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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
30/49

11. 侯爵様と男爵令嬢 (4)




 キン、キン、と剣の交わる音が夜の庭園に響く。


 公爵が提案した”決闘”は、セシル、カイル両者の了承を受け、すぐに開始された。

 用意された二本の、刃をつぶした剣。けれど勢いづけば、怪我をすることなど目に見えている。


 公爵は審判を下すために、闘う二人からつかず離れずの場所に立つ。

 エステルとウォーレスも、公爵の隣に並んだ。

 関係者以外は夜会会場で通常のパーティーを楽しむよう命が下ってはいるが、実際のところはほとんどの者が会場にいながら気もそぞろに彼らを眺めている。

 演奏家たちが踊るための曲を奏でているものの、ダンスをしている男女の姿は少ない。ぶどう酒の入ったグラスを片手に、庭園の見える窓辺にいる者がほとんどだった。



 激しい攻防戦からエステルは視線を逸らすことなく、震える心をドレスを固く握りしめることで抑えこんだ。

キン、と音がする度に――どちらかの刃が肌に掠りそうになる度に、エステルは目を眇める。それでも、目を逸らしてはいけないと思った。

(……セシル様、息が大分あがってるわ)

 汗をとばしながら素早くカイルの剣を避け、その隙をぬってセシルは攻撃を仕掛ける。それもカイルが剣で応じ、弾く。そんなやり取りが幾度となく繰り返されていた。

 もう双方肩で呼吸をしている。汗が幾筋も流れていた。

 ……ただ、表情はセシルの方が険しい。時々踏み込もうとする足がぶれるのを、エステルは見逃さなかった。


「ねぇ、エステル嬢」

 ウォーレスの苦笑混じりの声に、エステルは睨むように横目で声の主を見た。

「……なんですか」

 セシルとカイルの闘いの邪魔をしないよう、ウォーレスはずっとエステルの手首を掴んでいる。

 ウォーレスは困ったように眉尻を下げると、遠くを見つめるように親友たちの戦いを見つめた。

「……セシルはさ、ずーっと君のこと、見てたんだよ」

 それは、セシル本人から告白された時に聞いていた。だから、エステルは眉根を寄せてウォーレスへと顔を向ける。

「君は、変わってからの彼しか知らないんだろうね」

「……変わってから?」

 小首を傾げると、ウォーレスは目を伏せた。

「セシルもカイルも僕も、幼い頃に王宮に預けられて、ずっと従騎士生活を送ってた。だから、思考も騎士道に自然と染まった。でも、カイルも僕も、貴族社会のことはセシルより理解してたと思う。……両親が政略結婚だったから」

 わずかに憂いを帯びた声音に、エステルは眉間の皺を緩める。

「……セシル様のお母様は、前侯爵様を心から愛していらっしゃるようでした」

 エステルが言葉を紡ぐと、ウォーレスが頷く気配がした。

「セシルの両親は、貴族社会では珍しい恋愛結婚だよ。……だから、かな。セシルは政略結婚も貴族社会の汚い部分も、言葉で理解していたけど、心では拒絶してた。――従騎士として王宮にこもってた時は、それでもよかったんだ。……でも」

 ウォーレスは小さく溜息をこぼす。――二年経った今でも、あの頃のセシルの姿には苦いものをおぼえた。

「セシルは真っ白なまま騎士になって、侯爵位を継いで、貴族社会に接した。……衝撃だっただろうなぁ。彼は、汚い社会が受け入れられなかった。いや、受け入れなければならないことを知っていたから、蔑むように距離を置いて、貴族社会に在ることを選んだ」

 想像もできない過去のセシルに、エステルは目を丸くする。

「……セシル様が?」

 エステルには信じられなかった。侯爵邸で素のセシルを見たと思っていた。知ったつもりでいた。けれど、それも一部でしかなかったのかもしれない。過去のセシルのことは一切知らず、今だけしか見ていなかったのだと、知らしめられた気が、した。

