公爵令息は美味しそうにご飯を食べる子が好きらしい
「ウエスター様って、どんな女の子がタイプなんですかぁ?」
「タイプって、どんな女の子が好きかってこと?」
「そうだな……。美味しそうに食事をする人かな」
「えっ、あたし、食べるの大好きなんです〜!」
「へえ、そうなんだ。平民の女の子たちってどんなお店に行くの?」
「一緒に行きましょうよぉ!あたし、案内しますぅ!」
まただ。私は目の前の光景が不愉快で眉をひそめた。
きゃあきゃあと甲高い声で話しているのはラムリ伯爵家のミア様。彼女はラムリ伯爵の庶子で、最近まで平民として暮らしていたところを母親が亡くなったのをきっかけに伯爵家に引き取られたと聞く。
そこまではいい。
そういう話はよくある話だし、そういう立場の方々はたいていが自分の立ち位置というものをちゃんとわきまえている。
ただこのミア様は例外。
まったく、ぜんぜん、ちっともわきまえていなかった。
勉強よりも婚活に熱心なご様子で、婚約者がいてもいなくてもお構い無しに、高位貴族のご令息とみたら誰彼構わず色目を使いまくっている。
最近のターゲットはタディス公爵家のご令息、ウエスター様。柔らかい薄色の髪をした青年で、彫刻のように整った顔をしている。王太子殿下の幼なじみで、将来的にも側近となることが確定しているし、ミア様の獲物としては百二十点な代物だろう。
「フランシーヌ様、よろしいのですか」
フランシーヌ様はウエスターの婚約者だ。フランシーヌ・ラピス。ラピス公爵家のご令嬢だ。
彼女は一般人が想像する『お嬢様』を体現したような見た目をしていると思う。金髪縦ロールに、風を起こせそうな睫毛に縁取られた青い瞳。整った顔は威圧的ですらあるけれど、それすらもお嬢様の風格の一部。コルセットなしでも十分細い腰は誰も彼もが羨ましがる。しかし、それ以上に素晴らしいのはその気高い御心。弱い者にも優しく、しかし強い者の前でも自分を曲げない。
私たち取り巻き一同は彼女の品位の高さに憧れて、家に言われたからだけじゃなくフランシーヌ様に付き従っていた。
「何がかしら」
「あれです!フランシーヌ様というものがありながら、あんなにも親しげに!許せません!」
私の言葉を皮切りに、フランシーヌ様の取り巻き一同はそれぞれミア様への不平不満を口にする。中には自身の婚約者にも粉をかけられたとあって、かなり熱が入っている者もいる。
しかし、そんなわたしたちにフランシーヌ様はぴしゃりと言う。
「学園では皆同じ生徒、身分は関係ありません。ウエスター様はご学友とお話をしているだけなのだから、そんなことを言ってはよくないわ」
フランシーヌ様の言葉に全員口をつぐむ。でも、それは彼女の言葉に納得したからじゃない。
フランシーヌ様が手に持つ扇子がミシミシと悲鳴を上げている。この人が今一番堪えているのだと理解して、何も言えなくなったのだ。
しかし、それだけにウエスター様への怒りがわく。
フランシーヌ様は学生でありながら、淑女の鑑と呼ばれている存在だ。
そんな彼女はダイレクトな感情表現をすることはほとんどなく、食事風景も優雅さと気品はあれど、美味しそうに食べているという感想を持つことはない。そのうえであの発言は完全に当てつけだった。
いったいお二人に何があったのだろう。学園に入学される以前のフランシーヌ様とウエスター様はとても仲睦まじく、いつも一緒にいたというのに今では二人で話していることを見かけることさえ少ない。
お二人の婚約が破棄になることはまだいい。私はフランシーヌ様のお心が曇るかもしれないことが、ただただ心配でならなかった。
ここはラピスの町のレストラン。
普段は常連で賑わうここに、見慣れない客がいた。
「もうっ!ウエスターったらあんな事を言って!」
「ごめんねフラン。でも、本当のことだし……」
「私が食いしん坊だって周りに知られたらどうしてくださいますの!せっかく淑女の鑑として通っていますのに!」
