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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
16/49

7. 侯爵様、夜会へ行く ――不思議な控え室――




「なんて言うか……異世界ですね」


 それが控え室に入ったエステルの、第一声だった。

 室内には紅の絨毯が敷かれ、中央に漆塗りの卓が置かれていた。部屋の隅に並ぶ五脚の椅子には、仮装道具と思しき小道具がのっている。

 エステルは小道具の中の一つに目を留め、気になってつまみあげた。

「……雑巾? なぜに雑巾??」

 素朴な疑問である。ここは客用の控え室なのだ。うっかりこの部屋を掃除した使用人の忘れ物――と考えるには無理がある。

 首を捻りながらしばしば雑巾とにらめっこしていると、隣にアールが並んだ。

「なんだ、珍しいのか?」

 ……どう考えても、女中のエステルに雑巾が珍しいということはない。令嬢といえども、現在は女中である。掃除で雑巾を掴んだり絞ったりしているのだ。

 ゆえに、エステルは否定した。

「いえ、そうではなくて、なんでこんなところに雑巾があるのだろうと思いまして」

 そのまま二人は侯爵放置で、しかも綺麗な控え室で雑巾談義をしてしまった。

 すると、セシルが二人の間に割り込む。

 セシルはエステルにバレないようアールに目配せする。その意味を察した近侍は会心の笑みを浮かべて一歩後ろへ退いた。

 そんなやりとりに気づくことなく、エステルは他の品々を一つ一つ眺めていった。

「あ、ほうきとちりとりまである。……他には」

 そして、雑巾以上にこの場に不相応なものを見つけ、目を点にした。

南瓜かぼちゃ

 疑問文にすることも忘れるくらい、衝撃的な物体。

 調理されることなく、まるごと一個の存在は、妙に異彩を放っていた。

 エステルの謎を解くため、セシルは助言を試みる。初めて仮装舞踏会へ来る彼女は、おそらくすぐに答えを想像するのが難しいだろう。

「エルー、こっちには硝子の靴もある」

 セシルからのありがたい言葉で、ようやくエステルは(ははぁ)と見当がついた。

 これらの小道具は、とある御伽噺の、継母やら義姉にいじめられ、魔法使いによって舞踏会に参加し、王子との結婚をもぎとってくる……ではなく、王子とめでたく結婚をする硝子の靴のお姫様の変装道具だったのだ。

 実際、舞踏会で硝子の靴なんぞを履いたら、靴ずれはできるわ蒸れるわで履き心地は最悪だろう。けれど、履かないとなれば存在理由はなんとなく理解できる。

 予想以上に童話街道まっしぐらな仮装舞踏会に、エステルは失笑した。

 ついで、ふと脳裏によぎってしまった。

 侯爵のことは常識人だと思っている。だが、舞踏会は予想以上の何かがありそうだ。この小道具を見て、それは確信した。……まさか。まさかのまさかで。

「あの……セシル様、まさか南瓜パンツとか……穿く予定あります?」

『人を見た目で判断してはいけない』

 それが男爵家の教えであった。が、好きなひとの痛ましい姿はあまり見たいものではない。

 葛藤するように、なおかつ想像できない南瓜パンツセシルをなけなしの妄想力で思い描きながら俯けば、冷たい声が降ってきた。バナナで釘が打てるくらいの寒さに身を震わせる。

「いや、穿かないから。考えなくていいから」

「で、ですよねー」

 こうして、侯爵の面目は保たれたのである。



「完璧です」

 そう言ったアールは、大きな鏡でセシルを映した。

 セシルは鏡に映った自分を見て、苦く笑う。

 鏡の中には、一昔前の神官と呼ばれた者の格好をした、鳶色とびいろの髪の男がいる。白を基調にしながらも薄青が散りばめられているため、高貴さと清潔感を感じさせる。

「うーん……恥かしいものだな。……舞台役者はすごいな」

 照れるように髪を揺らす姿に、エステルは小さく笑った。舞台役者も羨む美貌を持ちながら、この感想とは。あの毎朝『低血圧は美形の理論セオリーなんだ』と主張する主とは似ても似つかない。

 エステルが上から下までしげしげと観察していると、セシルは困った顔をした。発言通り本気で恥ずかしいのか、少し頬が赤い気がする。

 アールは口端を吊り上げながら、腰に手をあてた。

「よくお似合いですよ、セシル様。むしろ、もっと非現実的な衣装の方がいいかもしれません。なぁ、エルー」

 急に話をふられ、エステルは勢いよく肯いた。視界の端に侯爵が一歩後ずさったのが映ったが、気にしない。むしろ、彼が舞踏会場の中心で堂々と踊れるくらい自信をもつ賛辞を送ろうと、自信満々に親指をたてた拳を目線まで掲げてみせた。

「はい! 南瓜の国の王子のごとく、南瓜パンツに白タイツでも、セシル様なら着こなしてしまうかもしれませんね! 前言撤回します」

(それは、褒め言葉なのか?)とアールは内心首を捻ったが、賢明にも言葉にしなかった。

 他方、絶賛?を送られた張本人の反応は違った。

「いや、だから穿かないから」

 拗ねているのか羞恥なのか。耳まで赤くなったセシルは、口を開け閉めし、ついにはしゃがみこんで「~~勘弁してくれ」とぼやく。南瓜パンツが似合っても、まったく嬉しくなかったのだろう。というか、喜ぶ者はいるのだろうか?

