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3命と聖女と

 わずかに日に焼けてはいるものの、白魚のようにほっそりとした手が差し出される。その折れそうに思うほど細い手に、日常的な農作業によってマメができていることを私は知っている。

「サナちゃん。生きましょうか?」

「はい!」

 白銀の髪をたなびかせる美しい女性が伸ばした手を握り、私は屋敷の外へと出かけた。

 リエラお母様は、同性かつ娘である私のひいき目を抜きにしても美しい人だった。絹糸のような白銀の長髪に、澄み渡った青空のような瞳。つややかな唇。目尻をわずかに下げて笑う姿には、同性の私でもドキリとする。

 そして、彼女の血のお陰か、私のまた前世とは比べ物にならない美貌を手にしていた。お母様と同じ白銀の髪に、紫紺の瞳。目鼻立ちも幼女ながらにはっきりしていて、くもった鏡に映る顔は、将来美人になると予想された。

 王女であった前世の私が冴えない色合いの髪や瞳の色をしていたのに、一男爵令嬢にすぎない今の私がこのような美しい容姿をしているというのは、ひどく皮肉めいていた。

 お母様は自分の容姿でかなり大変な思いをしたというが、それが向かい風となって、お父様との仲を育んで来たのだという。

 両親の恋愛話はどうにもくるものがあった。うん、なんていうかとてもむず痒いのだ。

「あら、どうしたの?お手洗いかしら?」

「ううん、違うよ。なんか、こそばゆいなって」

 お母様と手を握る私に突き刺さる生温かい視線。それらから隠れるようにお母様の体に近づけば、彼女は口元を手で隠して楽しそうに笑った。

「あなたももう男の人の視線が気になる年頃なのかしら。困ったわねぇ、アレクシオがどんな顔をするか、想像ができてしまうわ」

 父アレクシオは、うん、多分ものすごく険しい表情で唸り、それから無精ひげが残った顔を私に押しあてて愛を叫ぶだろう。その姿が容易に想像できてしまい、私はぶるぶると首を横に振った。

 今世の私のお父様は私を溺愛している。昔の私が心開かぬ人形のようであったからか、だいぶ感情を出すようになった今、お父様もお母様も目に入れても痛くないほどに私というおかしな子どもを可愛がってくれている。

 頬に手をあてて「あらどうしましょう」なんてこれ見よがしに告げるお母様の姿を見て、護衛の女性騎士の人がくすりと笑った。長年ステイシア男爵家に仕えてくれている一族の彼女は、私の視線に築いてはっと我に返り、慌てて周囲を警戒している振りを始めた。

 私はお母様と顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。

「……それよりお母様、大丈夫?」

 そう聞けば、お母様は花が咲いたような笑みを浮かべて、つないでいる方とは反対側の手で私を優しく撫でてくれた。

 大丈夫よ――そう告げるお母様の声を聴きながら、私はお母様のお腹に目が吸い寄せられていた。

 お母様のお腹の中には、赤ちゃんがいる。その発覚を知った時、お父様は私ごとお母様を強く抱きしめた。

 お父様の体からは土のにおいがした。それほど裕福ではないステイシア男爵家、その財政の基盤となる農業のために、お父様は毎日鍬を振り、雑草を抜き、肥料を作りと、農作業にいそしんでいた。その、苦労のにおい。

 お母様からは、太陽のにおいがした。香水のような人工のそれではない、温かな心安らぐにおい。

 二人のにおいに包まれて、そしてお母様のお腹の中に弟か妹がいるのだと思うと、心が不思議な温かさに満ちて、涙が静かに頬を伝った。

 あの日から、もう半年ほど。緩いマタニティドレスを見に纏ったお母様のお腹は、ぱっと見でわかるほどにはっきりと大きくなっていた。それでも美しさが損なわれないあたり、お母様は相当な美人だと思う。


 お母様と共に向かったのは、一軒の病院。ステイシア男爵が抱える小さな、けれどグンダカール王国全域を見てもそれなりに発展した街、領都。そこに一軒だけ存在する、この街の医療の中枢が今日の目的地だった。

 今日もそのマリエッタ医院は喧騒に包まれていた。人口三千人ほどの小さな街とはいえ、その医療を一手に引き受けるというのは並大抵のことではない。院長を含めて全部で三人しかいない病院には、今日もたくさんの患者が足を運んでいて、待合室で診察の時を待っていた。

