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リベンジャー

 ホテルを出ると、外では土砂降りの雨が降っていた。といってもホテルと駅は連絡通路で繋がっているため雨に濡れるという心配がないのは幸いだった。

 連絡通路の壁に身体を預け、雨に打たれる地元の風景をぼんやりと眺めていると、ふうと短いため息が気付かない内に出ていた。

 新村が鹿沼探しを手伝ってくれると言ってはくれたが、これからいったい何をどうすればいいのか皆目見当もつかない。

 どこに引っ越したのか誰も知らない、連絡先すらも誰も知らない、こんな状況で大人になった鹿沼ミハルを探し出すことなんて本当に可能なのか?

 砂漠に落とされたダイヤを見つける方がまだマシなんじゃないかとさえ思えてくる。

始める前から、そんな言い訳ばかりが頭に浮かんだ。

 とりあえず今度の休みに新村と鹿沼の引っ越す前の家に行ってみるしかないか。

 いくら考えても、それ以上なにか思い浮かんでくることもなく、僕は一旦考えるのをやめ、ホームへと向かうことに決めた。

 

 電車を降りたころには雨は既にあがっていた。

 どんよりとした雲は遥か彼方へと押し流されている。

 空には薄い雲がちらほらとあるだけで、先ほどまで土砂降りだったことがまるで嘘のように晴れ渡っていた。

 夕暮れまでにはまだ少し時間があったため、空は混じり気のない澄み切った青で輝いていた。

 そんな空を眺めていると、高校時代の鹿沼との思い出が不意に蘇ってきた。

 

 あの時もたしか雨上がりだったな……。

 

 先日夢に見たばかりの思い出を鮮明に思い出す。

 その時の鹿沼の一挙手一投足が脳にくっきりと焼き付いていたから、思い出すことは動画を再生するように容易にできた。


 簡単に会えると思っていた。

 もし同窓会を欠席していたとしても、誰かしらが彼女と繋がっていると思っていた。

 だから、連絡先を聞けば、すぐにまた会えると高を括っていた。

 こんな結果になるなんて予想できるわけないじゃん。

 だらっと垂れた拳にぎゅっと力が入る。

 あの時勇気を出していれば、あの時ちゃんと学校に行っていれば、そんなどうしようもない後悔が今さらになって込み上げてくる。

 本当に俺ってどうしようもないアホだ。

 いつの間にか目には涙が滲み、頬に一筋の線を作って地面へと落ちた。

 それをきっかけに栓が壊れたように目から涙があふれ出してくる。

 年甲斐もなく、こんな路上で泣くなんてどうかしてる。

 そう思っても、なかなか涙はとまってくれない。

 自分の意思とは無関係に頬に何本もの線を作っては地面へと落ちていった。

 きっと既にどこかで感じていたのだろう。

 この先、鹿沼ミハルとはもう会えないということ、いくら探したところで何の手掛かりもない一人の女性を見つけ出すことなんて不可能なことを……。

 

 認めたくはない。

 

 往生際の悪い自分でいたい。

 

 けれど身体だけはどうしようもなく反応する。


 長期にわたった僕の初恋もここで終わりなのだ。大切にするだけして何も進展しないまま終わってしまった。

 

 ほんと笑うくらい馬鹿でアホでクソだ。


 そう思った瞬間また、涙が零れた。


 しばらくの間僕は、路上に蹲り泣き続けた。ようやく涙も落ち着いてきたかと思ったころには既に駅を出て十五分は経とうとしていた。

 こんな僕でもさすがに周囲の目が気になり始めてきたぞ。


 あの時はメンヘラ化していて気付かなかったが、俯瞰して冷静に考えるとかなり痛い奴になっていた気がする。


 というかなっていた。


 しかし、今でも深く傷ついていることには変わりなく、やはりまだ簡単に切り替えれそうにもなさそうだ。


 でも・・・それでも、とりあえず今は帰ろう――。


 どれくらい歩いただろう。

 とぼとぼと重い足取りで歩いていたものだから、なんだかいつもより道のりが長い気がする。

 

 あぁ・・・・・・僕の家ってこんな遠かったっけ・・・・・・。


 ていうか、鹿沼も鹿沼だよ。

 引っ越し先くらい普通誰かに言っておかないか?

 友達とか担任の先生とかさ。

 誰一人にも言ってないなんておかしすぎるだろ。守秘義務のレベル越えてるんですが、限界突き抜けて大気圏つきやぶってるんですが!


 そんなことを考えていると、次第に鹿沼に対する理不尽な怒りが込み上げてきた。というよりは鹿沼に限らず目に入るものすべてに毒を吐いてやりたいそんな気分だ。


 歩道の植木や斜め後ろを歩く年配のサラリーマン、井戸端会議をしている主婦たち、ゴミをあさる鳥、生ぬるい風、ぎらぎらと光る太陽、僕の心とは対照的にどこまでも澄み切った青い空。


 目に入る事象すべてに怒りを覚えた。


 できるものなら暴れてやりたいけれど、そんな度胸もないし人様の迷惑になるようなことはしてはいけない。

 だから僕はそんなイライラをぐっと堪え歩いた。

 その時だった、先ほどまでのゲリラ豪雨で出来たであろう、大きな水溜りが視界に飛び込んできた。

 不自然なほどに整った円形で、見事なほどに芸術的な水溜りだった。

 そんな水溜まりを見て、あの時の記憶が否が応にもフラッシュバックする。


「ねえ、鴫野君は水溜り好き?」


「私ね水溜りに反射する景色がすごく好きなんだよ」


「たまにね、思うの。ここに映っている空は私たちが普段住んでいる世界とは別の世界の空なんじゃないかなって」


「そんなわけないだろう」

 

 思い出の鹿沼に応えるようにぼそりと言った。

 僕はゆっくりと目の前にある大きな水溜りへと近づいていく。

 砂漠で見つけたオアシスに引き寄せられる旅人のように、渇きを潤してくれる何かを求めて、その水溜りに近づいていく。

 近づいて僕はいったいどうするのだろう?

