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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
4/49

幕間  侯爵様の噂の真実



 侯爵の朝は、美形の理論セオリーで始まる。

 それは今も以前も変わることがない。

 けれど、彼は大失態を犯してから寝起きがマシになった……らしい。




***  ***   ***




 現在、食堂で使用人たちが昼食をとっている。

 いつも以上に騒がしいそこの注目の的は、もちろんエステルだった。先の一件以来、彼女は好奇な目でみられたり、陰口を言われているのだ。ゆえに、独りで食事することが多い。

 ――しかし、その日は違った。

 先輩女中のドロシーはエステルの向かい席を陣取り、左手の親指をたてた。

「よくやったわ、エルー!」

 ちなみに、”エルー”というのはエステルが侯爵邸で名乗っている偽名である。

 一体なにが『よくやった』なのかわからないエステルは、曖昧に笑った。

 すると、ドロシーは腕を組んで頷きながら、詳細を語る。

「誇るといいわ! あなたのおかげでセシル様の寝起きがマシになったんだから!」

 エステルは首を傾げた。自分が来るまでの侯爵の寝起きは、一体どんなだというのだろうか。そう思い、言葉を紡ぐ。

「でも、まだ起きる際『低血圧は美形の理論セオリーなんだ』とか仰ってますよ」

 すでに耳にタコができた呆れる主の口癖をぼやくと、ドロシーは首を横にふった。

 そして、両手でエステルの、スプーンを持つ手を握りしめる。否応なしに食事を中断する羽目になった。

 妙に真剣な空気を漂わせる彼女に、エステルは呑まれる。

「あのね、エルー、今まであの方は『美形の理論セオリーなんだ』って仰ってから、からかうようにあたし達の手を握ってたわけ」

「そ、そうなんですか」

 いかにも遊んでいる男がやりそうな行動である。好ましくない、とエステルは眉を顰めた。

 そこへ、同僚の女中エリンが乱入する。彼女もなにやら、これまでの侯爵の寝起きについて言いたいことがあるらしい。

「そうなんです! それであの顔ですもの。しかも、こっちがドギマギしてると、にやりと笑って仰るんですのよ! 『じゃあ、あたためてよ』てね!」

 なんて性質が悪いのかしら、と愚痴る女中たちに同情してしまった。自分も先日の件で、そのドギマギとやらを体験した。

 だから、つい呟いてしまったのだ。

「……やっぱり、私生活が華々しいって本当だったのね」

 けれど言葉に、ドロシーとエリンは顔を見合わせた。すぐに彼女たちは、エステルの独り言を一刀両断する。

「それはないわ」

 エステルが片眉をあげて怪訝に思っていると、ドロシーは「だから余計厄介なのよ」と唇を尖らせた。

「えぇと、どういことなんですか?」

 尋ねてみると、先輩女中は呆れたように話し始める。いわく。

「セシル様、三年前まで王宮で騎士見習いをしてらしたのよ」

 それはエステルも知っている。元婚約者はそこで彼と知り合い、彼のことを認めながらも好敵手ライバル視していたらしい。

「で、騎士道って、なにやら面倒でね。純潔じゃなくちゃダメだのなんだのあるらしいのよ」

「そうなんですか」

 思い返せば、エステルの元婚約者も潔癖な面があった。結婚するまで閨を共にすることはおろか、口づけさえもすることはなかったのだ。その理由を今さらながら知る。

「なかなか古めかしい考えですよね」

 騎士道を否定しない程度に感想を述べると、ドロシーは深刻に頷いた。

「そうなのよ。でもね、他人事ひとごとじゃないのよ」

「……はぁ?」

「セシル様もその古めかしい考え方に染まっちゃっててね。ふふふ、噂では華々しいらしいけど、実際はもうすばらしいまで真っ白よ! 二十三歳・男で!」

 乾いた笑いを漏らす彼女は、目に光る涙をそっと拭った。……使用人に哀れまれる主とは、これいかに。

 そして、続けた。

「だから奥様も、なにか性癖に問題があるんじゃないかと思ったらしくて……女中に色気たっぷりの娘を雇って、誘惑させたり、積極的に夜会に行かせたりしてたのよ」

「そ、そうなんですか。なんていうか、行動派な奥様なんですね」

 記憶にある女主人は、見た目は侯爵に似て麗しく、美貌の持ち主だった。が、この一瞬でエステルの認識は改められた。

「そう。でも、セシル様はその誘惑にのらないし、そのせいで恥をかいたってたくさんの女中が辞めてくし……。ほら、あそこにいる侍女の彼女もその一人」

 ドロシーが指をさす先をみると、そこには亜麻色の髪をした、優艶な女性がいた。同性からみても色気があり、それこそ誘惑されない男など皆無だろう容貌をしている。

「あの方でも、ダメだったんですか?」

 驚き、首を捻っていると、ドロシーは困ったように笑った。

「ええ、そう。上流階級出身の娘だから、すぐに辞めると思ったわ。家に戻れば縁談なんてたくさんあるだろうしね。……けどあの娘は、あの方を本気で好きになってしまったみたい。だから、仕事を辞められない。――厄介な方なのよ、セシル様は」

