三日目。
「ご主人様・・。」
「ん・・・。」
もう少し眠っていたい気分なのだけれど・・・
「ご主人様、朝ですよ。」
「・・・・・ぅ・・うん。」
どうやら狸寝入りを決め込むわけにもいかなようだ。
仕方なく眠い目を擦りながらまぶたをうっすら開けると、メイド服を着た金髪の女性が僕を覗き込むように見つめて、微笑んでいた。
「・・・戻ってたのか・・・おかえり、メアリー」
その言葉に彼女は顔を上げながら一歩下がり、丁寧に頭を下げた。
「はい、ただいま戻りました。おはようございますご主人様。」
「うん、おはよ。」
彼女の名前はメアリーといい、この屋敷のメイド長として働いてもらっている。
僕の幼いころから面倒を見てくれていて、僕にとっては母親代わりとも言える人だ。
身の回りの世話全般をいつも嫌な顔一つせずやってくれて、悩みのあるときは相談なんかにも乗ってもらったりする。
姉のような存在でもあり、主従関係にもある・・・不思議な関係の人だ。
「今日もよいお天気になりそうですよ。」
タンスから出した着替えが布団の上へとおかれる。
「今日も暖かくて気持ちいね。」
いつも床に就くのは、僕よりも遅いはずなのに・・・
それでもいつも確実に僕より先に目覚めて起こしてくれる。
おかげで、僕の一日は彼女の一言から始まることが多い。
「帰ってきたばかりで疲れてるんじゃない?もう少し休んでてもいいのに。」
「いいえ、昨夜のうちに夜行列車で戻りましたので仕事に支障はありません。
それよりも・・・お屋敷を留守にして申し訳ありませんでした。」
「もう少しゆっくりしてきてもいいのに。」
「いいえ、そんなわけにも行きませんわ。私の我侭でとらせて頂いたのですから」
メアリーは微笑みながらポチとタマがいたであろうベッドの乱れたシーツと布団を器用に整えている。」
「せっかく久しぶりにお母さんに・・・」
「ふふ・・・お互いに元気なのが確認できれば十分ですよ。親孝行の一つもできましたし。」
「でも夜遅くに帰ってきて、大変だったんじゃないの?」
「いつもとあまり変わりませんわ。それにご主人様、私が起こさないとなかなか自分では起きないじゃないですか。」
うぅ、そういわれると・・・。たしかに・・・。
「・・・でも、そんなに若くないんだから無茶しちゃダメだよ。」
「ホホホ、侮られては困りますわ。ホホホ・・・って朝から言って下さいますわね。」
メアリーが顔に引きつった笑みを浮かべていると、開いた扉の向こうから階段を上る音が聞こえる。
明らかに走ってると思われるその音は、正直うるさい。
こんな音を立てて走るのはこの屋敷に二人しかいない。
「いったいなんだ。朝からどたどた騒がしい。」
「う~る~さ~い!さっきまで寝てたくせに。こっちは早起きしてたんだよーっ!」
「あら、二人ともどうなさいました。」
「メ・・・メアリーさん。お鍋、ブクブク」
「火弱めようと思ったら余計えらいことになったんだけど」
「うんっうんっ。あの、取っ手をひねったら火がですね、ボーっと」
「あらら、大変。取っ手を逆にひねっちゃうと強くなるんですよ。すぐ行きますわね。」
・・・二人ともだいぶ屋敷の生活にもなれたみたいだった。
メアリーとも自然に・・・。
・・・?
メアリーと会ったのは今朝のはず。間違いなく今日が初めてのはず。
なのに自然に接している。この朝の短い時間の間にもう二人と打ち解けてるなんて。
・・・ちょっと凄い。
「さすがメアリー、仕事が速いね。」
「はい?」
「ううん、なんでもな。」
「ほらほら、ご主人様も早く起きてくださいませ。朝食の準備も済みます。」
「あ、ごめん。すぐ行くから」
「はーやーく!もうだめ!」
「お鍋~お鍋~。燃えちゃいますぅぅ~」
「はいはい、今すぐに。」
遠ざかっていく三人の足音に少し苦笑しながら、僕は両手を振り上げ、背筋を伸ばす。
「ここもずいぶん騒がしくなってきたな。」
石造りの部屋のせいか、扉をくぐり中に入るとひんやりした空気が体を包む。
食料を保存しているし、毎日火を使っているからこのぐらいの方がちょうどいい。
一人でそんなことを思いながら、台所から響く奇妙な音の発信源へと引かれる。
朝食はさっき食べ終わった。
が、奥のほうには何か動く影が見える。まさか泥棒ではあるまい。
そう思いながらも少し警戒してゆっくり近づく。
「あ・・・」
近づくにつれてその正体が何なのか大体解ってきた。
なぜならその影は頭から大きな三角が飛び出していたから。
食料を貯蔵している棚の戸が開けられてて、そこに彼女は丸くなっている。
「やっぱりタマか」
「ニャァッ!!?」
僕が声をかけるとタマは声を上げながら、びくっと体を震わせた。
僕には気づいていなかったらしく、毛を逆立てて驚いた。