「それだったら隣にいてくれたらよかったのに。そうしたら、あの子が話しかけてくることもなかったよ?」
「私が側にいたらあなたに話しかけたくとも話しかけれない生徒もいるでしょう。ただでさえ、顔立ちがきつめなんだもの。怖がらせてしまうわ」
「フランは可愛いよ」
「そっ、そういう話じゃありませんわ!」
女の子のキャンキャンと騒ぐ声が聞こえた。どうやら、怒っているらしい。痴話喧嘩かもしれない。
目を向けると、金髪の女の子が同じテーブルの薄色の男の子に向かって目をつり上げているところだった。
年の頃は十代後半くらいか。どちらも整った見た目をしていて、服装こそそこらを歩く若者が着ているような服を着ているが、生地はかなり上等なもの。金持ち、それも身分の高いお嬢様とお坊ちゃんだろう。小金持ち程度がターゲットの店とはいえ、こんな町のレストランの中では浮いてしまって逆に目立っている。
この手の人間が社会見学と称してこっそり庶民の暮らしを観に来ることがあるから、ない話じゃない。でも珍しいことではあるから、ついつい厨房からその様子を覗き見てしまっていた。
「おい!」
「痛っ!?」
「注文溜まってるぞ。早くしろよ!」
「……すいません」
料理長が俺を突き飛ばし、自分は客席から見えない奥の椅子にどっかりと座った。
こいつはこの店のオーナーの息子で、今の役職に就いているのは実力じゃない。完全に親のコネ。
そんでもって、仕事はぜんぶ俺。最後に休んだのはいつだったろうか。記憶が確かなら、年明けに実家に帰った時きりで、もう半年は働き通しだった。
俺の実家はこの店と、オーナーが経営するいくつかの店に野菜を卸している農家だ。俺がこの店で働き出したきっかけはそれだ。ここに勤めないなら、契約を打ち切ると脅されたのだ。
実家には最近子供が生まれたばかりの妹夫婦がいる。オーナーに契約を切られたら、実家は苦しい思いをするだろう。料理人になる自分の夢を応援してくれた優しい家族たちのために、俺はどんなに辛くともここで働かないといけなかった。
「まあ!」
突然、店中に響き渡るような声がした。
あの金髪の女の子だ。その子の前には先程テーブルに届けられたばかりのカレーがあって、彼女はスプーンを握りしめたまま固まっている。
何かあったのだろうか。
クレームかもしれない。そんな風に身構える俺の耳に飛び込んできたのはまったく逆のことだった。
「まあまあまあ!とってもおいしいわ!このカレー、具がとっても大きくて食べごたえがあるのに、すっごく柔らかい!お肉なんて舌の上で溶けちゃうみたい!ルーもコクの深さと辛さがちょうどいい塩梅で、いくらでも食べられてしまいそう!美味しい!美味しいわ!!」
女の子は食レポしながら凄まじい勢いでカレーを食べていた。所作が美しいので卑しい感じはなく、むしろ見入ってしまうほどだ。
そうして、瞬く間にカレーを完食した女の子は近くにいたウエイトレスに言う。
「シェフを呼んでちょうだい」
「私がシェフでございます!」
それにいち早く反応したのは料理長だった。
そういうのには目敏い料理長のことだ。この子らが良家の子どもだと勘づいていて、褒められるとわかるやいなや自分からすっ飛んでいった。手を揉みながらにこやか過ぎる笑顔を浮かべているのが、あからさま過ぎて笑えもしない。
しかし、そんな料理長にかけられた声は冷ややかなものだった。
「……あなたがシェフ?」
「そうでございます!」
「冗談言わないで。奥にもう一人いるでしょう?さっさと呼んできて」
「ですが、あいつは雑用で……」
「早くしてちょうだい。それともなに?指輪を両手につけて?髪もまとめず?香水の匂いをぷんぷんさせたあなたが作ったと言うの?それこそ怒るわよ」
「そ、それは……」
料理長もしばらく粘ったが、とりつく島もない。
