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 現世と常世の狭間「辻の世界」。人と妖怪と神が共存するこの場所で、今日も不可思議な日常の物語が紡がれていく。

 今回の舞台は水辺より遠く離れた平野部にある「蔵丘」の地、主人公は烏の化生たる十烏充造とがらすじゅうぞうである。この十烏、過去には神の眷属を務めていたが、今は職を辞して三和という街で酒屋の店主をやっている。とは言っても仕事は小売りや卸だけではなく、前職で得た人脈を生かしてやや特殊な人材の斡旋も行っていた。此度も十烏は祓い屋の紹介の為に遠方へ赴いた訳であるが、帰路にて蔵丘を経由する際、ふと思い立って寄り道をした。目的地は北部にある水城神社だ。

「泡方さん」

 石段を上り終え拝殿の前まで至った十烏は、其処で乱れた砂利を竹箒で掃き集めている女性――泡方千代女あわかたちよめの姿を認めて声を掛けた。彼女は神職ではない。この神社の管理を任されている地元住民だ。蔵丘は田舎である上に水城神社は参詣者が少ない為、神職が常駐していないのだ。けれども、外見が若く尚且つ袴姿の彼女はまるで巫女の様に見えた。

 馴染みの薄い声を聞いた泡方は顔を上げ、暫し瞬きを繰り返す。だが、やがて彼女は十烏のことを思い出し、花が綻ぶ様な微笑を浮かべた。

「十烏さん! お久し振りです」

「お久し振りです。偶々蔵丘を通ったものでね。此方にも、と。これ、他所の店の品になってしまって申し訳ないのですが」

「有難う御座います。神様方もきっと喜ばれると思います」

 差し出された酒瓶を受け取ると、泡方は本殿を向く。十烏も釣られて同じ方向を見たが、泡方とは違い彼の心中にあるのは虚無だった。そんな彼を突き放す様に冷たい風が社の奥から吹き付けた。

「海からお出でになった神様の社だけあって、此方は涼しくて良いですね」

 十烏が再び視線を泡方に戻すと、相手もまた彼の方へと向き直る。

「今年は暑い日が続きますよね。秋とは思えない位。ああ、少し中で休んで行かれますか? 冷茶もお出ししますので」

「良いんですか? 済みません」

「いえいえ。実はご相談したいこともありまして」

 不意に泡方の笑顔が陰った。十烏はそれを見逃さず、微かに眉を動かす。

「『相談』?」

「詳しくは中で」

「ああはい、失礼」

 こうして、十烏は促されるまま社務所の中へと足を踏み入れたのである。



   ◇◇◇



「それで『相談したいこと』というのは?」

 客間に通され、出された冷茶に口を付けると、泡方がその話題を切り出す前に十烏はそう尋ねた。向かい側に正座する泡方は、暗い顔になりながらも口を開く。

「実は先日、少し気掛かりな内容の絵馬を見付けまして、調査して頂ける方をご存じないか伺いたかったのです。十烏さんはそういった人材の仲介もなさっていると、以前仰ってましたでしょう」

 泡方は冷茶を運んだ盆に一緒に載せて来た木札を卓の上に置く。何の変哲もない唯の絵馬だ。十烏はそれを一瞥してから尋ねた。

「『気掛かり』……。詳細をお聞きしても?」

「はい」

 相変わらず具合が悪そうな様子の泡方は、次の様な前置きから入った。

 まず、水城神社の主祭神は遠方より来訪した人魚だ。旅の途中に蔵丘の地を訪れた彼女は、運悪くここで命を落としてしまった。その人魚の鎮魂の為に建てられた祠が水城神社の始まりであるが、海も川もない地域で水に属する妖怪の彼女はやがて水神と同一視される様になる。それに伴って施設も立派になり、他の神々も合祀されるようになったという流れだ。

 また、妖怪としての人魚は不老長寿と繋がりがある。人魚の肉を食した者が長寿を得たという逸話は現世のみならず、この辻の世界にも幾つか存在した。故に、水城神社の御利益の内の一つは長寿や無病息災と言われており、十烏がちらりと覗き見た限りでは、他の絵馬にも同様の祈願が書かれていることが殆どだった。泡方が持って来た絵馬にあるのも「不老長命」の文字だ。しかし、泡方曰くこの絵馬には他にはない特徴があるのだという。

