……私のこと嫌いになった?
ベッドに入っても私の体は湯から上がったばかりのようにホカホカだった。
それになんだか、いつもより肌がやわらかく滑らかになっている気がする。
これが温泉の効能ってやつかしら。
気持ちが良くって、何だかいい夢が見られそう。
今日は大変な一日だったから、せめていい夢が見たいわ。
そう思いながら、真新しいシーツに顔を埋め、私は眠りへとついたのだった。
夢を見た。
今までの人生の中で一番幸せだった時の夢。
幼い私とクゥは原っぱで小犬の様にじゃれあって遊んでいる。
私たちは一通りじゃれあうと、原っぱに寝転がって葉っぱで汚れたお互いの顔を見てくすくすと笑いあった。
私はクゥといられるだけで楽しかった。
クゥの瞳はきらきらと輝いていてとても綺麗だ。
「クゥの目ってとても綺麗だね」
私の言葉にクゥは驚いたようにその美しい目を見開いた。
「変な事言わないでよ」
「変な事?私はクゥの目が綺麗だと思ったからそう言っただけだよ」
そう言って、私がクゥの瞳を良くみようと彼の顔を覗き込むと、クゥはプイと私から顔をそらした。
「クゥ怒ったの?」
「……」
無言のクゥに私はあせった。
なぜだかクゥは私の言葉が嫌だったようだ。
「えっと、クゥの綺麗なところは目だけじゃないよ。お日様みたいにきらきらした髪も綺麗だし、声もすごくステキだし、それから、剣を構えてる姿勢もすごくカッコイイし、後ね、後ね……」
私はクゥに機嫌を直してもらおうと、思いつく限りクゥの好きなところを並べ立てた。
けれど、クゥは一向にこっちを見てくれない。
私の小さな胸は悲しみで一杯になった。
「……私のこと嫌いになった?」
じわりと涙がにじんできて、視界がぼやける。
けれど、人前で泣くわけにも行かないし、私はグッと涙をこらえた。
「クゥの事、大切な友達だと思っているから、嫌われると悲しい……」
泣いてはいないけれど、私の声は涙声になっていたのだろう。
慌てたように、クゥがやっとこちらを見てくれた。
「怒ってない。嫌いになってない」
ぶっきらぼうな声に、なぜだか赤く染まった顔は彼の怒りを表しているのかもしれないが、返事が返ってきたことに、私は安堵した。
「私はクゥの事大好きだよ。クゥは私のこと好き?」
「……」
私は、僕も好きと言う答えがほしかったのだが、クゥは黙り込んでしまった。
気のせいか、顔がまた一段と赤くなったような?
「もうっ!分かったからあまりそういう事僕に言うな!そういうのは女の子に言えばいいんだよ」
「女の子にも言うよ。男の子でも女の子でも綺麗なものは綺麗だし」
「女の子にも言っているのか……」
「クゥ?」
またしても黙り込んでしまった彼に私は内心焦ったのだが
「よし、向こうの丘まで競争だ!」
唐突に、本当に唐突にクゥはそう言うと、いきなり走り出した。
「え?クゥずるい!まってよ~」
私は慌てて彼を追いかける。
青い空がどこまでも広がっていて、幸せだったときの一日の本の束の間の記憶……。
目を開けると、そこには見慣れない天井が広がっていた。
私は10歳のセレから18歳のセレン姫へと戻る。
きっと、この思い出の地に来た事と、昨日の夜クゥとの出会いを回想した事によってこんな夢を見てしまったのだろう。
大切な友達か……。
私、友達宣言をしておきながらクゥに告白して、そんでもって玉砕して友達関係を壊したのよね。
なんていうか、馬鹿だわ私。
……いや、何で寝起き早々自己嫌悪に陥らなくちゃいけないわけよ。
自業自得とはいえ、なんかもう最悪な気分だわ。
「私、クゥとうまく結婚生活を送れるのかしら?」
ポロリとこぼれた私の問いに、答えてくれる人は誰もいなかった。
当たり前よね、この部屋には私一人しかいないんだし、むしろ返事が返ってきたら怖いわ。
私はもそもそとベッドから這い出ると、水差しからコップへ水を移し一気に飲み干した。
冷たい水に、体が内からスッと冷え、私は少し落ち着くことが出来た。
そう言えば……どうしてクゥを褒めたあの時、クゥは怒ったのかしら?
