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プロミス

「うーん、婚約はいいけど、兄ちゃんと離れ離れになるのは嫌」

「そうは言ってもなあ。わしと生涯一緒にいるのは難しいぞ?」


 祖父と別れてからアイラのところへ訪れると、きれいな服に身を包んでいた。身体も清められたようで肌ツヤもいい。本人は動きづらいと言っているが慣れるしかないと返した。


「美味しい食べ物と安心できる生活があるのは嬉しいよ。でもそれで兄ちゃんが危ない目に遭うのも嫌なの」

「わしが好き好んで選んだのだ。お祖父様とお前は関係ない」

「好き好んで――人を殺すの?」


 鋭い指摘に「違う。人と国を守るためだ」ときれい事を言う。もちろん、アルティアの頼みと国王になるためなのだが、いくら可愛い妹でも明かすわけにはいかなかった。

 するとアイラは可愛い顔をぷくっと膨らませる。不満そうな様子だった。


「父ちゃんは守るために死んだんだよ。母ちゃんも身体を壊して死んじゃった」

「なんだなんだ。わしも死ぬと思うのか?」

「兄ちゃんは頭がいいけど弱そうだから」


 否定はしない。戦国乱世のときと比べて同じ背丈ではある。身体も貧弱ではある。

 しかし今のわしには経験がある。戦国乱世を生き抜き天下人になったという確固たる経験が。


「安心しろ。わしは弱いが戦場を生き残れる能力がある。お前の兄は存外強かで案外しぶといぞ」

「兄ちゃんは本当に口だけは上手いよね。感心しちゃうよ」

「それより、お前の勉強のほうはどうだ? 家庭教師とやらを付けてもらえるのか?」


 話を逸らしたわけではないが、これもまた気になることだったので訊いてみる。

 アイラは嬉しそうに「うん! お祖父様が約束してくれた!」とはしゃぐ。


「ロバートソン家の者なら教養が必要とか言ってた。私、勉強好きだし」

「そうだった。あの苦しい生活の中で、唯一のわがままが私塾に通いたいだったからな」

「兄ちゃんは反対しなかったよね。今思うと大変じゃなかった?」


 少しだけ顔を曇らせたアイラに「大変だったのは否定せん」と敢えて笑いながら応じた。


「でも、兄は妹のわがままを叶えるために生きている。だから気にするな」

「じゃあ一緒に――」

「それとこれとは別の話だ」

「……いじわる」


 口を尖らせたアイラに許せと言いつつ、婚約に関してはさほど嫌がっていないことに安堵する。イーガン家の者が悪人だったり嫌な奴でなければ上手くやっていけるだろう。それだけの器量がアイラにはある。


