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2二度目の生

『どうしてこのようなことをなさったのですか!サナ様!』

 雨でべったりと髪を張り付けたレオン様が、多くの感情をない交ぜにした顔で私を睨むように見ていた。

 薄暗いホール。駆け込んできたレオン様は、困惑と怒りと絶望をもって、私と、私の腕の中にある女性を見つめていた。

 雷鳴がとどろき、レオン様が入って来た扉の奥に閃光が瞬いた。激しい光で影となったレオン様は、この世の者ではないように見えた。

 閃光による視力の低下が収まった頃には、レオン様は全ての感情を失い、無機質な瞳で私のことを見ていた。

 その手が、腰に差していた剣の柄へと伸びて。銀色の刃が鞘の奥から姿を現した。遠くの雷光が、闇の中に剣を浮かび上がらせる。

 かつて、行きずりの襲撃に遭ったことがある。その時、レオン様が抜いた剣身を見ただけで私は恐怖を覚えた。

 けれど今、歓喜だけが私の心の中にあった。

 レオン様の全てが、私に向けられていたから。レオン様が、私を見ている。私だけに、その全てを向けている。視線も、感情も、全てを――

 私は両手を広げて、受け入れるようにレオン様が突き出した剣へと身を投げ出して。

 その胸にレオン様の想いを受けて、私は笑うのだ。

『ああ、愛しいレオン様――』

 血でぬれた手で、レオン様の日に焼けた、近くで見ればいくつもの小さな傷が見える頬を撫で――


「あぁぁぁぁ!?」

 悲鳴が、聞こえた。それが私の喉からもれた悲鳴だと気づくまでに、少し時間がかかった。

 息が荒かった。いつものことだ。もう何度もこの瞬間を夢に見たが、今でも慣れない。

 痛みと、狂気の感情が織りなす濁流と、血の臭い。

 タオルケットを吹き飛ばすように体を起こせば、汗でぐっしょりと濡れた寝巻にわずかな風があたり、少しだけ息が楽になった。

 胸に手をあてながら、私は自分に言い聞かせる。

 夢だ。今のは、夢だ――

 何度も繰り返すたびに心臓は鼓動を遅くしていき、息も落ち着いた。

 それでも、脳裏に張り付いたような無数の光景が、そして女性の断末魔の言葉が、今でも思い出される。

『この、悪魔め――』

 私は曲げた足を抱きしめて、膝の間に顔を埋めた。

 にじんだ涙が、服に落ちる。体が、震えた。

「ごめんなさい。ごめんなさい、レオン様、ユミル……」

 私の謝罪は、届かない。だって、全てはもう、遥か過去の話だから。


 サナ・ステイシア。それが私の新しい名前だった。

 昔から、私は不思議な夢を見た。

 自分が、この国、グンダカール王国の王女として生きている夢。そして、レオン様という人物を慕い、尽くし、レオン様のために聖女となって。

 そして、レオン様の手で斬られる夢。

 まさに、悪夢だった。

 悪夢は、まるで泡沫のごとく私の奥から浮かび上がっては消えるのを繰り返した。

 起きれば、そのほとんどが記憶から消えてしまうような夢。けれどその夢は、回数を重ねるごとに確かな輪郭を形作っていき、やがて夢同士がつなぎ合わさって、一人の女性の人生を描き出した。

 そして私はあるとき、気づいた。これは夢ではなくて、過去に生きた、前世の私の記憶なのだと。

 サナ・グンダカール。

 家の本を調べれば、「サナ」の名は禁忌のものとして禁書に記載されていた。お父様の書斎にある禁書が隠された鍵付きの本棚を勝手に漁り、二重底の中からその本を見つけてしまい、あまつさえその本を読んだことは秘密だ。

 サナ・グンダカールというのは、聖女の身でありながら王国を悪夢に陥れた最悪の存在だと記されていた。彼女は、その出自を含めた全てが闇に葬られていた。彼女が王女であったということも、彼女の悪業も、全て、表の歴史書には記されていなかった。

 けれど断片的に記された禁書の情報は、確かにサナ・グンダカールという女性が存在していたことを示していた。そのわずかな情報については、少なくとも夢の中の「サナ」と一致した。

 そして、習っていない百年ほど前の情報が夢の記憶と一致することで、私は自分がサナ・グンダカールとして生きていた存在の生まれ変わりであるということを受け入れた。

 私は、重い十字架を背負った罪人だった。


 なぜ私がサナ・グンダカールという人物の罪を背負う覚悟をしたのか。

 当時の記憶がすでにぼんやりとしている身をしては、よくわからない。

 けれど、まるで実際に行ったような生々しさすら感じる夢は、まだ自我も定まっていなかった私という人間の精神の骨格となり、私という存在を歪めたのだ。

 同時に、「私」は夢の中の自分の行動に怒りを覚え、レオン様への激しい罪悪感に駆られたのだ。

 レオン様に謝りたい。レオン様に真実を話してしまいたい。レオン様を苦しい記憶から解放してあげたい――叶わない夢を、気づけば私は祈っていた。

 最も、当時の私は「罪悪感」なんて言葉を知りはしなかったのだけれど。

 そうして私は、サナ・ステイシアという人間でありながら、サナ・グンダカールという人間であったという過去を背負うことになった。


 五歳にもなれば、両親は私という人間の異常性に気づき始めた。

 物静かで、物欲に囚われることなく、ただ自らの生を含めた全てを投げだすように無感動に生きる私は、両親に大きな絶望を与えたことだろう。自分たちの子どもがおかしい――そんな状況で、けれど初めての子どもであった私に対して、両親は一人の人間相手として真摯に対応した。

 それは親子と呼ぶにはいびつな関係だったけれど、私は自分を化け物を見るような目で見ない彼らに少しずつ打ち解けていった。

「……あのね、私、夢を見るの」

 そうして、私は両親に私の「過去」の話をした。もちろん、私が「サナ・グンダカール」という人物として生きたというところまで話すことはなく、あくまでも前世で罪を犯して、魂に刻まれたその記憶が夢として再生されるのだ、といった感じで。

 両親は、否定することなく私の言葉を受け入れた。

 そして私たちは、おそらくその日から「親子」になった。


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