第28話 静歌の魔術 その1
志乃は館に戻り、姉の静歌から夕飯の準備ができたと言われたが、食べる元気がないことをやんわりと伝えて、自分の部屋へと向かった。
彼女は部屋に入ってドアを閉めると、バサッとベッドに倒れ込んだ。
『疲れた……。なんか…変な感じ…』
志乃は未だに残る違和感にもどかしさを感じた。だが、自分で抑え込めるような気はしなかった。このまま何もせずに眠ってしまいたいと思った。
コンコン…
ドアをノックする音が聞こえると、声もかけてないのに勝手にドアが開いて、瑞葉が入ってきた。
「勝手に入ってこないでよ」
志乃は不服そうに瑞葉を見る。対して瑞葉は気にしていない様子だ。
「ノックしたからいいでしょ。それよりあんた、なんか変よ」
「変って…何が?」
志乃は何もおかしなことは無いと訊き返す。
「何がって…あんた、いっつも静歌様と楽しそうにご飯食べてるじゃない。それを今日に限って断るなんて」
普段と違うことをするのには訳があると瑞葉は思っているのだ。
「別にいいじゃん。食べる元気がないんだもん」
「ほら、元気がないって言った。何があったのよ?話ぐらい聴かせなさいよ」
親身なことを言う瑞葉に志乃はいじわるそうににやけ
「あれ~?瑞葉ちゃんって人思いなんだね」
志乃がおちょくると瑞葉は顔を赤くして
「先輩としてこれくらい当然でしょ!」
そっぽを向いて平静を装うが、志乃のにやけは止まらなかった。
その後、志乃と瑞葉はベッドに座り、志乃は先程までの出来事を話した。――魔女狩りの少年、亮司とその仲間である美雨と戦いになったこと。そのあと、もう一人魔女狩りが現れ、敵であるはずの亮司が自分を助けたこと。亮司とのやり取りの中で、なにか大きな違和感のような気分が残ったこと――気付けば結構な時間話したように思えた。
瑞葉はそれを聞いて、あることを感じた。彼女の以前の人格が戻ろうとしているのではないかと。
しかし、瑞葉はそれに危機感を憶えなかった。もしも志乃が以前の人格に戻ったとしても、志乃は志乃だ。それはそれでいいと思った。
瑞葉は立ち上がり、志乃の顔を見た。
「先輩として言えることは一つかなー。自分の気持ちには正直になった方がいいわよ。じゃ」
瑞葉はそれだけ告げて、片手を上げて部屋から出て行った。
『くぅーー!なんか先輩っぽいこと言っちゃったーー!』
ドアを閉めた途端、瑞葉は拳をギュッと握りしめ、自分に酔いしれるのであった。
再び一人となった志乃は、ドサッと頭からベッドに倒れ込んだ。そして、両手を大きく広げて、天井をボーっと見つめた。木目調の柄が瞳に映る。
『前の私……今の私は本当の私じゃない……?』
なんだか急に自信がなくなってきた。亮司に向かって、今の自分がすべてだと叫んだが、その威勢も今は無い。もしかしたら、本当に自分にもう一つの人格があるのではと思えてきた。
「もう…わかんないよ…」
志乃は消えてしまいそうな声でボソッとそう呟くのだった。
その様子を、ドア越しに窺っている人物がいた。…静歌だ。彼女は冷や汗を垂らしていた。
『まずいわ…。以前の志乃の人格が戻ろうとしてる…』
静歌は部屋の前からそっと立ち去り、歩きながら考えを巡らせた。
『渡良瀬亮司……あの少年が志乃に余計なことを吹き込んだのね…。志乃をまた逢わせるのは危険だわ。その前に……わたしが始末する』
亮司と美雨は美雨の家にいた。彼女もすっかり容態が良くなっていた。だが、亮司から話を聴き、赤渕が再び姿を現したことを知ると、表情を曇らせた。
「そう……。またあいつが…」
「俺も正直あいつのことはまったくわからねぇ。あいつの能力が何なのかもわからねぇんだろ?」
「えぇ…。一瞬だったもの…。気付いたら倒れていたわ」
「…なら、戦わないに越したことはないな」
亮司の結論は戦わない事だった。そんな得体の知れない能力者と戦う気にはなれない。
ここでふと、亮司は違和感を感じた。
「そういや、あいつ、おまえのことも見てたが、何も反応してなかったな。以前やりあったなら覚えてるはずなんだが」
「…そうね。変だわ」
赤渕は何かに反応を示したわけでもなく、ただただボーっと見ていただけだ。何の目的があって来たのか…そもそも目的などなかったのかもしれない。
すると、美雨のケータイの着信音が鳴った。美雨は机に置いてある自分のケータイの画面を見る。…相手は非通知だった。が、美雨は電話に応答した。
「はい、もしもし」
【美雨?お久しぶりね】
「!!」
美雨は気が動転した。その声の主が如月静歌だからだ。彼女は魔女同盟のトップ。そして、自分は外れ者…。電話の内容が良からぬものであることは明白だ。亮司も彼女の様子を見て、電話の相手が誰なのかあらかた予想していた。
「今更…私に何の用ですか…?」
