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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
11/49

6. 苦い夢 ――罠――




 カイルが帰郷してから、エステルの日常は忙しくなった。


 カイルは侯爵家を継ぐ準備を始め、それに伴って迎える花嫁のお披露目として、エステルはしばしば夜会へと出向く。

 正直、エステルは夜会が得意ではない。

 華やかな世界だと思われがちだが、貴族同士が顔を合わせれば打算と計略、噂話が飛び交うのだ。逢引や不倫といった出逢いの場としても有効らしいが、そのどれもがエステルにとっては好ましくない。

 だが、情報交換の必要性も、結婚する前に縁故関係を強固にすることの大切さも心得ている。

 ゆえに、カイルに連れられて夜会へ顔を出すことは義務だと思っている。




***   ***   ***




 ――二年前。



 円蓋の天井と白を基調にした広大な間。

 そこは煌くシャンデリアに照らされ、眩い世界を創り出している。

 貴族たちは華やかに装いながらも、目許には眼鏡のような仮面を装着していた。

 ――仮面舞踏会。

 その響きを耳にすれば、厳格な者は顔を顰めることだろう。名も身分も伏せ、参加する夜会。したがって未婚、既婚問わず一夜の恋を求める者の参加率は高い。しかも、参加するには招待状が必要であるため、主催者となんらかの縁がある者ばかりで、身元は確かな者しかいないのだ。心置きなく気に入った相手を探すことができる。



「じゃあ、いつもの場所にいてくれ」

「わかったわ」

 エステルは頷き、軽く手を振って人の輪へ入って行くカイルを見送った。

 壁の花と化した彼女は場内を見渡す。仮面で視界が制限されるため、視野は狭かったが様子がわかれば充分だ。

(……みんな好きねぇ)

 少々皮肉る。聞こえてくるのは上辺だけの賞賛と謙遜、そして与太話。……もう、うんざりしていた。

 エステルとカイルが仮面舞踏会にまで参加する理由は、情報収集にある。仮面によって顔が割れないそこでは、様々な情報が流れている。――決して、好き好んでこんな場所に立ち入る事などしない。

 そうして、やっと目的も果たしたのだから、もうここにいる理由はない筈だった。それでも帰れないのは――。

 目で婚約者を追えば、そこには男に絡まれる紅の髪の女性をかばう彼がいた。

 そっと溜息をこぼす。



 用を終え、帰ろうとしたエステルとカイルであったが、ふいに男の怒鳴り声が耳に届いた。場に不相応な声の主を探すと……そこには中年と思しき白髪交じりの男が赤髪の娘の腰に手をまわしている姿があった。――すぐにその娘が二人の幼馴染だと気づく。

 彼女がなぜこんな場所にいるのかわからないが、嫌がっている素振りのカレンを助けないわけにはいかない。

 そこで、カイルは彼女のもとへ向かうことにしたのだ。エステルも同伴しようと思ったが、幼馴染が三人見事に揃っていれば、身元を自ら主張しているようなものである。ゆえに、カイルはエステルに庭園の東屋を待ち合わせ場所に指定した。エステルは夜会に疲れると、大抵人気のない、けれど人目のつく庭園の東屋で茶を啜っており、カイルとの定番の合流場所となっているのだ。ちなみに庭園は密会の場所にもなるが、なぜか東屋で酒ではなく茶をのほほんと啜り、どこか所帯染みた彼女に近寄ってくる者はいなかった。空気をあえて読まない、それゆえだろう。


 エステルは傍にいた使用人に、茶の準備を頼む。

 会場内で待っている最中、カイルが無事カレンを保護できたのを見届けたが、続く難問に眉尻を下げて笑う。

(今度はカイル様とカレン、貴族連中につかまっちゃってるし……)

 視線の先では色気を意識したドレスを身に纏う女性や紳士然とした幾人かが二人を取り囲んでいた。

 今日のカレンは一際美しい。赤薔薇の巻き髪、胸元の開いたドレス、唇には紅をさし、匂い立つような艶やかさだ。並ぶカイルもカレンの美貌となんら遜色のない出で立ちをしている。