「……外で待たれますか?」

「そう、ね。そうしましょうか」

 じめじめとした季節柄か、病院の待合室には高熱を出した者がたくさんいた。咳き込むものもいれば、頬を真っ赤にしてだるそうにソファに座っている者もいて、妊婦が入っていくような場所ではなかった。

 女性騎士のエレンの提案に頷いたお母様は、受付だけ済ませると私の手を取って病院の外にあるベンチへと移動した。

 エレンがサッと敷いたハンカチの上に座って、私はぼんやりと空を見上げた。

 灰色の雲の切れ間からわずかに青が覗く空は、今にも泣きだしそうだった。

 そんな私の思考に重ねるように、病院から激しい鳴き声が聞こえて来た。

「大丈夫よ、サナ」

 私が不安に思っていると感じたのか、お母様は膝の上に置いていた私の手に自分の手を重ね、そっと指を絡めた。

 お母様の手のぬくもりが、私の体のこわばりを解いていく。肩に入っていた力が、抜けた。

 そこでようやく、私は自分が体を固くしていたことに気づいた。

 どうしたのかと、自分の内側に言葉を投げかけて、気づく。

 私は、何かに怯えていた。その何かが分かることはなく、ただ手のぬくもりを感じながら、私はお母様の肩に頭を預けた。

「疲れてしまったの?」

「ううん、大丈夫。でも、少しだけ……いい?」

 もちろん、と笑いながら答えたお母様の顔を見て、私は肩の力を抜いた。

 大丈夫、不安になることなんて何もないはずだ。


 その時、私の視界が一瞬真っ赤に染まったのは、きっと不吉な未来を暗示したものではない。赤から連想されたレオン様の怒りの顔を忘れるべくは、私は強く目を閉じて思考を追い払った。


 お手伝いさんが呼びに来たところで、私たちは再び病院内に戻り、診察室へと足を運んだ。

 今日の訪問の目的はお母様と私の定期検診だ。

 案内された先には、すでに何度も顔を合わせている老齢の女性医師の姿があった。このマリエッタ医院の院長であるマリエッタ医師だ。

 すでに髪は真っ白に染まり、その顔にもいくつものしわが入っている彼女は、けれどピンと伸びた背筋で丸椅子に座っていた。しわ一つない白衣に身を包む彼女は、今日も活力に満ちていた。

 枯れ木のように細くなった手で過去の診察記録を素早くめくり、鋭く細められた茶色の目が文字を追っていく。

 顔を上げたマリエッタ医師の顔は、すぐに笑みを浮かべた優しげなものに変わる。

「元気そうですね、ステイシア夫人」

「おかげ様で健康に過ごさせていただいていますわ」

 貧しいステイシア男爵家には専属の医者を抱える余裕なんてない。だからステイシア一家は領都にあるマリエッタ医院がかかりつけの病院であり、マリエッタ医師とお母様はたまにお茶会を開くような仲だった。

 親子ほどの歳の差がある二人だけれど、仲は良好らしい。かつては王城でメイドとして勤めていたというお母様はかなりの見識があり、ステイシア男爵領都におけるマリエッタ医師の数少ない議論の相手なのだという。

 ちなみに、私は二人の会話についていけないし、二人も私に話について来ることを求めていないので、大抵お茶会に顔を出すことはない。

 ああ、余談になるけれど、お茶会のお茶はお父様手製のハーブだ。お母様の好みはレモンバームで、お父様の好みはカモミールらしい。大柄でいかついお父様が小さな白い花を咲かせるカモミールを優しい手つきで扱っている姿はとても違和感があった。まあ、そこにある愛を思えば、決しておかしくはないのかもしれない。

 気づけばお母様とマリエッタ医師の話は止まっていて、診察室には無言に時間が流れていた。これも、いつものこと。

 目をつむっていたマリエッタ医師の体から洩れた魔力が、ふわりと私の髪を撫でた。

 魔力。私たちの体に宿る力は、魔法という不思議な現象を引き起こすエネルギーとなる。全ての者が魔力を持っていて、その魔力は千差万別。魔力の性質によって扱える魔法は変わってきて、どのような魔法を扱えるかを「魔法適正」と呼ぶ。

 例えば前世の私は風魔法に適性があった。まあ、他国に嫁に出ることが十分に考えられる王女であった私は、魔法技術の漏洩を阻止するためという名目で魔法訓練を受けたことはなかったから、魔法についてはほとんど知らない。代わりに、聖女として奇跡の力は使っていたけれど、あれは魔法とはまた少し違う。