 口を噤むエステルに、ウォーレスは続ける。彼が彼女に知っていてほしいことは、この先だったから。

「そんな時に、セシルは君に逢ったんだよ」

 エステルとウォーレスの視線が絡みあうと、彼はにっこりと微笑んだ。

「それまで、夜会で会う度に他者を侮蔑したような色を翠の瞳に浮かべてたのに――君と出逢ってからのセシルは、まるで別人だった。……僕が知る中で、エステル嬢がセシルの初恋なんだ」

 その言葉に、エステルが切なそうに顔を歪ませた。

 エステルの反応に、あと一押しと判断したウォーレスは口元を綻ばせる。

「――セシルは、君の実家のことを足手まといだなんて思っていない」

「……でも」と咄嗟に反論したエステルの言葉を、ウォーレスは遮るように諭そうとした。

「思っていないよ。セシルにとって、君が家族だと思う人はセシルにとっても家族だし、大切だと思うものはセシルにとっても大切なんだ。だから、足手まといだなんて考えるはずがない。むしろ……君がカイルを選んだ時の方が、僕は怖いな……」

 きっと、セシルはもとの彼に戻ってしまうから。

 独りごとのように囁く彼の言葉に、エステルの心が揺れた。

 セシルが男爵家のことを含めた上で、エステルとの婚約を望んでいるのというのなら……エステルは彼を拒む理由があるのだろうか?

 エステルの掌に、じわりと汗が滲む。訊いていいのか、躊躇った。それでも、訊かずにはいられなかった。

「……じゃあ、私は……セシル様の手をとっても、いいの?」

 ――許されるの?

 誰かの後押しがほしくて、エステルは口にしていた。

「うーん、こうなった今、セシルが勝ったら、になるかもしれないけどね。まぁ、セシルは弱くないし……」

 若干困ったように返答したウォーレスに、エステルはセシルへと視線を向ける。


 こうしてウォーレスと話している最中も、ずっと耐える事のなかった金属音。

 刃を交えて力勝負になれば、体調の優れないセシルが劣勢であることなどすぐにわかる。

(私は、どうしたらいい? ――私に、なにが、できる?)

 エステルは思案するように固く目を閉じた。

 セシルに勝ってほしい。けれど、決闘となった今、闘いをとめることはできそうもない。そもそも、公爵の理解を得なければならない。――彼の提案を取り下げさせるなんて、一男爵令嬢に許されるだろうか?

(……私は、できることを、する)

 一度深呼吸して、心を決めた。同時に、くっと目を開いて公爵を仰ぎ見る。

「――公爵様」

 静かに呼ぶと、彼はゆっくりとエステルを見下ろす。

 かつてない程真っ直ぐに見据えれば、公爵は目を細めて見つめ返してきた。それが、エステルの考えを見透かそうとしているのだと、肌で感じる。

 あまりの圧力に、心を強く保とうとエステルは拳に力を込めた。緊張して喉が渇くが、今はそんなことを気にしていられない。

「――公爵様は、セシル様とカイル様、どちらを応援していらっしゃいますか?」

 エステルの問いが想像とは違ったのか、公爵は眉を跳ね上げ、口角を上げる。

「どちらも応援しているし、どちらも応援していない」

 それが、彼の率直な答えだった。

 返答に安堵したエステルは、ならば――と力強い笑みを浮かべる。

「では、私を応援して下さいませんか?」

 ……予想の遥か向こうをいった言葉。

 公爵は「ほぉ」と漏らしたきり、言葉を発しなかった。ウォーレスも驚いたのか、目を瞬いている。

「私の未来は、私が決めます」

 エステルが言葉をつぐと、公爵は表情を廃した。安易な考えを持つ者なのか見定めるかのように、冷淡で鋭い視線を痛いほど向けられているのがわかる。

「――だが、君だけでなく、あいつらの未来でもある。あいつらは数ある選択肢から、今を選んだ。失礼だが、数多の良縁を蹴ってまで君を選んだんだ。……にも拘らず、まさか決闘を取り下げろとでも言うつもりか?」

