なんで死人がのうのうとこんなところで呑気に暮らしてんのかなぁ~~?ゾンビか~~?」
「放せ!!もうきさまらには協力しない!!帰れ!!」
鬼怒は力一杯腕を振りほどき、素早く立ち上がって土槍から離れた。
「そんなこと言うなよぉ~~。ゾンビのあんたにもう一度活躍の場を設けてやったんだよぉ~~。素直に来いよぉ~~。兄貴が歓迎するぜぇ~~」
「兄貴…?誰からの指示だ!?」
鬼怒は冷や汗を垂らし、緊迫した表情で土槍に問いかける。土槍はへっへっへと不敵な笑みを浮かべた。
「今教える必要はねぇよなぁ~~?そんなことより、この家と愛しい息子に別れの挨拶した方がいいじゃないのぉ~~?あんたはもうここには戻れないんだからなぁ~~!」
「きさま…!!」
鬼怒は怒りを見せると、走り出してリビングから出ていった。
「逃がさねぇよぉ~!!」
土槍はすぐに床の下に潜り、鬼怒の後を追った。
鬼怒は恐怖を落ち着かせながら、ある部屋に入った。そして、物置からあるものを取り出す―――それはピストルだった。
ボコボコォ!
そこに追ってきた土槍が顔を出してきた。土槍は顔を上げて、ピストルをこちらに向けている鬼怒の姿を確認する。…しかし、土槍は警戒するどころか、面白そうににやけて見せた。
「…腕が震えてるぜぇ~~?恐怖でビビっちまってるのが手に取るようにわかるぜぇ~~」
「黙れ…!僕を舐めるなよ…!」
バァン!!
瞬間、鋭い銃声と共に銃弾が土槍の顔面に直撃した―――が、なんと土槍の顔は泥化して崩れてしまった。
ガシッ!!
「なっ…!?」
鬼怒が驚愕していると、足元から腕が飛び出して脚を掴まれてしまう。あの顔はおとりだったのだ。鬼怒はピストルを掴んでいる腕に向けようとするが、その前に勢いよく足を引きずり込まれてしまう。
引きずり込まれた拍子にピストルを落としてしまい、土槍を攻撃する手段がなくなってしまう。体はみるみる沈んでいき、あっという間に肩のあたりまで飲み込まれていた。鬼怒は手を床について必死に這い上がろうとするが、土槍の引っ張る力の方が強いようだ。それだけではない。沈んだ部分に密着している泥が下へ下へと流れて体を沈ませているのだ。
「くっ…!だめか…。亮司…すまな……」
必死の抵抗もむなしく、鬼怒は泥に飲み込まれて姿を消した。残ったのは、むなしく転がっているピストルだけだった…。
亮司は志乃と美雨が待つ公園に到着した。2人とも何事もなかったようでホッと一安心する。しかし、結局静歌の蝶が何を探していたのかわからずじまいだった。
「せっかく買ってもらったアイス…保冷剤入ってるけどそろそろ溶けちゃうかも…。もうここで食べちゃおう。丁度3人いるし、1人2個ずつで」
「えぇ!?いいの!?」
美雨は気分転換にアイスを食べようと提案する。しかも、美雨のアイスを3人で分けるというのだ。その提案に志乃は驚きを見せる。一方、事情を知らない亮司はキョトンとしていた。
アイスを食べたいという欲に駆られる志乃。しかし、このアイスは美雨が1位になって貰った、優勝賞品とも言えるモノだ。それを3位の自分が貰うのには抵抗がある。やはり、ここは欲より理性を優先させるべきだ。――そう思った志乃は、ビニール袋から箱を取り出す美雨に対し、両手を前に出してストップのサインを出す。
「やっぱりだめだよ美雨ちゃん!美雨ちゃんが食べるべきだよ…!」
「でも、溶けちゃったらそれこそ由香に申し訳ないわ。かと言って、1人で6個はきついし…」
「んじゃ、俺にはくれ」
志乃の横で亮司が構わず手を差し出した。美雨は亮司の手にカップアイス2個とスプーンを置く。
「あー!渡良瀬はそれでいいの!?欲望に負けて悔しくないの!?」
「ちっとも。おまえはドロドロに溶けたアイスでも食っとけ」
志乃が非難するも亮司は冷たく言い返し、傍のベンチに座ってアイスの蓋を開けた。
「うっ…!なんてきめ細かいアイスなの!」
志乃は柔らかそうなアイスを見て、羨ましそうに亮司を見る。
「志乃も食べましょう」
美雨は志乃にアイスを2個差し出す。志乃は欲と理性がぶつかり合い、素直に受け取ることができない。
「如月食わないみてぇだから俺にくれ。4つくらい食える」
「…仕方ないか」
美雨は諦めたようにその2個を亮司にあげようとするが…
「ちょっと待った!…やっぱりください」
志乃は観念し、頭を下げて両手を差し出した。
「やり取りがなげぇよ」
亮司はアイスを食べながらボソッと文句を言った。




