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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
24/49

10. 男爵令嬢の復縁 (前編)




 ぱらぱらと、雨が降る。

 白い霧が視野を制限する中、セシルとウォーレスは馬を駆けさせていた。


 侯爵領を出て、既に数日が経っている。

 陽が完全に沈めば、二人は貴族が寝泊まりするとは思えない小さな宿に泊まり、翌朝、太陽が昇ると同時に出立する生活が続いていた。

 キング侯爵領からクラーク男爵邸までは通常、一週間がかかる。

 男爵邸にいるカイルと、帰省したエステルが再会することを想えば、セシルはなんとしても先を急ぎたかった。

 だが、セシルの心と裏腹に、そう都合よくはいかない。

 悪天候に悩まされたのだ。

 馬車という選択肢もあった。しかしそれでは余計に遅れをとるため、セシルは雨の中、分厚い外衣を羽織って馬に跨る事を選んだ。……付き合ってくれているウォーレスには、心から感謝している。


「もうすぐだね」

 ウォーレスの声が、雨風の音に遮られながらもかすかに届く。

 水気を含んで顔にはりつく髪を掻き上げながら、セシルは頷いた。

「……ああ」

「エステル嬢に会えるといいね」

「……そうだな」

 そうは返したものの、セシルは男爵邸でエステルに会えるかどうか半ば疑っている。

 ――カイルが、来ているのだ。

 カレンを娶らなかった時点で、エステルに未練があることは想像するに容易たやすい。

 ならば、今後彼はどう行動するか――……。

 セシルはしばし考え込むと、舌打ちした。

(もう、男爵邸にはいないかもしれない)

 手綱を握る力を強める。

 ――予想通りだとすれば、自分はこれからどうすればいいのか。

 それを思案すれば、セシルの意識は自然と馬に積んだ荷へと向けられた。

 ――侯爵邸を出る時に、見送りに現れた母が手渡した一通の封筒。

 その中身を見た時、正直驚き、戸惑った。それでも、役に立つかもしれないと、持ってきたのは自分だ。

(……もし、エステルが私のことを好きだったなら)

 まだ、エステルの口から返事はきいていないけれど。確信できるなにかが、もし――。

 セシルは決意を秘めた翠の瞳で前方を見据えた。


 ……諦めていた恋だった。

 それでも、求めてやまなかった。

 自分の隣にいてもらえないのなら、笑っていてくれたらいいと、思っていた。祈りにも似た感情だった。その笑みを”セシル”にいつか向けてくれたらと、願わない日などなかった。

 だから、彼女を守りたかった。優しくしたかった。……他の誰にどう思われようと、彼女にだけは拒まれないように。エステルにとって”いい人”でありたかった。

 エステルが侯爵邸に来てからは、格好よく装おうとするたびにボロばかりが出て情けなかったが、拍子にころころと変わる彼女の表情を見れば、そんなことどうでもよく感じた。紫の瞳が自分を映しているのを見る度に、彼女の中に”セシル”の存在を確認することができた。

 ……諦めていた恋だと、思っていた。

 だが、本当は、実らないから諦めようと必死だった。終わってなど、いなかった。

 それならば、最初で最後に。当たって砕けよう――そう決めた。

 エステルがカイルのことを好きなのならば、彼女の幸せを願おう。

 もしカイルも自分のことも好きではないのなら、またこれからがんばろう。

 ――もしものもしもで、自分のことを好きなのなら、絶対に放さない。彼女にどんな理由があろうと、実る可能性が僅かにでもあるのなら、手放すつもりなどさらさらない。


 セシルが会心の笑みを浮かべたのを見て、ウォーレスは苦く笑った。

「エステル嬢も厄介なのに惚れられたなぁ」

 ウォーレスは人事ながら、少しばかり同情した。




***   ***   ***




 朦朧としながら瞼を押し上げると、知らない天井が見えた。

 エステルは状況が掴めず、視線だけ横へ向ける。次に紫の瞳がとらえたのは、紗幕の天蓋。涼しげで爽やかな色だった。薄暗い室内であるため、本当にその色かはわからなかったが。

 重い頭を抱えて、エステルは身を起こす。

(ああ、寝台にいるのね)