 セシルはアールからの憐れみの視線を感じたが、それには知らん振りを決め込む。

 そんな侯爵がどうにも微笑ましくて、エステルとアールは笑ってしまった。

 セシルは恨みがましそうに二人を見上げ、長い溜息の後――自分の中でなにかを割り切ったようにすっと立ち上がる。

「そろそろ行くよ」

 告げると、アールは扉を開けた。

 セシルは、部屋と廊下の境界線まで歩いて立ち止まり、上体だけを傾ぐ。

「そうだ、エルー」

「はい?」

「日付がかわる頃――お茶を用意して待っていてくれないか? 二人分」

 その言葉に、エステルは目を瞬く。なんとなく、もしや、と思った。

「あの、もしかして……それが私を今日ここへお連れになった理由、ですか?」

 実に誰にでもできそうなことだ。侍女といわず、使用人ならば、誰にでも。

 けれど、侯爵の翠色の瞳は、真剣そのものだった。

「ああ。……駄目、か?」

 無理ならいいんだ、と続けられた言葉に、エステルは慌てて首をふる。

「いえ、そんなことありません。わかりました。とっておきのお茶を淹れてみせます!」

(とっておきのお茶ってどんなのよ)と、自分で自分の言っている意味がよくわからなくなってきたが、真摯な侯爵に、とりあえず自負を込めて胸を叩いた。




***   ***   ***




 二人取り残された部屋で、近侍は伸びをする。

「さて、と」

 軽く腕をまわすアールは、エステルを斜め下から窺い見た。

「なにか手伝うことはある?」

 無邪気に笑うアールを目の前にして、エステルはわずかに眉をあげる。これまで、女中たちとばかり過ごしていたため、他の使用人と関わる機会はあまりなかった。

(……兄がいたら、こんな感じかしら)

 ふとそんなことを思う。

「見た目通り、力はあるぜ?」

 ふふん、と自慢げな様子に、エステルは眉尻を下げて笑った。

「じゃあ、お茶の準備だけ済ませておきたいので、卓と椅子を配置していただけますか?」

「了解」

 頷いて笑った顔も、少年みたいで新鮮だった。



 アールは仮装道具を部屋の隅にあった三脚の椅子に集め、かけ布をして隠す。残りの椅子を、卓を挟んで向かい合わせに配置した。

 その間エステルは布巾を用意する。

 エステルがそれで卓を拭きはじめると、アールは腕を組んで呟いた。

「……二人分、かぁ」

 不意に落とされた言葉にエステルが顔をあげれば、青年は一笑した。――彼は笑うのが趣味のように、本当によく笑う。

「なにか、気になることが?」

 問うと、彼は溜息交じりにまた笑った。

「ようやく口説く気になったのかなーと思って」

 エステルは目を見開いた。――どうして、気づかなかったのだろう。

 セシルは、夜会で出逢った女に恋をした。そして先刻、二人分のお茶を頼んだ。つまりは彼の恋する女が、この夜会にいるということだ。

 考えると、布巾にのせていた手に力がこもっていた。動揺に瞳が揺れているかもしれない。アールに悟られないよう、卓へと視線を落とした。

(……願っていたことじゃない)

 セシルには、幸せになってほしいと。彼が幸せになるのなら、自分の恋は秘めたままでいようと、決めた筈なのに。

 彼の好きな女を、目にするかもしれない。そう考えただけで、胸を締めつけられるように苦しくなった。

「……あー、お前もセシル様のこと好きだったりする?」

 気まずげに頬を掻いたアールの戸惑った声。

 エステルの心臓がはねたが――平静を装うように静かに、大きく息を吸った。

 顔をあげて、使用人として理想的な答えを返す。

「仕えるべき主として、お慕いしています」

 完璧な笑顔をつくった。心を隠すようにして笑うのは、何度目だろうか。婚約が白紙になってから、もう数えられないくらい使用している気がした。

 それでも、その笑みをまた浮かべるのは、心を悟られないために必要だった。

「ふーん。仕えるべき主として、ね」

 アールは若干不服そうな顔をしたが、それ以上訊くことはしなかった。内心エステルはほっとする。


 けれど、その後のわずかな沈黙さえもエステルには耐えがたい時間になった。

 空気をかえたくて、別の話題を持ち出そうと探し、丁度いい話題を口にする。話題――いや、正しくは、言っておきたいと思っていた苦情だ。

 エステルは唇を尖らせて見せた。

「アール様、そういえば舞踏会同行の件、昨夜セシル様から伺っていたそうですね。どうして朝教えてくださらなかったんですか?」

 怒った素振りで言ったつもりなのに、なぜか怒られている張本人は飄々と応答する。

「だってお前、直前に言わないとうだうだ色んな事悩みそうだなーと思ってさ」

 予想外の答えに、エステルは口を噤んだ。確かに、貴族のいる舞踏会への同行を前もって知っていたなら、バレたらどうしようなどと、無駄に悩んだかもしれない。だが、彼はエステルの身分を知らない筈である。どうしてそう思ったのか。

 怪訝に思っているのが顔に出ていたのだろう。アールは苦笑しただけだった。

 そして、扉へと歩き出す。

「じゃ、俺その辺うろちょろしてくるわ」

「……うろちょろ、ですか?」

「情報収集も兼ねてな」

 んじゃ、あとでー。

 そう言い残して去って行ったアールを、エステルは唖然として見送った。

 きっと、できる近侍なのだと思う。ただ主を待つだけでなく、情報収集する、という選択肢を持っていること自体、雇用主からすれば評価できる。しかし――彼は軽くて鋭い。雲のような男。

(なんていうか……つかめないわ)

 エステルは布巾を片手に腕を組んで頷いた。




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