 集まってきた貴族たちは雰囲気だけで彼らが自分に利益をもたらす存在だと気づいたのかもしれない。それとも、儚い一夜の恋を求めているのだろうか。

 なんとなく疎外感を味わい、目を細める。――あの二人は、華々しい世界が似合うと思った。

 自分の髪に触れる。銅色の髪は紅でもなく茶でもなく、どっちつかずで中途半端な色をしている。紫の瞳も青に近いが青ではなく、やはり紫なのだ。

 仮面舞踏会であるがゆえに、会場で浮かないよう最低限露出のあるドレスを着ているが、それすらも違和感は否めない。

(なんか、中途半端だな……)

 時々抱く劣等感。

 こんな時、つい考えてしまうことがあった。

(どうしてカイル様は、カレンじゃなく私を望んだかしら……)

 絶対にカイル本人には問えないこと。それでも、考えずにはいられなかった。

 もしかしたら、幼い頃はちょっとした依存や妹をかわいがる心境で告白してしまったが、成長してからは幼い約束を反故にすることができなくなったのかもしれない。

 気分が落ち込んでいったが、後ろ向きな思考をとめられずに拳を顎にあてて俯いた。

(だって、カレンの方が色気あるし大人だし、女の子らしいし……)

 なんといっても。

(私が男だったら、間違えなくカレンを選ぶもの!)

 断言できてしまう自分が悲しい。けれど、自分よりカレンを好きだといえる自分が嫌いでもなかった。

 もう一度顔を上げると、カイルがこちらを見ていることに気づく。

 彼はなにか言いたそうにしているけれど、言いたい事がわからず、エステルは目を瞬く。するとカイルは、困ったように笑った。彼は伝えたいことを手ぶりで表現する。

『もう少しかかりそうだ。すまない』

 最後に片目を瞑る青年に、エステルは苦笑して頷いた。

 それだけで安堵する自分を笑いたくなった。



 そのまま会場で使用人が戻ってくるのを待っていると。

「うぅ……」

「な、なに!?」

 エステルの目の前で、急に男がみぞおちあたりを押さえて腰を折る。

 男は体調が悪そうだった。……これは無視、してはいけないだろう。例え乱れた夜会の参加者だとしても。

「あの……大丈夫ですか?」

 恐る恐るエステルが屈んで顔をのぞくと、男はわずかに顔をエステルへ向ける。なんとか笑みを返そうとしているようだが、それがどうにも痛ましい。

「誰か呼んできます」

 そう言って会場を見回せば、男がエステルの手を掴んで引きとめた。

「いや……少し悪酔いしたようだ」

 言われてみれば、会場の匂いで気づかなかったが男は酒臭い。

「……えぇと、知り合いの方を呼んで参りましょうか?」

 身元を伏せたいのならば拒まれるかもしれないが、一応問うた。案の定男は首を横に振る。

「いや……庭園で風にあたればよくなると思う。申し訳ないが……肩をかしてもらえないだろうか?」

 エステルはわずかに躊躇した。体調不良を装って人気のないところへ連れ込もうとする輩がいると、耳にしたことがある。

 迷ったけれど、頷いた。なにかあれば、カイルが探してくれることを信じよう。

「……わかりました」

 そして男の腕を首にまわすようにして抱え、庭園へと向かった。

 


 この時、エステルは気づいていなかったのだ。

 男と接している姿をカイルに見られていることを――。

 女の赤い唇が妖艶に弧を描いたことを――。




***   ***   ***




 舞踏会場と庭園の境を跨いだ瞬間、空気が変化したように感じられた。

 淀んだ会場のそれとは異なる清清しさに、空気を大きく吸い込む。

 すぐに腰をおろす場所を求めて視線を彷徨わせると、傍に長いすがあった。

 そこに男を腰かけさせる。彼はぐったりしながらも髪を揺らして礼を述べた。

「ありがとう、もう大丈夫だ」

 なんとか笑おうとした男にエステルは笑みを返し、ドレスの裾をつまんで退く意思を示した。



 そうしてエステルが会場へ戻る。

「……君は、お人よしすぎる――……エステル嬢」

 エステルの後ろ姿を見届ける男の声が、ほんのかすかに聞こえた気がした。

 けれどその声の意味を、エステルが捉えることはできなかった。

 



