第104話 幽閉 その2
亮司、美雨、月音の3人は、路地裏の隙間から古臭い3階建の低層ビルを見つめていた。その建物こそが、中禅寺元康が示した場所…つまり、青塚達がいるアジトだ。周りも似たような建物ばかりで、特徴のようなものは何もない。意識せずに通れば、そのまま通り過ぎてしまいそうなくらいだ。魔女狩りのアジトは総じてこういうところばかり。彼らにとってアジトは拠点というより、隠れ家のようなものなのである。
「あそこに青塚とシスコン姉妹と鬼怒さんがいるってわけか。黒薙、蝶の監視は無いか?」
「えぇ、ないわ。一匹も飛んでない」
亮司たちはアジトに近付く者を監視するために、静歌が蝶を飛ばしていると考えていたが、周辺にそれらしき姿は見当たらなかった。
「明日莉は青塚に中禅寺のことを報告しているはず。アジトの場所が特定されていると考えるのが自然だ。何か罠があるかもしれない」
月音が意見を述べる。その通りで、青塚が用心せずにアジト周りを無防備にするとは考えづらい。罠を張って待ち伏せている可能性が高い。
3人がビルの様子を窺っていると、周囲の偵察から帰ってきた蝶が美雨の肩に止まった。
「まずは私の蝶が中を見に行くわ」
「気をつけろよ」
「えぇ。でも、見つかるのは覚悟の上よ」
蝶は優れた偵察能力を持ち、普通の人間に対してだったら見つかることはまずないが、同じ魔術を使える静歌がいる以上、平穏無事に偵察できることは望めない。しかしそれでも、生身の人間が行くよりはずっとマシだ。
美雨の肩から蝶が飛び立ち、入口からビルの中へと入っていった。蝶の偵察が終わるまで、3人はじっとその場に身を潜める。
蝶は1階から順に調べていく。扉が閉まっていても、僅かな隙間から中に入り込むことができるので、完全に密閉されていない限り、どこへでも行くことができる。
「…1階はもぬけの殻ね」
1階のすべての部屋を調べたが、結果はどの部屋も無人だった。…続いて、2階に上がって同様に部屋を調べる。――が、こちらもすべて無人だった。そして、最後の3階も人の気配はまったく無かった。さらには備品も無いので、アジトとして機能している感じではない。
「見つかる以前に、ただの空きビルか」
「もう既に場所を変えてしまったのかも」
元康が示した場所は確かにここだ。しかし、先程月音が言ったように、青塚は既に事態を把握しているはずなので、アジトの場所を変えている可能性が高い。…そうなると、彼らがどこに移ったのか手がかりがない。
「…考えても仕方ねぇ。とりあえず、俺ら自身で中を確認するぞ」
亮司がそう指示し、3人はビルの中へと入っていった。
青塚と赤渕が部屋から出ていった後、志乃は悔しそうに歯を食いしばっていた。能力者に一杯食わされるのは、今の志乃にとってこの上ない屈辱だ。魔術よりも力が劣るくせに、せこい手段を使って魔女より上位に立とうとする。考えれば考えるほど苛立ってきた。
「お姉ちゃん!私もう我慢できない!すぐにここから出るよ!」
志乃はもう無理矢理にでもここを出てやろうと、感情に素直な行動を取ることにし、座っている静歌の手を取り、彼女を立ち上がらせた。
「志乃!?」
「あんなクズの言いなりになることない!私達は魔女なんだよ?能力者にヘコヘコするなんて絶対できない!」
志乃は魔女としての絶対的なプライドを誇示するかのように語調を強める。しかし、そこまで言っても尚、静歌の"弱気"な態度は一向に変わる気配を見せず、彼女の手はぶら下がるように力が無かった。
だからと言って志乃も引き下がらない。口で言ってもダメなら、行動に移すのみ。彼女は静歌の手をグイッと引っ張り、力任せに引きずって部屋を出ようとした。
「だめよ志乃!考え直して!ここを出てもいいことなんて一つもないわ!」
「ここにいた方が尚更いいことないよ!」
相変わらず弱気な発言をする静歌に対し、志乃は前を向いたまま言い返し、部屋から通路に出た――――
「どうしてこうも……不安なことが起きてしまうのだろうか」
