幕間2 公爵領 キング家別邸にて
雲に覆われた空から、涙のような雨が降る。
その雫が撥ねる音を聞きながら、寝台で横たわるセシルは溜息をついた。
現在、セシルとウォーレスは公爵領にある、キング家別邸にいる。来たる公爵家主催の夜会へ参加するためである。カイルがエステルとの婚約を公爵に認めてもらうというのなら、それを阻止するのがセシルの目的だ。
公爵領へついたのは、つい先日のこと。
男爵邸で半日ほどを過ごした後、すぐに邸を発って公爵領へ向かった。そうして、夜会に備えて公爵領にあるキング家別邸にいるわけだが……。
「……そんなに溜息つかないでよ。気が滅入る状況なのはわかるけど……男に看病されて、余計に気が滅入るのも理解するけど……僕だって好きで君の看病してるわけじゃないんだしさ。無理しすぎて、しかも間が悪い君のせいなんだから」
もっとはやく病気になっていれば、エステル嬢の看病がついてきたのに。
ウォーレスはそう零し、生ぬるくなったセシルの額にある手巾をとり、水に浸した。冷たくなったのを見計らい、固く絞ってまたセシルの額にのせる。
「……ありがたいとは、思ってる」
ふてくされるようにセシルが答えると、セシルは火照る身体から熱を追い出そうと、また溜息をついた。
(本当に間が悪いな、私は)
悲しくなった。
医者に『風邪』と診断されたのは、キング家別邸についてすぐ、高熱ゆえに意識を失って倒れた時のこと。なぜこうも間が悪く風邪をひく、といいたいところだが、ウォーレスいわく、「当たり前だよ」とのことだ。
『視察から帰ってすぐに数日かけて男爵邸へ行って、男爵が「休憩されては?」って引きとめるのもきかずに公爵領へ向かって。しかも、道中雨降ってたし。僕は生憎視察の疲れがなかったのと、君みたいに心労がないからぎりぎり大丈夫なんだろうけど……』
今でもはっきり思い出せる、そう言った時のウォーレスの表情。あれは間違いなく心底呆れていた。
寝台のすぐ横に椅子を置き、それにくつろぐウォーレスを見て、セシルは申し訳なく思う。
「……ウォーレス、少し休んだ方がいいんじゃないか? 私は眠っていれば問題ない」
「うろちょろすると、すぐぶっ倒れるくせに。微熱じゃなくて、高熱でてるんだよ? 君」
「食欲もあるし、熱があるだけだ。だから、休んでくれ。このままではウォーレスの方が倒れる」
少し口論となったが、結局ウォーレスはしぶしぶ頷く。椅子から立ち上がり、衣を翻した。
セシルはウォーレスが扉の向こうに消えたことを確かめると、両目を手の平で覆う。
本当は、食欲はないが、体力を戻すために無理して食べ物を嚥下していた。それでも、セシルはなにもないかのように振舞う。――早く、元気にならなければならなかった。完治までいかずとも、立ち上がっても倒れないくらいに回復せねば、エステルは取り戻せない。
一度エステルのことを想えば、眠れなくなった。
不安で胸が押しつぶされそうになる。
(今、エステルは無事だろうか? カイルに、なにかされてないだろうか?)
やっと……やっと気持ちが通じ合ったのだ。まだエステル本人から直接返事はもらっていない。それでも――今まで叶うことが皆無だった願いに、望みが生まれた。
「……エステル」
会いたかった。風邪をひいて心が弱っているからこそ、余計に。
彼女が心配だから会いたいというのは、建前だ。本音では、セシルがエステルに会いたいのだ。会って、彼女の現在も未来も腕の中に閉じ込めるようにして抱きしめたかった。
朦朧とする頭が、痛む。
セシルは眉間に皺を寄せて耐えた。
こうも体調が悪い時は、もし、という仮定ばかりが脳裏に過ぎる。
もともと、セシルは前向きな思考の持ち主ではない。思慮深い分、最悪の場合も常に考えている。
(――もし、エステルがカイルと結婚してしまったら、私はどうするだろう……)
熱で混濁とする意識の中、ぼんやりと考えた。
思い浮かんだのは、エステルがカイルと婚約していた頃に、セシルが思い描いていた自分の未来。
当時、セシルはエステルに想いが通じるとは思っていなかった。端から論外視していた。だから――今にして思えば、暗い未来だけを選択しようとしていたのだ。
『どうしたら、カイルとエステルに近づけるだろう? ハーシェル家の者となってしまった彼女と、キング家当主である自分が接触することは不可能だろうに』
いつだって、過去の自分は己にそう問いかけて。
だから、考えた。彼女に少しでも近づける方法。
そして見つかった答えは、多くの人を不幸にする方法だった。
エステルがカイルと結婚すれば、カイルは侯爵位を継ぐ。つまり、男児をなすことは必須となるのだ。
――ならば、セシルは女児を生ませればいい。
相手の女は誰でもよかった。エステルではないのなら、誰でも同じだった。子さえ生んでくれるのなら構わない。……ただ、セシルのすることを阻まなければ、それだけで。
女児が手に入ったなら、今まで確執のあったハーシェル家と和解と称して二人を婚約者に仕立て上げればいい。そうすれば、自分はエステルと繋がりができるのだから。
妻になる女は、不幸になるかもしれないと、わかっていた。もしかしたら、カイルまでもがそうだと。それでも――当時のセシルは、エステルにとって良い人であるのなら、彼女が幸せだと笑っていてくれるのなら、他の誰にどう思われようが、またどうなろうが気に留めることではなかった。そのために、きっとエステルの前で善人を装い続け、信頼を手に入れようとするだろう。他の誰が不幸になろうとも、構わず。
セシルは自嘲する。
「あー……ほんと、滅入るな」
自分の黒く染まったかつての奸計に目を閉じる。
エステルと逢って、セシルは虚無感と冷笑から解き放たれた。――けれど、引き換えに手に入れた負の感情もあった。
――それが、恋をすることだと言う者もいるが。
(私の場合は、度が過ぎているんだろうな……)
セシルは薄く目を開けると、睦言を囁くように言葉をつむいだ。
「……エステル」
好きなんだ――。
だから、どうか無事でいてほしい。
セシルは心の中で呟くと、眠るように瞼をおろした。