別に驚かせようとやったのではないが、かなり驚かせてしまったらしい。
「ごめんごめ・・・タマ?それ。」
手には齧ったような歯型のあるソーセージが握られている。
そうか、つまみ食いしてたのか。
お昼が終わったばっかりなのに、細身の体に似合わず意外と食欲があるのかもしれない。
「その、手に持ってるの何。」
「う・・・。」
手には証拠となるソーセージが強く握られている。
あわてて手を後ろに回して隠そうとするが見てしまった以上あまり意味を成さない。
「つまみ食い・・・してたんだ」
「なによ、・・・怒るの?・・・いいよ怒っても。」
タマは悪びれることなく、ふてぶてしく僕をにらみつけるばかりだ。
「怒る?どおして?」
「どうしてって、勝手に台所漁っていろいろ食べたんだよ。」
「別に怒らないよ、食べたいときは好きなだけ食べて。」
「はぁ?・・・本気?」
「うん、本気だよ。でもせっかくメアリーがおいしい料理作ってくれたんだから、今度は遠慮せずに食べたらいいのに。」
「・・・。」
「それとも口に合わなかった?」
「そ、そんなこと無いけど・・・・。」
「じゃ、問題ないね。」
「う・・うん。」
「それでもおなかがすいてたら、少しくらいつまみ食いしてもいいからさ。」
「う・・・」
「それにそのソーセージって油が多いから、軽く炙ってからのほうがそのまま食べるよりおいしいんだよ。」
「・・・。」
「やってみる?」
タマは僕の顔を怪訝そうに見つめている。
それは疑うような・・・というより何かへんなものでも見るような目つきだ。
そんな風に見られてもどうしたらいいかわからないって。
「・・・。」
しばらくの間台所に沈黙が流れる。
「えー・・・と、なに?顔に何か付いてる?」
先に口を開いたのは先に我慢ができなくなった僕のほう。
「あんた、」
「ん?」
「あんた、やっぱり変なやつ。」
手に持ったソーセージを口に詰め込んで、口をモゴモゴ動かしながらタマは台所から去っていった。
僕は変なのか?変なのはお互い様だと思う。
むしろ変なのはタマだと思う。
開けっ放しの棚の扉を閉めて僕も台所を後にした。
夜もふけて、僕とポチとタマの三人はパジャマに着替えた。
窓を開けると外はすっかり夜の静寂に包まれていた。
遠くに少し明かりが見えるものの、街全体が静まり返っていた。
「ふぅ、さすがに夜は冷えるなぁ。昼間は暖かかったんだけど。」
「そうですね~お昼はぽかぽかしてて、お昼ねが気持ちよかったですよ。」
「そうだね、庭で寝転がっていると気持ちいいかもしれない。」
「はいです。今日はちょっと芝生の上でお昼寝しそうになりましたよ~。」
「ポチは外に出てたもんね。」
「はい、メアリーさんと一緒にいたりなんかしてました~。」
「さーむーい。窓閉めて。」
「あ、ごめん空気の入れ替えにと思ったんだけど開けすぎたかな。」
タマの言葉に僕は窓を閉めた。
カーテンも閉めると外から漂っていた寂しさも消えていく。
「もう遅いし、そろそろ寝ようか。」
「はいです。ご主人様。」
「タマちゃんも、もうおねむするぅ~?」
「べつにあんたに言われなくても眠くなったら寝るわよ。」
「はうぅ~~~。そ、そうだよね・・・・・。」
「ふん。」
人懐っこいポチとは対照にタマは僕をちらりと睨むように一瞥すると、そのまま何も言わず布団に入ってしまった。
「え-と、あの・・・その・・・。」
ポチはその場を取り繕おうと、僕とタマを何度も見つめる。」
「タマちゃん、まだ・・・慣れてないだけで・・・・・・あのっ、本当は、タマちゃんだって」
「あー!ポチうるさいっ!眠れない!」
ポチの声をさえぎるようにタマが声を張り上げる。
「あうぅぅぅぅ、ご、ごめんなさい。」
すっかり萎縮してしまったポチは大きな目いっぱいに涙をためて追い縋るようにたまのせなかをさする。
これはちょっとポチがかわいそうだ。
「もう、触らないでよ!」
「だって~タマちゃん怒るんだもん・・・」
「ったく!怒ってないから!」
「やっぱり怒ってるぅ・・・」
僕は今にも泣き出しそうなポチの頭をそっとなでる。
ポチは目にたまった涙をぬぐうと微笑んだ。
「ポチ、もう寝ちゃお。」
「は・・はい。
「おやすみ。」
「はい、おやすみなさいですぅ。」
「タマもおやすみ。また明日。」
「・・・。」
タマは何も答えず、耳が少し震えるように動いただけだった。
明かりを消すと目が慣れるまでの間、本当に真っ暗になる。
数分も経たないうちに、すうすうと寝息が聞こえる。
「ポチは本当に寝付くのが早いな・・・」
僕は眠れずにしばらく上を眺めていた。
と、ポチの向こうからがさごそと布のかすれるとがした。
それは、タマがこっちを向いた、そんな気がした。
僕は首を向けてそっちを見る。
目を凝らすと、そこには三角の耳とタマの後頭部が見えただけだった。