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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
6/49

4. 侯爵様のご友人、来訪




 その来訪者は、夜にも拘らず突然現れた。



「やあ、こんにちは」

 彼は灰茶の髪を揺らして、顔を傾げて笑顔をつくる。童顔でありながら、紳士然とした振る舞いで外衣を脱いだ。

 そんな彼を呆然と見つめている者、若干名。

 挙げてみれば、エステル、従僕フットマン、執事の三名だ。

「突然すぎたかなぁ。あ、アルフォンス、久しぶり。差し入れ持ってきたよ」

 執事の名を呼び、実に軽い調子の彼を見て意識を取り戻した執事アルフォンスは、慌てて青年に礼をとる。

「こ、これはウォーレス様。お久しゅうございます。お元気そうでなによりです」

 取り繕った笑みを浮かべながら、内心の焦りをみせない様は長年で培ったものだろう。

 目を丸くして佇んでいたエステルと従僕も執事の目配せをうけ、急いで客人をもてなす準備にとりかかる。

「オレはセシル様に、ウォーレス様の訪問を報せるから」

 こそっと耳元で従僕は囁く。エステルは小さく頷き、厨房へ菓子と茶の準備を頼みに行こうと踵を返した。――その時。

「ちょっと待って」

 背後から呼びとめられ、エステルは上半身だけで振りかえる。

「……はい、なんでしょう?」

 俯いて答えるのは、彼がもし男爵令嬢であるエステルを知っていた時のためだ。

 そんなエステルの心中を知ってか知らずか、歩み寄ってくるウォーレスは彼女の前に立ち、手をとった。

 刹那。

「なっ!?」

 手の甲に口づけが落とされる。

 エステルは目を瞠った。女中である自分にするような行為ではない。まさか、自分を知っているのだろうか。

 唾を呑み、青年を観察する。

(――さっき、ウォーレスと呼ばれていたわよね? 姓がわからないから誰かはっきりしないわ……。私が参加した夜会にいたかしら?)

 エステルは社交会にあまり参加していない。付き合い程度に顔は出したが、それは元婚約者の手前だ。挨拶が終われば庭にでて、一人、茶を飲むことが多かった。

「どうかした?」

 ウォーレスは硬直したエステルの様子を下から窺い見る。

 エステルは冷や汗を流しながら、努めて気丈な声を出した。

「……いえ。あの、私になにかご用ですか?」

 きっと硬い笑いになっただろう。それでも、返答が安心できるものだと確信するまでは、緊張が走る。

 そのままじっと見つめていると、ウォーレスは苦笑した。

「突然で驚かせちゃったかな。ごめんね。僕はウォーレス・アシュレイ・マクラレンっていうんだ。はじめまして」

 淑女に向けての所作で挨拶した青年だが、その言葉にエステルは安堵した。

『はじめまして』と彼は言った。

 つまり。

(……会った事がないか、気づいていないってことよね?)

 弄ったエステルの記憶の中にも、彼の存在はない。

(そういえばマクラレン家っていえば、確か名門伯爵家だったわよね……。そこの嫡男は三十歳くらいって聞いた事あるわ)

 怪訝に思い、ウォーレスを見る。

 そして、独り首を横にふった。

(ない。ないわ。この人が三十歳だったら、世の中の女性が居たたまれなくなるもの)

 目の前の青年は、外見十代後半、多めにみても二十を一、二超えたくらいにしか見えない。鯖をよむといっても限度があるだろう。

 ゆえに、彼は次男以下だ、とエステルは判じた。

「えーと、考え中のところ申し訳ないんだけど……君の名前、きいてもいい?」

 独りで顎に拳をあてながら考えてこんでいた女中に、ウォーレスは気遣いながら尋ねる。

 エステルはハッと顔をあげ、お客様を無視していた現実に猛省しながら微笑んだ。

「私はエルーと申します。まだ新入りではございますが、なんなりとお申し付けくださいませ」

「うん、ありがとう。じゃあ、一ついいかな」

「はい。なんでしょう?」

「お茶じゃなくて、お酒を飲むから、グラスの準備をお願いしてきてくれるかな。おいしいぶどう酒が手に入ったんだ」

 そう言って、彼は背後の扉を指差した。

 彼の指の先には、扉前で差し入れ――ぶどう酒の樽――を持ち上げようとする執事の姿があった。エステルが(……彼の腰は大丈夫かしら)と思ったのは、余計なお世話なのかもしれない。




