第113話 実験開始
志乃と静歌の2人は何もない殺風景な部屋にいた。何故ここに来たのか……、それは、ボスがここに連れてきたのだ。
「外が少し騒がしい。君たちはここにいてくれ。ここが一番安全だ」
ボスはそう告げると、部屋から出ていった。この部屋には椅子もテーブルも無い。立っているしかないのだが、ボスに"安全だ"と言われれば、何よりもそれを信じる。他の部屋に行けばどうなるかわからない。死んでしまうかもしれない――という不安が2人を支配していた。
「志乃、もう…渡良瀬亮司に心を奪われないで…」
静歌は離れたくない一心で懇願する。またあの男が現れた。せっかく戻った志乃の人格が、あの男によって再び消されてしまうかもしれない。…そうなれば、志乃は自分から離れてしまう。それだけは絶対に嫌だ。
静歌が不安な表情を浮かべていると、志乃はニコッと微笑みを向けて抱き着いた。
「当たり前だよ。約束したでしょ?もう離れないって!」
静歌と再会した時、自分は心の中で誓ったのだ。二度と姉に寂しい思いをさせないと。だから絶対に約束は守る。
「志乃…!」
静歌は嬉しさで目頭が熱くなる。―――その時
ヒラヒラ…
2人の視界に、1匹の黒い蝶が映った。静歌は途端、ピタリと体を硬直させる。
「…この蝶、お姉ちゃんの…?」
「いいえ、違うわ…」
志乃が尋ねると、静歌は否定した。そうなれば、この蝶を発したのはただ1人…
「志乃!!」
部屋の入り口に美雨と瑞葉が姿を見せ、志乃達に向かって声をかけてきた。美雨も瑞葉も、志乃が無事だとわかって嬉し涙を浮かべる。
「志乃!無事でよかった!」
瑞葉はすぐに部屋の中に足を踏み入れるが―――
「入らないで!」
志乃が止めに入ったのだ。期待を裏切る声に、瑞葉は足を止めて志乃の顔を見つめる。彼女の顔は美雨と瑞葉を"部外者"と認識しているようだった。
志乃の人格が変わっているせいだろう。彼女は今、姉の静歌以外を受け付けていないのだ。…だが、それは最初からわかっていた。わかっていたけど、みんな志乃を助けたいと思っているからここに来たのだ。
美雨も瑞葉も足を再び前へ動かした。
「お姉ちゃんとの時間を邪魔しないで!」
志乃は尚も拒否の姿勢を崩さない。しかし、2人はどんどん近づいてくる。
「みんな!ここにいたのか!」
そこへ、さらに月音と暁美も姿を見せた。
「月音!暁美!」
瑞葉と美雨は振り返って、月音と暁美が無事だったことにホッと安堵する。
そして、月音と暁美も部屋の中に入って志乃に近付いていく。―――すると、静歌が志乃の手を引いて後ろに下がった。
「来ないで!わたしの志乃を奪わないで!」
静歌の悲痛にも聞こえる声は、もともと彼女を慕っていた4人にとってはいたたまれないものだった。彼女はずっとずっとずっと…志乃を求めていた。純粋な家族愛と言ってしまえばそこまでだが、他人を巻き込んでまで成し遂げようとするその思いは行き過ぎている。
「静歌様」
瑞葉が一歩前に出て、心を落ち着かせるように深呼吸すると、勇気を出して口を開いた。
「志乃を…返してくだ……」
バタンッ…!
瑞葉が言いかけた時、部屋の扉が突然閉まった。4人はびっくりして扉に目を向ける。暁美が扉を開けに向かうが、ドアノブが回らない。鍵をかけられたようだ。
「開かない…!」
美雨はハッとする。
「まさか…!ここが実験場なんじゃ…!」
まずい。早くここから出なければ、鬼怒が言っていた実験が始まってしまう。
プシュー―!!
瞬間、天井のスプリンクラーから霧のようなものが噴射された。
「暁美下がって!扉を焼く!」
月音は叫び、暁美が離れると、掌をかざして炎を放った。
ボワッ!!
しかし、扉は燃えることなく炎を弾いてしまった。
「防火性か…!」
月音は苦い表情を浮かべる。
「それなら水で吹っ飛ばす!!」
今度は瑞葉が扉を壊そうと掌をかざす。
バシャァァアア!!
…だが、扉が頑丈なのか、まったく壊れる気配がない。
そしてその間にも、霧は部屋中に充満していく。
「これが…実験…」
志乃がボーっと天井を見つめていると……体に違和感を感じた。
「あれ…?なんか……体が…重い…」
志乃はガクッと体を落としてしまう。
「志乃!大丈夫!?う…」
静歌は慌てて志乃を支え、心配そうに彼女を見るが、自分自身も体の調子が悪くなってきた。
「まずい…!早く…!部屋を…出ないと…!わたら…せ…!どこ…なの…?」
美雨は頭を垂らし、手を膝につきながらも、気力で蝶を放った。――しかし、蝶ははかなく消えてしまった。魔力が足りない…。体の中の魔力が…消えていく。
同時刻、鬼怒は必死に実験場を探していた。
『早くしないと…!みんな死んでしまう…!』
鬼怒は荒い息を吐きながら通路を走る。美雨と瑞葉に身を隠すよう言われたが、それどころではない。一刻も早く皆をここから逃がさなくては命が危ない。
――その時
ドカッ…!!
「ぐっ!」
突然、体が吹っ飛ばされた。
鬼怒が床に倒れ込むと、目の前に青塚が姿を見せた。足と腕には赤く滲んだ包帯を巻いており、大きなダメージを負っている感じだった。しかし、青塚は苦痛を見せず、面白そうににやけていた。
「そんなに急いでトイレか?博士」
「実験を中止しろ!!」
「中止ぃ~?もう始まってるよ。ははは!!」
青塚はおかしそうに高笑いする。鬼怒は血の気が引くが、自分が動かなければと、すぐに体を立ち上がらせた。
ガシッ…!
しかし、青塚に掴み上げられてしまう。
「待てよぉ~~!博士ぇ~。俺大ケガ負っちまってよぉ~~!渡良瀬亮司のせいなんだがよぉ~~!」
「亮司…!亮司はどこだ!?」
鬼怒は青塚に亮司の居場所を問いただすが、返ってきた言葉は―――
「死んだよ。独り寂しくな」