 考えもなくただただ引き寄せられるように水溜りへと近づいていく。

 

 つま先につくくらいにまで近づいたところで僕は一度歩みを止め、水溜りを見下ろしてみた。

 その水溜りは僕の頭上にある洗いたての空を目いっぱいに映し出してキラキラと輝いていた。


 「綺麗でしょ?」

心の中の鹿沼ミハルが言った。


「全然。僕には眩しすぎて吐きそうだよ」


「意地悪なんだね」


「意地悪は君の方だろ」


「私ね――――」


 その先の言葉がうまく聞き取れない。

 あの時の夢もそうだった。

 僕はすがるように水溜りを見つめてみた。

 波一つない鏡のような水面は鹿沼の言った通り別の世界の入り口のようで、見ていると吸い込まれそうな感覚に襲われる。

 こんな水溜りがあるから僕は……。

 そんなどうしようもない感情が頭に浮かんでは消えてを繰り返していく。

 こんなのただの呪いじゃないか。

 いったん収まったイライラが自分の中で再熱していくのを感じる。

 いっその事こんな水溜り、めちゃめちゃにして区切りをつけてやろう。

 そう決断した瞬間、目の前の大きな水溜りへ僕はおもいっきり飛び込んだ。


 さよなら鹿沼ミハル。


 ありがとう新村。

 

 さよなら鹿沼ミハル。


 大切な事だから2回言ってケジメとしよう。

 

 ジャンプした瞬間、鹿沼との思い出が走馬灯のように頭を流れていく。といっても、鹿沼との記憶なんて丘の上でのことしかないんだけど。

 一瞬で走馬灯は終わり、僕は勢いよく着水し大きな水しぶきを――――。

 


 ……ってあれ?





 勢いよく飛び込んだ水溜りは想像をはるかに超える深さで、たちまち僕の身体は水の中へと沈んだ。

 

 えっ?

 

 なにこれ?

 

 やばくない?

 

 夢?

 

 思いもよらぬ出来事に思考が追いつかず、目の前は自分の吐いた空気の歪な楕円で埋め尽くされていく。

 必死にもがいてみるが、掴める物は一切なく無意味に水をかくばかり。

 そのたびに水を切る鈍い音だけが響いた。

 身体の中の酸素も、もうほとんど残っておらず、いまにも意識が飛んでしまいそうになる。

 いっそこのまま……と投げやりになりそうな自分に、あきれ果てたところで意識はブラックアウトした。




「……ちゃん」


 気を失ってどれだけの時間がたったのだろう。

いまだはっきりしない思考の中で、誰かが自分を呼んでいるということだけが、かろうじて認識できた。


「……ちゃん。……いちゃん」


 声の主は止まることなく、僕を呼び続ける。

 いったい僕を呼ぶのは誰だ? 

ていうか、僕いったいどうしちゃったんだ。

 自暴自棄になって水溜りに飛び込んで、おもったより水溜りが深くて……。

 考えれば考えるほど非現実的すぎて頭がパンクしそうだ。


「……にいちゃん。おにいちゃん‼」


 強く体を揺すられ僕はばっと目を見開いた。


「あっやっと起きた。お兄ちゃん中々起きないから死んじゃってるのかと思ったよ」


 そう言って、妹のアリスが僕の顔を心配そうに覗き込む。


「僕どうしちゃってたんだ?」


 とても長い夢を見ていたような不思議な感覚と妙な違和感が体に纏わりついていた。


「まだ寝ぼけてんの? 早く起きないとだよ、お兄ちゃん。今日は大事な日なんだから」


「大事な日? 同窓会のことか? それはもう終わって・・・・・・ていうかお前もう、僕の事怒ってないの?」


 キョトンとした様子でアリスが僕を見ている。というよりは蔑むような、哀れな物を見るような、生ごみを見るような・・・・・・。


「お兄ちゃんほんとに頭大丈夫?」


 おでこにアリスの手が触れる。


「大丈夫はお前の方だって! 誰に呼ばれてここにきたんだ?」


「ん? 誰ってママに決まってるじゃん」


「母さんは行方不明だろ」


 そう言った瞬間、アリスはこらえきれなくなったのか口を目いっぱい開けて大きな声で笑った。


「やだ、やめてよ。お兄ちゃん、いくら何でもボケ過ぎ……くくっくくあははははは。お腹痛い、ひひっひひ……」


 気持ちを落ち着かせるために、一つ大きく深呼吸をして、自分の置かれた状況を整理することに決めた。

 まず、ぐるりと周囲を見渡してみる。

 見覚えのある間取りにベッド、思い出深い大きな机の傷……。

 やっと気づいたそこは、慣れ親しんだ実家の自分の部屋だった。

 でも一人暮らしをしている家の近くで僕は気を失ったわけで、そもそもここにいること自体おかしくないか。

 不思議に思っていると、あるものに意識がいった。

 それを指さしながら僕は腹を抱えて笑っているアリスに向かって聞いてみた。


「なあ、アリス。今日って何年の何月?」


「もう、やっぱお兄ちゃん今日は変だよ。そんなの――――に決まってんじゃん」


 アリスが平然と言ってのけたその日付を聞いて俺は息をのむ。

 

 2014年 4月3日(木曜日)

 時刻は午前6時50分

 大事な日って、同窓会どころの話じゃないじゃないか。

 今日は記念すべき僕の晴れ舞台。


 そう高校の入学式当日だ。


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