第101話 瑞葉の怒り その2
日がだいぶ傾き、辺りが茜色に染まる中、志乃は古びた低層ビルに囲まれた人気のない道を走っていた。静歌のいる場所はもうすぐ近くだと直感的にわかる。
姉に逢ったらまず何を喋ろうかと、心躍らせながら考える。話したいことはいっぱいある。もう、誰にも邪魔させはしない。2人だけの時間をいつまでも過ごすのだ。
そして、志乃は3階建てのビルの前に来た。ここの地下に静歌がいる。志乃は一呼吸置くと、中に入って地下へ続く階段を下りた。外の光が届かないせいで、階段はだんだん暗くなっていく。――その時
「志乃!!」
志乃の耳に自分を呼ぶ声が入ってきた。その声は間違いなく姉のものだ。志乃が下に目を向けると、踊り場のところに静歌の姿があった。
「お姉ちゃん!!」
「志乃!!」
志乃は喜色満面にあふれた。そして、慌ただしく階段を駆け下りて、静歌に抱きついた。
「逢いたかったよーー!」
「わたしもよ。元気そうで良かったわ」
志乃の心から嬉しそうな笑顔が見れて、静歌は安堵の表情を浮かべる。前回とは違う。今の志乃は自分が求めている志乃そのものだった。
「もう…あなたは誰にも渡さない。いつまでもわたしと一緒よ」
滑らかな声色だが、決心は岩石のように強固だった。あの憎き渡良瀬亮司には絶対に渡さない。あの男のもとにいれば、志乃の心が腐ってしまうという危機感さえあった。月音や瑞葉などの元仲間は寝返ってしまったが、志乃さえいれば他はどうだっていい。静歌にとっては、志乃の救済こそがすべてなのだ。
「わたし…、以前は強がって志乃を手放してしまったけれど、あれは大きな間違いだったわ。志乃が居なかったら、わたしの心はどうしようもない虚無感に襲われるのよ…。それが、今志乃の顔を見た瞬間に消え去ったわ!やっぱりわたしにはあなたが必要なの!お願いだから、もう離れないで!」
静歌は涙を零しそうなほど切実に思いを告げた。静歌の言う"離れないで"の意味は、物理的に離れないという意味合いだけでなく、志乃の人格が変わらないでほしいという意味も含んでいる。志乃はそれを理解していた。だからこそ、抱きしめる手を解かなかった。
「うん…!約束する」
志乃は幸せに浸りながら心に誓った。
瑞葉は目の前の男に静かなる怒りを向けていた。何もしていない光磨を痛めつける行為は許されないことだ。しかも、この男はそれを楽しそうにやっていた。人を傷つけることに快楽を得ているようなクズには、容赦なく鉄槌を下さなくてはならない。
対して、土槍は瑞葉の怒りをものともせず、へらへらとバカにしたように笑っていた。
「おめぇは水の魔術を使うようだな~~。泥は水を吸収する…。おめぇの水なんてよぉ~~、俺の前には無力だぜ~~!」
「へぇー。あんたに私の水を吸収し切れるかしら」
勝ち誇ったように言う土槍に対し、瑞葉は静かな口調で蔑むと、自分の周りの地面から水を噴水のように噴き上がらせた。
「すごい…!何もないところからあんなに大量の水を…!」
光磨はその光景を見て、瑞葉の魔術の凄さに目を見張る。すると、光磨の傍に暁美が来た。
「光磨くん、じっとしてて。今地面から出してあげるから」
「えっ…?でも、どうやって…?」
「見てて」
体の半分が地中に埋まっているのに、彼女はどうやって引き出すというのか。光磨が疑問に思っていると、暁美の手から細いワイヤーのような糸が伸びて、光磨を囲むように地面に落ちていった。そして、光磨を中心とする何重かの円になると、暁美は糸に魔力を流し始めた。
ピシピシッ!
すると、円の部分の地面に亀裂が入り始めた。光磨は驚きつつもじっと様子を窺う。
バキバキッ!!