「ま、入学まで二年間ある。それまでは面白おかしく暮らそうではないか。幸い、わしらを邪険にする人はいない」

「お祖父様も優しい人だったもんね。お祖母様が亡くなって、母ちゃんもいなくなったから寂しかったのかも」


 寂しいという気持ちはよく分かる。

 かつての仲間――半兵衛や蜂須賀小六が死んだときは身がちぎれると錯覚するほどだった。

 極楽で過ごした一年もまた孤独を感じさせるものだった。アルティアの頼みを引き受けたのはそうした寂しさから逃れるためでもある。



◆◇◆◇



 面白おかしく……とまでは言わないがそれなりに充実した二年を過ごした後、十五になったわしは軍学校に入学する時期となった。


「お兄様。本当に行ってしまわれるのですね」


 この二年間でアイラはとても美しく、そして賢く成長した。

 すらりと背が高くなり、わしよりも大きくなった。しかも健康的に痩せている。髪も伸びたことで母ちゃんと瓜二つと言っていい。


 一方、わしはそれほど背丈は伸びなかった。祖父のはからいで訓練のようなものを受けたので、それなりに鍛えられてはいる。しかし軍学校で通用するのかは微妙だった。


「ああ。元気でな」


 それ以上言うと別れがつらいと思い、玄関を出てビクターの運転する車に乗り込む――アイラが「お兄様!」と呼び止めた。そしてわしの服を掴む。


「なんだ? 今更行くなと――」

「死なないでください! そして生きて帰ってください!」


 目に涙を浮かべて懇願するアイラ。

 わしは「馬鹿なことを言うな」と笑った。


「死なないとは約束できん。あっさりと死ぬのが戦場なのだから。生きて帰ってくると約束できん。それ自体が恥になることがあるのだから」

「お兄様……」

「けれど、わしは約束する」


 すがりつくアイラを離して――約束をする。


「絶対に死なん。生きて帰る。それにだ。軍学校を出てすぐに戦場に行くわけではない。ここに帰れるだろうよ」

「お兄様――」

「元気でな」


 わしは車に乗り込んだ。

 ビクターは言いにくそうに「よろしいのですか?」と訊ねてくる。


「もう少し、別れを惜しんでも――」

「わしのほうがアイラと離れたくなくなる。これでもつらいのだ」

「……失礼いたしました」


 ゆっくりと発進する車。

 鏡でアイラが泣き崩れていて、それをメイドたちが慰めている。


 祖父は見送りに来なかった。

 二年間で親しい関係になれなかったのは汗顔の至りだが、そこは仕方がないだろう。

 別段、わだかまりがあるわけでもない。アイラを大切にしてくれればそれで良かった。


「モンキー様。これから行かれる軍学校のことはご存じですか?」


 しばらく走った後、運転席のビクターが話しかけてきた。


「お祖父様からいくらか聞いている。貴族や商家の少年少女が組に分かれて訓練するんだろう?」

「ええ。教官を含めた四人編隊で三年間訓練するのです」

「分かっている……ビクターはそこの出身か?」


 二年間の付き合いで軍隊経験があると分かっていた。

 ビクターは「私程度の身分では入れませんよ」と苦笑した。


「ご主人様の部下として戦争を体験しました。下士官でした。大怪我を負って後備役になって、ご主人様に雇われました」

「ふうむ。よほど腕を買われたのだな」


 そう言ったものの、わしは違うなと思っていた。

 怪我を負った兵士を雇用するということは、その兵士に命を救われたか何らかの後ろめたさがあるからだ。

 しかしあくまでも予想なので言葉にしなかった。


「軍学校は軍隊を学ぶ場所なので、軍隊と同一と言ってもおかしくありません」

「ならばお前の経験を教えてもらえれば、これからの学校生活に役立つ。そうだなビクター」

「その察しの良さは軍隊でも役立つと思います」


 ビクターは少し黙った。対向車が危うい動きをしたからだ。

 通り過ぎた後「軍隊で重要なことは三つございます」と言う。


「一つは上の命令を完璧に聞かないことです」

「何故だ? 軍隊とは規律でできているのだろう?」

「たとえば『物資を基地に届けること』を命じられたとします。モンキー様は二十人の部下を率いていて、基地の周りには十倍の敵兵がいます」


 籠城しているところに兵糧を届けるようなものか。


「そのまま行けば二十人の部下とモンキー様は死ぬでしょう。さて、基地に物資を届けるべきでしょうか?」

「かといって、物資を届けなければ命令違反になる……」

「ここで重要なのは命令の外を考えることです。支援攻撃を基地に頼み、その隙に物資を届ける。あるいは外部から援軍を頼む。様々な方法があります」

「杓子定規に命令を全うすることはない。そういうことか」

「そのとおりでございます。まずは自身と部下の命を優先してください」


 ビクターは「二つ目ですが」と続けた。


「戦友を大事にすることです。特に軍学校で作った友は一生の宝になるでしょう」

「だがどうしようもない馬鹿が友になったらどうする?」

「その判断はモンキー様に任せます。しかし馬鹿と鋏は使いようとも言います」

「ううむ……肝に銘じておこう」

「そして最後ですが――」


 ビクターはいつも通りの口調で告げた。


「――モンキー様の命を大事にしてください」

「…………」

「指揮官が生き残ることで部下の命も助かる……そういう話ではありません。アイラ様が悲しむのは……」


 沈着冷静なビクターがそういうことを言うのは珍しかった。

 言葉を詰まらせる老執事にわしは窓の外を見ながら答えた。


「ああ。三つの重要なことは必ず守る。約束するよ」

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