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【証拠はいらない】男らしさに疲れた

作者: Wataru
掲載日:2026/01/24

 相談者は、四十代の男だった。


 スーツはきちんと着ている。

 靴も磨かれている。

 どこを見ても、「ちゃんとした大人」だった。


 ただ――椅子に座った瞬間、肩が落ちた。


「……変な相談なんですけど」


「よくある」


 男は、小さく笑った。


「男って」

「ずっと、何かを求められてる気がして」


 続きを促す。


「稼がないといけない」

「決断しないといけない」

「頼られる存在でいないといけない」


 一息つく。


「その上で」

「清潔感もあって」

「余裕があって」

「いい夫で、いい父で」


 男は、指を組み直した。


「全部、できてないわけじゃないんです」

「仕事も、家庭も」

「一応、回ってる」


「でも?」


「……疲れました」


 声は、静かだった。


「弱音を吐く場所がない」

「辞めたいとも言えない」

「休みたいって言うと、甘えになる」


 沈黙。


「なあ」


「はい」


「それ」

「誰が決めた?」


 男は、すぐには答えなかった。


「……世間、ですかね」


「世間って誰だ」


 男は、苦笑する。


「分かりません」

「でも」

「外れたら、終わる気がして」


 俺は、椅子にもたれた。


「終わるって、何が?」


「……男としての価値、ですかね」


 しばらく、静かだった。


「なあ」


 男を見る。


「その役」

「全部、同時にやる契約」

「結んだ覚え、あるか?」


 男は、目を見開いた。


「……ない、です」


「だろ」


 それだけ言う。


「やりたい役と」

「やらされてる役」

「分けたこと、あるか?」


 男は、ゆっくり首を振った。


「ないです」

「考えたこともなかった」


「だから、疲れる」


 即答だった。


「役を降りるな」

「責任を捨てろとも言わない」


 少し間を置く。


「でも」

「全部、あんたじゃなくていい」


 男の喉が、小さく鳴った。


「……それでも」

「男として、弱くなりませんか」


「弱くなるんじゃない」


 窓の外を見る。


「自分になるだけだ」


 男は、長く息を吐いた。


「……証拠」

「いりませんでしたね」


「ああ」


「誰かに」

「許可をもらいたかっただけでした」


「そうだな」


 男は立ち上がる。

 来たときより、背中が少し軽い。


「強くなくても」

「いいですか」


 少し考えてから答える。


「全員が強くなる必要は、ない」


 男は、苦笑した。


 ドアが閉まる。



 相棒が、ぽつりと言った。


「あなたも普段、男らしくしなきゃって思ってる?」


「そうだなぁ」


 窓の外を見る。


「たまに、ふと思い出すかな」


 事務所に、静けさが戻る。


 強さを証明するために、

 生きなくていい。


 役を降りる理由に、

 証拠はいらない。


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