【あら…美雨ったら酷いじゃない…わたしはね、まだ美雨のことを仲間だと思ってるの】
「そ、そうなんですね…」
静歌の滑らかな声に対し、美雨の声は酷く強張っていた。
【それでね、美雨に助けてもらいたいことがあるの。聴いてもらえる?】
「とりあえず…話だけでも聴きましょう…」
今すぐ電話を切りたかったが、無難な態度をとった方が賢明だと思い、話を聴くことにした。だが、それはすぐに後悔へと変わった。
【ありがとう。実は、志乃の様子がおかしいのよ…。それで、志乃に訊いたら、渡良瀬亮司くんのせいだって…。わたし、志乃のことが心配で心配でしょうがないの。ねぇ、美雨。彼を始末してくれないかしら?】
「…!!お言葉ですが…それはできません」
美雨は思わず声が出なかったが、勇気を出して断った。
【あら…本当にそれでいいの…?】
「…はい。私はもう魔女同盟の一員ではありません。戻ろうとも思いません。渡良瀬は…私の大切な仲間なんです」
美雨は正直に自分の思いを伝えた。偽りはない。これが自分の決めた道なのだから。
【…そう。なら、わたし自ら始末するだけよ。あなたは後悔するはず。自分で始末するように言っておけばよかったって…】
プツッ…
電話が切れた。美雨は手に汗を滲ませていた。まずいことが起きたと…。
バチンッ…
突如、部屋の灯りが消えた。ブレーカーが落ちたのだろうか。だが、そんな電力を食うものは動かしていない。
「渡良瀬…ごめんなさい。私のせいでまずいことになったわ」
美雨は酷く落ち込んでいた。自分が始末するように言っておいて、実際は始末したふりをしていればよかったのだ。今更そっちの方が良かったことに気付いた。だが、もう遅い。電気が落ちたのも静歌の魔術かもしれない。
「いいじゃねぇか。あのバカ姉貴が来るんだろ?願ったりかなったりだ」
美雨を落ち込ませまいという亮司なりの優しさなのだろう。彼も本心ではそう思っていない。…いや、本当にそう思っているかもしれないが、彼は静歌の魔女としての実力を知らない。
美雨は真剣な目つきで亮司を見た。
「渡良瀬。私はあなたに死んでほしくない。私が交渉に行ってくるわ」
「交渉に行ってどうするんだ?それで成功する見込みはあるのか?」
亮司は鋭く指摘する。美雨が交渉に行けば、今度は彼女に危険が及んでしまう。
「あなたが戦うよりはリスクが低いわ。あの人と戦うのは危険すぎる」
交渉に100%自信があるとは言えない。だが、戦った場合、彼女に勝つ可能性は限りなく低いと思っていた。
その時、何やら焦げ臭いにおいがしてきた。
「おい…何か焦げ臭くないか?」
「えぇ…」
美雨は窓を開けて下を見た。…と、庭に火が付いているのだ。
「庭が…燃えてる…!」
亮司は即座に立ち上がって窓の外に顔を出した。そして火を見た。――すると、火が亮司の能力によって動きを止められた。
「ったくよぉ。まずいな…。これで俺の能力を封印しようってか。もしくは、火を消しに外に出たところを仕留める気か…」
亮司の能力は一つの対象しか固定できない。火を固定している今、彼は他に能力を使うことができない。静歌はそれを既に理解しているのだろうか。
「私が外に出て消しに行くわ」
美雨はそう言いながらすぐに部屋を出て行こうとした。
「おい黒薙!……!?」
亮司は美雨を呼び止めようとするが、横からあるものが視界に入った。亮司は視線をそちらに向けてハッとした。
「おい黒薙……、こいつはおまえの蝶か…?」
「!?」
美雨は勢いよく振り向いた。部屋の中を1匹の黒い蝶が飛んでいた。――自分のではない。美雨は魔術を発動していない。美雨は唾を飲み込んだ。
「渡良瀬!!その蝶から離れて!!」
美雨は亮司に向かって叫んだ。亮司がハッとして蝶を見ると、蝶から鱗粉が発せられていた。
『まずい…!』
美雨は体から大量の蝶を発した。蝶は鱗粉から亮司を護るように壁を作り、さらに鱗粉を発した蝶を攻撃して引き裂いた。
「おいおい……どういうことだ…。今のは黒薙の魔術じゃねぇのか…?」
亮司は唖然とした。蝶から鱗粉を発し、鱗粉を吸い込んだ者を操る……美雨が得意としている魔術だ。
「違う……。私のじゃない…。あの人のよ…」
「あの人って…バカ姉貴の事か?あいつの魔術はなんなんだ?」
亮司はまだ静歌の魔術を聴いていなかった。だが、美雨の口から出た言葉は――
「何でもできる…。電気が消えたのもあの人の魔術。火をつけたのもあの人の魔術…。そして…蝶を飛ばしたのもあの人の魔術…」
亮司は笑うしかできなかった。
「ハハッ…!つまり何でも屋ってわけか。どえらい奴を相手に回したわけか」
「あの人は私の魔術も使えるし、他の魔術もたくさん使える…。だから私じゃ勝てない…」
美雨は血の気の引いた表情でそう告げたのだった。