***   ***   ***




「……突然だな」

 渋い顔で、部屋に入ってきたウォーレスを出迎えたのはセシルだ。

 しかし、ウォーレスはとくに気にした様子も見せず、樽を抱えた使用人達を手招きする。

「気の知れた仲じゃないか。なんでそう嫌そうな顔するかなぁ」

 わざと溜息をこぼすと、我がもの顔で部屋の中央に置かれたソファーに腰をおろす。

 セシルは嘆息すると、向かいの席に腰をおろし、控えていた従僕からグラスを受けとってさがらせた。



「で、なにかあったのか?」

 侯爵は、友人が突然訪れるのは、必ずなにか報せがある時だと知っている。だからこそ、嫌そうな顔をしながらも、内心では感謝している。……絶対に本人に言うつもりはないが。

 ウォーレスはグラスにぶどう酒を注ぐと、前髪を掻きあげる。それがどうにも苛立たしげに見えた。

「んー……なにかあったっていうかねー」

 一度口を噤むと、彼は酒を一口含み、セシルを上目で見据えた。

「カレン嬢の結婚が、決まったよ」

 その一言に、セシルは柳眉を顰めた。




***   ***   ***




 ウォーレスが来て、かれこれ数時間が経った頃。

 エステルは戸締りの当番であるため、窓を閉め、鍵をかける、という作業を繰り返していた。

 ふと、ウォーレスのことを思い出す。

 あの後、彼はセシルの部屋へ行ったらしい。おそらく、侯爵と会話を楽しみつつぶどう酒を煽っているのだろうが、詳細は誰も知らなかった。

(何時間もお酒を飲み続けて、大丈夫なのかしら?)

 首を傾げる。エステルも弱いわけではないが、樽を飲みほせる自信はない。

 後で水を差し入れるのもいいかもしれない。

 セシルの酔った姿が想像につかないが、なんだか見てみたい気もした。

 そんなことを想像する自分に驚きつつも苦笑し――そして、最後の窓を閉じた。



 エステルが部屋に戻ろうと、床に置いたランプを持ち上げた時だった。

「エルー」

 夜遅くに、廊下で誰かに遭遇すると思っていなかったエステルは少し驚いた。――権力者の邸では暗殺話は絶えないのだ。侯爵家ともなれば、それも必然だろう。したがって、幽霊がどこにいても不思議はない。

 恐る恐る振りかえる。信仰心はあまりないが、こんな時ばかりは――神様っ! と祈りを捧げてみた。

「急に驚かせてすまないね」

 けれど、目の前にいたのは幽霊ではなくウォーレスであった。

 エステルは肩の力を抜く。

「ああ、ウォーレス様でしたか」

 自分の行動に恥ずかしくなり、笑ってみせる。

「なにかご用ですか?」

 首を傾げると、ウォーレスは苦笑した。

「うーん、僕が、というより、君のご主人様が、かな」

「はぁ?」

 すると、彼は笑みを変え、くすくすと肩を揺らす。

「セシルが酔いつぶれてね。毛布を彼の部屋へ持って行ってくれないかな? 僕はそろそろおいとまするから」

「……ですが、今からお帰りになると危ないのではないですか?」

「大丈夫だよ」

 そう言って、エステルの頭を優しく叩いた。

「僕の見送りはいらないから、セシルの方、よろしく」

 最後に困ったように笑みを残して、ウォーレスは暗闇の中へと消えていった。




***   ***   ***




 エステルがセシルの部屋にたどり着くと、そこはぶどう酒の匂いが充満していた。

 ウォーレスに頼まれた通り、毛布を侯爵に持ってきたが、ついそれで鼻をおさえる。

(これは……どうみても飲みすぎね)

 客人が差し入れた樽は、蓋がない状態で転がっていた。つまり、中身はもう空ということだ。

 眉間に皺をつくり、一人掛のソファーへ近づくと。――予想通り、侯爵がいた。

 いつもとは違う寝顔に、エステルはそっと微笑する。

 顔は赤くなり、無邪気な寝顔が微笑ましい。だらりとソファーに身を任せている姿も、朝の姿とはまた少し違った。

 新しい発見に、心がくすぐったい。そんな自分を不思議に思ったが、頭で警鐘が鳴り響いている気がして、考える事をやめた。

 起こさないように、静かに毛布をかける。

 見納めになるのは少し寂しいが、「おやすみなさい」と囁き、退室することにした。

 踵を返す。

 歩もうとすると――突如手首を掴まれた。

「えっ」

 驚きに声をあげると、瞬く間に体はソファーへと引っ張られ、強い力で抱きしめられた。

 そして、それだけではないことに、一拍遅れて気づく。



 エステルは目を見開く。

 彼女の紫の瞳に映るのは、セシルだけだった。

 自分の後頭部を押さえる手。腰をさらうように抱く腕。そのどれからも逃れる事はできない。

 けれど、彼女の頭を真っ白にさせるのは、そのどちらでもない。

 唇に感じる、熱く、柔らかい感触。

(――これは、なに……?)