 エステルが睫毛を伏せると、それまで食事に夢中だったエリンは、空気を軽くするように笑った。スプーンの先で弧を描き、かつての自論を展開する。

「実は、わたくしもそのお役目を受けて、ここに呼ばれたのですわ。でも、ダメでした。だから、確信したんです! セシル様の性癖に問題アリって!」

 その言葉に、エステルもうっかり頷いた。斜め向かいで食事をするエリンも、褐色の髪と百合のような清らかな美しさを誇っている。侍女もエリンもダメだというのなら、一体どんな娘ならいいのだろうか。

(もしかして、噂にきく、男色というやつかしら。そういえば、男所帯では多いって聞くわ)

 なんといっても、侯爵は長年王宮で騎士見習いをしていたのだ。

 独り思考の渦に嵌り、口元を引き攣らせていると、エステルの考えを見透かしたドロシーが苦笑した。

「安心しなさい。そんなんじゃないって、後でわかったから」

 それはどういう意味だろうかと疑問に思って視線をあげると、切なそうに目を細めるエリンの視線とぶつかった。

「侯爵様はね、二年前に行った夜会で恋におちたらしいですわ。相手は誰かわからないけれど、そのひとしか目に入らないのですわね。たくさん来る好条件の縁談の文に、目もくれずにいる侯爵様を見ていたら、なんだかこっちがやきもきして……訊いてみましたの。そしたら、こう、言われたましたわ」

『彼女には、好きなひとがいるから』

「その切なそうな、でも、幸せを願う姿を見たら、なにもいえなくなってしまいました」

 エリンは泣くように笑った。

 エステルは思わず目の前の冷めたスープに視線をおとす。

 自分が映った水面に、波紋ができた。

 今まで、自分が集めた噂が恨めしい。なにが華々しいのか。それを信じた自分も嫌悪した。

 もし、侯爵の恋が本当のことなら、かわりにその噂を払拭したいと思ったし、彼の恋を応援もしたいと思った。でも、一方で、彼への想いで留まった使用人たちの想いも報われたらいいと、思う。

 急に沈んだ様子を見せたエステルに気づいたドロシーは、意識して口尻をあげる。

「ふふ、だから、あなたを寝台に連れ込んだって聞いた時、あたし達は嬉しかったの」

 少しばかり語弊がある気がしたが、エステルは話をそのまま聞く。

「セシル様は、女性の扱いには慣れてらっしゃるわ。処世術を学んでいるから。夜会で噂がたったのは、きっとそのせいね。あの方の美しさなら、お姫様方も群がるでしょうし。……あとは、見向きもされなかった、ここを辞めて実家に帰って行った上流階級の女たちが、自分の矜持のために『捨てられたんじゃなくて、捨てた』っていいふらしてるのかも」

 そうして、エステルの手を握る。その手は水仕事で少し荒れていたけれど、とてもあたたかかった。

「あなたがいてくれてよかったわ。二年も片思いしているあの方が、ふっきってくれるかもしれないから」

「大切なご主人様の辛そうなお姿、見たくないですもの」

 さ、食事を再開しましょ。

 そう言って、にっこりと笑ったエリンは、どこか嬉しそうだった。

 エステルには、その顔が胸に突き刺さる。

(――痛い)



 ――セシルの、二年もの片思い。

 それを自分に慰められる筈がない。だって、知っているから。長く想った心は、そう簡単に消えるものではない。十五年間、迷うことなく唯一人を想い続けたエステルは確信している。

 エステルは、元婚約者に未練などない。それは、きっかけがあったからだ。

(――彼は、信じてくれなかった)

 未練など爪の垢ほどもないけれど、きっと忘れることもないだろう。

 冷たい視線。吐かれた言葉。突き放された衝撃。

 今でも鮮明に思いだせる。

 独り、冷笑する。

 恨んだし、憎んだ。辛くて苦しくて……心が壊れるかと思った。自分を守るためには、たくさんのものと距離を置かなければ耐えられなかった。

 それでも、もう、恨んではいない。負の感情は心身を疲労させるばかりだった。そんな力も、失せてしまった。それは、愛と一緒に。

 だけど、悔しかったから。ただ、一つだけ、エステルは心に決めたのだ。わずかに残った心のしこりを、根こそぎ払拭するために。

 そのために、今エステルは侯爵邸にいる。

 そんな自分がどうしてセシルのためになれるだろう?

 もう一度、小さく笑う。自嘲するように。



 そうして、エステルは暗い気持ちを心に沈め、スープを啜った。




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