「この絵馬に微かに残る妖気は、御神体が纏う神気と似ている気がするのです。それに魚の様な臭いが……」

 泡方は卓上から絵馬を拾い上げ、十烏に差し出した。絵馬を受け取った十烏は、彼女の言外の意思に沿って鼻を近付ける。音を鳴らさず臭いを嗅いだ後、十烏は「確かに」と呟き、絵馬を卓上に戻した。妖怪化していない烏よりもやや嗅覚が良いという程度の彼でもほんのりと嗅ぎ取ることが出来るのだから、他の者にとってはきっと鼻が曲がりそうな程の臭いなのだろう。

 彼の見解を確認した泡方は話を続ける。

「これは私の杞憂かもしれませんが、この絵馬を書かれたのは人魚と関わりのある方ではないかと思うのです」

「『杞憂』なのですか? お仲間が所縁の地を訪れただけでは?」

「人魚ではない可能性もあります。絵馬には『不老長命』と書かれているでしょう。水城神社に伝わる話では、人魚は長命の妖怪とのこと。人魚の肉を食して寿命が延びるのは、それ食べた者が人魚化するからだと。その話が真実ならば、果たして人魚が不老長寿を願うでしょうか? 既に願いは叶っている筈なのに」

 感情の乱れが良く表れた声だった。高々異臭がする程度のことだというのに、泡方は本気で恐れを抱いているのだ。彼女は繊細で気弱そうな外見ではあるが、流石に妄想が過ぎるのではないか、と十烏は呆れた。しかし、彼は胸の内を表には出さなかった。

「私は人魚には伝手がないので、彼等については良く知りません。人魚の肉に纏わる話も聞いた覚えはありますが、人魚自身の寿命の話や肉を食した者が長命となる仕組みについては初耳で……。ともあれ、泡方さんはこの絵馬の主が人間か、或いは短命の妖怪であると思っておられるのですね」

「ええ。更に言えば、恐らくは過去に人魚の肉を食したことがあり、人魚化してしまっているのではないか、と」

「人魚の肉の効力は千年程度でしたか」

「はい。長寿はあくまで長寿であって、決して不死ではないのです」

「成程、与えられた寿命に納得が行かず知性ある他者を食らって生き延びる位ですから、再び死の間際に立った時にも、やはりしぶとく抵抗するものなのかもしれませんね。つまり――」

 十烏は表情を険しくし、側方の壁を見た。その方向には人魚を神と見做して祀っている本殿がある。

「まだ残っているのですね。人魚の亡骸が、この神社の何処かに」

 元神使とは言っても、十烏の感知能力は特別他の妖怪より優れている訳ではない。彼が本殿の方を向いたのも、何かしらの気配を感じ取ったからではなく無意識の行動だ。不審者も人魚の肉も恐らくそこには存在しない。そもそも彼の建物は遺体を安置するのに適した環境ではないのだから。

 泡方は十烏の視線を追って同じ方向を見た後に俯いた。

「はい。絵馬の主はその肉を求めて来たのではないかと」

「ふむ……」

 難しい顔をして、十烏もまた俯く。神域を離れて一介の妖怪に堕ちた身に、事の真偽は然して重要ではない。彼が考えるべきは損得勘定だ。その勘定を済ませて、十烏は顔を上げる。

「申し訳ない。正直な所、泡方さんの考え過ぎだとは思うのですが、確かに人魚が水辺を離れて内陸まで遣って来ているのは奇妙に思えますね。承知しました。近々相応しい者を連れてきます」

「宜しいのですか? 有難う御座います。ああ、御礼を用意しておかなければなりませんね」

「斡旋料は結構ですよ。人魚関連の仕事には今迄携わったことがないのでね。私も少し興味を持ちました。縁を作っておきたい。現場担当者に渡す分だけご用意下さい。相手方と相談後に見積書をお送り致します」

 それを聞くと泡方は安堵の笑みを浮かべ、頭を下げて謝辞を述べた。そして、連絡先について「住所は神社の方で、氏名は私の名前を入れて送って頂ければ」と注文した。

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