 なにも考えられない。状況がわからず、目を何度か瞬いていた。



 呼吸ができないために苦しくなってきた頃。エステルはようやく自分がなにをされているのか把握する。

「んんっ!」

 必死にセシルの胸板を押し、離れようとした。

 セシルがそれに気づいたのかは、わからない。しかし、彼は唇を彼女から名残惜しそうに離した。

 エステルの目に映る、セシルの顔。切なそうに歪めている彼に、言葉を発することができなくなった。だから、呆然と見つめ続ける。

 ――こんな時、なんていえばいいのだろうか。経験のないエステルにはわからない。怒ればいいのだろうか。悲しめばいいのだろうか。だが、エステルは自分がそれらのどの感情でもない気がした。

「どう、して……」

 震える唇に指で触れながら問う。答えは返ってこなくてもかまわなかった。

 だが、セシルは苦しげに目を細め、エステルの首に顔をうめる。紡がれた言葉は、静かな、けれど確かな情熱を秘めているように感じた。

「――好きなんだ」

「……え?」

(誰の、ことを?)と、首筋に感じる熱い吐息で痺れる頭で、問うが、それは言葉にはならない。

「セシル……様?」

「ずっと……二年前から、好きだったんだ」

 この瞬間、エステルは息を呑んだ。

 彼は、二年前、夜会で恋をしたひとに告げている。

 悟ると、なぜか胸が締めつけられるように苦しくなった。泣きたい気がするのに、泣きたい理由がわからない。それに気づいてはいけない。

 混沌とする感情。

 どうしたらいいのか、わからなかった。

 そうしようと思ったわけではないのに、気がつけばセシルの服を掴んでいる自分に気づく。

(……私……)

 縋るセシルを見下ろせば――彼は、いつの間にか寝息をたてていた。

 エステルは心から安堵する。

 このまま、この体勢でいるのはどうしても辛かった。

 起こさないようそっと腕をはずし、彼から離れる。

 ついで、自覚したように顔が紅潮した。

(私も酔ったのかしら)

 それは、漂う酒のにおいのせいなのか……それともセシルのせいなのか。震える心に蓋をして、その答えを放棄した。

 誰にもこの部屋であったことを知られてはならない。だから、走って自分の部屋へ戻ろうと、思った。

 考えを実行するように、口を両手でおさえて扉へと向かう。

 ――激しくなる鼓動には、気づかないふりをした。




***   ***   ***




 夜道を走る馬車の中で、ウォーレスは窓の外をみる。

 景色は見えなかったが、考え事をするには丁度よかった。

 ふと、銅色の髪の女中メイドのことを思い出す。

 淡く笑った。

「話には聞いてたけど……女中になるなんてなぁ。本当に、極端なだ」

 ――エステル・コーネリア・クラーク。

(心に留めておこう)

 ……そして、もう一つ、彼には気がかりがあった。

 エステルの元婚約者、カイル・セドリック・ハーシェル。

 黒髪と灰青の瞳を持つ、次期侯爵。

 かつて、彼らの婚約は、知らない者がいない程知れ渡っていた。

 当時、カイルは宮城に常駐するため、なかなかエステルに会うことは叶わなかった。しかし、彼は惑うこともなくずっと想い続けていた。

 二人は幼馴染だと聞いている。婚約が決まり、初恋が実ったことを喜ぶ彼の姿も、遠目に見た事があった。

 だからこそ――彼が自ら婚約を破棄したと聞いた時は、耳を疑った。

 一体、なにがあったのだろう、と。疑問に思っていたが。

 原因は粗方、わかった。

 ――ゆえに、ウォーレスは懸念を抱く。

(もし、予想が当たっているのなら)

 苛立ち、小さく舌打ちした。

(彼は、真っ直ぐすぎる男だけど……馬鹿じゃない)

 厄介な事に。

 ウォーレスはこの先に起こることに思いを馳せ、溜息をこぼした。




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