志乃の耳に聞き慣れぬ男の声が入ってきた。足が自然と止まって、彼女はふと、顔を横に向けた。
「……誰?」
そこには、1人の見知らぬ男が立っていた。身長は170cm中盤くらいで、綺麗に思えるほどの白い髪を持ち、金色の瞳を一点にこちらへと向けていた。年齢は30代前半くらいに思える。
志乃が問いかけても、その男は無言のまま見つめているばかりだ。その代わり、静歌が冷や汗を垂らしながら口を開いた。
「…志乃、その男が…魔女狩りのボスよ…」
「え…」
静歌から告げられた言葉に、志乃は一瞬息を呑んだ。そして、チラッと静歌の顔を見て、再び男の方に目を向けた。男がさっきよりも近づいている感じがする。
「こいつが魔女狩りのボス…?はっ…!なーんだっ!意外と大した奴じゃなさそうじゃん!期待して損しちゃった~~!」
志乃はわざとらしく声を大きく発して、想像していたよりも普通な男だったことを残念がる。魔女の脅威として君臨してきた魔女狩りの頂点がここにいる…。姉から告げられた時は一瞬驚いてしまったが、こうして対面すると大したことない。…そうだ。大したことない。
志乃が自分に言い聞かせていると、一言発して以降だんまりだった男がフッと妖艶な笑みを浮かべてきた。
「君も不安を感じているようだ。私と同様に…。私が本当に大した奴じゃないのか、君は自分の判断に疑心暗鬼になっている…。わかるぞ…。手に取るようにわかる…」
「な、なに…?キモいんだけど…!近寄らないでよ!」
志乃はけだものを払うように一歩引き下がり、嫌悪感を露にする。…それもすべて、自分の中の恐怖心をごまかすためだ。男の言っていることは当たっているのだ。
「不安は何よりも耐え難いものだ。人間の最大の敵と言ってもいい。君が私に不安を抱いているのと同じように、私も君に不安を抱いている。…だが、私の不安は君のそれとは少し違う。君がこれからどんな行動を取るのか…、私の頭は幾つかのパターンを描いているが、そのどれもが私にとって良くないものだ。君が姉を引き連れて無理矢理ここから出ようとする…か、もしくは、この私に攻撃を繰り出すかもしれない…。どうしたものか…。考えれば考えるほど不安になってくる…。君にこの苦しみを感じ取ってほしい…」
「…!」
男の声が、直接心に話しかけてくるようだ。志乃はあまりの気味の悪さに悪寒が走る。…そして、いつの間にか、金縛りに遭っているという感覚も無く、自然と自分の瞳が"男以外"に向かなくなっていた。
「あぁ…!私は君を逃すわけにはいかない!だが、君は私にとって大きな不安要素だ。…いや、この不安を乗り越えなければ、私の求める安心を得ることはできない。乗り越えねば…。だから、君が私の不安を共有してくれればいい」
「あぐ…!」
志乃は溢れ出る恐怖を押しのけようと、ブルブル震える手を上げて、男に向かってかざした。――――そして
「君は魔女狩りを攻撃すると死ぬ。君はこの建物から出たら死ぬ。…そして、君は私の言うことを聞かないと死ぬ…」
呪文のような男の声が心に響くと、志乃はかざしている手をゆっくりと下ろしていった。
―――自分は今、何をしようとしていた?この男を攻撃しようとしていた。…怖い。恐ろしく怖い!自分はなんてことをしようとしていたんだ。もう二度と、あんな恐怖は味わいたくない。…だから、姉と2人で仲良くお喋りしよう―――
志乃はどこからか迫りくる不安から必死に逃れ、安心へと逃げ込むために、静歌の手を掴んで部屋へと戻った。
「そうよ志乃。考え直してくれて、わたし嬉しいわ!」
志乃に連れられながら、静歌はホッと安堵の声を漏らす。そして、志乃も振り向いて偽りのない笑顔を向けた。
「ごめんお姉ちゃん!私バカだったよ!」
攻撃せず、脱出も諦めた志乃に男は安堵の表情を浮かべた。…そこに、通路の奥から青塚が姿を現した。
「鬼怒博士の方は順調か?」
「ご安心を。何も異変はありません」
青塚がそう告げると、男は踵を返し、青塚と共に通路の奥へと消えていった。




