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侯爵様と女中(メイド)  作者: えんとつ そーじ
本編 (完結済)
10/49

6. 苦い夢 ――幼い日の約束――




『こんな時間に廊下歩いてるなんざ……どうせ男のところにいたんだろ?』

『その女だって、夜中に廊下を歩いていたんだ! 誰かと通じているに決まってる!』


 パトリックの声が、今も耳に残る。

 疼く傷を刺激し、癪に障った。


(ああ、だから――こんな夢をみているのね)


 不思議と、今日は”夢”を”夢”だと理解していた。

 夢だけれど――忘れる事のできない、記憶の一部。

 亀裂が入った心は、癒える事がないと思っていた頃の、残酷な記憶だ。




***   ***   ***




 それは昔の約束。



 白い草原で三人の幼子が遊ぶ。

 侯爵家嫡男カイル・セドリック・ハーシェル。

 男爵令嬢エステル・コーネリア・クラーク。

 子爵令嬢カレン・ローナ・メイナード。

 それぞれの領地が隣り合わせであるため、三人は幼馴染という間柄だった。

 遊ぶ時は、決まって”白い草原”と呼ばれる野へ行った。ちなみに”白い草原”という名は、春になると白詰草で地が覆われ、白い絨毯のようになるからそう呼ばれている。


 黒髪の少年は白詰草で必死になにかを作っていた。

「……カイルさま? なにを作ってるの?」

 エステルが問うと、カイルは背中を向ける。

「エステルはこっち来ちゃだめ。あっちで遊んでて」

「でも、ひとりで遊んでも楽しくない」

 エステルは、ちらりとカイルの隣に座る赤髪の少女をみやった。少女――カレンはエステルの視線に気づくと「もうちょっと待ってて」とカイルと同じようにそっぽを向く。

 二人が仲良くしゃべっている後姿に、エステルはしゅんと落ち込んだ。

(楽しくない……)