 掛けられた上質の布団の肌触りに、ぼんやりとそう思った。

 ふいに、香草のような、香水なのか判じかねる匂いが鼻腔をくぐる。

 ほどかれて顔にかかる銅色の髪を後ろへ流しながら、近づいてくる光へと顔を向けた。

 気配の主は、手にしていたランプを寝台横に配置される机に置いた。

「エステル……目がさめたのか。――よかった」

 安堵したように目元を緩めた顔が、とても懐かしかった。

「……カイル様」

 なにがあったのかまるで思い出せない。

 なぜ、自分は見知らぬ寝台で眠っているのか。ここはどこなのか。どうして彼がいるのか。

 どうにも働かない頭で、なんとか考えた質問を口にする。

「カイル様、ここはどこ? なんで私はここにいるの?」

 カイルは寝台の端に腰をおろし、エステルの手に自分の手を重ねる。

 エステルは不思議な倦怠感ゆえに、振り払うのも億劫でしなかった。

「……ここは公爵領にあるハーシェル家の別邸だ。俺が連れてきた」

 カイルが染み込むような声音で答えれば、エステルは眉を顰める。

 そうして、記憶が途切れるまでのことを思い出そうと目を閉じた。

(――帰ってすぐ、カイル様と会って……。その後、確か二人で話をした筈)

 やがて、思い出す。

 カイルに婚約を申し込まれたこと。

 拒んだ直後、口移しでなにかの薬を飲まされたこと。

(……そうだわ。あの薬は、睡眠導入剤だとカイル様も言ってた。この疲労感は副作用ってところかしら)

 エステルはそう思い至ると、目を開いてカイルを見つめた。

 カイルの大きな手がエステルの額を覆う。

 灰青の瞳が優しい色を放ち、「よかった、熱はない」と相好を崩した。

 エステルが感じたのは、妙な違和感。

 男爵邸にいた時の彼には、余裕が感じられなかった。焦るように、脅すように声を荒げ、自らの感情を主張する。そこにエステルへの気遣いはなく、押し付けられたような気すらした。

(……どうして、昔みたいな顔をしているの?)

 今の彼は、エステルが婚約していた頃を思い起こさせる。

 不安が過ぎった。ここに長居してはいけないと、頭の中で警鐘が鳴る。

(早く、帰らなくちゃ)

 意識をはっきりさせるために頭を二、三回ふってからカイルを見据えた。

「カイル様、私、帰るわ」

 そう告げようとした時だった。

 カイルが口を開く。

「――セシルか?」

 突然の言葉に、エステルは動きをとめる。無意識に止めていた息を吐き出せば、ようやく動き出した頭に、急速に血がめぐった。

「なんの、こと?」

 毅然きぜんと答えなければならなかったのに、声が震える。

 カイルは苦笑した。

「変わってないな。嘘が下手なところ」

「……嘘なんて」

「エステルの迎えの馬車が、キング侯爵領へ向かっただろう? 馬車はキング侯爵邸の近くの店に待機させていた。つまり、お前はセシルと関わっていた可能性がある。違うか?」

 エステルの目が泳ぐ。……嘘が下手な自分が恨めしかった。

 カイルは話を続ける。

「……悪いが、情報を集めさせてもらった。エステルが男爵家を出て関わった貴族は、セシルくらいだった筈だ。だったら……お前が好きだという男は、セシルでほぼ間違いない」

 なにも言えないエステルの様子こそが、なによりの証拠だった。

 寂しそうに睫毛を伏せたカイルの瞳に、陰がおちる。

 カイルはエステルの頬に手を伸ばし、包みこんだ。

「エステル……伯爵家が手をまわせば、男爵家の存続は危うい」

「……だから、カイル様と婚約しろっていうの?」

 睨むように見上げると、カイルが切なそうに笑んだ。脅すことが本意ではないのだろう。彼は、もともと権力を利用することが嫌いだったのだから。

 それでも、手段を選んでいられない状況なのだと、カイルは判断した。そういうことだ。

「――セシルに頼るか? 頼ったところで、伯爵が手をまわす。一時の資金援助では無駄だ。継続的な資金援助であるか、男爵家が伯爵家とは無関係な、新たな伝手を探さない限り」

 エステルの瞳を、カイルが鋭く射貫く。

 カイルの言葉は、すべて確信的だった。あまりの痛い真実に、エステルは布団を握りしめて狼狽した心を隠す。

「エステルは、好きな男を利用できるか?」

 その言葉に、エステルは顔をあげた。

 今、エステルは誰かを好きになり、結婚するだけであってはならない立場にある。それが、男爵令嬢としての役割。男爵家を守るために、望まぬ結婚も受けなければならない。好きな相手との結婚であっても、相手に感情以外の見返りを求めなければならないのだ。それが、貴族の責任と義務なのだから。……嫌っていた貴族の在り方であろうと、エステルも理解している。

 唇を噛むエステルを、カイルは慈しむように抱きしめた。

「――エステル、俺を利用すればいい」

 カイルは体を僅かに震わせたエステルの首筋に、顔を埋める。

「――急がない。待つから。いつか……俺を、好きになって」

 耳元で、そっと囁かれた。




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[気になる点] 10話目に出てくる「伯爵家」はどなたでしょうか? 急に台詞に出てきて脳内混乱です。 カレンの嫁ぎ先? それから、カイルの台詞の「セシルに頼るか?」のところ 「伯爵」より「侯爵」の方が偉…
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