 心が凍りつくような声に、エステルの背筋に冷たいものが走った。

 エステルは否定するように首を横に振る。望んでいるのは、そんなことではないのだ。……そう、エステルが望むのはただ一つ。

「セシル様とカイル様に選ぶ権利があると言うのなら――私にも、私自身が未来を決めるための選択肢をくださいませ」

 刹那、長く、重たい沈黙が落ちた。

 ウォーレスが心配そうに見守っているのがわかる。仲介に入ろうか迷っている素振りを見せる青年を、エステルは表情を和らげることで拒んだ。

 確かに、公爵から受ける圧力は半端ない。しかし、エステルは引くつもりなど毛頭なかった。そんな軽い気持ちなら、はじめから口に出してはいない。

 闘う音と静寂。

 早くどうにかしなければ、手遅れになってしまうという焦燥。


 つぅっと汗が頬を伝った時。

 突如、公爵は「もう我慢ができん」と笑い出した。

「――許す」

 たった一言、エステルに告げる。

 数拍後、緊張から解き放たれたエステルは勢いよく一礼した。

「ありがとうございます!」

 すぐにウォーレスへと向き直る。

「ウォーレス様、護身用の短剣などはお持ちですか?」

「は? ……うん、持ってるけど」

「貸していただくことはできませんか?」

 強い意思を宿した瞳で見つめられ、ウォーレスは困惑しながら腰にさしていた短剣を差し出した。命のように大切な長剣ではないため、貸すことにそこまで抵抗はない。だが。

「……エステル嬢、どうするつもり……?」

 短剣を受け取ったエステルは、にっこりと微笑んだ。まるで、花が綻ぶようなそれに、ウォーレスは目を丸くする。

「すぐにわかります」

 そう言い残し、エステルは駆けた。

 取り残されたウォーレスは、眉を上げてその後姿を見送る。

(あの笑みに、惚れたのかな)

 似合わず赤面してしまったウォーレスは、口元を拳で隠して苦笑した。




***   ***   ***




(……まずい。足元がおぼつかなくなってきた)

 セシルはなんとかカイルの剣を交わしながら、片目を眇める。

 後ろへ引こうとすると、踏鞴たたらを踏む始末だ。

 熱で朦朧とする頭のせいで、カイルの攻撃を先読みするのも限界に近い。

 既に、攻撃する体力も、カイルの剣を真っ向から受ける力もほとんど残されておらず、ひたすら防御することに徹するほかなかった。

「くっ!」

 かわしきれず、仕方なく重い攻撃を刃で受け止めると、力に押されてセシルの身体は弾かれた。

 悔しさに、奥歯に力を込める。

 ――この機会を逃したら、もう二度とエステルに近づくことは許されないだろう。カイルが、きっとそれを許さない。

 最初で最後の機会だった。だからこそ、絶対に――。

「――私は、負けられないんだっ!」

 即座に体勢を整え、セシルが最後の反撃とばかりに斬りかかる。

「俺だって負けるつもりはない!」

 カイルがセシルの攻撃を受け流した。

 ――そして。

 セシルの背後にカイルがまわった。

 セシルは気づきながらも、立ち回れない己の身体に舌打ちした。

(……どうしてこんな時に熱なんてっ)