 広くて白い草原。友達が傍にいるのに、一緒に遊ぶ事を許してもらえない。それがどんなに寂しいことか。

 膝を抱えて独り涙ぐむ。二人を見るのが辛かったから、エステルも彼らに背を向けた。

 すると、「できたぁ!」とカイルが歓声をあげた。

 エステルが振り向かずにいると、サクサクと足音が近づいてくる。

 自分に落ちる影に気がつけば、少年が目の前に立っていた。

 カイルはしゃがむと、恥ずかしそうに笑った。

「……カイルさま?」

 さっきまでは一緒に遊んでくれなかったのに、なんだというのか。

 エステルが目を涙で潤ませながら弱弱しく睨めば、カイルは苦笑した。

「ごめん。怒らないで」

 そう言って、エステルの目尻に溜まった涙を拭うと「目、つぶって」と言葉をついだ。

 エステルには意味がさっぱりわからない。「なんで?」と問うても「なんでも」と言い返されてしまった。

 若干不服に思いながらも目を瞑る。数拍後、カイルが頭になにかをのせた。

「カイルさま? なぁに?」

 首を傾げると、頭からカイルがのせたなにかが落ちてきた。

 エステルは目を丸くする。

「……これ、白詰草のかんむり?」

 目を何度となく瞬く。

 驚くエステルに、カイルは黒髪を揺らしてはにかんで笑んだ。

「エステル、大きくなったらケッコンしよう?」

「けっこん?」

 エステルが『わからない』というように眉を寄せる。カイルは一つ頷き、優しく目を細める。

「うん。好きな人とずっといっしょにいるために、神さまにちかうことだよ。――だから、おれとケッコンしてほしい」


 ――それは幼い約束。


「エステルは、おれのこと、好き?」

「うん、カイルさますき」

「じゃあ、ケッコンしてくれる?」

「うん、けっこんする」

 エステルが笑って返事をすると、カイルは頬を染めて満足げに笑った。

「ありがとう、おれのお姫さま」

 そっと慈しむようにエステルを抱きしめる。

 そんな二人に、カレンは集めた白詰草の雨を背後から降らせた。

「よかったね、カイルさま、エステル」

 彼女も笑って祝福した。



 ――この日、侯爵家の嫡男カイルは男爵家の娘エステルを望んだ。

 この時は、エステルもカレンも交わされた約束の意味を知らなかった。


 そうして後に、この幼い約束は正式に取り結ばれ、婚約が成立する。

 やがて幼い恋は育まれ、蕾はほころんだのだ。




***   ***   ***




 ――三年前、春。

 男爵邸では、エステルが寝台の上で寝込んでいた。

 続く高熱にうかされ、滲む汗で銅色の髪が額にはりつく。

 滅多に病気をしないエステルは、久々に孤独を感じた。

(もう十七にもなるのに……)と自嘲したくなる。だが、不治の病ではないとわかっていても、寂しくものは寂しい。

 気づかぬ間に、涙が一筋こめかみを伝った。



「エステル」

 不意に耳に届いた声に、エステルは閉じていた瞼をゆっくりと押し上げる。熱ゆえのだるさで瞼が重く感じた。

 額にはりついた髪を横へ流し、濡れたタオルが置かれる。

「……誰?」

 瞳を動かすことも辛くてぼんやりと尋ねると、誰かが寝台横の椅子に腰掛けた気配がした。

 視線をやる。

 黒髪が揺れたのがわかった。――ああ、そうか。

「……カイル、様」

 エステルはゆっくりと名を呼ぶ。

 布団から手を出すと、大きな手で包まれた。その力が少し強くて、痛かった。それでも言わなければならないことがあったから、小さく微笑んでみせる。

「おかえりなさい、カイル様」

 笑ってほしかった。だから笑ったのに。

 不機嫌な声が返ってきた。

「エステル、そんなことはいい」

「そんなことじゃ、ないわ。……王宮からお戻りになって、正式な騎士になったんだもの。お祝い、しなくちゃ」

「いいんだっ!」

 強く反駁され、エステルは言葉を呑み込む。拗ねるように頬を膨らませると、隣で嘆息したのがわかった。

(……呆れられたかしら)

 少しばかり自分の行いの幼稚さを自覚していた。しかし、エステルは自分の意思を曲げるつもりはない。

 幼い約束を交わしてから間もなく、カイルは騎士になるため王宮へ行った。

 騎士になるためには従騎士期間が設けられ、二十から二十一歳で正式な騎士となる。ゆえに、それまでは年に一度か二度しか会う事もままならなかった。

 会えない変わりに二人は文を交わし、年に指折り数えるくらいのわずかな再会の間に婚約を果たした。

 ようやっとカイルは二十歳となり、正式な騎士となって帰って来たのだ。

『エステルを守れるように強くなる』

 幼い頃のカイルの口癖。それは、誓いなのだと、彼は語ったことがあった。それを聞いていたから、エステルは会えなくても信じて待ち続けた。十七歳ともなれば貴族の間では結婚適齢期だが、気にしないようにしたし、寂しい時には彼からの手紙を何度も読み返し、胸に抱いて無事を願って祈りを捧げた。

 だから――帰って来るのがあまりに嬉しくて浮かれたことを、許してほしかった。

 エステルが睫毛を伏せると、カイルが火照った頬を掌で覆う。

「――もっと自分を大切にしろ」

 カイルにしては心もとない声に、エステルが視線を上げる。彼は切なげに顔を歪ませていた。

「……カイル、様」

 心配をかけたのだと察した。その気持ちが嬉しくて、申し訳なくて。謝らなければいけないと思ったけれど、素直になれなくて布団を口元まで引き寄せた。

「……はい。――ごめんなさい……ありがとう」

 すると、カイルはエステルの頬に当てていた手を頭に移動させ、くしゃくしゃと銅色の髪を掻きまぜる。

「今後気をつけるように」

 そう言って苦笑した顔は、穏やかだった。

 熱で心が弱っていたエステルは、その優しさに泣きそうになる。

(彼は、変わらない)

 そう思った。

 変わらないでいることの難しさは、エステル自身心得ている。幼い頃とは求められるものが変わり、環境も移ろう。それに伴って自分が変わることも必要とされるのだ。

 確かに、幼いままではいられない。けれど――変わってはいけないものもある。

 潤む紫の瞳を細めると、エステルはもう一度微笑んだ。

 じっと見つめていれば、カイルが首を傾げる。

「なんだ? どうかしたのか、エステル」

「……どうもしないわ」

 くすくす笑うエステルを、カイルは訝しんだ。

(久々に会った婚約者を観察してたなんて……照れくさくて言えないわ)

 正式に騎士となり、帰って来た青年。ずっと手紙のやりとりをしていたが、成長する過程は想像の中でしかお目にかかれなかった。年に数回の会える時は、いつだって期待を裏切られ、想像よりも遥かに格好良くなっているのだ。

 そして今。彼は精悍さを見せるようになった。だけど、ぬばたまの髪は麗しく、空の色をした瞳は甘い雰囲気を放っている。なにより、整った顔が綻べば精悍さよりも穏やかさが際立つ。

 未だ眉を顰めるカイルに、エステルは降参した。好きな男には笑ってほしい。

「また格好良くなったと思ったの」

 照れるように笑うと、カイルは灰青の瞳を和ませて淡く笑った。

「エステルも綺麗になった」

 その言葉に、エステルは目を丸くする。不器用な彼は、滅多に甘い言葉を率直に言わないのだ。思わず赤面すると――発言の張本人であるカイルまで耳が赤くなるほど顔を紅潮させた。