やがて諦めたらしい。人を殺せそうな凶悪な目をしながら、俺を呼ぶとどすどすと音を立てて厨房の奥に引っ込んでいった。
さて。先ほどの料理長がいた場所に立つことになった俺は、べらぼうに綺麗な二つの顔に見つめられて、すっかり竦み上がっていた。料理長はここにいてよくあんな嘘が吐けたもんだと感心してしまうほどだ。
「あなたが作ったのね。とても美味しかったわ」
「あ、ありがとうございます……」
いつも賞賛はあの料理長がかっさらっていっていたから、褒められるのは慣れていない。恐縮して小さくなる俺を、二人は微笑ましそうに見ていた。年下にこんな目を向けられて、どうにもむず痒かった。
「フランがここまで手放しに褒めるのはそうないよ。君、ここに勤めて長いのかい?」
「三年ほど前からです。それまではテゾーラというレストランで副料理長として働いていました」
料理人になりたいと実家を出てすぐに俺はテゾーラに飛び込んだ。修行は厳しかったけれど、あそこの料理長の腕は本当に素晴らしく、夢中になって学んだものだ。
できるならもっとあそこにいたかったけれど、大きい契約が結べたと喜ぶ家族を見たら何も言えなかった。もちろん、俺が本当のことを言えば父さんたちは自ら契約を断っただろう。そんな人たちだからこそ、なおさら言えなかった。
「テゾーラ!何度か行ったことがありますわ」
「王都でも有名なレストランだよね。あそこでそこまで働いたなら、なぜここに?自分の店を持とうとは思わなかったの?」
「事情がありまして」
「事情?」
「……うちの実家がここのオーナーが経営する店に野菜を卸しているんです。それで」
「あら、あなたのお家の野菜なの?とても美味しい野菜ね。甘くて美味しいわ」
「これなら皆喜んで使いたがるだろうね」
そこまで言って女の子と男の子は顔を見合わせる。俺にはさっぱりだったが、二人はこれで通じ合うらしい。うんと頷き合って、それから俺の方に向き直った。
「君、タディス公爵領にある美食の街という場所を知ってる?」
美食の街は国中の美食家を唸らせる名店が集まっているという、料理人なら知らない奴はいない憧れの街だ。ただ、そこに店を構えるには公爵家の厳しい審査を合格する必要があり、自分の意志でどうこうできるものではない。
「もちろん知っています。というか、料理を仕事にしているものなら知らない人間はいません」
「それなら話は早い。君、美食の街で店を出さない?店舗も人もこちらで用意する。あと、ご実家は美食の街の店に野菜を卸してくれないかい?誘致する店や人は決まっているんだが、仕入れ業者が足りなくてね。両方揃って来てくれたらとてもありがたいんだけれど」
「えっ!?ど、どういうことでしょうか……!?」
「彼、タディス公爵家の御子息で、次期公爵よ。美食の街は彼が作ったものなの」
「フランのために作ったんだよ」
「余計なことを言わないの!」
女の子が男の子をぴしゃりと叱る。俺はそんな微笑ましい様子を見ながら、背中を冷や汗で濡らしていた。
こんなうまい話がそうそうあるものか。詐欺かもしれない。
疑いを隠そうともしない顔の俺を見て、女の子はさっと男の子のズボンのポケットに手を突っ込んで金の懐中時計を取り出す。そこには公爵家の紋章が刻まれていた。
貴族の紋章を悪用すると、非常に重い罰が下る。そう、詐欺程度では釣り合わないほどの、だ。
もしかして、本物……?
女の子は目を見開いた俺に向かってにっこり笑って、それから大きな声で言った。きっと、厨房の奥にいる料理長にも聞こえる声だった。
「そして、私はラピス公爵家の娘、フランシーヌ・ラピス。脱税、労働法違反、ライバル店への妨害行為……。叩けば叩くほどホコリが出るなんて、叩きがいがある店ですわね!皆さん、お仕事よ!」
女の子……、フランシーヌ様が手を叩くと、他の客が全員立ち上がった。よくよく見ると、全員やたらと体格がいい男達だ。彼女の手のものらしい。
ほ、本物だった……!