そして、糸伝いに大量の魔力を送り込まれた地面は粉々に粉砕され、地中に埋まっていた体が外に出た。
「やった…!すごい…!」
光磨は喜ぶと同時に、暁美の魔術に感服した。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
光磨がお礼を言うと、暁美はニコッと笑みを返した。
一方、瑞葉は噴き上がる水からムチのように水流を飛ばした。しかし、直前で土槍は素早く地面に潜ってそれを回避する。
「瑞葉!後ろから泥が飛んでくる!」
「!」
光磨が土槍の攻撃を予知して、瑞葉に向かって叫んだ。瑞葉がハッとして振り向いた直後、地面から無数の泥が銃弾のように発射された。
しかし、噴き上がる水の勢いが増大して水圧カッターのようになり、飛んできた泥をすべて砕いた。
瑞葉は水を自在に生み出して操れる。水を生み出すことに多大な魔力を消費するが、一度生成すれば、その水を何度でも利用して攻撃や防御に使える。高圧水で銃弾を弾くことも可能なので、泥攻撃を防ぐのは朝飯前だ。
「瑞葉!今度は反対側から土槍が出てくる!」
光磨の予知を聞いて、瑞葉は顔を前に戻す…と、土槍本体が地面から姿を現した。―――その時
「がはっ…!」
「光磨くん!!」
背後で光磨の呻き声が聞こえ、瑞葉は慌てて振り向く―――と、光磨が土槍に殴られ、血を吐いてこちらに吹っ飛んで来るのが映った。瑞葉の前に現れたのは、泥で作られたおとりだったのだ。
「光磨!!」
瑞葉は水の壁を解除して、倒れ込む光磨に駆け寄る。―――しかし
「魔術を解除したな…」
「…!!」
今度はおとりだと思っていた方が動き出して、瑞葉の体を掴み上げようとした。――が
ヒュルヒュル…!
土槍の手に糸が素早く巻き付き、動かなくなってしまった。土槍が目を向けると、暁美が手から糸を伸ばしていた。彼女は光磨を殴り飛ばした方にも糸を飛ばして体中に巻き付かせ、魔力を送り込んで粉々に粉砕した。
「本体はこっちね…!」
「ちっ!おめぇも厄介者だったかよぉ~~!」
土槍は暁美を睨み付け、巻き付いた糸を力ずくでちぎろうとするが、糸はビクともしない。
「私の糸ははさみでも切れない!ちぎろうとしたって無駄!」
暁美は糸に魔力を送り込み、本体にも攻撃しようとした。――すると、土槍が糸を瑞葉の首に回したのだ。瑞葉も道連れにするために。
「なっ…!」
暁美は慌てて魔力を送り込むのを止め、糸を切断した。同時に、土槍に巻き付いていた糸が消失する。
「うひょひょ~~!」
自由になった土槍はすぐさま瑞葉を掴み上げようと手を伸ばす。
バシャァァァ!!
「ぐわっ!?」
その時、周りの水が土槍を囲むように勢いよくらせん状に噴き上がり、そのまま土槍を高々と押し上げた。
瑞葉は気を失った光磨の頭を優しく撫でると、拳をギュッと握りしめて立ち上がった。
バシッ!!
「うぎぎ…!」
地中に逃げようにも、水に強い力で縛り付けられ、ただただ苦しみもがくしかない。それでも、瑞葉はさらに締め付ける力を容赦なく強めていく。
「このままあんたを押し潰してもいいかもね」
光磨をここまで傷つけたやつに慈悲などいらない。瑞葉の中で抑えようのない怒りの炎が燃え上がり、それが彼女の魔力を際限なく強くしていく。
―――だが、土槍はフッと不気味な笑みを浮かべた。
「押し潰しちゃって……いいのかよぉ~~?」
瞬間
バアァァン!!
空気が破裂したように、土槍の体から勢いよく泥が吹き飛んだのだ。泥は先程の攻撃とは比べ物にならないほどの威力で、至近距離の瑞葉と離れていた暁美にも降り注いだ。