***   ***   ***




 会場に戻ると、エステルは使用人がお茶を携えて戻ってきていることに気づく。

 慌てて駆け寄った。

「……これで、よろしいですか?」

「ええ、ありがとう」

 使用人が持ってきたティーポットとティーカップ、それにミルクのグラスがのった盆を受け取り、エステルは庭園へとつま先を向ける。すると、侍女が背後から声をかけた。

「あの、わたしが運びます」

 気を遣ってくれたが、エステルは上体だけで振り返り、口元を緩めた。

「いえ、用意してもらっただけで充分よ。ごめんなさい、お仕事増やしちゃって……。――ありがとう」

「え、いえ、そんな……」

 職務を全うしようと思っただけなのに、と呟いた使用人は呆然としながら首を横に振った。

 にこやかに去って行く銅色の髪の娘。

「……不思議な方」という小さな呟きがエステルの耳に届き、苦笑した。




***   ***   ***




 エステルはもう一度外界へ一歩足を踏み入れる。

 こもった熱気と混ざる香水にむせるような室内から解放され、気持ちが軽くなった。



 庭園の奥にある東屋周辺に人気がないことを確認し、卓に盆を置く。いつもの普通の夜会ならば、人気がないこと、けれど人目につく場所を探すが、仮面舞踏会に限り後者は条件から外されている。

 庭園には至るところにランプが置かれ、ぼんやりと風景が浮かび上がっている。普段、邸で夜に茶会をすることはないが、こういうのも風流で嫌いではない。

 ひとりの茶会を始める。

 ティーカップにミルクを淹れ、その中にティーポットの中身を注ぐ。手馴れた仕草でミルク配分の多いミルクティーを作り上げた。

 辺りを見回す。

(誰もいない、わね)

 独り頷くと、視界を制限する仮面を取り外した。これが、仮面舞踏会で人目につかない東屋を探す理由。

 瞼をおろして目を揉む。慣れない視界の狭さと輝く会場に、目が疲れていた。

 一つ溜息をつき、作った茶を飲む。

「やっぱりこれが一番落ち着くわね」

 卓に頬杖をついて忌々しそうに仮面を指で弾く。

(……どうしてこんな仮面つけるのかしら)

 そも、バレてまずい行為ならば始めからやらなければいいのに。

「まぁ、貴族なんて政略結婚ばかりだから、本物の恋を探したくなるのかもしれないけど」

 理解できないわけではない。ただ、エステルには納得できないだけだ。

 運よく初恋の男と婚約できたエステルは、確かに恵まれている。だが――もし自分が好きでもない男と政略結婚をしたとしても、不倫相手を求めて夜会へ参加することはしたくないと、思った。

「……きれいごとかもしれないけど」

 睫毛をふせる。薄々考えていた。

 カレンはきっと、政略結婚をすることになるだろう。その時、カレンは好きな男との結婚が叶うだろうか?

 もしカイルが選んだのがカレンだったなら、エステルが好きな相手と結婚することはひどく難しいかっただろう。それはカイルがエステルの初恋の相手だからだけでなく。

(うち、男爵家だもの)

 爵位の中でも高くない男爵位。しかも持参金もおよそないだろう。となれば、好色親父が権力と財にものを言わせて妾になれと迫ってくる可能性は充分だ。

 カレンの家はエステルの家格より高い子爵。伯爵以上の爵位には逆らうのが難しい。――それでも。

「やっぱり幸せになってほしいな。……やっぱりきれいごとかもしれないけれど」

 その囁きは、一迅の風にかき消された。



 今にして思えば、この時既に罠は張り巡らされていた。

 ただ、あまりに巧妙で。

(私は、あまりに愚かで)

 気づく事が、できなかった。



 ――いつからだっただろう。

 彼の様子に違和感を覚え始めたのは。




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