 エステルがおかしくなって噴き出す。

 カイルはエステルの額を軽く叩いた。「笑うな」という呟きに、さらに笑みがこぼれる。

「……エステル、早く良くなってくれ」

 祈るような囁きに、エステルは小さく頷いた。



 ふと、カイルは扉へと顔を向ける。

「カイル様?」

「足音が近づいてくる。誰か見舞いに来たのかもな」

 エステルも少し身体を起こして扉へと視線をやると、コンコンと扉が叩かれた。

 直後、開かれる。

 そこにいたのは、二人の親友のカレンだった。

「エステル、体調はどう?」

 幼い頃、カレンは赤毛に劣等感を抱いていたが、今やそれは薔薇色の髪となり、緩く波打って美しい。紅の髪と金茶色の瞳が見事に調和し、むしろ魅力となっていた。

 カレンは手に持っている硝子皿をカイルに渡す。

「……すりおろしリンゴか」

 皿の中を確認したカイルが呟くと、カレンは頷いて軽くドレスをつまんだ。

「お久しぶりです、カイル様。エステルのお見舞いですか?」

「ああ、久しぶりだな、カレン。かしこまらなくていい」

 カイルは微笑むことなく告げる。それにカレンは嘆息を吐いた。

「相変わらずですねぇ」

 皮肉のように笑うカレンに、カイルが顔を顰める。エステルが二人のやりとりをぼんやりと眺めていると、カレンが突然エステルの首に腕を絡ませた。

「カイル様の甘い微笑はエステル限定ですもの。ねぇエステル、わたしも友達よ。仲間はずれにしちゃダメってカイル様を叱ってやって。――て……あら、眉間に深い皺が刻まれてますよ? カイル様。ふふ、うらやましいんでしょう」

 カレンは嫣然とした笑みを浮かべて、さらにエステルの頭に顔を寄せる。

 言い当てられたカイルは一瞬片眉をピクリと動かしたが、もう幼い頃の彼ではなかった。

「エステルは熱があるんだ。放してやれ」

「え? 熱??」

 目を瞬くカレンは腕の力を緩めてエステルを見下ろした。首を傾げながら問う。

「木から落ちて捻挫したのでしょう?」

 カレンはそう聞いていたらしい。

「は?」

 今度はカイルが首を捻った。

 カイルとカレンからの視線を受けたエステルは、気まずそうに視線を彷徨わせる。

「エステル?」

 声を揃えた二人の問いかけに、居た堪れなくなり、たまらず白状した。

「えーっと……カイル様が帰ってくるから、リンゴを差し入れようと思って」

「それで、なんです?」

「庭園にある季節外れなリンゴの木に登って実をとってたら」

「なぜそこで登るんだ。使用人に頼めばいいだろう」

「それは……自分でとりたかったから……」

 カレンの冷ややかな促しとカイルの容赦ない突っ込みに、エステルの声は次第に小さくなる。

 カイルは長い溜息を吐いた。その一息には、自分のためだと言われたも同然だから、嬉しいようだが、手放しで喜べるわけもない、という心情がこめられているように思えた。

「で、落ちて怪我して、熱がでたってことか」

 確認するように問われ、エステルはこくりと頷いた。

「心配かけて、ごめんなさい……」

 小さく呟く。二人は苦く笑った。

「今後、気をつけるのよ」

 カレンがエステルに優しく叱ると、カイルは真摯な瞳でエステルを見つめて言った。

「頼むから、自分を大切にしてくれ」

 二度言われた言葉に、エステルは眉尻をさげて笑んだ。

「はい。以後気をつけます」

 答えるれば、カイルが手に持っていた硝子皿のスプーンをとりあげる。そうして、そのスプーンですりおろしリンゴをすくう。

「エステル、口をあけろ」

「…………」

 瞬時にして、エステルの熱で染まった顔はさらに朱がさす。――これは、まさか。

(あーん、とか言わないわよね?)

 窺うようにカイルの顔を上目でみやる。

「えぇと、あの、自分で……」

「駄目だ。病人に任せられない」

「私、そこまで悪く……」

 エステルが是が非でも拒む姿勢をみせると、カイルは寂しそうに笑んだ。

「カイ――っ」

 あまり見ることのない表情に罪悪感をおぼえ、つい口を開くと、すっとスプーンを隙間から入れられた。

「ん……っ」

 リンゴの蜜が口中に広がる。

(あ……甘い)

 エステルがうっかり口元を綻ばせる。

 見つめていたカイルは目尻を下げた。その、リンゴよりも甘い笑みに目を奪われる。カレンもその顔に「まぁ」と驚いた。それくらい、彼の甘い笑みを見る事は幻なのだ。

 惚ける二人を他所よそに、青年は黒髪を揺らした。

「エステル、もっと頼ってくれていい。これからは、傍にいるから」

 今までいられなかった分も。

 続けられた言葉に、エステルは口をひき結んだ。

 我知らず、涙が零れる。

「エステルの負けね。さ、カイル様の手ずからたべさせてもらいなさい」

 カレンが妹の面倒をみるようにエステルの涙をハンカチで拭くと、ついでカイルはまたリンゴののったスプーンを差し出した。

 幸せ者だと、思った。

 今まで、自分の気持ちに気づかないようにしていたけれど。本当は。――ずっと寂しかった。傍にいてほしかった。我侭を言わないように、口を噤んでいた。

 そして今、目の前には親友と婚約者の笑み。遠い昔のように、また同時に見られる日がくるなんて――。

「ありがとう、大好き」

 エステルは幸せを噛みしめながら、破顔した。



 ――けれど、歯車はいつしか狂っていたのだ。

 そのことをエステルが知るのは、そう遠くない未来のこと。




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