「――これで終わりだ!!」

 叫びながら剣を振り下ろすカイルの灰青の瞳を見つめながら、セシルが目を閉じようとした――時。



 キン、と音がした。

 けれど、セシルの剣はいまだ彼の手中にあり、重い攻撃を受け止めた感覚などない。

 ――セシルは、目の前の光景に目を見開いた。



 視界には夜闇に浮かぶ銅色の髪。風になびいてサラサラと揺れていた。

 カラン、という音の方へと視線を向ければ、マクラレン家の紋章が入った短剣が落ちていた。

「痛っ――」という、女の声。おそらく、カイルの攻撃で手を痛めたのだろう。

 それにも拘らず、その声の主はセシルの前に立ち、守るように両手をひろげていた。

 誰もが呆気にとられる場面に、最初に口を開いたのはカイルだった。

「エス……テル……?」

 カイルは戦意を喪失したように瞳を揺らしながら刃を下ろす。

 これ以上攻撃を仕掛けてくる気配のないカイルを認めると、エステルは落とした短剣を拾い上げた。

 そうして、紫の瞳でカイルの灰青の瞳を射貫く。――拾った短剣を、カイルの喉元に突きつけながら。

「セシル様に傷一つでもつけたら、許さないわ」

 穏やかさが微塵も感じられない声音に、驚異に目を瞠ったのは、その場にいた全員だった。

 カイルはあまりにも信じられない事態に、声を震わせて問う。

「――なんで……」

 力を失ったように剣を地面へと落とすカイルを見受け、エステルも短剣を下ろした。

 やがてエステルは、悲しそうに笑んで睫毛を伏せる。

「私は、セシル様を信じているし、セシル様は私を信じてくれるわ。でも――私はもう、カイル様を信じる事はできない。だから、ごめんなさい。――……さようなら」

 エステルが別れを告げると、カイルは佇んだまま、言葉の意味を理解しようと咀嚼した。

 ……聞き取った言葉が信じられないかのように、掌で額を押さえ――がくん、と膝をつく。

「エス、テル――っ」

 掠れる囁きに、エステルが振りかえることなくセシルの身体に手を伸ばす。


 支えた身体は、とても熱かった。

 いまだ唖然としたままのセシルはエステルに身を委ねつつ、「エステル……?」と呟く。

 突然の決闘への乱入。しかも、カイルの刃を短剣で応じた姿から、彼女が武芸とは無縁であったことはわかる。

「……無理したこと、怒ってるんですよ」

 エステルがセシルを抱きしめるようにしてしなだれかかる身体を抱きとめていると、憮然とした声が耳元で響いた。

「……無理をしたのは、あなただ。怪我……してないか?」

「手首は少し痛いですが、無傷です」

 小さく笑うような声に、セシルがほっと胸を撫で下ろした。

「無茶、しないでくれ」

 セシルは幻想でないことを確かめるようにエステルをかき抱く。

 すると、ビリッと何かが破れる音が耳に届き、セシルとエステルは音の方へと振り向いた。

 視線の先では、一枚の紙が破られていた。

 公爵が、カイルの婚約誓約書を破ったのだ。

 彼は苦く笑うと、「セシル、部屋を用意させるから、とっとと休め。エステル嬢に精々つきっきりで看病してもらうこった」と顎で使用人へと指示を出す。

「はい……」

 セシルの気力は一気に緩む。

 セシルはそのままゆっくりと瞼をおろし、意識を失った。



 急に成人男性一人分の体重がかかり、エステルが「きゃっ」と体勢を崩す。

「……危ないなぁ」

 ウォーレスがセシルの腕をとった。それにより、セシルを抱えたエステルは地面に倒れることを免れた。

「ありがとうございます、ウォーレス様」

「気にしないで。セシルは僕が運ぶよ」

 そう笑ったウォーレスは、公爵と同じような苦笑だった。




***   ***   ***




 地面に膝をつくカイルは、俯いたまま動かない。

 ただ、地面に雫が落ちていることで、彼が涙を流しているのだとわかる。

「……カイル」

 公爵が溜息を吐いて、広い胸板に彼の頭を押しつける。

 公爵にとっては、カイルもセシル同様、息子のような、甥のような存在だったのだ。

 ふいに公爵が夜空を見上げると、カイルの姿を隠すように、雲が月を覆った。




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