 ちなみに、お母様は言霊魔法、お父様は植物魔法を使う。言霊魔法は言葉に強い意志を込めて、言葉によって可能性をわずかに操作する魔法、だそうだ。正直よくわからない。お父様の魔法は、植物の健康状態を見抜いたり、成長を促進させたりすることができる。「まさに農耕のための魔法だな」とお父様は胸を張って笑っていた。

 今世の私の適性はまだわからない。魔法は使い方を誤れば危険なため、グンダカール王国では十歳になってから学ぶものとされている。とはいえ法律で決められているわけではないから、高位貴族家では五歳ほど、つまり今の私の年齢ほどで魔法を覚え始める。たぶん私が魔法を学ぶのはもう少し先になると思う。だってただの貧乏男爵家の長女には、魔法を学ぶ以上にすべき農業の手伝いという大事な仕事があるのだから。

 しゃがんで草をむしり続けても痛くならない私の腰をねたむお父様の顔を見て、思わず笑みがこぼれた。

 そんなことを考えているうちにマリエッタ医師の纏う空気が変わった。

「神よ、わたしの目に見通す力をお与えください」

 両手を合わせて祈るように言葉を紡いだマリエッタ医師が、ゆっくりと目を開いていく。一般的な茶色のはずの瞳は、けれどそこに黄金の輝きを加えていた。幾何学模様を浮かべた眼で、マリエッタ医師はじっとお母様のお腹を見て、それから視線を動かして私の顔を見る。

 鑑定魔法、というらしい。

 魔法によって相手の情報を読むというその魔法によって、マリエッタ医師は目に見えず、症状に現れることもない患者の情報を読み取るのだ。

 王国でもあまり数の多くない鑑定魔法を使える医者という凄腕のマリエッタが、どうしてこんな辺鄙な街で働いているのかは私にはわからない。

 いつもこの幾何学模様を宿した目で見つめられると、その視線から逃れたくなる。私のどす黒い内側を見られているような気がするのだ。

 マリエッタ医師の目には、何がどれくらい見えているのか。私の過去は、見えていないだろうか。私の罪は、彼女に見抜かれてはいないだろうか。そうして、いつも怖くなる。

 額に汗がにじんだ。気づけば膝の上に乗せた拳を強く握っていた。こくりと喉を鳴らして、私はただ体を小さくさせた。

 やがてマリエッタ医師が目を閉じるのを見て、私は彼女にバレないように、静かに安堵の息を吐いた。彼女の眼には、今日も恐怖や憎悪の感情は見えなかった。多分、私の過去はバレていない……はずだった。

 ふぅ、と小さく息を吐いたマリエッタ医師が肩の力を抜き、その体を包み込んでいた荘厳な雰囲気が消え去った。

 いつもの優しげな雰囲気に戻ったマリエッタ医師の目にはもう、あの金色の輝きはなかった。

 見上げた先、お母様がマリエッタ医師に期待するような目を向けていた。

「お腹の子は元気に成長していますよ。それと、男の子です」

 お母様が小さく息を吐いた。背後で、女性騎士のエレンが小さな声で歓声を上げた。

 私もまた、ほっと胸を撫でおろした。

 グンダカール王国では男児のみが爵位の相続権を持つ。そのため、このままステイシア男爵家に男児が産まれないと、ステイシア家は解体されるか、あるいは遠い親戚から子どもを養子に取る必要があった。養子を取る場合、その家の者が口出しをする絶好の機会となり、よほどのことがないと吹けば飛ぶような男爵家はその家の配下に加わることとなり、中央貴族から距離を取っているステイシア家は貴族のドロドロに叩き込まれることになる。

 お母様もお父様も、私やステイシア家に仕えてくれている者にそのような苦行を望んでいなかったから、お母様が男児を宿したというのは喜ぶべき知らせだった。

 弟が、できるのだ。弟。その言葉から思い起こす人物は、黒目黒髪のどこか厭世的な存在だった。前世の私の弟。そういえば私は、彼とあまり交流がなかった。彼は、どんな人生を送っただろうか。私の悪行が、彼の人生に影を落とすことになっていたりはしないだろうか。

 あまり関わることのできなかった前世の弟の分まで、などと言うつもりはないけれど。今世では姉としてしっかり弟の面倒を見ようと、私はそう決意した。


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