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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
17/49

7. 侯爵様、夜会へ行く ――たった一つの楽しみ――




 セシルとの約束は深夜零時。

 茶の準備をするまで、しばし時間があることを確認したエステルは、窓辺へ寄り月を眺めた。

 赤い月が、夜空に浮かんでいた。

 ――赤い月は、不吉なことがおこる予兆といわれる。

 しかし、エステルは気に留めずそれを見つめた。

 久しぶりの夜会。遠くから聞こえる賑々(にぎにぎ)しい音に懐かしさすらおぼえる。

「あ、これ、あんまり好きじゃない曲だわ」

 言葉になっていないざわめきの中から音楽を拾いあげ、耳を澄ませた。

 その曲はエステルにとって聴き馴染みのある、一夜の恋の夜会に定番の曲だった。

 ――仕える青年貴族が妻を迎え、愛する青年の幸せを願って使用人の娘が人身御供となる、悲しい恋の曲。

 つい、弱弱しく笑ってしまう。

(今だと、洒落にならないわね)

 そこまで悲観的ではないつもりだが、自分の来る未来と似ているかもしれないと、思った。でも、エステルが曲の娘と同じ選択をすることはない。

 それはエステルが現実主義であり、残された者のことを想ったからだ。


『あなたは、そうされたら嬉しい?』


 不意に、脳裏に浮かんだ声。女にしては低く響くその声は、妖しい色気を感じさせるものだった。

 今、この場にはエステル一人しかいない。つまり、それはエステルの記憶の中の声である。

(誰の言葉だったかしら……?)

 顎に拳をあてて悩む。

(そういえば、以前、この曲について誰かと話した事があったわね)

 そうして記憶を辿ってみると、案外すんなりと思い出した。

 言葉の主は――仮面舞踏会でいつも会う、こげ茶色の髪をした、女。

 彼女はなぜか仮面舞踏会でしか会う事がなかった。だが、貴族の狸合戦のような会場から抜け出し、庭園の東屋で独り茶を飲んでいると、必ず現れた顔馴染み。とはいっても、彼女は仮面を外すことがなかったから、目元まで見たことはないが。

 彼女は、カイルが現れる前にいつだって会場へと戻って行った。だから、カイルはエステルが一人で茶を飲んで待っていたのだと認識していただろう。

 嫌いな夜会の、たった一つの楽しみだった。夜の庭園で、一人で待つには危険を伴うために怖かったが、彼女がいたから問題はなにもなかった。

 エステルは目を閉じて、名も知らない女を思い出し、目を細める。



 彼女と初めて会ったのがいつだったのか、今ではちゃんと思い出せない。気がついたら、仮面舞踏会の度に彼女と一緒に茶を飲んでいた。

 背に流したこげ茶色の長い髪が風になびくと、彼女は鬱陶しそうに手で抑えていたのが今でも記憶に残る。まるで長い髪になれていないような仕草が印象的だった。

 いつものように、ミルクが多めのお茶を彼女に淹れれば、嬉しそうに紅の唇に弧を描く。そんな顔を見るのが好きだった。

「ありがとう」

 名前も知らない女。けれど、エステルは彼女といると心が和んだ。


 ある時、仮面を外したエステルに女は問うた。

「……隠さなくて、いいの?」

 仮面舞踏会に限っては、人目につかない東屋をわざわざ選択して場所を決めているエステルは、首を傾げる。エステルの顔を見るのは、向かい席に座る女だけ。それに、初めて会った時、エステルは慣れない仮面に目が疲れて外してしまっていたのだ。――今さらである。

「もう私の顔、知ってるでしょう?」

 不思議に思って問い返してみると、女はぽかんと口を開けた。その様子に、むしろエステルが困惑する。

「え、もしかして、駄目だったかしら?」

(そうよね、仮面舞踏会だものね。ここでは身元不詳が礼儀だし……)

 心中反省していると、女は噴き出すように笑った。そして、「そうじゃなくて」と付け足す。

「一夜の恋を見つける会場だから、みんな顔を隠したがるじゃない」

 言葉の意味がやっとわかったエステルは安堵した。ならば答えは簡単だ。

「私はもう恋してるから、一夜の恋は必要ないわ」

 頬を熱くしながら言ったから、惚気に聞こえたかもしれない。

 しかし、女は呆れた素振りを見せなかった。かわりに、寂しそうに「そう」と目を伏せる。

 エステルはそれが気にかかり、仮面の向こうの双眸を覗くと――とらわれそうな感覚に陥った。頭の中で警鐘がしたため、すぐに視線をそらす。

 そんなエステルの様子に気づかなかった女は、何事もなかったように髪を耳にかきやって、静かに言った。

「ねぇ、この曲、知ってる?」

 促されるようにエステルが耳を澄ますと、甘く切ない音が聴こえた。

「……知らないわ。でも、悲しい曲ね」

 聴きいるように目を瞑れば、女は目を細めて、どこか切なそうに答える。

「悲恋をうたった曲だもの。――仕える青年貴族が妻を迎え、愛する青年の幸せを願って使用人の娘が人身御供となる、悲恋をうたった曲。今夜のような夜会の定番。……ねぇ、例えばあなたが愛される立場で……あなたは、そうされたら嬉しい?」

 しっとりと静かな問いかけ。

 エステルはゆっくりと目を開いた。女の仮面の向こうの瞳が真剣に自分に向けられていることに気づき、真摯に答えなければならないと悟る。

 そうして考えた答えが、彼女のお気に召したかはわからない。けれど、エステルは迷わずに本音を口にした。

「私は、嬉しくないわ」

 女は訝るように首を傾げた。

「……どうして? あなたは幸せになれるのよ?」

 まるで女は『嬉しい』という言葉を望んでいたようだが、エステルは笑みを滲ませて言葉をついだ。

「幸せかどうかは残された者にしか、わからないわ。本当に貴族の青年が幸せになったのか、知っているのも彼だけ」

 女が口を引き結んだのがわかった。だから、エステルは自分だけの答えを伝える。彼女の価値観を否定するつもりはないけれど、自分だったら、というもしもの仮定話。

「すべてを捧げてもらわなくちゃ手に入らない幸せよりも、自分で掴みとる幸せの方が、私は魅力的だと思うの。身投げする勇気を捧げられるよりも、辛い時に支えてくれた方がよっぽどありがたいわ。傍にいるのが辛いというのなら、遠くで、私に囚われることなく別の幸せを見つけてくれた方が嬉しい」

 すべてを捧げてほしいなんて、願っていない。だから、嬉しくない。それがエステルの答えだった。

「私の自論だけどね」

 照れ隠しをするように笑って誤魔化せば、女はエステルの頬に手を伸ばした。

 手の甲で頬を撫でられ、エステルは言葉を失う。瞬きも忘れるほどに女に魅入った。

 今さらながら、女が傾国の美女さながらの美しさであることに気づく。

(う、わぁ。美人には性別問わずに緊張するってことね……。学んだわ)

 しきりに独り合点していると、女はふっと笑みを零す。

「おぼえておくわ」


 その言葉が、どうしようもなく切なく響いて、エステルの耳にいつまでも残った。



 あれから、彼女には会っていない。

「……元気に、してるかしら?」

 思考の淵から戻ってきたエステルは、独り呟いた。




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