昨日は本当にいいろんなことがあったわ。
私の結婚相手が変わったり、結婚相手が変わったり、結婚相手が変わったり。
で、一日経って今の私は大変暇をもてあましていた。
たぶん、タンタル国の重鎮たちは大忙しじゃないかしら。
今後の予定がいろいろ変わったものね。
でも、私は結婚するまではお客様扱いで、この国の事に関わるわけにもいかないし、こうやって部屋でじっとしているしかないのよ。
せっかく馬車に缶詰の日々が終わったのに。
誰か、ご機嫌伺いにでも来ないかしら。
「暇~、ひまー、ひ~ま~~~です」
私の訴えは、部屋にいたリンに鼻で笑われた。
むー、何も鼻で笑う事無いじゃない。
のりが悪いわよ。
「長旅の後なんですから、部屋でのんびりして疲れを取ったらどうですか?」
「えー」
リンの提案に私はつまらなそうな声を上げた。
だって、昨日の温泉のおかげか、疲れなんて、すっかりとれちゃったんだもん。
「誰かご機嫌伺いに来るとしても、午後からでしょうね。せめて午前中はおとなしくしていてください」
そんな事いわれても、暇なものは暇なんだもん。
なんか、やけに早起きしちゃったためか、時間がゆっくり進んでいる気がする。
アルゴン国にいたころは、こうやってのんびり過ごすって事あんまり無かったからなー。
うーん、自国だったらやれる事いろいろあるんだけど、しょうがないわ。
私以外の人にお使いでもしてもらいましょう。
何をやってもらおうかしら。
そうね……。
「暇だから、リンは城下に下りて何か面白い情報が無いか探してきてください。私とこの国の結婚について国民感情とか知りたいです。ルトは城内で昨日の事に関する臣下たちの反応や動きを探ってください。ああ、二人とも、あくまで暇つぶし程度で良いですから」
「御意」
「了解しました」
私のこういう指令には慣れているから、了承の返事をすると二人ともサッと動き出した。
うんうん、楽しい情報待ってるわよ。
……と、私は、部屋にいたもう一人の侍女と目が合った。
そういえば、テルーもいたんだわ。
私の部屋の中で控えていたのは今のところリン、ルト、テルーの三人だけ。
この三人が今のところ一番信用できるから。
テルーはまだ情報収集とか、そういう仕事は教えていないし、出来るはずもないのよね。
でも、他の二人が部屋を出て、自分にもなにか仕事を言い渡されるのではないかと期待のこもった目で見ている。
ただ控えているのも侍女の仕事だけれど、せっかくだから、何か教え込もうかしら。
「テルーは私と一緒にこの国の貴族一覧でも覚えましょう。これ、一人でやるより二人でやった方が効率が良いんですよね」
私は、自分の荷物の中から書類の束を引っ張り出した。
この書類にはこの国の主な名家とその構成要員、力関係が書いてある。
あんまり楽しい作業ではないが、やっておいた方が後々便利だろう。
本当はアルゴン国を出る前に終わらせたかったのだけれど、いろいろ忙しくて、後回しにしてしまったのよね。
まあ、でも、これでテルーも一緒に覚えられるから結果的には良かったのよ。うん。
「それ、全部覚えるんですか?」
書類の束を見て、テルーは驚いたように口を開いた。
「ええ、まあ、大まかにですけれどね」
はっきりきっちり覚えるのは今じゃなくて、おいおい覚えていけばいいのだけれど、やっぱり、それなりに情報は仕入れとかないとね。
そういえば、この資料を作らせたのは数ヶ月前で、そうそう力関係なんて変わらないだろうと思っていたのだけれど、第一王子が王位継承権を放棄したら、ちょっと変わるかもしれない。
「現国王の三番目の妹君が降嫁された侯爵」
「モリブデン侯爵」
「北にある大きな温泉施設を領地に持つ伯爵」
「ビスマス伯爵」
「どちらも正解です」
「わ~い、じゃあ、このクッキーもらいますね」
私とテルーはお茶の時間を使って貴族の名前宛クイズをして遊んでいた。
お互いにクイズに答えて正解したらクッキーを食べられるの。
今はもうお昼をだいぶ過ぎた時間なのだけれど、朝からずっとやっているおかげか、お互いの正解率がだいぶ高くなってきた。
テルーったら、なかなか記憶力が良いじゃない。
なんて思っていたら、部屋のドアがノックされた。
テルーは慌てて口の中のクッキーをお茶で無理やり流し込むと、慌ててドアへと飛びついた。
誰かご機嫌伺いにでも来たのかしら?
「あの、セレン様。王妃様が一緒にお庭をお散歩しないかとおっしゃっているそうですがどうしますか?」
私の前に戻ってきてそう告げたテルーに私は大きく頷いた。
「分かりました。外に出る準備をしてください」
王妃様。私はいずれ彼女の立場になる事が決まっているのだ。
仲良くなっておいた方が良いに決まってるわ。
私は気合を入れて準備を始めた。




